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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第三章 呪われし海
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タンダの塩

 窮屈(きゅうくつ)な建物の中で、ソロン達四人はテーブルを囲んでいた。


「ソロン、お誕生日おめでとうございます。これでしばらくは私と同じ十八歳ですね」


 食事をしようとしたところで、アルヴァが声をかけてきた。

 今日は七月の四日である。上界では七月は神竜の月と呼ばれる。


「へ? 覚えてたんだ。あの時は、ちょっと話しただけだったのに……」


 戦時中ゆえ仕方ないが、恐らくサンドロスにも忘れられていたはずだ。さすがにソロンは覚えていたが、この状況で催促する気にはなれなかった。


「あなたが星空を眺めて賞賛していた時のことですね。その意味に気づいたのは、最近になってのことでしたが」


 あの時とは、かつてベスタ島で彼女と話をした時に(さかのぼ)る。会話の流れで、二人はお互いの誕生日を述べたのであった。

 ……まあ、帝国人でないことを暴く誘導尋問ではあったけれど。


「こっちでは満点の星とはいかないからね。本当に感動したんだよ。君には変なヤツだなと思われたかもしれないけど」

「とても興味深い人だとは思っていましたよ。……まあ、あなたは私のことを、警戒していたかもしれませんが」

「ま、まあちょっとだけ。やっぱり皇帝陛下だし……」


 ソロンは正直に当時の心境を吐露した。


「ああ、あん時は怖かったな……。怒られた時はチビりそうになった。今もちょっと怖いぞ」

「うん。ソロンが迫られて小さくなってたし」


 グラットとミスティンも余計ながら大袈裟に付け加えた。

 アルヴァは不服そうな面持ちをしたが。


「私は普通に話していたつもりです。肩書とは便利ではありますが、時に難儀なものですね。……それでも、勇気を持って話しかけてくれたことには感謝しています」

「そ、そうかな。大したことじゃないと思うけど」


 少し照れくさかったソロンは話題を転じた。


「――やっぱり、星空が見えないのは寂しい?」


 下界の空は常に雲で覆われている。横の低い空から星は見えるが、やはり上界と比較すれば寂しいものだった。


「多少は。……ですが、下界は下界で変わった光景がありますからね。悪い体験ではないと思えるようになりました。私としては、荒野で見た夕日がお気に入りですね」

「俺は滝だなあ。あんな高い所から水が落ちるなんて、衝撃だったぜ」

「私はマンモスがよかった。岩竜が動くところも見たかったけど」


 三人が思い思いに、お気に入りを述べていく。下界に生まれたソロンとしては、何だかんだいって嬉しい気持ちになる。


「ふむ。マンモスに目をつけるとは、ミスティンさんはお目が高いですね。私としてもマンモス嬉しい気分です」


 よく分からないことを言いながら、割り込んできたのはナイゼルだ。彼はサンドロスのそばで副官として仕えているのだが、たまにこうして声をかけてくる。


「何ですか、マンモスというのは?」


 アルヴァは話についていけないらしい。


「あれ、君は見なかったんだ? 茶色くて大きくて鼻の長い――」

「象だよ」


 ミスティンの一言で、アルヴァはハッと理解の色を見せた。


「ああ、あの茶色い象のことですか。下界ではマンモスというのですね。確かに、竜にも匹敵しそうな巨体は見応えがありました」


 考えてみれば当然ではあった。姿を見ていたところで、名前を教えてくれる者がいなければ通じるわけもないのだ。


「マンモス嬉しいって何?」


 よせばいいのに、ミスティンがナイゼルに尋ねた。

 ナイゼルは眼鏡に手をかけて、得意気な表情を作る。


「よくぞ聞いてくださいました。マンモス嬉しいとは、古代人が最上級の嬉しさを表現するために使った高等表現です。しかしながら、残念なことに今の下界には残っていません。そこでこの私が復活させようと画策している次第です」


