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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第二章 失われた世界
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語らう二人

 ソロンはよろめきながら、馬車の中に座り込んだ。

 もう動けそうにない。


「今日はお疲れ様でした。聞いた限りでは、相当に走ったそうですね」


 そばに座ったアルヴァが、ソロンへ毛布をかけながらねぎらった。その声は女帝らしからぬ優しさに満ちあふれている。上界で最後に言葉を交わした時も、このような調子だった覚えがある。


「……なんてことないですよ、まあ鍛えてますから」


 ソロンは努めて平静に答えたが、その息は弱々しかった。


「強がる必要はありません。あなただって、こんなに走ったのは初めてでしょう?」

「いや、それが初めてじゃないんですよ。昔は師匠に、一度に三十里ほど走らされましたから」

「三十里……!? 冗談でしょう。徒歩なら三日はかける距離ですよ」


 アルヴァは驚きをあらわに、瞳を丸くする。そうして、間近からソロンの目を覗き込んだ。……予想外の近さに、ソロンは少し緊張してしまう。


「それがやればできるもんですよ。でも、二度とやりたくはないかな」


 と、ソロンは苦笑した。

 ちなみに同じ師匠についた友人は、わずか二里でヘトヘトになって倒れ込んでいた。いくら魔道士だからといっても貧弱過ぎである。


「……なるほど、随分と過酷な訓練を積んできたのですね。それがあなたの強さの秘訣ですか。今日も一人で何人の盗賊を(ほうむ)ったことでしょうね」


 称賛するアルヴァだったが、ソロンは深い溜息をついて、


「あんまり誇ることでもない気がします。……いっぱい殺してしまいましたし」


 自分の手を見つめながら、弱々しくつぶやいた。疲れが溜まっていて体が重い。気持ちも重かった。


「それは私もです」

 アルヴァは淡々と語り出した。

「――盗賊も相当な人数がいました。ひょっとしたら、アジトも小さな村ほどの規模はあったかもしれません。そこには妻子を残していたのやも……」


 生々しい想像にソロンの血の気が引ける。彼女はどうしてそんなことを平然と言えるのだろうか。


「……そうかもしれません。でも、あなたはそんなことまで考えて、戦ってるんですか?」

「戦いとはそんなものです。私は……盗賊だけではなく、比較にならない程に亜人を殺しましたけれど……。彼らにだって家族はあったのでしょう。村では亜人の夫妻の世話になったので、改めてそう思いました」

「ええ」

「それでも……。守るためには戦わねばならない時があります。少なくとも、盗賊達は人を殺め、略奪するという悪事を犯しました。それが生きるための行為だったとしても、そんな事情を認めては民を守れませんので」

