王国軍の食卓
ソロン達はサンドロス一家の食卓に招かれた。
食卓とはいっても、場所は兵舎に併設された食堂である。主に王国軍の兵士や、その関係者が使用していた。
食堂の内部は多くの兵士でにぎわっており、中には新しく来たタンダ村の仲間達も加わっている。
ここテネドラでは事実上の君主たるサンドロスも、兵達と食事を同じくしていた。王城のように、独自の料理人を持つ余裕がないことも理由ではある。何より、軍の一体感を高める狙いもあった。
食堂では懐かしい料理が出された。
豆入りのご飯に玉子焼き。山菜の数々。なんてことのない料理ではあるが、ソロンが昔から食べていたものである。
味つけも王都風味だ。イドリスから人が流れてきているため、それが料理にも影響しているのだろう。
タンダ村でも白米は食べたものの、やはりイドリスのそれこそが故郷の味だ。自然と食が進むというものである。ソロンは箸を駆使して、ガツガツと食べていく。
正面にいたサンドロスは、そんな弟を朗らかに見守る。
「おう、お前にしてはよく食べるじゃないか」
「久しぶりのイドリスの味だからね」
「ハハッ、戦時中なんで大したもんはないがな。腹いっぱいにしてくれ」
謙遜ではなく、本当に大したものがあるわけではなかった。
「下界の料理は肉が少ないなあ」
ミスティンはそんなことをボヤきながらも、料理を口に運んでいた。
ちなみに、箸には慣れていないので、彼女とグラットはフォークをつかっている。アルヴァだけは既に箸に慣れているらしかった。
「――これ、何の肉?」
ミスティンはふと奇妙な肉を見つけて尋ねる。しかし、確認する間もなく、口に放り込んだ。
遠目には白い何かの身のようだったが、ソロンにも見覚えがないとは珍しい。
「さあ、食ってはみたが俺もよく分からん。エビか何かじゃねえか? 歯応えがあって悪くはねえぞ」
グラットが先に食べていたらしく、感想を述べた。
「そいつはグソックだ」
サンドロスの返事に、グラットが顔色を変えた。
「グソック――ってあのデカいダンゴムシみたいなヤツじゃ!?」
「そうだ。人が増えたからといって、すぐに作物を増やせはしないからな。足りない分は狩りで補っているわけだ。殻は固いが食える肉も意外とある。案外、味も悪くないだろ」
それであれだけの人口を、どうやって支えているのかという謎も解けた。
危険な魔物が多い下界で狩猟を行うには、それなりの修練がいる。だが今、この町には屈強な兵達が数多く駐留していた。狩りの人手には事欠かない。
「い、いや確かに味は悪くねえですけど……。やっぱ虫は……」
グラットは苦手意識を隠せていなかった。
上界でも下界でも、魔物を好んで食べる習慣は少ない。それはもちろん、凶暴で狩るのが難しいのが第一の理由である。
第二に固い殻を持った種族、人型に近い種族、毒を持った種族などが敬遠されるという理由も大きかった。
それでも相手を選んで狩り取れば食料にはなる。魔物は体が大きい種族が多くを占めるため、肉の量が多いという利点もあった。
「そっか~、グソックかあ。甲殻類みたいで結構おいしいねえ」
ミスティンは全く平気なようで、気にせずにパクパク食べていた。そんな様子を横目に、ソロンは白米を口に運ぶ。
しかし、アルヴァはソロンが食事する様子を見て、不思議そうに目を留めた。
「そんな持ち方でもよいのですか?」
何を聞かれたのか悩んだが、どうやら箸の持ち方を見ているようだ。
「ん、いいんじゃないの? 食えることは食えるし」
箸を口に加えながら、そう答えた。
「坊っちゃんには何度か注意したのですが、直らなかったのですよ。このナイゼル、不徳の致すところです」
ナイゼルが首をゆったりと横に振りながら口を挟んでくる。
どう考えても、そこまで大袈裟に言われることではない。
「これでよいのでしょうか?」
アルヴァが箸の動かし方を見せながら、豆をつまんだ。そうしてナイゼルに尋ねた。
「お上手です。既に坊っちゃんでは、百年かけても及びもつかない領域……。そう言っても過言ではないでしょう」
どう考えても過言である。
「そうですか、やはり間違いなかったのですね」