 ナイゼルは古文書の研究にも精通している。それ自体は素晴らしいが、頻繁にこういった無駄知識を仕入れてくるのが難点だった。


「はー」


 ミスティンが露骨に気のない返事をした。

 自分で聞いておいてあんまりな態度だが、興味がない時は本当に興味のない表情をする。それが、この娘だった。


「つまり化石のような表現ってことか」


 グラットが言えば、ソロンも続く。


「まあ、なんというか……おじさん臭いのは否めないね」

「坊っちゃん! なんということをおっしゃるのですか……! ですが――私はこれしきでくじけませんよ!」


 ナイゼルはソロンの心ない言葉に、傷ついた様子で走り去っていった。


「大丈夫か、あいつ?」

「大丈夫だよ、図太いし」


 『大丈夫か?』というグラットの問いかけには色んな意味が考えられた。……が、ソロンはとりあえずそれだけ答えておいた。


「あの、贈り物があるのですが……」


 白けた空気が流れかけたところで、アルヴァがおずおずと切り出した。


「へっ……ああ、僕に?」


 ナイゼルのせいで忘れそうになったが、そもそもの話題はソロンの誕生日についてだ。贈り物といえば、それ以外に考えようもなかった。


「普段なら、人への贈り物はお金で(まかな)うところです。しかしながら、持ち合わせがありません」


 帝国ではお金に不自由しなかったであろうアルヴァだが、それも下界には通用しない。貴金属を豊富に持っていく余裕もなかったはずだ。


「いいよ、別に。そんな状況じゃないだろうし」


 アルヴァは首を横に振って、真面目な表情を作った。


「そんなわけで、あなたのために料理を作ってきました」

「おう、甲斐甲斐しいな。お姫様」

「へぇ~、君が? 料理もできるんだ」


 あなたのために――などと言われてしまうと、ソロンもまんざらではない。大抵のことは器用にこなすアルヴァのことだ。料理の技術も大したものに違いあるまい。


「たくさん作っていますから、ミスティンもグラットもお召し上がりください」


 差し出されたのはおむすびだった。

 下界の人間なら、人生で飽きるほど見る何の変哲もないおむすびである。広げた葉っぱの上に乗せられている。


「……おむすびって料理なの?」


 思わず口に出した言葉がまずかった。


「イドリスの伝統料理――塩むすびです。これが料理でなかったら何だと言うのですか? ゾゾロアさんも作っていましたから、間違いありません」


 アルヴァは露骨に不機嫌な声になった。


「ソロン……。空気読みなよ。せっかくアルヴァががんばったのに」


 普段から空気を読む気のないミスティンに言われたくない。……が、これ以上の問答はよしたほうがよさそうだ。


「う、うん。ありがとう。頂くよ」


 大人しくおむすびをつかんでかぶりつく。ミスティンもグラットもそれに続く。


「…………どうですか?」


 アルヴァはじっとこちらを見つめながら聞いた。ソロンはどうにか飲み込んで感想を述べる。


「……しょっぱくない?」

「しょっぱいね」

「うむ、塩がキツいな」


 基本的にみんな正直だった。

 実際キツい。

 ジワジワ塩気が迫って来る。塩むすびというものを、彼女は何か勘違いしているのではなかろうか。

 もう少しでソロンは涙が出そうになったが、それは我慢した。他の二人も渋い顔をしている。


「私がタンダ村で分けてもらった塩です。そんなはずはないでしょう。……村の方々は丹精込めて、塩作りをしているのですよ。決して、当たり前に手に入ると思ってはいけません。わがままは言わず、よく噛みしめて味わうことです」


 しかし、アルヴァは不満気な調子で塩について力説し出した。塩の名産地たるタンダ村で暮らした結果、なにやら思い入れができたらしい。


「いや、そういうことじゃなくて……」


 ソロンはそれだけ言ってためらったが――


「塩作りが大変なことと、塩加減が狂ってることは別問題だよ」


 人に空気読めと言っていたミスティンは、相変わらず空気を読まなかった。無表情で、容赦なく指摘をおこなった。


「まあ、その……あれだ。自分で食べてみたらどうだ?」


 グラットは言いづらそうにしながらも、言うべきことを言った。


「むっ……。そこまで言うならば――」


 アルヴァはむっとしながらも、おむすびを自分の口へと運んだ。丁寧に咀嚼(そしゃく)をするが、みるみる顔色が変わっていく。それでも口を押さえて、必死に飲み込んだ。

 ……が、それも楽ではなかったらしい。慌ててコップの水を口に含む。


「やっぱり、しょっぱいよね?」


 ソロンが控えめに指摘した。

 アルヴァは水をゴクリと飲み込んで、渋々といった調子で口を開いた。


「……分かりました。確かに塩を入れすぎましたかもしれません。その点については謝罪しましょう。ですが、これは私の(あやま)ちであって、タンダ村の皆様のせいではありません」

「というか、タンダ村の人達は最初から無関――」


 ミスティンが追い打ちをかけようとしたので、ソロンはその口をふさいだ。

 アルヴァの紅い瞳が濡れていたためだ。塩がキツかったせいか、悔しかったせいかは定かではない。


「いや、誰のせいとかはいいけどよ。これどうすんだ?」


 そう言ってグラットが指差したのは、残ったおむすびである。……まだ、五つ残っていた。

 アルヴァは躊躇(ちゅうちょ)しながらも、おむすびを一つ取った。そして無言のまま、小さくかぶりついた。

 今度は水を飲みながら、少しずつ食べていく作戦のようだ。しかし、その様はとても(はかな)げに見えた。

 やむなくソロンも無言で二つ取った。同じように少しずつ口に入れていく。ミスティンもグラットも一つずつ取って続いてくれた。


「その……ごめんなさい」


 アルヴァが弱々しく謝罪した。

「大丈夫だよ」

 さすがにソロンも慰めに入った。

「――ちょっと塩辛い程度だから、腹を壊すこともないだろうし。だから……あんまり気を落とさないで」

「……分かっています。次があれば、料理はきちんと味見をするようにしましょう」


 アルヴァはめげなかった。

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