アルヴァ
アルヴァがした提案の意味が分からず、ソロンは困惑した。彼女はこちらに向き直って話を続けた。
「ですから――その陛下というのをいつまで続ける気ですか? 私はもう皇帝でも皇族でもありませんよ」
「じゃあ、元陛下?」
ミスティンが冗談なのか、本気なのか判別できないことを言う。
「少なくとも元陛下はよしてください。……両親や親しい友人は私をアルヴァと呼んでいました」
「陛下にもお友達がいたんですか?」
ミスティンが何気なく言ったが、それは直球すぎた。
「少なくとも、先のリサナは友人です。……ミスティン、無自覚に肺腑をえぐる発言はおやめなさい」
気を取り直して、アルヴァは話を続ける。
「――気遣いは無用です。私はもはや皇帝ではありません。皇籍すら剥奪されたため皇族でもありません。不要に目立たぬためにも、普段の口調で呼び捨てていただいて結構です」
「さすがにそれは、恐れ多いといいますか……」
突然の提案にソロンはとまどう。
「いいですか、ソロン。ここはあなたの国なのですよ。もはや、ただの娘でしかない私に畏まってどうするのですか? もっと、王族としての振る舞いを自覚すべきです」
「は、はあ……」
「あなたが過度にへりくだると、しいては王家の威信を落としかねません。あなた一人の体面の問題ではないのですよ。だから、せめて私とは対等に接してください」
生まれがそうさせるのか、アルヴァは国家の威信とやらに強くこだわりを持っているらしい。
ただソロンとしては、この元女帝に本能的に逆らえないものを感じてしまうのだが……。今だって説教を喰らっているのに、なぜだか腹も立たない。
「それじゃあよろしく。アルヴァ……でいいのかな」
ソロンは恐る恐る呼びかけた。彼女に対しては尊敬や憧れのような感情を持っている。対等な呼びかけにはかなり抵抗があった。
『さん』づけにするべきかどうかも悩んだが、勇気を持って呼び捨てにした。
すると、アルヴァは微笑みながら、ソロンの手をつかんで握手した。
「こちらこそよろしくお願いします。ソロン」
なんだか照れくさくて「ははぁ……どうも」と情けない声を出してしまった。
次にアルヴァはミスティンへと向き直った。
「アルヴァちゃんって呼んでいい?」
ミスティンはすかさず妙な提案をしたが、
「駄目です」
刹那で却下された。
心底、残念そうな顔をするミスティン。よほど呼んでみたかったのだろうか……。
「だったら、あんたもそんな丁寧に喋んなくていいぜ」
グラットは『あんた』とアルヴァに呼びかけた。いつもはソロン達を『お前』呼ばわりしているので、わずかながら配慮のつもりらしい。
「物心ついた頃から、この口調だったもので他の語り方を存じないのです。お気に召しませんか?」
「いや、そんなら別にいいけどよ」
「うん、アルヴァの好きでよいと思う。自然体が一番」
グラットとミスティンがそう言えば、
「了解です」
と、アルヴァが頷いた。
それから男女で部屋を分かれて、眠ることになった。
*
「よかったなあ、仲良くなれて。元とはいえ、皇帝陛下とタメ口きけるなんて名誉なこった」
宿の寝室で、グラットが話しかけてくる。
「すっごく抵抗あるけどね。本当にいいのかなあ、気に障ったりしなかったらいいけど……」
「気を使う必要はねえよ。お姫様だって色々思うことがあんのさ。地位とか名誉とか色々失っても、また歩き出そうとがんばってんだ。だからお前らとも、地位に関わらず仲良くしたいんだろうさ」
「なるほど……それもそうだね」
そもそも、彼女自身が似たようなことを言っていたのだ。深読みせず察するべきだったか。
「おうよ。だから、どっちかっつーと敬語で話すほうが空気読めてないな。まずはお友達から始めて、そこから上を目指すんだぜ」
「分かった、がんばるよ」
……微妙に言い方が引っかかったが気にしないでおく。友達のように会話しろというのはその通りだろう。
「んで、あのお姫様をどうする気なんだ? 上界に送り返すんだよな」
「……それも考えないとなあ」
全く考えていなかったわけではない。
ただ、今までは彼女の救出で頭がいっぱいだったのだ。それが叶った以上は、彼女の処遇を考えなくてはいけない。
「話を聞いた感じだと、お前はこれから忙しくなりそうだからな。俺とミスティンでお姫様を上に送ってもいいが……」
「そうだね。それでお願いするしかないかな……」
その方法だとカギを三人へ渡すことになる。そして、三人とは二度と会わないかもしれない。
だが、それもやむを得ないだろう。アルヴァ達は上界の人間で、ソロンは下界の人間なのだ。
