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不穏




永禄五年(1562年)三月中旬            山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱




 部屋に行くと細川藤孝が”夜分遅くに申し訳ありませぬ”と頭を下げた。

「お気になさいますな。この邸は夜に客が多い。慣れておじゃります」

 藤孝が困ったような笑みを浮かべた。

「朽木に行っておりました」

「ほう、それは御苦労でおじゃりましたな」

 労うと藤孝が鬱屈したような表情を見せた。義輝が何を考えたか分かる。そうだよな、鬱屈するよな。此処は話題を変えよう。


「祖父、叔父達は元気でおじゃりましたかな」

「はい、元気そうでした」

「それは何より。夏には子が生まれますからな。祖父も叔父達も今から楽しみにしておじゃりましょう」

 藤孝の表情が沈んだ。あ、小侍従の件が有ったな。この話題は余り良くなかったかもしれない。


 室町第を離れた義輝と幕臣達は当初、京の南西に有る石清水八幡宮に移動した。護衛というか監視役には三好家から石成主税助友通が付けられている。主税助は三好修理大夫長慶の信頼厚い重臣の一人だ。修理大夫死後の史実では三好三人衆と呼ばれる事になるのだから相当に実力もあると見て良い。三好側は決して油断していない、義輝を危険視していると言える。


 石清水八幡宮で義輝と幕臣達がやった事は戦勝祈願と安産祈願だった。安産祈願は良い。義輝の愛妾である小侍従は臨月だ。直に子供が生まれるだろう。義輝としては無事に生まれて欲しい、跡継ぎの男の子が生まれて欲しいと願うのはおかしな事じゃ無い。三好だって目くじらは立てんさ。男子が無事に生まれて欲しいと願うのは三好も一緒の筈だ。勿論、生まれてきた男子を殺して義輝、進士に報復するためだが。


 戦勝祈願は三好の勝利を願ってだ。本心では三好負けろと願っただろう。三好も表面上は感謝したようだが内心ではふざけやがってと思ったに違いない。第三者の俺からすると何のための戦勝祈願だと笑い話でしかないな。茶番だよ。三好は余程に面白くなかったのだろう。石清水八幡宮では危険だと言って義輝を芥川山城へと移した。そうじゃないと何時までも戦勝祈願をやりそうだと思ったのかもしれない。芥川山城は三好筑前守義興の居城だ。飯盛山城と並ぶ三好側の重要拠点だ。義輝も文句は言えない。


「公方は畠山、六角と三好の仲裁をしようとしていると聞きましたが上手くいきましたかな?」

「いえ」

 藤孝が小さい声で否定した。芥川山城に移った義輝は畠山、六角に三好との戦を止めるようにと書状を送っている。幕臣の添え状も有る。御教書と言われるものだ。勿論本心じゃ無い。この御教書を進士、上野等の反三好感情の強い幕臣が畠山、六角に持っていく。そして口頭で三好を討てというわけだ。こういう形で畠山、六角を煽っている。三好にすれば仲裁は断れないから黙認せざるを得ない。腹が立つよな。そして畠山、六角は義輝には敵対するつもりは無いが三好修理大夫は許せないと返事を送っている。これも腹が立つよな。 


「公方様は朽木に京へ出兵させようとお考えです」

「その件は無理だと大和守殿、兵部大輔殿が伝えたのではおじゃりませぬか?」

 問い掛けると藤孝が息を吐いた。

「勿論にございます。ですが……」

 また息を吐いた。かなり鬱屈している。


「ここで勝てば三好を四国に追い落とせる。京を追われた時の逃げ場所など必要ないと」

 俺も溜息が出た。義輝なら言いそうだな。多分、三好が負けた事で有頂天になっているのだろう。今なら三好を追い落とせる。それだけなのだ。しかしなあ、六角は摂津に攻め込まないぞ。それにだ、朽木の兵力は五百を越えるくらいだ。戦局を動かす程の影響力は無い。それよりも逃げ道を確保する方が大事だと思うんだが……。


