世界の果て
あくる日の早朝。
ナイゼルの呼びかけに応えて、多くの者が集まっていた。
全部で五十人はいるだろうか。この村の規模を考えれば相当な人数だ。人間と亜人の混成になっているが、これこそがイドリスの伝統である。
人だけではなく、荷馬車や幌馬車も用意されていた。
そこには旅に必要な物資だけでなく、イドリス軍を支援するための物資も積んである。
塩や魚の干物といった食料は保存食としても大いに利用価値があった。戦いに参加できなくとも、何らかの形で貢献してくれる者も多かったのだ。
「よくこれだけ集まったね。さすがはナイゼルだな」
ソロンは感嘆して、ナイゼルに声をかけた。
「なんの、私の力ではありません。坊っちゃん達の威光ですよ。先日の活躍が皆さんにも知れ渡ったようでしてね。宣伝に使わせてもらいました。お陰様で志願者も急増です」
「抜け目がないのですね」
アルヴァも感心するやら、呆れるやらの表情を作っていた。
「ああ、アルヴァさんも素晴らしい人気でしたよ」
ナイゼルは満面の笑みを浮かべた。
「人気……ですか?」
「美貌に似合わず、雷撃で緑のカバを瞬殺したとか。盗賊の親玉から可憐な少女を救ったとか。ついでに親玉の股間を蹴り潰したとか……。それはもう、坊っちゃんにも劣らぬ評判でした」
「……喜んでよいのか複雑ですが」
アルヴァは褒め殺しを受けて警戒していた。
周囲を見渡せば、彼女は集まった男達の視線を一身に集めている。相当な人気があるのは間違いないようだ。
……もっとも、ソロンから見ても無理もない。彼女は皇帝や皇女などという肩書などなくても、十分な魅力を持っていたのだから。
「さすがは坊っちゃんが上界から連れてきた方ですね。同じ魔道士として、また魔法を拝見させていただきたいものです」
「ええ……」
アルヴァは少し困ったように愛想笑いをしていた。
隊の人数が多いため、見送りに来た者の数もまた多かった。
アルヴァもまた、ゾゾロア夫妻やリサナといった者達と別れを惜しんでいた。彼女は短い逗留ながら、この村で確かな絆を築いたのだ。
そうして、一行はテネドラの町へと出発した。
*
下界の旅は常に緊張と隣り合わせである。
とはいえ、五十を超える集団ともなれば、下界の魔物とてそう簡単には襲ってもこれない。それほど厳しい旅にはならないだろう。
盗賊団のように、ザウラスト教団の手の者が妨害してくる可能性も捨て切れなかったが、その時はその時。これは戦闘に参加するための部隊なのだから、腹をくくって戦うまでだ。
ソロンにとってはつい先日、騎馬によって駆け抜けた道である。それを今回は歩いて進んでいく。
馬はあるにはあるが、今はもっぱら馬車を引くのに使われている。その中には荷物を積み込んでいるが、時には休憩にも使用できる。
体力のないナイゼルは、情けなくも早々と馬車に乗っていた。
東西を山に囲まれた道を、南へと歩き続ける。
楽な道とは言い難いが、それでも最近の旅と比較すれば落ち着いたものだった。なんせ下界に降りて以降、緊急かつ緊張にまみれた旅ばかりしていたのだから。
もちろん、今の旅だって決して気を抜けるものではない。これは王都を取り戻すため、戦いへ向かう旅なのだ。
「わあっ、今なんかニワトリが空飛んでたよ!」
「いや、ニワトリは空飛ばねえだろ……」
……それでも、どことなく緊張感に欠けていたのは、ミスティンやグラットのせいだろうか。立場上、二人は今ひとつ緊迫感を持てないらしかった。
「ふむ、あれはキジニワトリですね。キジかニワトリのいずれに分類すべきかは、専門家の間でも意見が分かれるところですが」
……まあ、当事者のはずのナイゼルも似たようなものだったので、単なる性格の問題かもしれない。
*
そうして五十人ばかりの一行は、日が暮れる前に宿場へとたどり着いた。
盗賊団に襲われた宿場であり、アルヴァ達がさらわれたあの宿場である。
今は住み込んでいた人々も村へと引き上げてしまい、宿場は無人となっていた。いずれは従業員を呼んで再建すべきだろうが、今はひとまず勝手に利用するしかない。
建物の一部は崩れていたが、まだ多くの部分が利用できた。水飲み場については何の問題もなかった。野宿よりもずっとマシなのは間違いなさそうだ。
夕飯は施設の食堂を利用した。
施設の従業員もいなければ、備えつけの食材もない。それでも、一隊の中で分担して料理をおこなうことで、悪くない食事を取ることができたのだった。
その後、ナイゼルが手を回して、四人部屋をあてがってくれた。
施設が無人なので、管理者用の部屋を借りたらしい。こういった田舎では珍しいことに、なんとベッドがあるそうだ。
「私も坊っちゃんと一緒がいいんですけどね……」
などとナイゼルがのたまっていたが、無視しておく。
部屋に入ってみると、アルヴァがどこか浮かない顔をしていた。
「やっぱり分けたほうがいいんじゃないかな? ミスティンと二人部屋にするか。部屋余ってるだろうし、個室でもいいと思うけど」
やはり男女相部屋は慣れていないのだろうか――と、ソロンは推測を働かせて尋ねてみる。
「いえ……。同じ部屋にしてくださいませんか?」
彼女は首を横に振った。
「――ここには良い思い出がありませんので」
「あっ……」