「だがなあ……」
グラットは含みを持たせるような調子で言う。
「――それはお前だけが決めることじゃねえ。お姫様とよく話し合って決めるんだな」
「うん、分かった」
「おう、じゃあ俺は行ってくるわ。盗賊どもの監視を交代でやるんでな」
ソロンにとっては初耳である。
どうやら、グラットが他の男達と話していたらしい。戦いが終わっても、埋葬が終わっても、全員がゆるりと休める機会は来なかった。
「え、じゃあ僕も――」
「お前は今日、あれだけ仕事したんだからな。もう寝てろよ」
「いいのかなあ……」
「明日も護衛の仕事はあるからな。そっちでがんばってもらうから、遠慮すんな」
それでソロンも甘えさせてもらうことにした。
火葬で何度も魔法を使ったために、それなりに精神を消耗していたのだ。体と頭は正直なので、眠気には逆らわないに限る。
*
翌朝、日が昇って出発することになった。
ちなみに宿場の従業員達も、全員連れていくと決まっていた。どうするか尋ねたら、全員が迷いなく同行を希望したからだ。さすがに現在の状態で、宿場暮らしを続けるのは心細かったらしい。
ソロン達は北のタンダ村へ戻るわけだが、救出した中にはベラクの町から来た者達もいた。
そういった者達は、西のベラクへの帰還を希望した。それで各自の希望を確認して、隊を二つに分けたのだった。
西へ向かう者達と別れの言葉を交わし、ソロン達は北へと進み出す。
タンダ村には今日の夜にたどり着く予定だった。
ソロンも疲れが取れたので、外を歩いて隊を護衛していた。グラットやミスティンはもちろん、アルヴァも同様に歩くことにしたらしい。
「別に無理に歩かなくてもいいよ」
と、アルヴァに聞いてみた。話しかけるたびに、内心で敬語にならないように注意している。
「特別扱いはやめていただけますか? 元々は私が引き受けた仕事ですので」
そしたら、心外といった面持ちで返された。
「……そう言えば、最初から護衛として参加したんだっけ。またどうして、そんな危険な仕事を?」
「自分を活かせる仕事をやろうと思っただけです。力仕事では他の方々に敵いませんから。地位がなければ私はただの女で、唯一残ったのが魔法でした」
「だからって、わざわざ自分から危険を買わなくても。それを言えば、世の中の半分は普通の女性だよ」
「ふむ」
アルヴァは眉をひそめながら、こちらを見据えた。
「ええと、その……。上では君はいつも一番だったから。そうでないと落ち着かないのかもしれないけど。そんなにいつも無理しなくてもいいんじゃないかなって」
「……この私に説教ですか?」
当のアルヴァも、相変わらずの上から目線が抜けていない。
「うん」
ソロンはあえて受けて立つ。
「――がんばることも大事だけど、たまには休んでもいいと思うんだ」
アルヴァはこちらに視線を合わせたまま、じっと考えているようだった。
「……少し焦りがあったのは否定できません。見知らぬ土地でどうやって生きていけばよいのか、不安だったので」
そうして、アルヴァは正直な心中を吐露したのだった。
「案外、どうにかなるもんさ。上界へ昇った時は僕も一人だったけど、今はこの通りだし。でも、あの時はお金も使えなくて途方に暮れたなあ……。両替も拒否されちゃうし」
少しでも彼女を励ませないかと、ソロンは努めて明るい声を作った。
「ふふっ」
と、アルヴァは小さく笑う。
「――あなたも大変だったのですね。……その時のお話、聞かせていただいてよろしいですか?」
「もちろん! 交換と言ってはなんだけど、君の話も聞いていい? 嫌……かな?」
「構いませんよ。隠すことなど何もありませんから」
*
ダンゴムシことグソックの転がる峠を越えて……。
森と山のそばの道を通って……。
そうして、日が暮れようとする頃に、ようやく村の明かりが見えてきた。
盗賊と戦った場所から出発したのは昨日の朝だ。つまり、馬車で二日の行程だったわけである。
ソロンはそれだけの道のりを、馬と自分の足を混じえて、六時間程度で駆け抜けたのだ。
それからさらに、盗賊との死闘を繰り広げたわけだから、疲労の深さも当然というものだった。
イドリスは今もなお乱れており、ザウラスト教団の暗躍も気になる。村に戻ってからが、ソロンの本当の戦いなのかもしれない。
第二章『失われた世界』完結です。
ようやく後味良く章を終えることができました。
とはいえ、家に帰るまでがオデッセイ。ソロンの当初の目的を忘れてはいけません。
第三章『呪われし海』へと続きます。