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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第三章 呪われし海
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黒雲の下へ

 昼の休憩も終えて、なおもミスティンが駆る竜車は順調に進む。

 後ろに乗るソロンも次第に慣れてきて、竜車のゆれが心地よく感じるようになってきた。いまだ横にいるアルヴァに至っては、いつの間にか綺麗な寝顔をさらしている。

 つられて眠りそうになるところを抑えて、ソロンは手元の地図に目をやった。


「ミスティン、そろそろ道を外れるけど大丈夫? 難しそうだったら替わるけど」


 目的地たる呪海の亀裂へ向かうには、ここから南へ直進すればよい。

 だが、南の砂漠は黒雲の下にある過酷な土地だった。常識的に考えれば、東へ迂回しセベア村を経由する経路を取るべきなのだ。

 そしてその経路へ、敵の一団が向ったのもほぼ確実だった。


 だからこそ、ソロン達はその経路をたどるわけにはいかない。砂漠を迂回する相手に追いつくには、南の砂漠を抜けるしかなかった。

 そのためにも、今から道を外れる必要がある。南東へ伸びる街道を外れ、道なき道を南へ直進せねばならない。

 ミスティンは首を横に振って。


「ううん、やってみる。私が無理だったら、ソロンでも無理だろうし」


 口調は簡素だが、その言葉は自信を秘めていた。


「じゃあ任せる。ひたすら南に向かうだけだから、迷うこともないと思う。心配だったら声かけて」

「了解」



 道を外れ、ソロン達は草原に入った。

 先程より速度を落とさざるを得なかったが、幸いにも草丈(くさたけ)は低い。草原としては歩きやすい類で、悪路という程ではなかった。そこを竜車と騎馬隊は進んでいく。


「思ったより道はよさそうだね。今日中に黒雲の手前まで行けるかな。池があるはずだから、その辺りで泊まりたいんだけど」


 黒雲の下には雨が降らない。ゆえに進入してしまえば、水場はほとんどなくなってしまう。

 それでも水場があるとすれば川だが、少なくともソロン達が通ろうとしている地域にはない。その辺りは黒雲下とはいえ奥地ではないので、過去に探検がなされた実績もあったのだ。

 そのため地図を参考にして、事前に池で補給しておきたかった。そうして朝、明るいうちから万全の状態で黒雲下の砂漠へ挑みたい。


「行けるんじゃないかな? 少なくともこの子はまだまだ元気だよ。他の子達は知らないけど」


 ミスティンが竜の調子を見て答えた。

 他の子達というのは、もちろん馬のこと。行軍速度は人よりも、竜と馬の調子に依存するのだ。


 進路の上空には、ずっと黒雲が見えている。上空を覆う雲は決して動くことがない。


「地図見た限りだと、あの黒雲の上にカプリカ島が乗ってんだよな。しかも、俺の故郷のベオに近い。なんか変な感じがするぜ」


 グラットが空を見上げてつぶやいた。彼は竜車の横で馬を走らせていた。

 黒雲とは、上空を(さえぎ)る上界の陸地そのものである。上界人からすれば、見知った土地にもなるわけだ。


「そうそう、不思議だよね。あの上に島があるなんて、実際に行くまで信じられなかったよ」


 ソロンもグラットに同意する。立場は違うが、不思議に思う点は変わらなかったのだ。


「ですが、上に陸地があるということは、こちらの伝説にも記されていたのでしょう?」


 アルヴァが疑問の声を上げる。彼女はいくつかの書物を読んでいたため、既に下界の伝説には詳しかった。


「伝説は伝説だよ。信じていたのは僕達、王家ぐらいのもんじゃないかな。みんな半信半疑だったし。だって、こっちから見たら単なる雲だよ。白いか黒いかの違いがあるだけで」


 そもそもソロンにしても、さほど強く伝説を信じていたわけではない。最も強く伝説を信じていたのは父だった。それは父が王家の長として、伝説を受け継ぐ立場にあったからかもしれない。

