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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第二章 失われた世界
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世界を蝕むもの

「おう、やっとこさ起きたようだな」


 食事を終えた頃に、グラットが幌馬車(ほろばしゃ)に入ってきた。

 既にかなりの道を進んだため、追っ手を警戒する必要性が減ったらしい。それで様子を見にきたようだ。


「落し物。さっき見つけたよ」


 続いて顔を出したミスティンが、マントを差し出した。

 ソロンが走る邪魔にならないように捨てた物だ。宿場を出て、馬でそれなりの距離を走ってから捨てた覚えがある。まだ宿場までの道のりは長そうだ。


「ありがと。……宿場に着くにはまだかかりそうだね。せっかくだから、色々話をしようと思うんだけど。みんな聞きたいこともあるだろうし」

「うん、興味津々」


 ミスティンもグラットも話を聞くつもりらしく、馬車の中に座り込んだ。


「その前に……」

 三人そろったのを見て、アルヴァが切り出した。

「――改めてお礼を申し上げます。今の私の立場では何のお礼もできず、情けない限りですが……」

「いいですよ、お礼なんて」

 ソロンは手を振って恐縮する。

「――あなたが下界に追放されたと聞いて、いても立ってもいられなくなったんです。僕にしかできないことでしたから」

「まあ、あんだけ金貨をもらえば十分ですよ。前払いだと思っときます」


 グラットが賛同し、ミスティンも「うんうん」と頷く。


「そう言っていただけるなら……」

 と、言いながら、アルヴァはソロンを見た。

「――そう言えば、そもそもあなた方はどうやって下界へ降りたのでしょう?」

「陛下と同じですよ」


 ソロンは(かばん)から黒いカギを取り出した。

 アルヴァはそれ自体には驚きもせず。


「やはり、カギを持っていたのですね。帝国にもアルヴィオスの宝として、同様の物が伝わっています。それをどうして、あなたが持っているのでしょうか?」

「僕の場合は、師匠からもらったんです」


 彼女の秘書官――マリエンヌにしたのと同じ説明を繰り返す。


「師匠、先程も話に出ましたが……?」

「前も言ってたよな。師匠ってのは、お前に剣や魔法を仕込んだ人か?」


 アルヴァが疑問符を浮かべ、グラットが尋ねてくる。


「そうそう、シグトラ師匠。刀も魔法もとんでもない達人でね。厳しい人ではあったけど、お陰で随分と強くなれたよ」

「あなたの腕を見る限り、良い師に恵まれたのですね。その方は、どうされたのでしょう? やはり、王都の戦いで……」

「違います。それよりずっと前――数年前にイドリスを去っちゃったんです」

「それはまた、どうして?」

「どちらかというと、この国に長くいたのが異例だったみたいです。元から冒険者だったらしいから。それが父さんに気に入られて、数年ほど滞在してたんです。だけどある日、一人でふらっといなくなって……」

