元紅玉帝の奮闘
翌日、アルヴァは張り切って隊の護衛をしていた。
かつては護衛をされる側であった自分が、護衛をする。妙な気分ではあるが、不満はない。
故国を追放され、色んな物を失った。そんな自分でも誰かのために貢献できるという感覚は嬉しかった。だから精一杯、できることをやろうと思っていたのだ。
油断なく側道に目をやって、魔物の気配を確かめる。特に森林のそばを通る時には、木陰からの襲撃に気をつけねばならない。
遠くに魔物の姿を見ることは何度もあった。その度に視線を定めて、近づく気配があるかを注視せねばならなかった。
もっとも、その全てが襲ってくるわけではない。
人に興味を持たない魔物。こちらの人数を見て逃げ出す魔物。そういった魔物がほとんどだ。
魔物とて、命を永らえて子孫を残す本能がある。むざむざ手強い相手に、怪我を覚悟で向かってくることは少なかった。
「お姫様、精が出るねえ」
そうやって仕事に励む彼女へと、声をかけてきたのはグラットだ。
槍を片手に彼も馬車の護衛をしていた。相変わらず緊張感がないのは、慣れた冒険者としての余裕がなせる業か。それとも元来の性格だろうか。
グラットは褒めるために声をかけたつもりらしいが、アルヴァは眉をひそめる。
「前から言おうと思っていたのですが、そのお姫様というのはなんですか?」
グラットは彼女よりも頭一つぶん背も高いが、臆せずねめつける。
「えっ、何かまずかったか?」
「はい。子供扱いされているようで、好きではありません」
お姫様というのは、彼女が皇帝となる前の呼称だ。つまり過去に遡った子供時代と結びつく。
「つっても、俺よりは子供だろ。まあ、あだ名みたいなもんだと思ってくれ。あんたを呼び捨てにするのは、どうもやりづらくてなあ……」
グラットは跳ね上げた茶髪をかきながら、困ったように目をそらす。
「ふむ……」
そう言われて、アルヴァは考え込んだ。
どうも、この男は自分に対して遠慮があるらしい。無闇に自分の感情を優先して拒絶するのは得策だろうか?
一般的に姫という呼称で若い娘に呼びかければ、まず侮辱には当たらない。貴族の令嬢ならば、大概は気をよくするだろう。
アルヴァが気を悪くしたのは、極めて例外的な事情あってのことだ。姫よりも上の立場にいた彼女だからこそ、その言葉が侮辱になりえた。
……が、この男は観察する限り、あまり教養があるようには見えない。
ゆえに、そんな複雑な事情を斟酌しろというのは酷だ。犬に帝国法の理解を求めるようなものではあるまいか。
対等な立場でと宣言した以上、ここは寛大な心を見せるべきではなかろうか。
……そこまで考えて面を上げたら、グラットが困ったようにこちらを見ていた。
「な、なんか知らんが悩みすぎだろ。……もういい分かった。俺が悪かった。そんなに嫌なんだったら、俺もやめるぜ」
「いえ、あだ名という観点ならば強くは拒絶できませんね。皇帝あるいは皇后といった地位についた女を姫と呼ばわるのは一種の侮辱です。しかしながら、今の私は無役……。対等にと言った手前、単なるあだ名にまで、目くじらを立てるのも大人げないというものです」
「……よく分からんが、とりあえずお姫様でいいんだよな。嫌だったら言ってくれよな。別にこだわってるわけじゃねえからよ」
「承知しました。あなたのお好きなように」
「お、おう。今後ともよろしく頼むぜ、お姫様」
それからもグラットは、アルヴァの近くで隊の護衛をしていた。さり気なくアルヴァを守ってくれているらしかった。
*
四時間の護衛が終わったので、アルヴァは幌馬車の中に入った。
人数が多いため一人一人の負担は軽い。適度に休憩ができるので、長旅もさほど苦にならなそうだ。
馬車の中にはミスティンがいた。弓矢の手入れをしていたようだが、こちらを見ると笑顔になった。
「お疲れ、アルヴァ。大変じゃなかった?」
ミスティンは人懐こい笑顔を向けてきた。相変わらず、ソロンやグラットと比較すると、かなりなれなれしい。
もっとも、アルヴァとて悪い気持ちはしない。裏表のない性格のミスティンとは話していても、気持ちのよいものだった。
「いえ、まだまだこれしきで音を上げたりはしませんよ」
そう言いながら、アルヴァはミスティンのすぐ隣に座った。
せっかくなので、前から興味があったことを聞いてみようと思った。
「前から聞いてみたかったのですが……。回復魔法というのは、私でも使えるのでしょうか?」
「んん? やってみる?」
ミスティンは柔らかい表情で、鞄から真珠のように白い石を取り出した。
