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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第三章 呪われし海
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王国軍の町

 五日の旅を経て、ソロンの視界に壁が見えてきた。

 テネドラの町を囲む外壁に違いない。

 帝都の外壁と比べれば貧相というしかないが、それでもタンダ村よりは立派な石垣があった。道の先に見える門が町の西門だろう。

 日暮れまでにはまだ余裕のある時間だった。これなら兄とも今日中に面会できるはずだ。


 戦時とあって、さすがに門の警備は物々しかった。それでも、こちらは西側であるため、敵の勢力とは面していない。

 王都と向き合う東門ならば、より一層の警備があるだろうと想像できた。

 先頭をゆくナイゼルの後に続いて、ソロン達も門の前に進んだ。


「ナイゼル殿、お疲れ様です!」


 衛兵が元気よく声を上げた。それからナイゼルのそばにいたソロンに気づいて、驚いた顔をした。


「――ソロニウス殿下、よくぞご無事で!」


 と、門はあっさりと開かれた。

 さらには、


「サンドロス殿下の元に連絡してきます!」


 と言うなり、衛兵の一人が駆けていった。事前に兄の元へ知らせてくれるようだ。

 ソロン達の一隊はぞろぞろと町中へ入っていった。


 まず目に入ったのは行き交う人の多さだ。

 兵士だけではなく老若男女(ろうにゃくなんにょ)の姿が見える。人間もいれば亜人もいる。いずれも普段通りの生活をしているようだった。


 町中には多数の建物が仮設されていた。

 粗末な木造建築ならまだよいほうで、木の骨組みを布で覆っただけの物が多かった。まるで遊牧民のテントを思わせる有様である。見るからに急造なのが分かった。

 しかし、それも多数の人がこの町に集まっている証拠だった。イドリスから逃げてきた者。ラグナイと戦うために集まった兵士。取引のために集まった商人。そしてそれらの家族……。