 そして、それを受け継ぐ立場にあった兄も伝説を信じていた。だからこそ、上界と下界をつなぐカギをソロンへ託したのだ。


「なるほど、確かに無理もないかもしれませんね。帝国でも雲海の下については様々な仮説がありましたが。私を含め、神竜教会の伝説を皆が受け入れていたわけではありませんでした」

「結果的には、教会の伝承が近かったんだけど……。でも、いっぱい仮説があったよね」


 振り返ったミスティンとアルヴァは顔を見合わせた。


「仮説って?」


 ソロンがうながせば、アルヴァが語り出す。


「曰く――雲海の下には、ただ何もない空間がある説。一面の海が広がっている説。雲海はどこまで降りても雲海である説。死の世界につながっている説。時空を越えて過去や未来につながっているなんて、奇説もありましたね」

「そうそう、そういう小説も一時期流行(はや)ったよね。二百五十年前の三国時代に高等遊民が時空転移するやつとか。それで西方帝国の軍師に成り上がって、現代の知識で無双するんだ。最終的には、中央帝国と東方帝国を平らげて天下統一しちゃうんだけど」


 ミスティンが何かよく分からない話を持ち出した。

 ちなみに高等遊民とは、若くして仕事をせずに遊んでいる貴族のことだそうだ。無職、あるいは穀潰しともいう。


「中央帝国の子孫たる私は、そうなっては困りますけれどね」

 アルヴァも楽しそうに語り出した。

「――父はけしからんと言いながらも、笑い飛ばしていました。専制時代の皇帝だったら、発禁処分にしたかもしれません。なんだかんだで私も楽しんだ口なので、何とも言えませんが……」