「勝てば、ですか。兵部大輔殿は勝てるとお思いかな?」

 俺が問うと藤孝が顔を歪めた。藤孝は勝てないと見ている。

「摂津に攻め込んだ畠山勢は兵糧の確保に苦労しております。畿内には余った米は有りませぬ。紀伊から米を運んでおりますが……」

 語尾が弱い。それでも足りないんだ。堀川主膳達が兵糧を運ぶ荷駄隊を襲撃している。一度は畠山本陣に忍び込んで兵糧を焼いたらしい。大混乱になったようだ。


 畠山の兵糧不足は深刻な状況にある。六角も兵糧を近江から運んでいるが畠山に比べれば余裕が有る。しかし摂津に入れば補給線が延びる。当然だが余裕は無くなる。そしてだ、三好には兵糧が有る。葉月が畿内の米を買い占めて三好に高値で売りつけた。高いと言えば葉月は畠山に売りかねない。三好は言い値で買ったそうだ。出費だが米を確保出来た。そして畠山には米が無い。それだけでも三好は有利だ。葉月は大笑いだな。胸をユサユサさせて笑っただろう。


「三好は四国から摂津へと兵を集めております」

 ぼそぼそと藤孝が言った。そうなんだ。四国に逃げた三好勢は続々と摂津に集結しつつある。摂津には米が有るから集まり易いんだ。それにね、久米田の戦いで三好豊前守を失ったから復讐心に燃えている。常勝三好の武威を示す。必ず豊前守の仇を討つ。畠山を討ち破ると三好勢の士気は高い。


「尾張守様は六角勢の加勢を願っております。修理大夫が病の今こそ三好を討ち破る好機。何度か左京大夫様に使者を出したようですが色好い返事は有りませぬ。公方様も今を逃せば機会は無いと六角勢が加勢する事を望んでおりますが……」

 藤孝が溜息を吐いた。

「左京大夫様は摂津に踏み込む事は出来ぬと言っております。踏み込めば負けると。そして畠山勢が京に攻め込んでいれば勝てたと」

「……」

 藤孝が俺を見た。


「頭中将様のお考えでございますな?」

「……左京大夫殿がそのように言いましたかな?」

 藤孝が首を横に振った。

「噂が流れております。頭中将様が摂津に踏み込めば負けると断言した。そして京に攻め込まなかった尾張守様の武略を拙いと評したと。尾張守様もその事を大分気にしておられます。なればこそ加勢をと願っているのですが……」

 なるほど。噂を流したのは左京大夫だな。京に攻め込まない事を正当化するために俺の名を使ったか……。畠山、義輝に余程にせっつかれたらしい。いや、三好かな? 畠山を貶め心理戦を仕掛けたか。或いは味方を鼓舞するためかな。

 

「……惜しい事でおじゃりますな。千載一遇の機会を逸したと思います」

 藤孝が息を吐いた。

「ここまで、でございますか?」

「いずれ三好は畠山を討ち破りましょう。そうなれば六角は兵を退く。公方は三好勢と共に京に戻る事になります。まあ、三好に大きな損失を与えた。それで満足するしかおじゃりませぬな」

 義輝にとっては居心地の悪い帰還になるだろう。三好はこれまで以上に義輝に厳しい目を向ける事になる。 


「それで済みましょうか?」

 藤孝が強い目で俺を見ている。なるほど、藤孝が此処に来たのはこれが目的か。

「それは麿に訊くよりも三好家の方々に訊いた方が良いでしょう。或いは公方に訊ねては如何かな? これで済むとお考えか、この先どうなさるおつもりかと」

 藤孝が目を伏せた。


「三好修理大夫殿を朝敵にとはどなたの発案かな?」

「……」

「修理大夫殿を朝敵にする事で武家の棟梁では無いと天下に示す。そして朝敵を討つのは武家の棟梁である征夷大将軍の仕事。上手く考えましたな。しかし三好にとっては許せる事ではおじゃりませぬ。たとえ麿が防いだとしてもです」

 藤孝が両手を握りしめるのが見えた。藤孝は義輝が危ういと見ている。以前大和の覚慶の所に行っていた。義輝の後を考えての事だったのだろう。その危惧が現実になりつつある……。