 元あった建物だけでは足りないからこそ、新しい建物が建造されているわけだ。


 つまり、テネドラの町は以前よりも活気を呈していた。その様を見れば、イドリス王国がいまだ健在なのは疑いようもなかった。

 そしてそれは兄サンドロスを――ひいてはイドリス王国という国家を支持する者の多さを象徴していた。


「ありがたい限りですよ。これだけの人々がサンドロス殿下の旗下に集まってくださったのです。坊っちゃんも駆けつけたとなれば、皆も喜ぶでしょう」


 ナイゼルが誇らしげに語れば、アルヴァも感嘆する。


「素晴らしいですわね。首都がなくとも、代わってこの町へ人が集い、柔軟に機能している。国家とは町である以前に人なのだ――という事実を実感させられます」

「うん。僕もこれだけ(にぎ)やかだとは思わなかったな。……地震がちょっと心配だけどね」


 もっとも急ごしらえの建物にまで、耐震性を要求するのは酷である。運悪く地震に襲われないことを祈ろう。


「なんですか、その地震というのは? 魔物ですか?」


 何気ないソロンの言葉に、アルヴァが食いついた。

 ソロンは何の冗談かと思い、アルヴァのほうを向いた。そしたら、彼女はこれ見よがしに首をかしげて見せた。

 グラットもミスティンも同じようにこちらを注視している。三人ともよく分からないらしかった。

 ……少し考えて思い至った。


「魔物じゃないよ。もしかして、上界には地震がないのかな?」


 なんせ雲の上に浮かんだ島である。下界の大地と同一の法則が働くとは、とても思えない。


「少なくともそういった言葉はありません。説明をお願いできますか?」

「えっと、いきなり地面が揺れるんだよ。ゴゴゴって……。それで酷い時は家が倒れたりするんだ」

「なに言ってるのか、さっぱり分からんが」

「うん、地面が揺れたら困る」


 グラットとミスティンが怪訝(けげん)な視線を向けてくる。

 そのまま答えたはずなのに全く伝わっていない……。


「いや、これは興味深い。住む環境が違えば、概念もまた変わってくるのですね。勉強になります」


 困るソロンを尻目に、ナイゼルが一人感心していた。


 どうにかこうにか、ソロンが地震について説明すれば。


「にわかには信じ難いので、自ら体験するしかありませんね」

「うん、地震が来ることを祈ろう」


 アルヴァとミスティンは縁起でもないまとめ方をしていた。


 *


 ソロンは気を取り直し、仲間を連れて進んでいく。

 やがて、ひときわ大きな建物が見えてきた。その前には王国軍の紋章たる白虎の軍旗が掲げられている。

 大きな建物――といっても、精々が石造りの小さな砦といった風情だ。帝国にある館のように立派なものではない。それがテネドラの町庁舎だった。

 町庁舎に気を取られていたソロンだったが、


「ソロン、無事だったのね!」


 突如、若い女が抱きついてきた。年齢は二十歳を少し超えたぐらい。長めの茶髪をふんわりとまとめている。


「ナウア! 君も無事でよかった!」


 ソロンは昔なじみの女性との再会を喜んだ。


「ナイゼルもご苦労さま。うまくいったみたいね」


 ナウアは後ろに連なる義勇兵達へと視線をやった。


「いえいえ、なんてことはありません」


 ナイゼルは得意気な顔で、謙虚に答える。


「おっ、ひょっとしてあれか! あれなのか!?」


 驚きの声を上げたのは、グラットだった。


「……まあその、ソロンだって仲の良い女性の一人くらいはいますよ」


 アルヴァは淡々と言った。努めて感情を出さないようにしているかの如く。


「私のことは遊びだったんだ……」


 ミスティンが無表情につぶやいた。……冗談なのか本気なのか分からないのが厄介だ。


「兄さんやスライは元気?」


 何やら誤解されている気がするが、とりあえずナウアと話を続ける。


「二人とも元気よ。あなたが上界に行ったと聞いて、本当に心配してたの。サンドロスを呼んでくるから、みんなで付いてきて」


 そう言いながら、ナウアは町庁舎へと走っていった。


「それじゃ、行こうか」


 と、ソロンが仲間達のほうへと振り向けば、


「今の美人はあれか? お前のアレか?」


 グラットがじっと顔を見て聞いてくる。


「ないない」


 ソロンは手を振り即答したが、


「本当か? そのわりには、えらい仲良さそうだったじゃねえか」


 なおも疑り深い目で見てくる。


「そりゃ、家族みたいなもんだからね。義理の姉ってヤツだよ」

「義理!?」


 ミスティンが空色の瞳を丸くした。


「そこは別に驚くところじゃないよね? そもそも、人妻だってば」

「人妻……。そう言われると、禁断の香りがしますね」

「ナイゼル、君まで悪乗りしないでくれるかな」


 ソロンとナイゼルは物心ついた時点で、家族ぐるみの付き合いがある。当然、この男は事情を全て知っていた。


「……ひょっとして、あなたのお兄様の奥方ですか?」


 さすがに見兼ねたのか、アルヴァが助け舟を出してくれた。


「正解」


 ソロンが肯定すれば、ミスティンとグラットががっかりしたような顔をする。


「な~んだ」

「つまんねえな」

「……そもそも面白がらないでよ。ほら、行くよ」


 ナウアに続いて、町庁舎の門をくぐっていく。

 五十を超える人数を引き連れているが、狭さは感じない。元々、基地としての役割を持っているため、大勢の入場も想定されているようだ。


