サンドロスの軌跡
サンドロスは早足で二階の部屋へと進んでいく。
……が、途中でソロンをグッと引っ張って近くに寄せてきた。それから、心持ち小声で話しかけてきた。
「まさかお前がここまでやるとはな。兄ちゃん嬉しいぞ」
「まあね、お陰で結構苦労したけど」
サンドロスは力強く頷きながらも、ひそかな声で。
「ああ、信じられないことだ。少し前までは草食動物のように奥手だったお前が、あんな美人を……」
サンドロスはよくやったとばかりに、ソロンの頭を叩いてきた。……何かと思えば、さっきの注視はそういう意味か。
「いや、そういうことじゃなくて……。誤解だってば」
「ああ、金髪のほうだったか?」
「違う! っていうか、声が大きいよ!」
そう言うソロンも、思わず大きな声になってしまう。
……と、後ろを盗み見れば、まっすぐにアルヴァと目が合った。慌てて兄のほうを向いて釘を刺す。
「――……上界ではすっごく偉い人だったんだから。あんまり失礼なことは言わないでね」
「そんなに偉いのか? もしやどっかの姫君か……?」
「うん。そんなところ」
まさか、王より偉い皇帝だとは、さすがの兄も思うまい。もっとも、そこまでわざわざ説明する気もなかった。
兄から解放されたソロンは、仲間達の元へと戻っていく。
「さっきは何を話していたのですか?」
しかし、アルヴァには不審がられた。
「いや、別に」
「金髪のほうってなに?」
ミスティンにもしっかり聞こえていたらしい。
「なんでもない」
二人は不満そうな顔をしていたが、それ以上は追求してこなかった。
*
ソロン達四人はサンドロスの部屋へと案内された。
奥にはサンドロスの妻ナウアと、夫妻の子スライの姿もあった。二人はソファーに座ってくつろいだ様子である。
イドリス城の自室と比べれば質素だが、元からさして豪勢な部屋にいたわけではない。この程度の広さがあれば、三人で暮らすにも不自由はないだろう。
ナウアは満面の笑みで、改めてソロンの帰還を喜んでくれた。それから、仲間達と挨拶を交わして歓迎してくれる。
一歳となるスライもあまり分かってはいないようだが「うあい~」と笑っていた。「おかえり」のつもりだったかもしれない。
「まあ、楽にしてくれ」
サンドロスはうながし、自らも妻子とは離れた手前のソファーに座った。みな同じように座って、話をする態勢になった。
「――さて、どちらから先に話す?」
それから、サンドロスはくつろいだ様子で話を切り出した。
「兄さんからお願い。あの後どうなったかを聞いてもいいかな?」
家族達の安否については、再会した直後に確認した。次は戦況を含めた幅広い状況を確認するため、時系列順に経緯を聞こうと考えた。
「といっても、そんなに面白い話はないぞ。ほとんどはお前も聞いていると思うがな。お客さんのためにも、少し前から話すか」
そう言って、サンドロスはざっと説明してくれた。
今から三ヶ月前の夜、王都イドリスが襲撃を受けた。
敵は北のラグナイ王国である。
ラグナイはザウラスト教と呼ばれる宗教を信奉しており、その意向を踏まえたものと思われた。
突然の襲撃だったが、国王セドリウスが指揮するイドリス軍は懸命に戦った。
ラグナイ軍の戦力は主に二つ。
一つは馬を駆り、剣と槍で戦う騎士達だ。正面から猛然と攻め寄せる騎士達は手強い相手だった。
しかし、それよりも厄介なのはザウラスト教団の神官達である。彼らは奇妙な魔法を操った。
特に魔物――緑の聖獣グリガントと呼ばれるそれを召喚する魔法は、イドリスの誰もが見たこともない特殊なものだった。
それでも戦線はよく持ちこたえた。
サンドロスもソロンも、二人の父である国王も――各自で魔法武器を振るいながらよく戦った。
また母である王妃ペネシアもかつては優秀な魔道士であり、こたびの戦いでもその力を十全に発揮した。