少し考えて思い至った。アルヴァはつい先日、ここに泊まっているところを襲撃されたのだ。不安に思う気持ちがあっても当然だ。
「――ん、分かった。僕達がついてるよ」
「はい」
少しだけ彼女は安心したような表情を見せてくれた。
* * *
夕食は終わったものの、就寝までは少し時間がある。ランプの明かりがある中で、四人は部屋の中で過ごしていた。
アルヴァはベッドの上で横になっていた。
眠りにつくには早いが、日中歩き続けた疲れは深い。アルヴァも既にそれなりの経験をしてきたが、他の三人ほどに旅慣れてはいないのだ。
「お前の兄ちゃんって、どんなヤツなんだ?」
「う~ん、どんなと言われてもなあ。僕より背は高いけど」
グラットとソロンが談笑していた。
「ソロンより強い?」
弓の手入れをしていたミスティンも、会話に加わる。
「うん、僕より強いと思うよ。大きな刀を振り回すんだよね。土魔法でこう、バサッと地面を斬り裂くんだ」
ソロンがあっさり肯定したので、少しばかり驚く。
ソロンより上とは相当な実力者だろう。そして彼の兄サンドロスは、同じく魔剣の使い手でもあるようだ。
ぼんやりと話を聞いているうちに、アルヴァも少しだけ気力が湧いてきた。
寝転がったまま、そばの鞄へ手を伸ばし、中を探って本を取り出した。昨日、下界の神話についてソロンから話を聞こうとしたが、結局は聞きそびれててしまったのだ。
体勢を変えてベッドの上に座り直し、本を開いた。
今日こそ、きちんと話を聞きたい。折を見て、彼に声をかけようと思ったが、
「この前は話が途切れちゃったね。聞きたいことがあったんだっけ」
ソロンは本を見るなり、自分から話しかけてくれた。
「はい」
と、返事をしてアルヴァは本の一節を示した。
「――かつて、世界は大海に覆われていた――とありますが、それほどまでに巨大な海が本当に存在したのでしょうか? 海が陸地よりも大きいだなんて、荒唐無稽もよいところですけれど」
それから、ベッドの左隣を手で示し、ソロンを招く。
ソロンはおずおずと少し離れた左隣へ座った。相変わらず彼はこちらへ遠慮があるようだ。それを察した上で、アルヴァはあえて距離を詰めながら本を差し出す。
ソロンは少し困ったような顔をしたが、それでも本を眺めて。
「う~ん。昔は今の呪海の位置に、大海があったって聞いたけど……。本当かどうかは……。でも呪海が実在するんだから、その前の状態があってもおかしくはないと思うけどね」
「結局、呪海ですか……」
アルヴァにはその概念自体が想像できない。赤い海のような見た目だとは聞いたものの、それだけでは漠然としている。
「――呪海というのは、陸地が尽きた先を覆っているのですよね」
「そうだね。ここから歩いて数週間もあれば、呪海までたどり着くかな」
「ではその呪海が、下界における『世界の果て』と考えてよいのでしょうか?」
「世界の果てかあ……。そう考えるしかないかな。実際、誰も呪海の向こうへ行ってないんだから」
「それだけでは、世界の果てとまでは断言できないのでは?」
「どういうこと?」
ソロンは緑の瞳を開いて、キョトンとした。相変わらずの可愛らしい表情で、見つめられると何だかこそばゆい。
「竜玉船もない時代――上界の人間にとって、世界の果てとは雲海そのものに他なりませんでした。なにせ、そこから先にゆく手段が何もないのです。ひとまず、そう考えるしかないのも自然でしょう」
「ああ、なるほど」
「ですが、竜玉船の誕生によって世界の果ては広がりました。上界の人間にとって、世界の果てとは雲海が尽きる所へと拡張されたわけです」
「……てことは、雲海にも果てがあるんだ?」
「そりゃ~あるぜ。カプリカから十日ほど東に行けば着くんじゃねえか。俺は見たことないけどよ」
今まで黙ってこちらを見守っていたグラットが口を挟んだ。カプリカいうのは、帝国東部に当たるカプリカ島のことだ。
「何があるの?」
「何が――ってお前、何もないから果てなんだろ」
「う~ん、それじゃあ分かんないよ」
と、ソロンは頭を悩ませる。
「グラットの言う通り、何もないそうですよ。帝国では過去に調査隊を派遣したこともあるのですが、雲海が途切れた後はただ空があるだけだったそうです」
上界の東側については、百年以上前にほとんどの調査が終わっていた。島の位置や雲海の果ては、おおむね把握された状態にある。
もっとも、それ以外の方角になればネブラシア帝国の統治も及ばない。何があるかはアルヴァにも分からなかった。
「そっか、何もないのか……。呪海にも向こうがあるのかなあ……」
ソロンが遠い目をして、つぶやいていた。
結局、そこで話は途切れてしまった。
この下界という世界がどういった存在なのか、今一つ掴めなかった。いや……そもそもアルヴァにしても、故郷たる上界のことすら本当の意味では理解できていないのだ。
いつの間にか眠っているミスティンに見習って、アルヴァも眠ることにした。まだ早いが旅の疲労もある。睡眠は多めに取っておくに限る。
この宿場には嫌な思い出がある。思い出といってもごく最近の出来事であって、嫌でも鮮明に脳裏へ浮かんでしまう。
ただ、不思議と今夜は不安を感じなかったし、わりあいすんなり眠れそうだ。仲間がいるという安心感があったからだろうか。
一人で眠れないというのも、幼子みたいで少々恥ずかしい気もするけれど……。