「二条様、万里小路権大納言様が勅勘となりました。六角も摂津へ攻め込みませぬ。公方様も幕臣達も面白くなく思っております」

 幕府の邪魔ばかりする俺が憎いわけだ。それで朽木に当たったか。大方進士、上野辺りが朽木に兵を出させようと思いつきで言ったんだろう。

「朽木は兵を出すと言いましたかな?」

「いいえ」

 藤孝が首を横に振った。そうだよな。朽木は兵を出さない。根っこに義輝や幕臣達への不信が有るんだ。藤孝は分かっていた。迷惑な任務だっただろう。


「嫌な仕事を押し付けられましたな」

 労ると藤孝が目を瞬いた。藤孝は反三好感情の強い進士や上野が幅をきかす幕臣の中ではどちらかと言えば俺に近い。非主流派だ。義輝にも阿諛追従はしないようだから進士や上野から疎まれる傾向にある。何かと割を食うのだろう。十河讃岐守毒殺の件も知らなかった。今回の任務も朽木から見ればそれは既に返答済みだと拒否される案件だ。藤孝にしてみれば行き辛かったに違いない。


「公方も今少し人の気持ちに配慮すればよいものを……」

「……」

 藤孝が小さく息を吐いた。自分の事だけじゃ無い。三好に対する扱い。朽木に対する扱いも頭に浮かんだのだろう。

「余り人の心を踏みにじると手酷いしっぺ返しを喰らいますぞ。巻き込まれぬようにする事です」

 藤孝がハッとしたように俺を見て直ぐに視線を伏せた。


「御忠告、肝に銘じまする」

 小さい声だった。最後まで顔を上げなかった。いずれ義輝を見捨てる事になる。罪悪感を感じているのかもしれない。気にするな。俺に言わせれば義輝は自業自得だよ。そんなのに巻き込まれる方が阿呆なんだ。戦国乱世なんだ。生き残る事が勝ち。そう思い切る事だ。




永禄五年(1562年)三月下旬            山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 飛鳥井基綱




「宮中も随分と様変わりしました」

 養母がホウッと息を吐いた。返事が要るかな? 黙っていると養母が俺をジッと見た。

「今回の騒動、皆は飛鳥井の変と呼んでいるそうです。知っていますか?」

「はい」

 詰まらん事を言う奴が居るよな。なんか俺が悪いみたいじゃないか。普通なら二条の変、万里小路の変じゃないの。首謀者の名前を入れる筈だよ。何で飛鳥井の変なんだろう。その事を言うと養母が困ったような表情をした。


「右府がそなたを大層頼りにしていると聞きました」

 今度はそれ? 顔を顰めそうになって懸命に堪えた。新右大臣今出川晴季。目下頭痛の種だよ。いきなり宮中の第一人者になった事で右往左往している。太閤殿下が後見しているんだが太閤殿下も毎日参内しているわけじゃ無い。居る時は良いんだが居ない時はどういうわけか俺を頼りにするんだ。


 こういう場合普通はご先祖様の日記を見る。宮中なんて前例重視だから日記は貴重な指南書なんだ。当然だが今出川家にも日記は有る筈だ。それを見れば良いのに俺を頼るんだ。飛鳥井家は中流の公家だよ。しかもつい最近まで外様だった。大臣なんて無縁の家だ。そんな家に大臣になった時の心得なんて有るわけ無いだろう。太閤殿下に愚痴ったら近衛家に伝わる日記を貸してくれた。自分一人じゃ右大臣の後見は手に余るから覚えて手伝えっていう事らしい。勘弁して欲しいよ。


「まだ慣れませぬ故……。慣れればそのような事も無くなると思います」

「それなら良いのですが……。後宮も変わりました」

「はい、皆が藤典侍に驚いているようです」

 養母が頷いた。後宮にも人事異動が有った。持明院権中納言の娘が新内侍から藤典侍に変わった。藤典侍というのは藤原氏出身の典侍という意味だ。後宮の女官達は内侍司という役所に所属する事になるのだが長官が尚侍、次官が典侍、その次が内侍という序列になる。長官の尚侍はずっと任命されていないから事実上のトップは典侍だ。新内侍は典侍に出世したという事になる。


 そしてもう一つ、典侍、内侍の中にも序列が有る。典侍のトップは大典侍で次は新大典侍だ。しかし大典侍は任命されておらず新大典侍は失脚した。となるとだ、典侍は藤典侍と養母の二人という事になる。養母の目々典侍には新参の典侍という意味がある。本当なら養母が大典侍、或いは藤典侍になって典侍のトップになって良い。新内侍が目々典侍だ。しかしそれをやると誠仁様の立場が不安定になりかねないと帝が心配した。養母も寧仁様の養育に力を注ぎたいと目々典侍である事を望んだ。そういう事で藤典侍が典侍のトップという事になった。