どうやら回復の魔石――聖神石のようだ。他の魔石にも増して貴重な品のはずだが、至って気軽な調子だ。
アルヴァはそれを受け取って。
「試してみてもよいですか?」
「もちろん。まずは光らせてみるといいよ」
魔石から魔法を引き出すには、もちろん魔力を注ぎ込まねばならない。魔石と魔力の波長が合わされば、魔石が光り出す。それが魔法の第一歩だった。
もっとも、魔石ごとに必要な魔力の波長は異なる。一種類の魔石を使いこなせるからといって、別の魔石でも同じようにいくとは限らなかった。
アルヴァは聖神石に向かって、魔力を軽く込めた。まずはいつもの雷光石と同じようにやってみる。
……聖神石は反応しない。相変わらず真珠のような光沢を放っているが、魔法の光ではなかった。
「……光りませんね」
「光らないね。攻撃魔法の感覚でやっちゃダメだよ」
「そう言われても、それ以外の感覚は存じないものですから」
「もっとこう……。シュワーンって感じで」
ミスティンは手をゆるやかに振りながら、アルヴァに伝えようとした。
「シュワーン……ですか?」
もちろん意味が分からない。それで分かれば苦労しない。
「こうだよこう」
アルヴァの手に乗った聖神石に、ミスティンは指先で触れた。たちまち聖神石は淡い光を放ち出した。
「むう……。それだけ見れば簡単そうなのですけどね」
「うん、慣れればね。シュワーンだよ、シュワーン」
「……それでは分かりませんよ」
魔法の発動方法を他者に説明するのは、なかなか難しい。魔法とは、極めて個人的かつ微妙な感覚に基づくものなのだ。だがそれにしても『シュワーン』はないと思うが……。
どうも、ミスティンは感覚的――あるいは天才的に物事をこなす性格のようだ。この種の人間に助言を求めても、うまくいくかどうかは怪しいところだ。
アルヴァは正反対で、何事も理詰めで考える性格だ。一つ一つ理屈を積み重ねることで、上達していく。なので説明を求められたなら、何かとうまく答える自信もある。
他人からは天才と呼ばれることもあったが、そうでないのは自分が一番よく知っていた。人より長じて見えるのは、普段から時間を無駄にせず、努力しているからに過ぎない。
一時間ほど試してみたが、聖神石は光らなかった。空振りであっても魔力自体は発生させているため、精神は確実に疲弊していく。
今日はさすがにそこで断念した。
「アルヴァだったら、一週間もあれば、すり傷ぐらい治せるようになるんじゃないかな。ただし、攻撃魔法の感覚は持ち込んじゃだめだけど」
と、ミスティンは同じ注意を繰り返す。
「そうなのですか? 治癒魔法の習得には、何年も必要だと聞きましたが?」
「確かに簡単じゃないけど……。本当は何年もいらないと思う」
「と、言いますと?」
「一年目はひたすら精神修行。二年目は司祭のお世話係。魔石に触るのは三年目から」
ミスティンは指で数字を作りながら説明する。
「――修行するにも作法を守らないといけないから、余計に時間がかかる」
「なるほど……。よく言えば伝統的、悪く言えば旧態依然ということですね。話には聞いていましたが。なかなか難儀そうですね」
「そうでしょ。だから私は、お姉ちゃんに任せて家を出たんだ。もう本当に窮屈だったんだから」
ミスティンは感情豊かに、かつての苦労を語った。
「気持ちは察しますよ。なんといっても、窮屈な家にいたことなら私も負けない自信があります。幼少から毎日十時間の過程が、定められていましたからね。学校に通う同年代の子供達を幾度もうらやんだものです」
帝国には国営・公営の学校が数多くある。特に初等学校から中等学校までは、わずかな費用で通える仕組みだ。入学試験もないため、貴族・平民を問わず大抵は通うことができた。
もっとも、貴族の中でも上流に位置する者はその限りでない。
名家においては跡継ぎの教育が一族の命運を分かつ。より質の高い教育を求めて、私塾に通わせたり、家庭教師をつけることが多かった。
アルヴァも当然のように家庭教師による指導を受けていた。他の生徒と共に通うようになるのは、上等学校に当たる皇学院からであった。
「は~、十時間かあ。そっか、アルヴァは学校に通わなかったんだね。私は他の子たちと一緒に学校に通ってたよ」
ミスティンも、サウザード皇家には遠く及ばないが上流階級の一員である。アルヴァのそういった事情もすんなり察したようだ。
そんなふうに仲間と交流しながら、旅の日々は過ぎていった。戦に向かう旅路とはいえ、久々に平和な旅に思えた。