交渉
弘治三年(1557年) 八月下旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 飛鳥井基綱
少し離れた前方に黒褐色の道着を着た男が居る。手に持った木刀を八双に構えた。睨み付ける様にこちらを見ている。恐ろしい程の威圧感だ。当然だ。相手は吉岡又一郎直元、先代の吉岡憲法であり俺の剣の師でもある。こちらは正眼に構えた。腰を落とす。腰が浮いていてはこの威圧に耐えられない。しかし、背は丸めない。怯えていないと示すのだ。
「参りますぞ」
「はい!」
スルスルスルスルと又一郎先生が近付いてきた。速い! あっという間に姿が大きくなる。身体がブレないからだ。つまりそれだけ身体が鍛えられている。“フン!”という気合と共に木刀を振り下ろしてきた。逃げるな! 踏み込んで木刀で受ける! 受けると共に太刀先を下げる事で相手の木刀を流す! 身体を開いて相手を躱し“えい!”という掛け声と共に木刀を相手の肩に振り下ろして詰めた。大体三センチくらいで止めただろう。
「良し! 今の呼吸を忘れないように」
「有難うございます」
礼を言うと又一郎先生が顔を綻ばせた。厳つい顔が優しそうな顔に代わる。良い親父さんだ。本当なら今の形稽古は相手の首筋に木刀を詰めなければならない。つまり真剣での立ち合いなら首を刎ねるのだ。しかしね、相手は五尺七寸を越える大男で俺は四尺五寸に満たないチビだ。当然無理という事で肩になる。
「今日は此処までに致しましょう」
「はい」
自然に額の汗を拭っていた。手にも汗をかいているし背中にも汗が流れた。又一郎先生との形稽古はいつもこれだ。終わった後は汗でびっしょりになっている。本気で来るからな、怖いんだ。もっとも打ち込み自体は手加減してくれている。そうじゃなければ受け止める事も出来ない。形稽古を始めるようになったのは半年前、最初の頃は腰が引けて木刀を受け止められなかった。受けると同時に腰が砕けてひっくり返っていた。止められるようになったのは三カ月前からだ。
稽古が終わった後はじっくりとストレッチだ。手首、腕、肘、肩、腰、足首、膝、股関節をじっくりと解していく。
「侍従様は熱心でございますな」
「詰まらぬ怪我をせぬようにと思っての事でおじゃります」
又一郎先生がウンウンというように頷いた。
このストレッチは稽古の前にも行っているが朝もやっている。腕立て、腹筋、背筋、スクワットもだ。宮中に籠っているからな。ひ弱になってはいけないと思って鍛えている。
「その心がけが大事にございます。袋竹刀も防具もそこから生まれました。皆が喜んでおりますぞ」
「有難うございます」
袋竹刀を作ったよ。最初に会った時木刀じゃ怪我をするから袋竹刀を作ろうと提案した。又一郎先生は興奮してたな、木刀の代わりに思いっきり打ち合える道具を作ろうという発想は無かったらしい。結構時間はかかったが納得するものが出来た。
防具の方が簡単だったな。桶側胴と籠手、それに鉢金、面頬だ。今の時代なら幾らでも有る。戦が有ればそこで戦死した奴の鎧を剥がして売る奴が居るんだ。それを買って修理する奴もいる。新品、中古品を問わず溢れている。素振りや形稽古は木刀だがそれ以外の試合形式の稽古は袋竹刀と防具で打ち合う(竹刀勝負と呼ばれているらしい)。吉岡流は時代の最先端を突っ走っているのだ。上泉信綱が知ったらどう思うかな?
「弟子達にも奨めているのですが中々身に付きませぬ。今一つ己の身を大事にしようとしない。兵法とは突き詰めれば如何に己の身を守るかという事なのに……」
又一郎先生は不満そうだ。まあストレッチなんて確かに地味で面白くは無い。やりたがらないのは仕方がないと思う。
「それに比べると侍従様は兵法の根本を理解しておいでです。筋も良い。将来が楽しみですな。御励みなされませ」
「はい、有難うございます」
俺が答えると又一郎先生は声を上げて笑った。俺を本気で兵法の達人にしたいらしい。養母にも将来が楽しみだと言っている。
気持ちは分かる。吉岡流にとって俺は流派興隆の恩人なのだ。袋竹刀と防具を導入して以来、道場は門弟が増えている。そして今年は八坂神社で奉納試合を行った。大勢の見物人の前で吉岡憲法による模範演技、木刀を使っての形稽古、そして袋竹刀と防具を使っての竹刀勝負。竹刀勝負は高弟四人による勝ち抜き戦で三本勝負だったからかなり盛り上がったらしい。これを提案したのは俺だ。それ以来また門弟が増えていて道場を大きく改築しようという話もあるようだ。
