『流れ者(ナガレモノ)の、思想とその周縁』
『流れ者の、思想とその周縁』
⑴
完全に成立してしまっている安全圏に、何故か否定的になってしまう。辺境の地への旅がしたい。
理論を持っても、それは恐らく、自分が昔、何かの書物で学んだ、本質的な学問ではない。
自身の思想は、自身で創るものだと、誰も教えないなら、今自分で、それを断定しようと思う。
⑵
どこからともなく、流れて来た人間の象徴は、大昔から、まだ地上が統一され、分断されていなかった時には存在しなかった。
地上が分断され、船を使うようになった時代から、人々は様々に散ってしまい、場所を求めることになる。
そしてまた、所謂排他的にされる流れ者が出没し、それはまさに、異質の象徴だった。
⑶
分裂思想という観念は、こういった時代の流れの中で存在を抱いた。我々が、まだ、何も知らない頃のことだ。
しかし、その存在は、一定の許しを得れば、寧ろ、興味や研究の対象となり、価値を持つ。
難しいことではないのだろう、心の周辺に存在する、気泡の様な存在で、流れ者は存在する。
⑷
決して難しいことではないが、人は位置を変えることで、放浪という現象の本質的な意味を知る。
それはまた、脳内の記録作用でもあるし、或いはまた、身体の消費の可能性の結果でもある。
ただ単に、生きるだけなら、誰だって生きることは出来るのだが、他者がそれを妨害する。
⑸
人生というものは、花の一生にも似ているし、地震などの、自然的要因にも似て、突拍子もないことが起こる。
それはしかし、何かを見定めた人間しか理解できない、不可思議な現象の数々を想起させる。
物事は、思い通りにはならないのは明白だが、逆に、思い通りになってしまうことの方が、本当は恐ろしいのだ。
⑹
そして人間は、自分という者を知るために、他者という者を知ることになるし、それは必然だ。
どこかからやってきた流れ者が、やがてその土地を支配すると、元居た人間は場所を追いやられる。
為るべくして為る様に、今度は、元居た人間が流れ者になって、他所へ居場所を求めることになる。
⑺
「偶然は、必然だろうか。言葉に捉われて、言葉の本質が退化するんだ。」と、君に言ったら、
「確かに、その退化は本質だろうけれど、多分、その退化は進化と呼べると思うよ。」と言うので、納得した。
「何かが降ってきたら、また創造へと戻るよ。」と、言葉を残して、自分は、その場を立ち去った。