彼女の傘下――ナイゼルとガノンドの親子を中心とした魔道士達も、神官達の思い通りにはさせなかった。
それが崩壊したのは、突如イドリスの町中に降臨した巨大な魔物のためだ。
教団はその魔物を神獣と呼んでいた。
こちらの攻撃を物ともしない神獣の力によって、イドリス軍は崩壊。国王はそれでも前面に出て戦ったが、命を散らす定めとなった。
父に国家の望みを託された兄弟は、辛くも王都を脱出。
サンドロスは王都を捨て、再起を決した。だが、神獣への対抗策を得なければ、これからの戦いに勝利できる望みは薄い。
そこで、サンドロスは持ち出した界門のカギをソロンへと託した。
かつて、二人の師であるシグトラが、イドリスに残したカギである。
ソロンはカギを手に上界へ向かった。
かつての伝説に記された鏡を手に入れるため、その伝説に記された地――ネブラシアに向かって……。王都から南東にある界門の場所は、既に判明していた。
その後、王都イドリスはラグナイ王国の手に落ちた。
今もなお内部には取り残された民達が残っているはずだ。その中には、二人の母で王妃たるペネシアもあったという。
結局、サンドロスはテネドラの町に流れ落ちた。
ナイゼル達とも合流を果たし、勢力の結集にも成功。ラグナイ軍と幾度かの小さな戦いを経て、今に至るという。
*
「あいつら、この町までは攻めてこなかったの?」
話を聞き終えて、ソロンが疑問を口に出した。
テネドラの町の様子は随分と平和で、落ち着いているように思えた。日々の襲撃にさらされていれば、こうはならないだろう。
「ああ、ドンタイア村まではきたが、俺達が散々にやっつけてやった。それ以降、積極的に攻めてくる気配はないな。あくまで今のところはだが……」
ドンタイア村とはここより東、王都イドリス寄りにある村だ。テネドラに攻めてくるならば、近くを通る必要があった。
「ドンタイアも無事なんだね。あっちにも軍を配置してるの?」
もっとこの近辺まで攻め入られていると、予想していたので意外に思えた。
「いや、ドンタイアの村民は引き上げておいた。奴らが空っぽの村を占拠したところに、奇襲をかけてやったわけだ。防衛を考えて、基本的に軍はこの町へ留めている」
「さっすが、兄さん!」
ソロンは歓声を上げたが、すぐに考え込む。
「――でも、おかしいな。あの神獣は呼んでこなかったんだよね。もし呼ばれたら、あっさり返り討ちにされたと思うんだけど……」
「確実なことは何も言えんな。現れた魔物は緑のカバだけだった。神獣を召喚する前に、敵が瓦解したのかもしれん」
緑のカバ――上界と下界で共通するグリガントの俗称である。
「その神獣は、どのようにして召喚されたのですか?」
兄弟の会話にアルヴァが口を挟んだ。
ちなみに、グラットは難しい話を意外と真面目に聞いている。ミスティンは話についていけないのか、キョロキョロと部屋の中を見回していた。
「分からん。召喚された瞬間を見たわけではないからな。気がつけば、敵陣から現れたバケモノが王都を蹂躙していた」
「ふむ……」
と、アルヴァは考え込んで。
「――ソロンの見解では、帝都で見たあの魔物と同種の存在なのですよね?」
「うん。姿は違ったけど、そっくりだったよ。あの赤黒い霧――瘴気って言ったほうがいいかな。それが障壁になってどんな攻撃も効かないんだ」
「待て、上界で神獣を見たのか!?」
サンドロスは驚きの目で、ソロンとアルヴァを見やった。
「そうなんだ。先に説明しておこうか」
ソロンは頷き、帝都での出来事を説明した。これについては、上界から来た三人も補足してくれた。
もっとも、アルヴァの立場については微妙にぼかしておいた。彼女の傷口を不用意に抉る必要はないだろう。
サンドロスは不審がってはいたが、追及してこなかった。