竜車がゆく
任務を引き受けたソロンは、合計で十人の部隊を編成した。
いつもの四人に六人のイドリス兵。一台の竜車に騎馬を合わせた混成部隊となる。
ラグナイ人の数は十を少し超える程度だと聞く。ならばそれを蹴散らせて、なおかつ行軍速度を維持できる人数が理想だった。
ラグナイ王国――というよりザウラスト教団の神官には、神獣という恐るべき魔物を召喚する魔術がある。
万が一、使われた場合は対応が難しい。けれど、今までの敵の動向を見る限り、その心配はないと見ていた。
単なる捕虜の連行に、さほどの戦力を送るとは考えにくい。ソロン達の実力ならば、少人数でも十分に勝利できる自信があった。
問題となるのは物資である。
人・馬・竜――それぞれに食料と水が必要だった。水は補給できる池や泉に心当たりがあるため、さほどの問題にはならない。それでも、食料の重みは馬鹿にならなかった。
最も大食らいなのは言うまでもなく走竜だ。ただ走竜は自分自身で多くの荷物を引くことができた。
それから、忘れてならないのは救出した捕虜のための物資だ。
助けた捕虜を飢え死にさせては、目も当てられない。それらを考慮した結果、荷物持ちも必要となった。結果、十という人数に収まったのである。
行軍速度を重視するため、重装備はできない。ソロン達の軽装はいつも通りだが、兵士達にも重い鎧は避けてもらった。途中、砂漠を抜けることを想定すれば、これが妥当なはずだった。
竜と騎馬――ソロン達一行の混成部隊は、ドンタイア村を出発した。
最初に向かう方角は東である。
帝国のように道が石造りで舗装されているわけではない。それでも、さすがに王都の近くともなれば、踏み固められた歩きやすい道が続くようになる。
走竜は力強い動きで車を引いていた。
竜車は御者以外にも数人が乗れるようになっている。加えて多数の荷物を積んでいた。それでも走竜はたった一頭で、並足の馬に追走することができた。
もちろん、馬が駆け足になれば走竜が追いつけるはずもない。しかし、こういった長時間の行軍では、持続できる速度が重要となる。実用上の問題はなかった。
速く行軍するために重要なのは、疲労の軽減だ。
この場合、まずは馬と竜の疲労を考えなくてはならない。加えて、人間が馬に乗るのもそれなりに過酷な運動であった。
今回の行軍において、最も疲労が小さいのは竜車の乗員である。馬にまたがる者、竜車を操る者、竜車に搭乗する者……。うまく位置を交代しながら、ソロンは隊員の疲労を抑えるようにした。
南北を山に挟まれた盆地に進入した。
山に挟まれてはいても、実際は広大な野原になっているため見通しはよい。ゆるやかな下り坂になっているため、道のりは軽やかだった。
この辺りはドンタイア村と王都イドリスを結ぶ主道である。敵軍と遭遇する懸念もあったが、急を要する状況では山中に分け入る余裕はなかった。
見渡しがよいのを幸いと、警戒しながら主道をゆくことにしたのだ。
日が暮れる前に、道が枝分かれする地点にたどり着いた。
ここから北東方面に向かえばイドリスに着くが、ソロン達の目的地は南方面だ。イドリスと反対側の道へ進めば、ラグナイの手の者と遭遇する危険性はグッと減るはずだ。
「ここまで来れば大丈夫かな。そろそろ野営にしようか」
南へしばし進んだところで、西の山側へと道を外れた。
ラグナイ兵に見つからない場所で、野営を行うためだ。この辺りには宿場もあるのだが、敵との遭遇を避けて利用は諦めた。
野営では魔物の心配もあるが、十人もいれば見張りをする余裕もある。見張りに都合のよい谷間を見つけて、テントを張った。
「気休め程度に壁を作っておきます。明かりが漏れないだけでも、意味はあるでしょう」
アルヴァが念入りに土魔法の壁を作ってくれた。
谷間の入口は広いので薄い壁で覆うだけで精一杯らしいが、それでも身を隠せる意義は大きかった。
*
ドンタイア村を旅立って二日目。
今日は竜の手綱をソロンが握っていた。
走竜の操作は元々、ソロン達の師匠シグトラが伝えた技術である。それでソロンもその技術を習得済みだった。
竜車を操った経験がある者は少ないため、御者の負担を軽減させようと交代を申し出たのである。
下界にしてはまぶしい朝日が射す中を、それなりの速さで竜車は進んでいく。アルヴァ達も馬に乗りながら、左右と後ろを囲んでいた。竜と馬の歩調はピッタリで、隊に乱れはなかった。
竜を御すソロンの後ろで、いびきの音が聞こえてくる。昨晩の見張りを務めていたグラットが、そのぶん睡眠を取り返していたのだ。
竜車はゆれが酷く、あまり乗り心地がよいとは思えないのだが気にならないらしい。だらんと手を広げて、座ったまま眠り込んでいた。
その横に座っているのはミスティンだ。
グラットのことを気にかけている――のではなく、単純に竜車に乗りたかったらしい。身を乗り出すようにして、ソロンが手綱を握る様子を興味津々と眺めていた。
「私にもできるかな?」
と、ミスティンがいつも通りの調子で言い出した。