 ナウアと入れ替わるように、男が駆け寄ってくる。

 ソロンによく似た赤毛の青年。しかし、ソロンよりもずっと背が高く、たくましい体つきをしている。


「戻ってきたか、ソロン!」


 ソロンがよく知る男――兄サンドロスだった。


「兄さん、ただいま!」


 サンドロスは満面の笑みを浮かべながら、ソロンを抱きしめた。……固い胸当てが当たって痛い。兄は軍の司令官として、すぐに戦いに出られる格好をしているらしい。

 ソロンはサンドロスから体を離して、


「――兄さん。母さんの居場所は分かった?」


 と、恐る恐る聞いた。


「いや……。ただ、逃げ遅れた人達は、今も城に囚われていると聞いている。恐らくはその中にいるだろう」

「そっか……。それでも、ナウアやスライが元気ってだけでもよかったよ」


 スライとはサンドロスとナウア夫妻の子供だ。もうじき一歳になる男の子で、正式名はスライアスという。


「しっかし、こんなに早く帰ってくるとはなあ……。俺はお前が帰ってこなくとも仕方がないと思っていた」


 サンドロスは複雑な表情でソロンの顔を見る。

 そして、その言葉でソロンは気づいた。

 兄は自分を信頼して、上界へ送ったのではない。安全な場所へ逃がすために送ったのだと。


「みんなを捨てて、自分だけ逃げるわけにはいかないよ」


 そう言いながら、ソロンは(かばん)から丁寧に包装された鏡を取り出した。

 伝承にあったイドリスの鏡であり、帝都では神鏡として崇められていたもの。……正確にはその破片(はへん)鏡縁(かがみぶち)をはめたものである。


「それが……イドリスの鏡なのか? 手に入れたんだな」


 サンドロスは目を見張り、慎重な手つきで鏡を手に取った。


「うん、帝国では神鏡って呼ばれてる。大本の鏡じゃなくて、その破片だけどね。それに彼女からの借り物だし」


 ソロンはアルヴァのほうへ視線をやった。


「私の所有物というわけではありませんが……。ただ他に使い道がある品ではないので、お渡しします」


 アルヴァは進み出るや、初対面のサンドロスに向けて言った。

 サンドロスはそこで驚いた顔をした。

 上界から来た三人の異質さが目に入ったのだろう。特にアルヴァは、下界人とは一線を画した雰囲気をまとっていた。


「もしかして上から来たのか?」


 驚きの声を上げながらも、サンドロスは挨拶を忘れなかった。


「――こいつの兄でサンドロスだ。ご協力感謝する」

「殿下……でよろしいでしょうか? アルヴァネッサ・イシュティールと申します」


 アルヴァはサウザードの姓を名乗らなかった。イシュティールとは、確かアルヴァの母方の姓だったはずだ。秘書官のマリエンヌが口にしていた記憶がある。

 そうして、彼女はスカートの(すそ)をつまんで(うやうや)しく挨拶を返した。目上にやるようなかしこまった方式である。

 それは帝国にあった頃の地位を、持ち出す気はないという表明にも見えた。


「ああ、殿下で構わんさ。王城を取り戻すまでは、戴冠する気もない。とても陛下なんて呼ばれる資格はないだろうしな」

「グラットです。まあよろしく頼んます」

「ミスティンです」


 グラットとミスティンも挨拶をした。

 一応、サンドロスに対しては敬語を使うらしい。アルヴァに対しても最初はそうだったので、妥当なところだろう。


「そうか、弟が世話になったみたいだな。歓迎しよう。……しかし、まあ随分大勢いるじゃないか」


 サンドロスは五十人ほどの勇士達を見て満足そうに笑った。


「――疲れているだろう。ナイゼル、皆を兵舎まで案内してもらえるか? 夕食は全員分を手配しておく」

「はい、かしこまりました」


 ナイゼルは一礼して承知した。それから、タンダ村から来た仲間達を兵舎のほうへと連れていった。


「へ~え、兄さん、どことなく様になってるね。なんか、父さんみたい」


 兄と別れたのは三ヶ月ほど前だっただろうか。少し見ないうちに威厳のようなものが顔つきに出ていた。

 兄は二十三歳の盛り。指導者としての立場が、彼を変えたのかもしれない。


「親父が亡くなってしまったからな。俺が代わりをやるしかなかろう」


 それから、サンドロスはソロンの顔をじっくり見て。


「――お前もしばらく見ないうちに顔つきが……あまり、変わってないな。相変わらずの童顔だ」

「……人間、三ヶ月かそこらで変わらないよ」

「それもそうか」

 と、サンドロスは苦笑して。

「――俺の部屋へ来てくれ。久々だしな、今の状況を説明しよう」


 兄にそう声をかけられたソロンは、仲間の三人に目をやった。


「私達もご一緒してよろしいですか?」


 視線があったアルヴァが尋ねてきた。

 ソロンは兄に向かって。


「友達と一緒でいいかな? この三人には特にお世話になったから」

「ふむ……」


 サンドロスは三人のほうに視線をやった。特にアルヴァのほうを注視していたような気がした。……まさか、この短時間で彼女を見そめたのでは――とちょっとばかり不安になる。

 いや、さすがに考えすぎか。

 兄はなんといっても妻子持ちなのだ。かつては手の早い男で何度か浮名も流したものだった。しかし、ナウアと婚約して以降は真面目にやっていたはずだ。

 サンドロスは頷いて。


「そうだな。信頼できる仲間がいるなら、一緒に話を聞いてもらおうか」

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