稽古を終え部屋に戻る。盥に水を用意してもろ肌脱ぎになるともう一度汗を拭った。拭っていると春齢がやってきたから慌てて稽古着を着た。
「拭いてあげるわ」
「なりませぬ。女王様にそのような事はさせられませぬ」
「良いじゃない、私と兄様の仲なんだから」
「そんな仲ではおじゃりませぬ」
春齢が頬を膨らませた。
九歳相応の顔だ。養母に似ている。いや、実母により似ているだろう。眉のあたりが似ているような気がする。もう四年も会っていない。持明院に嫁いだ実母には二年前に息子が生まれた。持明院家の跡取りだ。跡継ぎを生んだ母親の立場は強い。実母の持明院家での立場も盤石だろう。目出度い限りだ。
「そんな顔をしても駄目なものは駄目でおじゃります」
いつもなのだ。世話を焼きたがる。養母が俺の汗を拭ってくれるので真似をしたがるらしい。本当は養母も断りたいんだが許してくれないんだ。
「私、そろそろ尼寺へ行くのですって」
顔を拭っていた手が止まりそうになったが何とか堪えた。
「女官達がそんな事を言っていたの」
「噂話でしょう。麿はそのような話は聞いておりませぬ」
実際にそんな話は出ていない筈だ。だが何時出てもおかしくない話ではある。寂しそうにしている春齢を見ていると胸が痛んだ。
この時代の皇族は哀れと言ってよい。朝廷が貧窮しているせいで後継者以外は殆どが出家だ。特に女性皇族は哀れだ。幼いうちに寺に送られる。自分が何の為に生まれてきたのか、自分の存在が何なのか、疑問に思うだろう。そういう意味では俺と変わらない。養母も春齢の尼寺行の件については胸を痛めている。何度か憐れだと口にした事もある。何故女を生んだのかと自分を責める事も有る。
「ねえ兄様、私を攫って逃げてよ」
「はあ?」
眼をキラキラさせている。お前なあ、帝の娘と駆け落ちとかって……。
「良いでしょう? 娟子内親王様の例も有るし。それに兄様はお金持ちなんだから」
金持ちって……。
「無理です。そんな事をすれば二人とも野垂れ死にでおじゃります」
また膨れっ面をした。外から“ほほほほほほ”と笑い声が聞こえてきた。関白殿下だ。笑いながら部屋に入ってきた。
「上手くいきませぬなあ。侍従は手強い」
春齢を見ながら殿下が笑う。口をもごもごさせながら春齢が顔を赤く染めて立ち去った。あのなあ、ちょっと冷やかされたくらいで赤くなるなよ。それなら俺に詰まらない事を言うなって。
「侍従は艶福家でおじゃりますな」
殿下が俺を見て笑う。ここにも詰まらない事を言う人間が居たよ。俺の周りにはそういう人間が多いような気がする。
無言でいると更に笑って俺の傍に座った。
「少しは相手をしてやっては如何かな。女王様も本気で言ってはおじゃりますまい」
「……意味が有るとは思えませぬ」
笑いを収めた。
「自分を思ってくれる殿御が居る。そう思いたいだけのかもしれませぬぞ。いずれは尼寺へ行く事になるのですから」
「……」
「それでも意味がないとお思いかな? やれやれでおじゃりますな。皆が言うておじゃりますぞ。侍従は女人に心を許さぬと。心を許すのは目々典侍だけだと」
「……」
殿下が一つ息を吐いた。なんでそんな事をするかな。養母は俺を俺として受け入れているから信頼しているだけだよ。他の女は奇異の眼で俺を見るだけだ。実母だって俺を懼れていた。春齢は……、良く分からんな。
「山科権中納言が戻りましたぞ」
「……」
「御大葬、御大典の件、公方は断ったとか。侍従の予想通りでおじゃりますな」
殿下が“ほほほほほほ”と笑った。ちょっと皮肉を帯びた笑い声だ。義輝とは従兄弟だが仲は必ずしも良くないのかもしれない。
「此処までは予想通り。殿下、問題はこの後でおじゃりましょう」
殿下が笑うのを止めた。お互いに相手の顔をじっと見た。
「そうですな。此処までは侍従の予想通り、問題はこの後」
そう、問題はこの後だ。だがその前に確認する事が有る。
「親王様の御心に変わりは有りませぬか?」
「有りませぬ」
殿下が頷く、俺も頷いた。つまり、次期天皇は足利を見限ったという事だ。
「殿下は宜しいので?」
訊ねると殿下が寂しそうに“已むを得ませぬ”と言った。
「近衛家は足利と縁を結びました。本来なら足利のために動くべきなのかもしれませぬ。なれど麿は関白の座に有ります。御大葬、御大典を恙無く執り行わなければ……」
まあ父親が義輝の傍にいる。いざとなれば取り成してもらうのだろう。
「ならば次は芥川山城という事になります」
「そうでおじゃりますな。……侍従、同行願えますかな?」
おいおい、俺か?