「できないことはないと思うけど……。遊びじゃないんだよ」
今回の遠征は目的が重大である。呪海の亀裂へ連行されようという母達を救わなければならないのだ。あまり余計なことに時間を使う暇はなかった。
「聞いてみただけだよ。それぐらい分かってるもん。大変だったら替わってあげようかなって……」
と、ミスティンは返事したが、口調は明らかにすねている。
「ふ~む……」
そこで少しソロンは考える。
走竜は卵から孵った頃から、厳しくしつけられている。力が強いとはいえ、よほどのことがない限り手綱の指示に従ってくれた。
本来、歩幅の大きい竜にとって馬と歩調を合わせるのは難しい動作である。しかし、それも調教で仕込んでいるため解決されていた。
だから、馬と比較しても、それほど扱いが難しいわけではなかった。
竜車を御せる者が増えるなら喜ばしいのも事実。そして、乗馬の得意なミスティンなら、資質としては申し分ない。
「じゃあ、やってみる? 次の休憩からになるけど」
考えた末にソロンは提案してみた。
「ありがとう! 愛してる!」
振り向けば、後ろの席からミスティンが抱きつかんばかりに喜んでいた。
「ちょっ、邪魔だって! また後で!」
それを振り払って、ソロンはまた強く手綱を握りしめた。
「お前ら、うっせーぞ……」
騒ぎに起こされたグラットがぼやいていた。
*
ミスティンが竜車を御していく。
彼女は首を振りながら、後ろにくくった髪を馬のしっぽのようにブラブラさせていた。顔が見えなくとも、見るからにご機嫌な様子はソロンへも伝わってきた。
休憩が終わったので、ソロンは約束通り彼女に手綱を委ねたのだ。自分自身は後ろの席に座りながら、その手綱さばきを見守っていた。
「まったく……。あまりミスティンを甘やかしてはいけませんよ」
そんなソロンに横から苦言を呈したのは、アルヴァである。
彼女もなぜか、馬を他の兵士に預けて竜車に乗り込んできていた。ちなみにグラットは元気になったらしく、馬に乗っている。
ソロンはアルヴァに目をやって。
「いやでも、うまいもんだよ。これなら行軍が遅れることもないさ」
事実、ミスティンは巧みに竜を御していた。
とまどっていたのはほんの最初だけで、今となってはその手つきも危なげない。ソロンは指導のために後ろで構えていたのだが、この分ではもう助言も必要なさそうだった。
「この子は良い子だから、簡単だよ」
ミスティンは手を伸ばして、走竜のしっぽをなでた。
走竜のしっぽは長いため、そのままでは車を引く上で邪魔になってしまう。だから、通常は丸く括って短くするようになっていた。彼女がなでているのも、その先っぽである。
「確かにうまくいきましたが、それは結果論です。うまくいかなかったら余計な時間を食うところでした。大体こういった練習は、行軍の最中にやるものではありません」
「だけど、竜車を操れる人は多いほうがいいしさ。それにミスティンなら、大丈夫だと思ってたよ」
「そうだよ、元陛下ならケチくさいこと言わないの」
正面を向いたまま、ミスティンもアルヴァに反撃した。この二人、仲は悪くないようだがそれだけに遠慮もないようだ。
「それは違いますよ、ミスティン。吝嗇とは君主にとって立派な資質の一つです。元皇帝であることは理由になりません」
ケチと言われたことをアルヴァは聞きとがめた。
「……リンショクってなに?」
しかし、そんなアルヴァの反論は、ミスティンに通用しなかった。嫌味を言う性格ではないので、純粋に言葉の意味が分からなかったのだろう。
「金品を惜しみ、慎ましやかであることを意味します」
ミスティンの反応が悪く、アルヴァは気勢を削がれた様子だった。
「つまりケチってことだよね」
「世俗的に言えばそうなります」
「じゃあ、最初からそう言えばよくない?」
「それはまあ、そうですが……」
渋々アルヴァは認めた。育ちが良すぎる彼女は、俗な言い回しをしたくないらしい。
「難しい言葉が好きなんだ?」
旗色の悪そうなアルヴァに、ソロンが尋ねた。
「いえ、別に好んでいるわけではありませんが……。ただ、私にとってはそれが自然だと言うだけです。……やはり、もう少し平易な言葉遣いを心がけるべきでしょうか?」
アルヴァはわりと真剣に悩んでいるらしかった。
ミスティンはチラと振り向いて、アルヴァを見る。
「別にいいんじゃない? たまに何言ってるか分かんないけど、それも含めてアルヴァは面白い子だし。私は嫌いじゃないよ」
「そうですか。そう言っていただけるならよいのですけど」
肯定してもらえたのが嬉しかったらしく、アルヴァは安心したようだった。さりげに面白い子扱いされていたが、それはよかったのだろうか……。
とりあえず険悪にはならなかったので、ソロンもよしとする。
思えば、最初に竜玉船の上で出会った時もこのような調子だった。あの時も険悪な雰囲気になりかけたが、すぐに収まったのだ。
どうもこの二人、そろって根を引かない性格らしく、必要以上にケンカが続かないらしかった。