元陛下の威光
馬車がゆっくりと減速していく。
「着いたみたいだぜ」
グラットが馬車の外を確認して言った。
日が暮れるには、まだ少し時間がある頃合い。一行の馬車は当面の目的地である宿場に到着したのだ。
「手伝いが必要なはずです。行きましょう」
馬車が停止するや、アルヴァは立ち上がった。
ソロンもならって立ち上がる。
宿場においても、激しい戦いが繰り広げられた。当然、その後始末が必要となる。必須なのは遺体の埋葬だろう。アルヴァが口にした『手伝い』という言葉にはその意味が含まれている。
馬車から降りて、皆で分担して死体の始末をすることになった。
護衛の遺体も盗賊の死体も、昨日の時点から手つかずである。今度こそ、ようやく遺体を埋葬できそうだ。
そして、嫌でも目に入るのが緑の巨大生物――グリガントの死骸。宿場の戦いから二日近くが経っているが、相変わらず異臭が酷い。
ミスティンが嫌そうに距離を取っている。大きな獣が好きな彼女も、こればかりは例外のようだ。
「結局、こいつは何だったんだ? 下界のカバか?」
グラットが鼻をつまみながらソロンを見た。
「グリガントって魔物だよ。緑の聖獣だってさ」
「聖獣? 俺には邪悪な何かにしか見えんが……」
「僕に言われても。あいつらが呼んでるんだからしょうがないよ」
「あいつら?」
グラットの疑問には、アルヴァが答えた。
「盗賊達は、ザウラスト教団からこの魔物をもらったと言っていました。魔石のような物を使って、それで魔物を召喚していたようです」
ラグナイ王国と共にイドリスを占拠するザウラスト教団。もちろん、ソロンにとっては敵となる組織だ。
「そうみたいですね。どうして、盗賊がザウラストと手を組んでいるのかは分かりませんけど」
「それ以前に、なぜ帝都にもこの魔物が現れたのでしょう? もしや、あなたならそれが分かるのでは?」
アルヴァは期待を込めた目でソロンを見つめてきた。彼女にとっては強い疑問だったのだろう。
「残念ながら、僕にもさっぱり。知ってるのは、こいつらが教団の飼っている魔物ってことぐらいで」
ソロンが肩をすくめれば、アルヴァも残念そうに息を吐いた。
「なんなんだ、その怪しげな連中は?」
話に付いていけなかったらしく、グラットが訝しげな声を上げる。
「話、聞いていい?」
続けてミスティンも尋ねてくる。
「もちろん。ザウラスト教団っていうのは、下界で勢力を伸ばしている厄介な宗教さ。呪海を崇める狂った連中だよ。イドリスを占拠しているラグナイ王国――それを内側から牛耳ってる」
「また、呪海が出るんだ……」
ミスティンが不審の声を上げた。呪海を見たことがない彼女らに言っても、あまり伝わらないのが歯がゆい。
「教団では呪海のことを『カオスの海』って呼んでるみたいだけどね」
「カオス……ですか。あの杖を収めていた箱にも、そのような言葉が書かれていましたが……」
アルヴァは考え込むが、答えは出ないようだった。
「あいつら、いったい何をたくらんでるんだ?」
「宿場を狙って得るものがあるとすれば、流通の破壊でしょうか……。盗賊の力を利用して、この国を撹乱するつもりだったのかもしれません。何にせよ、手段を選ばない相手のようですね」
テネドラの町はソロンの兄が抑えている。そのため、イドリス王国の西側には連中も容易に手を出せない。
元からいる盗賊団に力を貸すことで、テネドラの西方から国を乱す。それが教団の狙いだったと考えられる。
ソロンはグリガントの死骸に目を向けて。
「とにかく、これは放っておけませんね」
「ああ、臭くてたまらんぜ」
グリガントの死骸は、醜悪な見た目もさることながら異臭も酷い。放っておいたまま宿を使用したくはない。真っ先に焼却することにした。
数は三体のみ。
とはいえ、マンモスに匹敵するような巨体なので、焼却は簡単ではない。アルヴァと二人で炎の魔法を使い、どうにか灰へと変えた。
その間にも、他の者達が遺体の身元を確認していく。火を焚いて、確認できた遺体から火葬する流れとなる。盗賊の死体については後回しだ。
「この辺りは火葬なのですね。焼け残った部位は埋葬すればよいでしょうか?」
アルヴァが慎重に尋ねてくる。文化の違いを確かめながら、行動しているようだ。
「はい。ただ遺族のために遺骨を少しだけ持っていきますが」
「その辺りまでは帝都と同じですね。あちらでは遺灰を雲海に散布するわけですが……。帝国でも内陸部に行けば、土に埋める風習は珍しくありません」
遺灰を雲海に散布すれば、下界へ落ちるだけのような気がしないでもない。まあ、灰になっているのだから、気味悪がったりする必要もないけれど。
薪で起こした火だけでは、人体を焼くには心もとない。それなりの火力で焼かないと大きく骨が残ってしまう。
通常、火葬には大型の竈を用いるのだが、ここにそのような物はない。
……となれば、焼きつくすには魔法の力を借りるしかない。自然、ソロンとアルヴァも協力して遺体を焼却することになった。グリガント程ではないが、結構な難作業であった。
その後で盗賊の死体も焼却した。
火葬する義理はないのだが、やはり衛生上の意味で放置できない。焼け残った部位は村人とは違う場所に埋めた。
*
