帝都の街並み
現在、『帝都』と呼ばれるその都市は、過去にはネブラシアと呼ばれていた。ネブラシアとは、国と都市の名を同じくする都市国家だったのである。
やがて、ネブラシアが周辺の都市を支配下に置くようになると、その名は広大な領土を持った大国を指し示すようになっていく。
そして、その始まりの都市はいつしか『帝都』と呼ばれるようになった。
正式名称は今でもネブラシアなのだが、その名はもっぱら帝国そのものを指すために使われていた。
帝都に到着した翌朝。
「ソロン、さっそくだが仕事探さねえか?」
意外と真面目なグラットは、朝からそんなことを言い出した。夢を実現するため、冒険者として勤勉に働いているようだ。
「ごめん、今日は他にやりたいことがあって……」
グラットの誘いをソロンは断った。
皇帝イカの報酬があるため、今は資金にも余裕がある。この機を逃がすわけにはいかない。
「ん、何するんだ?」
「ねえ、調べ物したい時はどこに行けばいいのかな?」
質問へ答える代わりに、ソロンは質問を返した。
「調べ物って何をだ?」
「古い伝承について調べたいんだけど」
故郷の町を襲った災厄……。滅びゆくイドリスを救うには、『鏡』に関する情報が必要なのだ。そして、帝都において鏡といえば神鏡である。
あの神鏡がソロンの求める『鏡』なのかどうか、まずは確かめたかった。
「似合わねえ趣味だな」
グラットが余計な茶々を入れるが、
「私なら大図書館で調べるか、教会で聞いてみるかな」
その代わりに答えてくれたのはミスティンだった。
「大図書館……?」
故郷にはない言葉である。図書室のように、まるまる本の置いてある館ということだろうか。
「うん。タダで本を読んだり、借りたりできる」
「それって、僕でも使えるかな?」
いかにも期待できそうな情報だ。しかしながら、本のような貴重品を誰でも無料で読めるとは考えづらい。
「ああ、そう言われてみりゃまずいかもなあ。最低限の身分証明ぐらいは求められるだろうぜ」
「……その最低限の証明もないんだけど」
グラットの指摘に、ソロンはガクリと肩を落とした。
遺憾ながら、今のソロンは浮浪者同然の地位である。所属を持たないという点では、奴隷にすら劣るかもしれない。
「だよなあ……」
グラットは気の毒そうにソロンを見た。
そんな中、ミスティンは余裕の表情で。
「大丈夫だよ。大図書館がダメでも教会があるし。あそこも古い伝承をたくさん集めてるから」
「その教会は、僕でも行けるところなの?」
あまり期待せずにソロンは尋ねる。
「うん。富める者、貧しい者、卑しい者……。身分を問わず、神竜教会は誰にでも門戸を開いています――というのが建前だから大丈夫」
ミスティンは誰の声真似か、声の調子を変えながら保証した。言い方にどことなくトゲがあるが、それは気にしないでおく。
ちなみに神竜教会とは、こちらでは誰もが知る帝国の国教である。確かソロンの恩師も生まれながらに信仰していたはずだ。
「じゃあ、えっと……。その神竜教会で神父さんに会って、話を聞けばいいかな?」
ためらいながらソロンはミスティンを見た。
帝国人でもなく、ましてや信者でもないソロンにとって、教会は敷居の高い場所だったが……。
「お姉ちゃんは神父じゃないけどね」
ところが、ミスティンからは意外な返事が戻ってきた。
「お姉ちゃんって君の?」
「うん、神竜教会の司祭。出張中じゃないなら、帝都にいると思う。物知りだから、色々教えてくれるよ」
司祭というのは確か、それなりに高位の聖職者だ。その知識も申し分ないだろう。ミスティンの姉という点だけが若干の不安だが……。
「でも君、家出してたんじゃなかったっけ?」
「大丈夫。両親とはアレだけど、お姉ちゃんとは時々会ってるから」
「じゃあ、お願いできるかな」
「うん」と頷くミスティン。父母とは疎遠なようだが、姉妹仲は悪くなさそうだ。ありがたく頼らせてもらおう。
「姉ちゃんって美人か?」
と、そこでグラットが突如、あらぬ方向に話を飛ばす。
「うん。超美人だと思う。故郷レスレダの美人姉妹といえば、私達のこと」
ミスティンにとっては自慢の姉らしく、誇らしげに語る。さり気なく美人の範囲を自分にまで拡張したが、そこは触れないようにした。
「そうか、そりゃ楽しみだな」
なぜだか、グラットも付いてくる気らしい。
そうして、神竜教会に勤めるミスティンの姉――セレスティンと会うことになった。
彼女は普段、帝都にある大聖堂と呼ばれる施設に勤めているそうだ。
*
大聖堂は帝都の中央区に位置する。
