昼闇の砂漠
サラマンドラを退けて、一行は道なき砂の道を踏みしめてゆく。
まばゆく照らし出されていた砂の色にも陰りが見えてきた。これは時間と共に闇の帳が降りる兆しだった。もっとも、時刻はまだ朝を過ぎたばかり。
そう――ソロン達の元に初めて、黒雲下での闇――昼闇とも呼ぶべきものが訪れようとしていた。
朝、東から昇った太陽が、昼が近づくにつれて黒雲の上へと隠れていく。日が昇れば昇るほど。辺りは暗くなっていく。
グラットはそんな空を見上げながら。
「真っ昼間に夜が来るなんて、気味が悪いなあ。体内時計が狂っちまうぜ」
下界に生きる人間にしても、わざわざ昼の黒雲下を通る習慣はない。だから、ソロンにとってもこれは珍しい経験だった。
「上界では日食でも起きない限りは経験できないことですね。もっとも、日食よりも遥かに深い闇なのでしょうが……」
どことなくアルヴァは興味深そうだ。
下界に降りた直後の彼女も黒雲下にはいたが、昼が来る前に白雲の下へたどり着いたそうだ。だから、これが初めての昼闇である。
ソロンは周囲を見回しながら。
「日が昇り切る前に、休憩場所を決めないとね」
日が昇り切る前に――とは妙な表現であるが、その通りなので仕方がない。
夜だろうが、昼だろうが、闇は闇。
闇の中で部隊を進ませるわけにはいかない。サンドロスの忠告に従って、昼闇が明けるまで長い休憩をしなくてはならないのだ。
先のような魔物に囲まれないためにも、ある程度は障害物がある場所が望ましい。……が、ここは砂漠のまっただ中、あるのは砂の丘陵だけである。
結局は砂漠の中央で休憩せざるを得なかった。
*
わずかに漏れていた残光も消え去り、ついに辺りが闇に包まれた。
それでも、遥か向こうを見れば、降り注ぐ光が見えている。白雲の下には、今もなお太陽の光が射しているのだ。
「気味が悪いと思いきや、これはこれで悪くないな」
グラットは遠くを眺めながら言った。
「光のカーテンとでも言うべきでしょうか。絵の題材になりそうな荘厳な光景ですね」
「確かに教会に飾られてそう」
アルヴァの感想にミスティンも同意した。
気味悪がられるかと思いきや、上界の面々にも意外な好評だった。ソロンはさほど神竜教会の美術について詳しくないが、帝国における宗教画に印象が近いのかもしれない。
……とはいえ、遠くの光だけでは心もとないのも確かだ。このままでは、仲間の顔を見分けるにも苦労しなければならない。
火を起こして、その明かりの中で過ごすことにした。
場所が場所なので火種となる物はほとんどない。しかしそれは想定していたので事前に薪を用意してあったのだ。
昼間だというのに、急速に辺りは冷え込んでいく。
それに従って風の強さも増していく。アルヴァによれば、白雲下と黒雲下で寒暖の差が生まれるためらしい。ソロンの知識ではよく分からなかったが……。
朝に温まった空気が昼には冷え込み、夕に温まった空気が夜には冷え込む。それが、下界における黒雲下の気候であり、砂漠では最もその特徴が強く表れるのであった。
「おお~、さみいなあ……。これが昼間とは思えんぜ」
一緒に見張りをしているグラットがつぶやいた。
マントだけでは寒さをしのぐには足りないらしく、毛布をその上からかけている。そばで焚火を起こしてはいるが、それでも肌寒さは感じざるを得ない。
幸いなのは、これが夜ではなく昼間であることだろうか。夜のような眠気がないため、さして見張りが苦痛にならない。
それにほぼ全員が起きているため、さほど気を張って見張りをする必要もない。なんぜ本来は、長い休憩を取る必要のない時間なのだから。
そんな中でも、アルヴァは真面目に見張りの仕事を務めていた。やはり毛布にくるまりながらも、周囲をじっと油断なく眺めている。
その様子を見て、少し心配になったソロンが声をかける。
「そんなに気を張らなくても大丈夫だよ。サラマンドラも今の時間はじっとして動かないんだ」
この砂漠において危険な魔物は一にサラマンドラ、二に砂鮫である。砂鮫が出没するのは、ここより先なので今は気にかける必要もなかった。