ようやく全ての作業が終わったので、宿の中に入った。もう日は落ちてしまったが、宿の中にはランプが灯されている。
「火葬というのは結構な重労働ですね……」
休憩所の椅子に座りながら、アルヴァがしみじみと漏らした。
「全くです。……なんというか、こんな作業までさせてしまって申し訳ありません」
その辛さは魔法のために精神力を消費するだけに留まらない。遺体や死体の様子を見ながら、その処置をしていく作業は気持ちの上でも重いものだった。
「火をつけるのは俺達にはできないからなあ……。お姫様には悪かったと思いますよ」
グラット達も穴を掘ったり、死体を運んだりといった作業をしていた。ただそちらの作業は他の誰でもできる。それほど負担は大きくなかった。
「お互いさまです。今の私は一介の護衛ですから、隊の一員として手助けしているに過ぎません」
アルヴァはあくまで気丈だった。
そこへ、少女がアルヴァの元に走り寄ってきた。盗賊に人質にされていた例の少女だ。
「アルヴァちゃん、お疲れさま!」
「調子はよさそうですね、リサナ。村まではあと一日かかりますが、大丈夫ですか?」
「うん、お陰様で。しばらくは村でお父さん、お母さんと暮らすことになりそう」
「よかったですね。私もそれがよいと思います」
アルヴァとリサナは親しげに話している。その様子を見ていると、なんだか笑みが浮かんでくる。
「ソロン様もありがと」
リサナはこちらを見て、頭を下げた。
「ああ、うん。でも僕じゃ君を助けられなかったよ。だからやっぱり、アルヴァ様のお陰でいいと思う」
実際にソロンは、リサナが傷つけられる覚悟で盗賊を斬るつもりだった。アルヴァが機転を利かせなければ、リサナは命を落としていたかもしれない。
そうならなくてよかった――と、本当に安堵しているが、とても自分の手柄だとは思えなかった。
が、リサナはそんなソロンの答えを適当に流して、違うことを気にしているようだ。
「アルヴァ様って……! やっぱり、アルヴァちゃんって凄く偉い人なんだ! どことなくソロン様よりも偉そうに見えるし」
リサナが興奮した面持ちで、とても素直な感想を口にした。
ソロンからすれば、わりと失礼なことを言われている気もする。……が、たぶん間違ってはいないので、腹を立てるわけにもいかない。
「ですから、それはもう昔の話で……」
アルヴァは困惑して口ごもる。
「そりゃあもう、僕なんかよりずっと偉いよ。イドリス城よりも何倍も大きなお城に住んでたからね」
とりあえず、ソロンもリサナに合わせてみた。
「なんたって皇帝だもん。上界では一番偉い」
ミスティンが自分のことのように胸を張った。
「本当なら、俺なんか口も聞けないぐらいだな。この前はにらまれただけで、ちびりそうになったぜ」
グラットが大袈裟に言った。
もっとも、ベスタ島の密林で失態を演じた時、彼は本気でビクついていた気がする。あながち冗談ではないかもしれない。
「そ、そうなんだ……そんなに偉いんだ……」
あまりにアルヴァの偉大さを強調したので、リサナが真面目に萎縮していた。
「――でも、そこまで偉いんだったら、あたしなんかが仲良くしてもいいのかな?」
アルヴァは溜息をついてから。
「ですから……昔の話ですよ。それに友人というものは、地位にとらわれるようなものではないと思います」
「うん……。そうだね、ありがとう!」
「分かっていただけましたか。……それから、もう子供は寝る時間ですよ。明日もずっと旅ですから、早めにお休みなさい」
「あたし、そこまで子供じゃないんだけどなあ……。じゃあ、アルヴァちゃんも早く休みなよ」
そう言いながら、リサナは去っていった。
「アルヴァちゃんだって」
「さすがだなあ」
ミスティンとグラットが楽しそうに笑い合う。
「人気があるんですね、陛下」
ソロンも釣られて笑った。
「別に、笑うようなことではないでしょう」
少し顔を赤くしながら、アルヴァがムッとした声を出した。しかし、それもどこか子供っぽい怒り方で、怖さはない。
変わらぬ声色でアルヴァが続ける。
「――大体が偉い偉くないというならば、今の私は無役です。あなたこそ、ここではそれ相応の地位があるでしょう」
「まあ一応は……」
そう言われながらも、思い切り気圧されている。ソロンのほうが地位が上とは、誰が見ても思うまい。
「イドリス王国の第二王子でしたね。いっそ、私もソロニウス殿下とお呼びしましょうか?」
「……ソロンでいいです。家族からも大抵そう呼ばれてますし。国と言っても帝国と比較すれば、地方領主みたいなもんですよ」
イドリスの領土自体はそれなりに大きい。しかし、帝国と比較すれば、人の住まない不毛の地を広く支配しているに過ぎない。
恐らく人口で見れば、イドリス全土を合わせても帝国の中堅都市一つといい勝負だろう。
「まあそうですね。正直に言えば、ソロニウスという名はあなたに似合いません。どうにも、愛嬌がありませんので」
アルヴァがミスティンのようなことを言う。
「うん、かわいいのは大事」
当然のようにミスティンも同意する。
「……ソロンでお願いします。陛下」
「承知しました。では、私もアルヴァで構いませんよ」
「はい?」
ソロンは素っ頓狂な声を上げた。