 二人の話は脱線していく……。

 帝国の歴史を題材にした架空戦記について語っているとは何となく分かった。もちろん、イドリス人たるソロンには、ついていけなかったが……。


 *


 徐々に日の陰りが見えてくる。

 まだ夕方までは時間があるが、急いで池を探したい。

 南へ直進していた道なき道を、ソロン達はさらに外れた。地図を参考に西へ行ったところで、目的の池を発見したのだった。


「透明感はそれなりですね。水質はほどほどでしょう」


 アルヴァがそばにかがみ込んで、池の中を(のぞ)き込んでいた。既に辺りが暗くなりかけているため、蛍光石で照らしている。


「心配だったら、人が飲む分だけでも加熱すればいいよ。ここでできるのは、そのぐらいかな」

「ええ、そうしましょうか」


 それから全員で水の補給をおこなった。

 水汲みというのは意外と馬鹿にできない重労働である。それでも、グラットや屈強な兵士達は、軽々といっぱいに満たした水樽を運んでいく。


「どこにそんな力があるのでしょうね? あなたもミスティンも、私と大差ないように見えるのですけれど……」


 ソロンも負けじと水樽を運んでいたら、アルヴァが不思議がっていた。ミスティンもソロンと同じく一人でも水樽を運べるようだ。


「そりゃ、君には負けられないよ。と言っても、僕も腕力は大したことないけど。グラットには絶対に負けるし、ひょっとしたらミスティンにも敵わないかも」


 謙遜(けんそん)ではなく正直な自己評価である。

 基本的にソロンは、腕力勝負で人に勝つ自信はない。劣等感がないわけではないが、それでも仕方がないと受け入れている。


「そうなのですか? そう言われてみれば、あなたが力任せに戦っている記憶はありませんね」

「そうそう。戦いっていうのは、腕力だけで決まるわけじゃないからね。魔法や足の速さを組み合わせて、勝機を見出だせればそれでいいんだよ」


 その間、馬も竜も等しく池の中に顔を突っ込んでいた。

 特に竜が水を吸い込む様子は凄まじく、ガボガボと音が聞こえてくる。この調子では池の水量が減るのではないかと、あり得ない心配をしてしまった。

 もちろん、人は池の中に顔を突っ込んだりはしない。加熱した水樽を経由して、各自で水筒に移した水を飲むのだった。


 *


 翌朝の作業は水汲みから始まった。

 今日、挑む地域はなんといっても砂漠だ。想定以上に水分を消費することも考えられる。昨晩の食事に使用した水量も馬鹿にならないため、念入りに再補充したのだ。

 野営場所は黒雲にほど近い。

 出発して間もなく、ソロン達は黒雲の下に到達した。


 上を見れば、黒雲が空を覆っている。それは下界人たるソロンにとってもどこか不気味で、あまり目にしたい光景ではなかった。

 まず目に入ったのは、赤茶けた岩荒野だ。

 雰囲気としては、帝都北西の界門から降りた辺りによく似ている。この辺りは地面が固いため、まだしも歩きやすい地形ではあった。


 黒雲下であっても、端のほうには雨が降る。風によって、白雲を通った雨が飛ばされてくるからだ。

 そのため、黒雲下の入口付近には、まだ植物や動物の姿もかいま見えた。しかし、それも進むほどに減少していく様子が見て取れる。

 ソロン達は徐々に不毛の地へと向かっているのだ。

 岩荒野は長くは続かなかった。たちまち、一時間ほどで明るい砂色が目に入ってきた。


 一面の砂がそこにあった。

 正確を期せば、今まで歩いていた岩荒野も、岩石砂漠と呼ばれる砂漠である。しかし今、目の前に広がる砂漠は文字通りの砂漠だった。

 黄色い砂が太陽を照り返して、目が焼けるようだ。風に吹かれた砂が舞い踊り、砂丘を形作っている。砂に刻まれた風紋がどこまでも波打つように続いていた。


 この辺りともなれば、馬にとっても歩きやすい地形とはいえない。時折、下馬して人が馬を引かざるを得なかった。そうなると、隊の進行速度も人並になってしまう。

 そんな中、走竜だけは砂漠の地形も物ともせず、平気で歩いていた。力強く砂を蹴る音がザックザックと聞こえてくる。


「こいつバケモノかよ。全然疲れてるようには見えんぞ」

「バケモノとか言わないの」


 竜車の手綱を握るミスティンがグラットを注意した。

 本来なら今日で、御者の役目は他の兵士と交替するはずだった。ところが露骨に悲しそうな顔をする彼女に、兵士が折れてしまったのだ。手際については文句のつけようもなく、行軍に支障はなかった。

 ミスティンは走竜のしっぽに手を伸ばして。


「でもこの子、本当に凄いね。砂も平気みたい」


 ソロンも走竜の頑丈さには驚嘆(きょうたん)せざるを得ない。サンドロスが竜車の使用を勧めてくれたのは、実にありがたいことだった。

 今、竜車の後ろの席には砂漠に()んだ兵士達が乗っている。今日は竜車のお世話になる者が増えそうな予感でいっぱいだ。

 ソロンは昨日、長く竜車に乗っていたため、今日はずっと歩くつもりでいた。


「にしても、砂ばっかりだなあ……」

「そりゃあ砂漠だからね」


 グラットが実に当たり前のことを言ったので、ソロンも当たり前のことを返した。

 綺麗ともいえなくないが、やはり気が滅入る光景でもあった。ボヤきたくなるのも仕方ないところだ。


「……不毛な会話ですね」


 アルヴァがひっそりとつぶやいた。


「ああ、砂漠と不毛をかけたんだね。さすがアルヴァはお上手」


 ミスティンがなにやら感心していた。


「いえ……無視してください。そんなことで感心されても恥ずかしくなります」


 アルヴァは手を振り、顔をそむけて照れ隠ししていた。

 こんなささやかな洒落(しゃれ)で、照れ隠しする人をソロンは他に知らない。

 そんな意味のない会話をしながら、変わり映えのない景色が続いていく。砂の丘陵(きゅうりょう)を避けながら、ただただ南へ向かって……。

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