自らの足で
手綱をしごき、八人は馬を走らせた。
南の宿場に向けて道なりに進めばよいため、迷うことはない。道の質はよくないが、それも最初から分かっていたことだ。
途中、襲ってくる魔物はほとんどいなかった。こちらは武装した八人。それに馬のような大型の獣は、魔物だって警戒せざるを得ない。
こちらに気づく魔物はいても、そうそう襲ってくることはなかった。それにこれだけ急いでいれば、追いつかれることもまずなかった。
たまに進路をふさぐ魔物がいたが、ソロンの魔法とミスティンの矢で対処した。
ミスティンは騎乗したままでも、矢を外さなかった。相変わらず、彼女は難しいことを平然とやってのける。
時々、馬の調子を見ては速度を落とすようにした。急ぐ気持ちはあるが先は長い。こんなところで、馬を潰しては目も当てられなかった。
やがて、長くゆるやかな斜面に入った。
「グソックに気をつけてください!」
仲間の騎手が叫んだ。
グソックは山地に生息するダンゴムシに似た魔物だ。坂の上から転がりながら、獲物に襲いかかる厄介な相手である。
もっとも、ソロンだって下界の魔物には精通している。
遠目に、坂上から転がり落ちるグソックを発見。速攻で火球を放ち、衝撃で吹き飛ばした。
グソックは山道を外れ、あらぬ方向に落ちていった。
生死は不明だが、こちらも忙しい。魔物の一匹がどうなろうと知ったことではない。
騎馬の機動力なら、回避も十分に可能ではある。
しかし、仲間の一人でも巻き込まれてはたまらない。着実に仕留めるようにした。
登りで発見したのは、その一匹だけだ。死骸なら二体を見つけたが、件の交易隊が始末したものだろうか……。
ともかく、一行は無事に頂きまで到達した。
しかし、厄介なのは下りだ。騎乗しながら、後ろを警戒するのは骨が折れる。下りにかかる前に、馬を少し休ませた。
それから、下りを利用して一気に駆け下りた。耳を澄ませながら時折、背後を振り返って確認する。
グソックの転がる速度は馬をも上回る。それでも後ろから転がってくるなら、相対的な速度は遅くなる。対処する間もなく忍び寄られた――なんて事態にはならないはずだ。
幸い、魔物が後ろから迫ってくることはなかった。一行は無事に山道を抜けられたのだ。
ここまで来れば、宿場はもう少しである。
だが懸念はあった。馬の疲労が濃く、無視できなかったのだ。その速度は徐々に落ちている。
それでも、どうにか宿場が見えてきた。
合計しても三時間足らずといったところだろうか。この宿場は、タンダ村から徒歩で一日を目安に造られている。かなりの強行軍であった。
*
宿場に近づいて、まず目に入ったのが死体の数々だ。
宿場を囲む石垣の前にあるのは盗賊の死体だろう。恐らく十を超える人数が死んでいる。
そして、異様な存在感を放っているのが――
「うわっ……」
ミスティンが鼻をつまんで、顔をしかめた。
そこにあったのは緑の巨獣の死骸だ。小型のマンモスのような巨体に虫がたかり始めている。異臭を放っており気持ちが悪い。
「……グリガントだ」
ソロンはこの魔物を知っていた。グリガント――ザウラスト教団が使役し、緑の聖獣と呼ぶ魔物の一種だ。
それは盗賊の背後に、教団がいる可能性を示唆していた。思っていた以上に厄介な事態かもしれない。
「あん? こいつって帝都で死んでたヤツだよな。こっちの魔物だったのか?」
グラットが怪訝な声で問うてくる。
「ああそっか、ごめん、話してなかったね。こいつがイドリスの王都を襲った魔物だよ。なんで帝都に現れたかは僕も分からない」
「なんか複雑な事情がありそうだね。終わったら、後で聞いていい?」
ミスティンはこの場で追及はせず、後回しにする配慮を見せた。
「うん、盗賊はこの魔物を使ってくるかもしれない。そこだけは気をつけて」
ソロンは簡潔に注意をうながすに留めた。
そうして、破壊された門の内側に、騎乗したまま入っていく。
もう一体のグリガントの死骸。さらには盗賊と護衛、双方の死体が置き去りにされていた。
「くそっ、やられちまったか……」
知り合いの遺体を見つけたらしい騎兵の一人が声を上げた。
宿場の敷地は狭い。ソロンも見て回ったが、女の遺体は見つからなかったので安堵した。……もっともそれは、彼女が盗賊に連れ去られた可能性を示唆していたが。
「二十分ほど休憩にしよう」
休憩を指示して、その間に施設の様子を見ることにした。
騎馬隊の者達も、知り合いの遺体がないかどうかを確認したいはずだ。残念ながら埋葬する暇はない。それは事が終わった後で行うしかないだろう。
そして人間のためという以上に、馬のための休憩が必要だった。
馬たちは必死で池に鼻を突っ込み、水を飲もうとしていた。それを見れば、馬の言葉は分からぬソロンにも、深い疲労が察せられた。
本来、宿場には緊急時のために、代わりの馬も用意されているはずだった。しかし、その姿は見当たらない。盗賊も馬を見逃すはずはなく、連れ去られたのだろう。
外から建物を見る限り、人の気配はない。宿は大きな衝撃を受けたようで、崩れかけている。
それでも中に入って声をかけたら、恐る恐る姿を現す者が三人いた。隠れて逃げ延びた者と、倒れてはいたが一命を取り留めた者がいたらしい。