 公家達は驚いたようだ。養母が後宮のトップになって権力を振るうと考えていたのだろう。残念だな。今回の騒動で養母は権力というものは酷く危険だと改めて思ったらしい。トップに就くよりも一歩下がった位置の方が安全だし自由がきくと考えたようだ。まあそれでも全体的に後宮では飛鳥井の影響力が強まったと皆が見ている。大きな問題にならないのは飛鳥井の男達が出世していないからだろう。飛鳥井は万里小路ほど権力に執着しないと周囲からは見られている。


 養母と藤典侍の関係は良好らしい。まあ飛鳥井と持明院は縁戚関係にあるから当然と言えば当然なんだが藤典侍はこれまで俺とは殆ど交渉が無かった。それに実母は俺を避けている。ちょっと心配だったんだが養母を仲介して少しずつ関係を築きつつある。どうも向こうも俺との関係を改善しようと考えていたらしい。ちょっとホッとしている。


「二条様達は如何していますか? 大人しく蟄居しているのですか」

「目立った動きはおじゃりませぬ。しかし油断は出来ませぬ」

 養母が頷いた。二条達は文の遣り取りをしている。幕臣が邸を訪ねる事も有る。未だ諦めていない。畠山が勝てば、三好が負けて四国へ追い落とされたらと息を凝らして見ているのだろう。


「納得出来ないのでしょうね」

 養母は二条が兵を雇って俺を襲おうとしたとは思っていないだろう。実際宮中でも訝しむ声は有る。二条は頑なに兵を雇った事は否定したのだ。だが養母は俺に騒動の詳細を聞こうとはしない。養母だけじゃない。春齢、寿、毬、太閤殿下、誰も訊いてこない。多分、兵を出したのは六角だと思っている筈だが……。この件に関して真実を知っているのは帝だけだ。二条達には六角の罪も背負って貰う。


「無理をしてはなりませぬよ。そなたを怖れる声が有ると聞きました。飛鳥井の変と皆が言うのもそれが理由ではありませぬか?」

 そりゃね、政敵共を綺麗に一掃したからな。それに二条の横っ面を気持ちよく張り飛ばしてやった。しかし無罪の人間を罪に落としたわけじゃ無い。それに殺人教唆で蟄居だよ。軽すぎるくらいの罰だろう。

「御心配をお掛けします、養母上。夏には頭中将の辞任を願い出ようと考えています。そうなれば妙な声も少しは収まりましょう」

 養母が目を瞠った。


「その頃には戦も終わると考えているのですか?」

「多分」

 夏になる前に決着を付けるだろう。四月から五月にかけて決戦になる筈だ。それより先になると三好も兵糧が苦しくなる。

「三好が勝つのですね」

「そうなると思います。畠山は兵糧に不安を抱えているようです。それに六角の加勢もおじゃりませぬ」

 養母がホウッと息を吐いた。


「三好が勝てば六角は近江に兵を戻すでしょう。三好は公方と共に京に戻って来る事になります」

「その事、帝は?」

「ご存じでおじゃります」

 養母がまたホウッと息を吐いた。


「ようやく終わるのですね。そなたの御蔭です。京が戦で荒れずに済みました。帝がどれほどそれを願っていたか」

「……」

「そなたには随分と無理をさせてしまいました。春齢にも」

 養母の目が潤んでいる。鼻の奥にツンとした痛みが走った。


「まだ、終わってはおりませぬ。三好が勝つまでは油断は出来ませぬ」

「ええ、そうですね」

 勝った後も大変な筈だ。先ずは小侍従の出産だな。男がうまれるか、女が生まれるか……。どちらにしても長生きは出来ないだろうな。生まれてくる子が殺されれば義輝も自分は一線を越えたのだと理解するだろう。将軍であろうと安全では無いと。


 


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― 新着の感想 ―
100話達成おめでとうございます。すごく面白い。
100話!!おめでとうございます!!!! もう100話なんですね! 何回読んでも、ずっと楽しい作品で大好きです! 今回の更新も、本当に堪能しました!!毎回毎回すっごく面白い~~~! 読み応えたっぷ…
相変わらずの読み応えでした。本当に作者様の作品の更新が毎回楽しみで仕方がありません。 次はどんな騒動が起こるのか、それともいったん落ち着くのか。続きを楽しみに待ってます!
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