第0話 それまでのお話
プロローグの前のお話
理不尽理不尽、理不尽……!
私の名前は椎名るり、16歳。好きなものは砂糖の入ったもの。嫌いなものは特になかったけど、今なら理不尽な事だと即答する。
現在向かい風に煽られながら、草原の上を全速力で走っています。正確に言えば追いかけられています。
振り返れば、鍬を持った人、鉈を持った人が怒鳴り散らしながら追いかけてくる。理由はわからない。ただ彼らの前を通った、それだけ。
「すみません、なんで私追いかけられてるんですか?」
「黙れ半魔の分際で!」
「失せろ、さもなくばぶっ殺してやる!」
どうやら言葉は通じるけど通じないらしい。
全くもって意味不明だけど、殺意丸だしのあの人達に捕まったら大変な目に遭いそうなことだけは分かる。
はんま……?半分魔族ってことかな。
けど両親は人間だし私の見た目だって普通。
そもそも地球に魔族なんて存在しない。
これは夢の中の出来事なのだろうか。
いや、それにしてはリアルすぎる。
呼吸も、地面についた足の感覚も、草の匂いだって現実そのもので夢だなんて到底思えない。しかしこれが現実だというのなら今私がいる場所は一体どこだというのだ。
西洋にありそうなレンガ造りの家、時々見かけるカタツムリの殻を背負ったカエル、半魔と叫ぶ人々。
日本でもなければ地球でもないよね……。
どこか別の世界?いやいやいや、まさかね。
なんて思うものの実は僅かに心当たりがある。
私には2歳年上の兄がいた。ちょっと変というか異常に過保護でいつも優しくて。そんな彼が2年前のある日突然姿を消したのだ。
何の痕跡も残さず綺麗に姿だけを消した兄は、家出という形で片付けられてしまったけれど、そんなの100%ありえない。絶対何かがおかしいと思っていた。
失踪前の兄は原因不明の40度近い熱があり、かく言う私もこの世界で目覚める前、40度の熱が出て部屋で寝込んでいた。
高熱が出た時に失踪、
高熱が出た後に変な世界に迷い込む。
もしかして同じことが起きてる……?
2年経ってもお兄ちゃん戻ってきてないし
私もこの世界に閉じ込められたままなの?
何だか嫌な予感がする。
最初に目が覚めたときは綺麗なお花畑にいて、花束を作りながら「いい一日になりそう」なんて鼻歌まじりに遊んでいたけど。
そんなのとんでもない。
最悪な一日になりそうな気しかしない。
そして予感は的中した。
追いかけてくる人達をどうにか撒いた後でさえ、人に会えば半魔だと罵られ凶器を向けられる。子供も大人も老人も関係なく、十人会えば十人にだ。半魔というものはこの辺りで相当嫌われたものらしかった。
でも私は人間だし……。
理不尽理不尽理不尽……!
人と違うところなんて何一つない。それなのにどうしてこんな目に合うのだろう。理由を聞いても答えてくれる人は皆無で、それどころか鼻で笑われる有様。一体なぜ?自分の目には映らない禍々しいオーラでも出てるのだろうか。
「…………ッ」
走って走って、もう疲れたよ。
追いかけてくる人がいなくなったのを確認し、青く茂った草の上へと座りこむ。息が上がって肺が張り裂けそうな程に痛い。落ち着かせる様に大きくゆっくりと呼吸をしながら、ぼんやりと空を見つめた。
目が覚めた時、真上にあった太陽はいつのまにか山の陰へと入り込んで行き、辺り一面が濃い茜色に染まっていく。
世界は違えど変わらない夕日を眺めながら、これからどうしようと途方にくれた。行く宛てなんてどこにもない。
空を飛んでいた鳥達も、散々追いかけ回したあの人たちも元いた場所へ戻っていったのに、私にはこの世界で帰る場所がない。
何とかして元いた世界に戻れないかな。
自分の帰る家がある世界に。
ふと、死んだら戻れるのかもだなんて考えたけれど、それは違う、と本能的なものが告げている。
「…………」
兄は今どうやって暮らしているのだろう。
こんな理不尽世界でどうやって。
いや、半魔の判断材料がわからない今、兄が必ずしも半魔と呼ばれたとは限らない。もしかしたら普通に平民として暮らしてる可能性だってある。
推測しかできない、圧倒的に情報不足。
だれか一人でも味方になってくれる人がいてくれたのなら、この世界における自分の立場を知ることだって出来るのに。理解した上でならどうにか生きて、兄を探すことだって出来るかもしれないのに。
誰もいない……。
知らない世界でひとりぼっちだと気付いて、
どうしようもない虚しさが体中を侵食していく。
嫌だな、このままひとりぼっちは。
でもどうしたらいいか分からないし……。
すぐに考えるのを放棄した。このまま悩んだって、それは不安を煽るだけ。頭の中を空っぽにして、ぎゅっと体を小さく縮めて座って、時間が流れていくのを感じていた。やがて日は沈み、辺りは黒が深くなっていく。
どのくらい時間が経ったのだろう。どこからか人の気配がして、俯いた顔を上げればランプを持ったおじいさんがやってきた。灯に照らされたその顔は穏やかに微笑んでいて、彼は私の前で足を止める。