村や町を目指すにも危険が多く、途方に暮れていたようだ。他にも怪我人が部屋のベッドに寝かされているという。
「ほとんどの人達は、盗賊に連れ去られていきました」
証言の内容は、タンダの村に逃げ延びた男と変わりないようだ。盗賊が去っていった方向ぐらいは分かるようだが、それは車輪の跡を見れば事足りる。
休憩は終わったので、一行の様子を確認した。グラットもミスティンもまだ余裕がある。他の五人も元気が残っているし、士気もみなぎっている。
「馬の状態はどうかな?」
ソロンが一番に懸念していたのは馬の様子だ。
「まだ元気な子もいるけど、疲れてる子もいる。厳しいかも」
動物に詳しそうなミスティンが説明してくれた。もっとも、彼女でなくとも馬の疲労は見て取れた。これ以上、一時間、二時間と急がせるのは厳しそうだ。
馬の体力だって、人間と同じで均一ではない。このまま強行軍を続ければ、隊列にも乱れが起こるかもしれない。
それでも、今は一刻を争う事態である。馬の疲労を押してでも、出発するしかなかった。
八人は再び馬へとまたがった。日没まではまだ時間がある。
*
宿場から車輪の後を追って馬を走らせる。
盗賊団の馬車が残した跡は明晰だった。それを見れば、盗賊団の規模の大きさを否が応でも察せられる。東の方角に向かっているのは疑いようもなかった。
交易隊は元々、ここから西側にあるベラクの町を目指していたという。
しかし、盗賊の行き先は東。
そちらにあるのはテネドラの町だ。兄サンドロスが拠点としている町である。
そこに至るまでのどこか――例えば山間部を拠点としているのだろうか?
気持ちは焦るが、今までよりも少しばかり速度は抑えた。追跡に必要なのは瞬発力だけではない。持続力だって大切なのだ。
数十分ほど進んだところに野営の跡を発見した。
焚火の跡に、散らかした食べ物の跡。骨や肉の切れ端が乱雑に捨てられている。何十人という人数だけあって、特に注意をしていなくとも目に止まった。
「あるな」
「あるね」
グラットと簡単に言葉をかわす。
特段、馬を降りて調べたりはしない。目的は盗賊団に追いつくことだ。時間は無駄にできない。
宿場を発って、おおよそ一時間が過ぎた。
予想したことだが、馬の速度が目に見えて落ちていく。馬の疲労にも個体差があるため、隊を維持したまま進むのも難しくなってくる。さすがに、これ以上の強行軍には耐えられないかもしれない。
盗賊が使う馬車の跡は、だんだんと濃くなっている。それを見る限り、かなり近づいているようだ。
あと少し……あと少しのはずなのだ。ここで追跡する速度を落とすのは大きな痛手だ。
「だったら……!」
ソロンは思い切って馬から飛び降りた。
馬が全力で走れば、まず人間は追いつけない。だがそれも短距離の話であって、馬の持久力にも限りがあるのだ。長距離になれば、馬の速さは鍛え抜かれた人間が走る速さと大差はない。
ここから先は、自分の足で走ったほうが結果的に速い。そう判断したのだ。
「ごめん、先に行くよ!」
「さすがに無茶じゃねえか!?」
グラットが怒鳴りながらも。
「――俺達も後で行くが、無理するなよ。連中の動きを止められるか?」
「分からない。でも、やってみるよ!」
グラットの言う通りだ。単身で挑むよりも、まずは盗賊団の動きを止めるほうが現実的だろう。
「火を上げて欲しいな。目印があれば、私達も走ってくる」
ミスティンも提案してくれた。ぼんやりしているようで、彼女も色々と考えている。頼りになる仲間だった。
「了解、行ってきます!」
ソロンは頷くや、身を軽くするためにマントを捨てた。そうして、二本の足で走り出したのだった。
* * *
残されたのは、グラットとミスティンに五人の騎馬隊。さらには一頭の空馬。
「前にもこんなのがあったなあ……。ミスティン、俺達はまだ走らないでいいんだな?」
どことなく既視感のある状況である。帝都においても、ソロンだけが先行して走っていったことがあった。
「やめとく。無理して走っても、バテたらおしまい。もう少し近づいてからにしよう」
ミスティンが言った通り、途中で疲れ果てればそこまでなのだ。
馬を捨てた結果、却って移動が遅くなるだけである。そこを魔物に襲われでもすれば、生き残れる保証はない。
この段階で走るという決断は、足に自信があるソロンだからこそできたのだろう。蛮勇という気もしなくもないが……。
「そりゃそうだな。……お前、何も考えてないようで意外と冷静だよな」
少し遅くはなるが、しばらくは着実に馬で七人そろって進む。それが彼女らの判断だった。
グラットは騎手がいなくなった馬を見て。
「こいつはどうする?」
「ん~、置いていくのも仕方ないけど……」
こんな場所に放置したら、魔物の餌食になりかねない。それでも、事態の緊急度を思えばやむを得なかったが……。
ミスティンはいったん馬を降りて、空馬へ近づいた。そのたてがみをなでて、
「付いてきてくれる? それとも待ってる?」
それだけ言ってから、自分の馬へ飛び乗った。
馬に言葉が通じるかどうかは分からない。しかしながら、空馬もきちんと後を追ってきた。
疲労は濃いようだが、騎手という重荷がなくなり余裕ができたのだろうか。家畜として飼い慣らされているだけあって、勝手に逃げ出したりはしないらしかった。