「理屈としては納得してます。それでも、殺さずに無力化できればよかったんだけど……」


 殺さずに無力化――そう口にしては見たものの、非現実的な理想論でしかない。それはソロン自身が一番に痛感していた。

 戦いは競技ではなく殺し合いである。相手は手段を選ばず、死に物狂いで襲いかかってくる。それを安全に無力化するなど容易ではない。


「難しいことです。手足に傷を負わせれば、確実に無力化できますが……。場合によっては、殺すよりも残酷でしょうね」


 治療できる程度に加減できるならば、問題はない。しかし、後遺症を残さずうまくいくとは限らなかった。

 相手は盗賊のような荒くれ稼業の者達だ。力仕事ができなくなれば用済みだろう。それなら一思いに殺したほうがマシかもしれない。


「ええ……」

「……白状すれば、皇帝を罷免(ひめん)された時、安堵する気持ちもあったのです。もう誰かを殺したり、切り捨てたり、そんな責任を負わなくともよいのだ、と」

「やっぱり、陛下でもそうなんですか? いつも迷いがないように見えたから」

「迷いはします。それでも優先順位をつけて決断を下すのが、上に立つ者の責務ですから」

「そっか。みんな迷ってるんですね」

「ええ、多かれ少なかれ」


 アルヴァは深々と頷いて。


「――だから、難しいことは言いません。私は今日を生き延びることができました。だから、あなたにとても感謝しています。村の皆さんにしても気持ちは同じでしょう」

「…………」


 なんと言って返事をしたものか迷ったが、彼女の気遣いは伝わった。それで安心したせいだろうか。ソロンの視界がぼんやりしてきた。

 意識が朦朧(もうろう)とする……。強行軍の末の戦いに、体力・精神力ともに限界が来たのだ。いずれにせよ回復には睡眠が有用である。


「まだ夕食があるのですが……。無理なようですね。お休みなさい、ソロン」


 それからアルヴァは、優しい手つきでソロンの毛布を整えてくれた。


 *


 ソロンが目を覚ました頃には、辺りもすっかり明るくなっていた。

 横ではアルヴァが毛布をかぶって静かに眠っている。

 ゆっくりと伸びをしながら、ソロンは立ち上がった。


 馬車から外に顔を出せば、射し込んでくる日射しがまぶしい。

 景色からすると、昨日ソロンが必死に走っていた区間だろう。つまり、宿場にはまだ到着していない。

 既に日は高く昇っている。おおよそ十時かそこらだろうか。昨日は日没後に眠ったから、十四時間前後は熟睡していたことになる。


「よく眠れましたか?」


 声をかけられて振り向けば、アルヴァが顔を上げてこちらを向いている。バッタリと目があった。

 彼女は微笑みながら。


「――揺れが大きいので、あまり寝心地良いとは言えませんけれど……」

「よく眠れましたよ。……すみません。起こしちゃいましたか?」

「いいえ、あなたが起きるのを待っていました。お腹がすいているでしょう?」


 と言って、パンと水入りのコップを差し出してくる。

 そう言えば、昨日は夕食の前に力尽きてしまった。気づいたらかなりの空腹だったので、遠慮なくいただく。

 アルヴァはソロンが食事する様子を何気なく見つめながら、


「あなたのイドリスはこちらにあったのですね。道理で分からないはずです」


 と、話し出した。

 昨日のうちから話題にしてもよかった内容だ。しかし、ソロンの疲労を見て、あえて切り出さなかったのだろう。

 ソロンが口にパンを含みながら答えようとすると、彼女が手で制してきた。食事中に無理して話さなくともよい、という意味だろう。

 慌てずに咀嚼(そしゃく)してから。


「黙っていてすみませんでした」

「いいえ」

 と、アルヴァは首をゆったりと振りながら。

「――正直な話、上界にいた時点で聞いても、あなたの話を信じたかどうか……。黙っていたのは妥当だったと思います」

「そう言っていただけるなら、いいんですけど」

「まだありますよ。それでは足らないでしょう?」


 アルヴァが肉を差し出す。どうやら昨日の夕飯の残りらしい。実際、足らないのでありがたく受け取った。元女帝に給仕(きゅうじ)をしてもらえるとはなんとも贅沢だ。


「どうも。……何だか、手慣れてますね。最近まで皇帝をされていた方には見えませんよ」


 ソロンとしては、単純に彼女の心遣いをほめたつもりだった。しかし、下手をすれば皮肉にも聞こえる発言だったと遅れて気づいた。


「別に私も、生まれながらに皇帝候補だったわけではありませんよ。慣例だと、まず男子が優先と言ったでしょう?」


 アルヴァは苦笑しながらも、穏やかに言葉を返した。


「そうなんですか? もっとビシバシと帝王学のようなものを、子供の頃から教え込まれているのかなって」

「まさか。厳格な環境ではありましたが、上流階級の淑女達とそう変わらずに育ったつもりです。帝王学も学びはしましたが、それも権力者の妻としての(たしな)みです。皇女というのは、政略結婚の道具としては逸品ですから」


 自嘲(じちょう)するように、そんなことを語る。


「えっと、結局ご結婚はされなかったんですよね? ……ってすみません。何か失礼なことを聞いてるような……」


 話題に沿って話していただけのはずが、内容が際どい方向に進んでいく。別に詮索したいわけではないのだが……。


「いえ、別にどうということはありません。縁談もあったのですが、戴冠(たいかん)を理由に断ってしまいました。皇帝が夫を持っても法的な問題はありませんが、色々と支障ありますからね」


 色々と――ってなんだろう? と思っていたらアルヴァは続けて。


「――夫の一族を否が応でも贔屓(ひいき)してしまうため、公平性に問題がある。子を宿せば、長期間執務ができなくなる。そうすると、さらにはその夫が実質的に権力を握ってしまう。……とまあ、そんなところです」


 と、そんなことまで機嫌よく話してくれた。

 ソロンは質問攻めにされる覚悟だったのだが、彼女自身もいやに饒舌(じょうぜつ)だ。一人下界に放逐(ほうちく)された寂しさもあったのかもしれない。


「なるほど」


 こうなったら、しばらく聞き役に徹しようと覚悟する。


「幸いというか何というか、そんな悩みも雲散霧消(うんさんむしょう)してしまいましたけれど」


 皇帝を罷免(ひめん)されたがため、皮肉にも地位に伴う悩みから解放されたという意味だろう。それが、彼女にとって幸せだったかは定かではない。


「新しい皇帝陛下は従兄弟(いとこ)なのでしたっけ?」

「はい。エヴァート兄様ですね。私と違って、きちんとした帝王学を学ばれた方です。まあ、そのわりに少々弱腰なところもありますが、悪い方ではありませんよ」

「な……なかなか手厳しいですね」


 皇帝となった従兄に対して、さすがの上から目線である。これが前皇帝の余裕だろうか。ただ、アルヴァの表情からして新皇帝を嫌ってはいないらしい。

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