「君、そんな所でどうしたんだい?」
暴言ではない普通の言葉、
それは確かに私に向けられていた。
「迷子になって、街の人に追いかけられて……」
異世界から来たということは伏せ、大雑把に起こったことを説明した。おじいさんは優しく頷きながら聞いてくれて、それがとても嬉しい。
「大変だったね、外は寒いだろう。
行くところがないのならうちにおいで」
「みんな私を半魔だと言うのですが、
おじいさんは言わないのですか?」
「私は差別をしたりはしないよ」
ふっと肩の力が抜けていくのを感じる。
悪い方向へと考えすぎていただけなのかもしれない。先ほど会った人達が異常なだけで、半魔というものは一般的には普通なのかもと不安が掻き消されていく。
「こっちだ、ついておいで」
暗闇の中、ランプの灯を追いかけると少し進んだところに小さな家があり、ここがおじいさんのお家らしい。なんでも昔は町で暮らしていたけど今は隠居して余生を謳歌しているのだとか。
「お邪魔します」
「自由に座っておくれ。今紅茶をいれるから」
綺麗に片付けられた部屋、その端にある椅子に座って待っていると、おじいさんが中から湯気の上がったマグカップを渡してくれる。
「ありがとうございます」
たくさん走ったからとても喉が渇いていた。
熱いから一気には飲めないけれど、少しずつ少しずつと口をつけていく。
すると、じわじわと視界が霞んでくる。カップを持つ手にも力が入らなくなって、滑り落ちた容器と中身が机に当たって音を立てた。
体が動かない。
一体どうしちゃったんだろう。
まさか毒でも盛られていたのだろうか。いや、そんなことないと信じたい。信じたいけど……。確かめるようにおじいさんの方へ視線だけ移す。
「拐ってきた子供が逃げてしまって探していたんだが、まさかそれ以上のものが見つかるなんてな」
人の良さそうな笑顔を浮かべるおじいさんはもういなくて、目の前にいるのは悪魔みたいに笑う初老の男性。
「差別はしない。
どんな人間にも利用価値はあるのだからね」
霞んでいく意識の中で騙されたのだと悟るがもう遅い。次に目が覚めたのは太陽も青い空も見えない、暗くて冷たい牢獄の中だった。
鉄格子に仕切られたその中で息を吐けば僅かに白く、着せられた服は紙のように薄い。体温が直に奪われて行くのを感じる。それに加え食べ物も、飲み物すらも十分に与えられない。
そんな状況が長らく続いた。ただでさえしんどいのに、監視の人は時折、ストレスをぶつけるかの様に暴言を吐きに来る。コツコツ響く足音が近づいてきたらだいたいそう、彼は私のいる牢の前で止まり、決まって毒づく。
「生きてる意味なし」
「お前を必要とする人なんていない」
仕切られた空間の先には、同様に牢に閉じ込められている子が数多くいる中で、私にだけ向けられる言葉の暴力。やがて牢の中の子達も監視員の言葉に加勢した。気を良くした監視員の行動はさらにヒートアップしていく。
次第に殴る蹴るを繰り返すようになった。顔さえ傷つけなければ問題ないようで、いつしか首から下は痣だらけ。
「お前の親はどんな気持ちで半魔なんか産んだんだろうな?理解に苦しむよなぁ。ほら、謝れよ、生きててごめんなさいって。土下座しながら」
あぁ、また来た……。
震える背中を壁につけ、聞こえないように耳を塞いでうずくまる。しかしそんなの全く意味のない行為。解錠し牢の中に入った監視員は下衆な笑みを浮かべ、いつものように罵る。
「ほんといい身分だよなぁ」
次の瞬間、体を蹴り上げられた私は全身を鉄格子に打ち付け倒れた。痛みを堪えながらどうにか起き上がろうとするも、頭を靴で抑えつけられ叶わない。
「はい、土下座の完成。ごめんなさいは?」
くすくすと周りの子達のせせら嗤う声と何度も体を蹴り上げる音が響き渡る。この空間を異常だと思うのは私だけだった。
このまま意識を失って、もう覚めなければいいのに、何度そう思っても必ず目覚めはくる。そしてまた同じことの繰り返し。
心がどんどん削られていくみたいに小さくなっていく。代わりにその隙間を埋めるものは、際限のない孤独と虚しさ。
自分の存在を否定する世界に、果たして生きてる意味なんてあるのだろうか。よくわからなくなってくる。
それでも根拠のない大丈夫を呪文のように繰り返す。そうでもしないと擦り減った心はいとも簡単に折れてしまいそうだった。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
私は生きていても大丈夫だから。
他の人に否定されるのなら、
私だけでもと自分の存在を肯定した。
信じられるのは自分だけ。この世界の人はみんな嫌い、嫌い嫌い嫌い。信じられないし、信じたくもない。加速した人間不振は毒のように全身へと回っていく。
そしていつしか数週間が経過した。
「出ろ」
監視員ではない初めて見る男性に連行され、牢屋を後にする。体を洗われ、服を着させられたあとに連れてこられたのはどこかのステージ上だった。