「まさか、一人旅の冒険者なのですか!? この下界で……」


 アルヴァは驚いた顔をした。

 まさしく彼女は否応なく強いられたことであったが、下界で一人旅をする冒険者だった。その厳しさを身を持って理解しているのだ。


「そう、あり得ないですよね。でも、とんでもない人なんです。あれだけ強ければ、一人旅ができるのも納得できますよ」

「そんなに凄いの?」


 ミスティンの問いに、ソロンは深く頷いた。


「兄さんと友達と、三対一でかかっても、コテンパンだった。刀も魔法も使いこなして、反則的に強かったよ」


 まさにシグトラは超人だった。友人に至っては『あの方、本当は魔物か何かではないでしょうか?』と疑っていたほどだ。


「信じられねえな。いったい何者だったんだ?」

「僕に聞かれても……結局、師匠のことはほとんど何も分からなかったな。種族も何の亜人だったのかもよく分からなかったし。ずっと北のほうの生まれとは聞いたんだけどさ」

「下界の旅人というわけですか……。いったいどこから来て、どこへ旅立ったのでしょうね」


 アルヴァが何気なく詩的につぶやいた。本当に、シグトラ師匠は今どこで何をしているのだろうか。

 ソロンはカギを鞄にしまいながら、ふと思い出す。


「カギで思い出したんですけど、もう一つ白状していいですか?」

「何でしょう? 白状も何も怒ったりはしませんので、よしなに」

「僕の名前です」

「ああ、ソロンは愛称であって、本当はソロニウスなのでしょう。それでしたら出会った時に聞いておりますが」


 グラットとミスティンも頷いた。そこまではこの場にいる全員の共有事項だが、もちろんそんな話をするわけではない。


「ソロニウス・サウザードです」

「はい?」


 アルヴァらしからぬ間の抜けた声が出た。

 サウザードとは、つい先日まで彼女が名乗っていた家名である。ソロンは事実を言っただけなのだが、アルヴァはその意図を飲み込めていないようだ。

 首をかしげながら、じっとソロンの目を覗き込む。そうすれば、ソロンの来歴を透視できるとでもいうかのように……。

 後ろめたいことは何もないが、反射的にソロンは目をそらす。

 アルヴァは閃いたらしく。


「……私と同じように追放された皇族がいて、それがあなたの御先祖様なのですね。違いますか?」

「確かにそれでも辻褄(つじつま)が合いますね。……実際はアルヴィオス・サウザードの子――レメディオスの子孫に当たります。少なくとも家系図上は」


 かつて下界を訪れ、イドリスから神鏡を持ち去った人物。そして、帝国の初代皇帝となった男がアルヴィオスだ。


「レメディオス……。そんな名前は聞いたこともありませんが……」

「当然です。アルヴィオスが下界の娘に生ませた子供ですから」


 それでアルヴァも合点がいったようだ。


「ああ、アルヴィオスがあなたの故郷を訪れたと。確かにそうおっしゃいましたね。上界と下界……それぞれにアルヴィオスは血筋を残したと」


 頷いて肯定を示す。


「へえ、お前も案外いいトコのボンボンだってわけか」


 グラットの表現は相変わらず俗っぽい。


「イドリスではアルヴィオスの血筋自体、そんなに珍しくないですけどね。比較的に繁栄している氏族ですから。一応はウチが本家ということになってます」


 それを聞いたアルヴァは。


「……そう考えれば、私達は遠い親戚というわけですか。では、あなたは私の弟のようなものですね」


 八百年前に(さかのぼ)れば、同じ祖先にたどり着く関係……。そんな条件でよければ、小さな村などは村人全員が親戚になるだろう。

 それどころか、実際はほとんど他人である。そんなことは承知の上だろうが、どことなくアルヴァは嬉しそうだった。


「ははあ……陛下がお姉さんですか」


 年齢は一年も違わないのに、向こうのほうが(はる)かに大人びている。

 アルヴァは頷きながらも、話を転じて。


「今は絶えて久しいですが、昔は上界と下界にも多少の行き来があったのですね」

「はい。このカギを持った者が、その役目を持っていたのだと思います。それがアルヴィオスだったのでしょう。なんで師匠が持っていたのかはともかく……」

「歴史書にあった通りですね。上界と下界で争いが起こり、界門で行き来することがなくなった。残った唯一の使い道が追放だったと」

「神竜教会によれば、下界は滅びゆく死の世界ですからね。流刑地(るけいち)扱いされるのも仕方ありません。まあ、あながち間違いとは言い切れないかもしれないけど……」

「死の世界? 確かに上界と比較すれば豊かとは言えませんが……。それでも、あなた方は生きているではありませんか」

「いえ、それは陛下が呪海(じゅかい)を見ていないからですよ」

「呪海って、神竜教会の?」


 ミスティンが口を挟んだ。呪海という言葉は以前、ミスティンから聞かされた神竜教会の伝承にも登場した。

 かつて、古い世界は滅びの危機に瀕していた。世界の大半が『呪海』に(おお)われ、海も陸も次々と飲み込まれていったのだ。――それが、神竜教会の伝承である。


「うん」


 と、ミスティンに頷いてから、またアルヴァに視線を戻す。


「――この世界は……呪海に(むしば)まれているんです。南からも……東からも……段々と呪海が迫ってきています」


 北と西がないのは、単純にイドリスから遠すぎて確認できていないだけだ。恐らくはどの方角も同じだろうとは予想がつく。


「こちらの本にも、呪海について書かれていました。しかし、どうもおっしゃる意味がつかめません」


 アルヴァの反応はにぶい。しかし、首を(かし)げながらも、こちらの説明を待っている。他の二人も同様の反応だ。


「確かに、上界の人には分かりにくいでしょうね。赤い海のような何か――それを呪海と呼んでいます。それが下界の外側にあって、大地を削りとっているんです。例えて言うなら、砂漠が森を削るように……。呪海が迫った土地には、生物はおろか草一本も生えなくなります」


 おおよそ上界人の理解を超えている現象である。上下界を行き来したソロンだからこそ、それが分かった。


「浸蝕――ということですか。具体的にはどれぐらいの速さなのでしょう?」


 水や風、あるいは砂といったものが何かを削り、やがては地形を変えてしまう現象を浸蝕と呼ぶ。呪海はまさに下界を浸蝕しているのだ。


「友人の見立てによれば、一年に半里といったところらしいです」

「半里……!」


 一里とは、おおよそ一時間に人が歩く距離だと思えばよい。半里とはその半分であり、大した距離ではない。

 しかし、それが毎年続くという状況は絶望的なのだ。

 一年に半里――ということは二百年で百里だ。

 東西南北から浸蝕があるとすれば、ちょうど上界の帝国本島がすっぽり飲み込まれる計算である。

 長い年月の中で、下界の大地が果てしない規模で飲み込まれたことは想像に難くない。


「だから、あと何百年かしたら下界は滅ぶかもしれません。ひょっとしたら、もっと早いかも。昔はもっとゆったりしていたらしいのですが、年々加速しているとか」

「う~ん、赤い海かあ」

「想像つかねえなあ……」

「同じくです。すみません。あまりにも途方がなくて……」


 ミスティン、グラット、アルヴァの三人が共に困惑の声を上げる。

 あと何百年で世界が滅ぶ――そんな与太話を信じられる者のほうが少ないだろう。


「あればかりは、実際に見てもらわないと伝わらないかも。……もっとも、見ないほうがよい気もします。あまり楽しいものではないので」

「それほどなのですか……。そう言われると見たいような、見たくないような……。とにかく気にはなりますね」


 そこで話が途切れた。ソロンとしても呪海については、それほど話したい内容ではなかったのだ。

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