「麿は九歳でおじゃりますぞ。他に人はおじゃりませぬか? 武家伝奏は?」
殿下が渋い表情をした。
「勧修寺も広橋も逃げました。足利を見離してはおじゃりますが露骨には出来ぬと……」
縋るような視線で俺を見ている。廟堂の第一人者が俺を頼るって……。
「侍従が三好家、足利家と因縁の有る事は分かっております。侍従の事は麿が守りましょう。麿に力を貸してくれませぬか」
「……承知しました」
殿下が嬉しそうに頬を緩めた。仕方ないな、提案者は俺でもある。まあ貸しを一つ作ったと思おう。
「では、明日」
「明日」
殿下が部屋を出ていくと春齢がまたやって来た。
「ねえ、さっきの話、考えてくれた」
さっきの話? 春齢は眼をキラキラさせている。ああ、駆け落ちの話か。面倒だな。
「明日、芥川山城へ行く事になりました。帰ってから考えます」
「芥川山城? 良いの? 外に出ても」
首を傾げた。
「関白殿下も一緒です。心配はおじゃりませぬ」
春齢が“ふーん”と言った。芥川山城が三好筑前守の居城だとは分からないらしい。分かっていたら大騒ぎだろうな。
弘治三年(1557年) 八月下旬 摂津国島上郡原村 芥川山城 飛鳥井基綱
「大きい城でおじゃりますな」
関白近衛前嗣が感嘆の声を上げた。確かに大きい。だがそれ以上に堅固だ。北、西、南の三方を芥川で囲まれて簡単には落とせない。細川晴元がこの城を居城としていたが今では三好筑前守長慶がこの城を居城としている。要するに細川晴元、三好長慶政権はこの芥川山城を拠点に畿内を支配した。畿内の重要拠点だ。
感嘆したいのは分かるが城に入ろうよ。俺は馬に揺られて尻が痛い。馬に長時間乗る訓練をしないと駄目だな。殿下を促して門番に三好筑前守に会いたいと伝えた。まあ昨日のうちに殿下が先触れを出しておいたからな、直ぐに城内に入れてくれた。問題は此処から、此処からだよ。生きて帰れるか、上手く事を進められるか……。
養母は俺が芥川山城に向かうという事を親王から聞いたらしい。殿下が親王に報せて養母に伝わったわけだ。血相を変えて俺の部屋に駆け込んできた。危険だ、考え直せって大変だったわ。そのうち春齢も事情が分かったらしくワンワン泣き出す。うんざりしているところに伯父がやってきて更に大騒ぎだった。三人を説得するまで二刻程かかった。疲れて直ぐ寝たわ、気付いたら養母が添い寝していた。起きるのは悪いと思って養母が眼を覚ますまで寝たふりをしていた。
案内をしてくれる武士の後を関白殿下が、その後を俺が歩く。夏なのに背中が寒いわ、でも振り返るような無様な姿は見せられない。誰が見ているか分からないのだ。怯えていたなどと変な噂が立つのは御免だ。殿下の背中だけを見詰めて歩いた。身に付けているのは平安城長吉、一尺五寸の脇差だ。両面に不動明王草の倶利伽羅龍が彫ってある。
この長吉という刀工は京に住んでいるから平安城と称しているらしい。三条派の流れを引くというから山城伝の一つだ。そして刀剣に優美な彫物をする事で名を知られている。但し長吉の名は代々引き継がれていて俺の脇差が何代目の長吉なのかは分からない。元々飛鳥井家に伝わる物で元服した時に伯父がくれた。この脇差を抜くような事態にならない事だけを願いながら歩いた。
大広間に通された。三好筑前守長慶は既に下座中央で控えていた。大広間の両端に家臣達が控えている。松永弾正久秀、三好孫四郎長逸も居た。殿下が上座に座り俺がその斜め後ろに控えた。ゆっくりと筑前守長慶が頭を上げ俺を見てちょっと吃驚したような表情を見せた。四年ぶりだ、少しは成長しただろう。そっちは男盛りだな、自信に満ちた表情をしている。
「殿下には芥川山城までわざわざのお出まし、恐れ入りまする。今日は何用にございましょうか?」
声に優越感が有った。大体のところは分かっている筈だ。それとなく九条稙通を通して報せてある。九条と近衛は仲が悪いのだが御大葬、御大典ともなれば話は別だ。九条も邪魔はしない。問題は三好がこっちの依頼にどんな条件を付けてくるかだ。
「既に存じておられようが帝が御不例におじゃります。薬師は手を尽くしておじゃりますが必ずしも御容体は快方には向かいませぬ。となれば畏れ多い事ではおじゃりますが万一の事態に備えなければなりませぬ」
殿下が筑前守をじっと見た。
「筑前守殿、万一の場合、朝廷は三好家を頼っても良いかな? 御大葬、御大典の事でおじゃるが」
筑前守が小首を傾げた。
「はて、そのお役目は公方様が果たすべきものと思いましたが……」
白々しいぞ、筑前守。家臣達の中には軽蔑したような表情をする者も居る。朝廷に金が無い事を蔑んでいるのか、それとも義輝を蔑んでいるのか。微妙なところだな。
「既に公方にはその事を伝えましたが朝廷の力にはなれないとの事でおじゃりました」
「はてさて、それは困った事」
筑前守が眉を寄せた。
「……困ったとは?」
いかんなあ、殿下。未だ若い。困ったなんて嘘なんだから無視していれば良いんだよ。どうせ向こうから勝手に喋りだす。こっちから促したら足元を見られるぞ。ほら、筑前守が笑っているじゃないか。