「そうなのですか?」
「うん、寒さには弱いらしいんだ。砂をかぶって冬眠のような状態になっているんだとか。ともかく夜襲――というか暗闇の中を襲われる心配はないと思う」
今は昼間なので夜襲と表現してよいかは分からないので、言い直した。
「それだったら、暗い時間に進んだら安全ってことか?」
グラットの問いかけに、首を横に振ってソロンは答える。
「砂海があるから駄目だよ。まだあいつらと戦う危険を取ったほうがマシだと思う」
部隊を行軍させるにおいて、それだけ砂海は危険なのだ。注意せねばならないのは魔物だけではない。地形にもそれ以上に気を配らねばならなかった。
「そうですね。日中に休憩したところで、サラマンドラの警戒が必要なのは変わらないでしょう。それにこの寒さで進むのも、辛いものがありますから」
アルヴァは冷静に自分の意見を述べれば、グラットも納得する。
「そいつもそうだなぁ」
アルヴァはソロンのほうへと視線を向けて。
「それより砂海というのは、サンドロス殿下が口にしていたものでしたか。いったいどのような場所なのでしょう?」
「もう少し行けば、嫌でも見れると思うよ」
*
五時間にも及ぶ長い昼休憩が終わった。
ソロン達は再び砂漠へと踏み出したのだった。
東から西へと場所を移した太陽が、こちらをかすかに照らしている。まだ辺りは薄暗く、空気も冷えきったままである。
もうしばらくすれば、日射しも満足に届くようになるはずだが、待っている余裕はなかった。
黒雲の下において、暗闇に染まらない時間は限られている。薄明かりであろうとも、ソロン達は進むしかない。
少し進むたびに、だんだんと日射しが強くなってくる。
気温も順調に回復し、グラットが「このぐらいで一定してくれたらいいんだけどなあ……」と、ぼやく程度の心地良さになった。もうしばらくすれば、また暑苦しい空気が戻ってくるはずである。
しばらくは代わり映えのない光景が続いたが、やがて新たな景色が目に入ってきた。
「あれって?」
「砂海だよ」
驚くミスティンにソロンが答えた。
進路を伸びる砂漠の脇を何かが流れていく。
それが砂と水で構成された流砂の海――砂海だった。大量の水を含んだ砂が、液状化して砂色の海を作っていた。
砂海が何を水源としているのかは定かでない。雨が溜まるとは思えないので、何らかの地下水が湧き出しているのかもしれない。ともかく、見るからに飲水として不適なのは確かである。
砂海もまた太陽の下でキラキラと輝いている。それは美しい光景でもあった。
「ふわぁ……。本当に砂の海なんだね」
「時には下界にも、見るべき景色がありますね」
ミスティンとアルヴァが感嘆の声を上げた。
「上界と比べたら、どうしても見劣りするけどね。それでも気に入ってもらえるなら嬉しいかな」
「へ~え、は~あ」
ミスティンは興味津々な様子で、竜車の上から砂海を眺めていた。
「綺麗だけど気をつけてね。砂と水が混ざりあって、とても泳げないそうだから」
ソロンは前もって注意したが、
「触りにいってもいい?」
「ダメだよ。危ないから」
ミスティンがいつものように聞いてきたので、注意を重ねる。
「駄目なのですか……」
なぜか、アルヴァも残念そうにしていた。彼女が雲海に裸足を突っ込んでいた姿を、ソロンは思い出した。本質的には、ミスティンと同じで好奇心旺盛なのだろう。
「それに砂鮫がいるからね。砂海に近づいたところを狙われたら危ないよ」
「砂鮫? 鮫がいるのですか……!?」
「そう。海にいるような鮫だよ。近づかなければ砂鮫も襲ってはこないから」
砂鮫とはその名の通り、砂海を泳ぎ回る鮫だ。砂の抵抗を物ともせずに、砂海の中を力強く泳いでくる。
「じゃあ、気をつける」
それを聞いたミスティンは、手綱を操り竜車を砂海から遠ざけた。
ここから先は、砂海に落ちないように進まなくてはならなかった。
陸地は広く十分な幅があるとはいえ、砂海の色もやはり砂色なのだ。遠くから見れば陸地と区別がつかず油断はできない。