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『或る小説的思想集』

『流れ者(ナガレモノ)の、思想とその周縁』

『流れ者の、思想とその周縁』



完全に成立してしまっている安全圏に、何故か否定的になってしまう。辺境の地への旅がしたい。

理論を持っても、それは恐らく、自分が昔、何かの書物で学んだ、本質的な学問ではない。

自身の思想は、自身で創るものだと、誰も教えないなら、今自分で、それを断定しようと思う。



どこからともなく、流れて来た人間の象徴は、大昔から、まだ地上が統一され、分断されていなかった時には存在しなかった。

地上が分断され、船を使うようになった時代から、人々は様々に散ってしまい、場所を求めることになる。

そしてまた、所謂排他的にされる流れ者が出没し、それはまさに、異質の象徴だった。



分裂思想という観念は、こういった時代の流れの中で存在を抱いた。我々が、まだ、何も知らない頃のことだ。

しかし、その存在は、一定の許しを得れば、寧ろ、興味や研究の対象となり、価値を持つ。

難しいことではないのだろう、心の周辺に存在する、気泡の様な存在で、流れ者は存在する。



決して難しいことではないが、人は位置を変えることで、放浪という現象の本質的な意味を知る。

それはまた、脳内の記録作用でもあるし、或いはまた、身体の消費の可能性の結果でもある。

ただ単に、生きるだけなら、誰だって生きることは出来るのだが、他者がそれを妨害する。



人生というものは、花の一生にも似ているし、地震などの、自然的要因にも似て、突拍子もないことが起こる。

それはしかし、何かを見定めた人間しか理解できない、不可思議な現象の数々を想起させる。

物事は、思い通りにはならないのは明白だが、逆に、思い通りになってしまうことの方が、本当は恐ろしいのだ。



そして人間は、自分という者を知るために、他者という者を知ることになるし、それは必然だ。

どこかからやってきた流れ者が、やがてその土地を支配すると、元居た人間は場所を追いやられる。

為るべくして為る様に、今度は、元居た人間が流れ者になって、他所へ居場所を求めることになる。



「偶然は、必然だろうか。言葉に捉われて、言葉の本質が退化するんだ。」と、君に言ったら、


「確かに、その退化は本質だろうけれど、多分、その退化は進化と呼べると思うよ。」と言うので、納得した。


「何かが降ってきたら、また創造へと戻るよ。」と、言葉を残して、自分は、その場を立ち去った。


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