アルヴァは得意気になって、箸をカチカチ動かしていた。それも、ソロンに見せびらかすかのように。
しかし、そんな精神攻撃に動じるソロンではない。無視していつもの箸さばきで豆をつまむ。……が、うっかり豆を落としてしまった。
「ソロン。こうですよ、こう」
アルヴァがこれ見よがしに箸の動きを見せつけてきた。まさか、上界人に箸の上げ下げを指南されるとは思わなかった。
……思わず口答えしたくなるが、妙に嬉しそうなのでやり辛い。
この人も相当にお節介気質だなと――今更ながらに気づいた。
皇帝としての彼女は、厳格に職務をこなす面があった。一方で、その立場をなくせばこんな素顔も垣間見えてくる。
「……君は僕の母さんか何かみたいだね」
「どちらかというと、姉さんのつもりです」
皮肉を込めたつもりだったが、全く悪びれずに言い返された。むしろ彼女は誇らしげにも見えた。
「そう……」
根負けして、箸の持ち方を変えてみせる。
「違います。親指は添える程度に。下の箸を動かしてはなりません」
言われた通りにやってみた。そうして豆をつまむ。
「こう?」
「そうです。よくできました」
頭をなでられた。
「お姉さんができてよかったじゃないか」
サンドロスが笑った。
以前『王家の威信』がどうこう言っていたのは誰だったか。なのに衆人の前で子供扱いされては、威信も何もない。
「僕は一歳児じゃないんだけど……」
そう言えばと、ふと本物の一歳児のほうに目をやってみた。
スライは母ナウアと共にアルヴァの正面の席にいる。
スライは母の補助を受けながら、スプーンを手に奮闘していた。父サンドロスがその隣で微笑ましく眺めている。
「スライも頑張っていますね」
アルヴァが目を細めて言った。
「でも、難しそうだね。やっぱりスプーンはまだ早いんじゃないかな?」
スライはうまくいかず、スプーンをしょっちゅう放り出していた。当然、食事をこぼしてはいるがそれも想定済みだ。汚す前提で前掛けをさせていた。
「いいえ。失敗しても、諦めない姿勢が大事なのですよ」
アルヴァはスライのほうを見てニッコリ笑った。
「――そうですよね、スライ?」
「あう」
ナウアに抱えられたスライが、一応の返事をした。もちろん意味は伝わっていないだろうが。
「よい返事です。将来は立派な君主になってくれると期待しますよ」
それでも彼女は満足したらしい。
「……スライにそんな難しいこと言っても伝わらないよ。まだあんなに小さいんだから」
ソロンは呆れるように言ったが、
「ソロン、あなたは何も分かっていないようですね」
どうやらカンに障ったらしい。
「――幼児教育においては何よりも会話が肝要なのです。相手に理解されないからといって、会話をやめては子供は育ちません。たとえ全てが理解されなくとも、将来の成長を信じて、粘り強い交流を図るべきなのです」
アルヴァはとうとうと持論を展開してみせた。どこか冷淡に見えて、結構な情熱をうちに秘めているのが彼女という人間らしい。
「それって、君の家の方針か何かなの?」
自分が子持ちというわけでもないのに、妙に具体的だ。気になったので尋ねてみる。
「はい、皇家の方針です。そちらの王家もそうでしょうが、貴族というのは独自の教育論を持っているものです。子女の教育が一族の興隆を左右するわけですからね。私は帝国中に広く展開すべきだと考えていたのですが……。残念ながらそこまでは至りませんでした」
……ソロンの王家にそこまでの教育論があるかというと、かなり怪しい。わりと個人の裁量でやっているような印象がある。
「子供が好きなんだ?」
「そうですね。子供は将来を担う者として、大切にすべきですから」
「じゃあ、大人は嫌い?」
ミスティンが無駄に意地の悪い質問で割り込んできた。
「いいえ、いずれも大切な民に変わりませんよ。青年は今を担う者として。老人は今までの労を謝して。それぞれ大切にすべきです。そうやって国というものは成り立っているのですから」
迷う様子もなくアルヴァは答えた。それを見れば、彼女がかつての仕事に強い誇りを持っていたことを感じられた。