そこへ向かうため、馬車四台が同時に通れるような大通りを三人でまっすぐに進んでいた。
帝都に到着した頃合には既に夕方だった。そのため、日中の街を歩くのはソロンにとって初めてである。
帝都の繁栄は並大抵でなく、他の町とは次元の違うものだった。
いまだ人の多さにソロンは慣れない。路上を歩いているだけで、様々なものが視覚・嗅覚・聴覚に飛び込んでくる。
雲海の魚、豚や牛、鶏や羊といった標準的な肉があれば、トカゲやクモを始めとした得体の知れない珍味もある。
色鮮やかな香辛料が、刺激的な匂いを伝えてくる。きらびやかな装飾品を娘達が手に取り眺めていた。
この都では何もかもが手に入る――そんな錯覚をしてしまいそうだった。
「あれって何。橋?」
ソロンは西の方角――街道の向こうに見えた建造物を指差した。遠く橋のような何かが、帝都の外壁を越えて市街へと入り込んでいたのだ。
ソロンの常識では、橋とは河川を越えるために造るものだ。高い建物同士をつなぐこともあるが、少なくともあれはそうと見えない。
「水道橋」
「水道……橋?」
ミスティンが一言で説明してくれたが、それで理解できれば苦労しない。
「セミューレ大河から水を引っ張ってくるんだよ」
「えっと、あの橋の上を水が流れてるってこと?」
「そう。じゃないと、水も飲めないし、お風呂にも入れないよ」
こくりとミスティンは頷き、何でもないように答えた。
ソロンの常識では水路は地面に造るものである。それに加えて、井戸などに雨水を蓄えることで、用水をまかなうのが一般的だった。
つくづく、帝国人の発想は故郷の常識では測れないようだ。
その内に中央公園へとたどり着いた。
中央公園は帝都で最大の公園であり、その中心には立派な時計塔がそびえている。
時計塔は正確に時刻を刻むために、内部は相当に複雑な構造になっているという。正午になれば鐘が鳴るそうだが、まだその時刻ではない。
そして公園の北、大通りの先に一際大きな建造物が目に入った。
「はぁ……。近くで見れば、本当に立派だなあ……」
大通りが行き着くのは、白いレンガで形作られた壮麗な城だった。その周囲は城壁と水堀で二重に囲まれている。
溜息が出るような大きな城。
中央の建物の頂上には神鏡が飾られている。今は日中であるため、まばゆい光を放つこともなく鎮座していた。
ソロンの故郷にも城はある。しかし今、目にしている城と比較すれば、故郷のそれは館と表現するのが精々だろう。
城の周囲は高い壁で囲まれているが、高く立派な姿を隠すには到底足らない。
巨大な正門の上には、皇帝家の紋章たる黄金竜が飾りつけられている。あの皇城こそが、この国を統べる権力と権威の象徴なのだ。
「あの城に皇帝陛下がいるんだよね。紅玉の陛下だっけ?」
「そう。紅玉帝アルヴァネッサ様、略してアルヴァ様」
「なんだか強そうな名前だね」
ソロンの適当な感想に、ミスティンは胡乱げな視線で返した。
「うん。でも、女性に対して、強そうという感想はどうかと思う」
「へっ……? 女の人だったんだ」
初めて聞く意外な情報に面食らってしまった。
紅玉とは宝石にちなんだ呼称である。それに基づけば、女性と予想できなくもなかった。
だが、君主とは男性が就くものという古典的な先入観が邪魔をしていたのだ。
「マジか……。知らなかったのかよ」
「だって、君達も言わなかったじゃないか。僕は先代の陛下しか知らないって説明したし」
「おいおい、紅玉の姫様といやあ、生まれた時から有名人だろ。紅玉の陛下って言えば、それだけで伝わると思うだろ!?」
どうやら、ここに至って決定的なボロが出たようだ。
ソロンは先帝の崩御を知らないと言ったが、崩御自体はわずか一年前の出来事である。そこまでは情報が遅いの一点張りでごまかせた。
だが実のところ、ソロンの情報遅れは一年どころではない。おおよそ二十数年の遅れだった。
「あはは……田舎で暮らす分には、中央の情報はなくても困らないからさ。その紅玉の陛下って方は、おいくつなのかな?」
ソロンはいっそ開き直って、質問することにした。
「私よりちょっとだけ若いよ。ソロンよりは歳上かな」
「ええっ!? いくらなんでも若すぎるでしょ……」
「…………」
驚くソロンに対して、ミスティンが無言で見つめてくる。
「な、なに?」
「さすがにソロンは世間知らずが過ぎると思う」
「ごめん……」
「別にいいけど。……分からなかったら何でも聞いて」
苦しげに謝るソロンにも、ミスティンは親切だった。
……それにしても、そんな年齢で女帝とは一体どんな人なんだろうか。
公園からネブラシア城を見上げて、ますます興味をつのらせるソロンだった。