盗賊追跡
「おお、これはソロニウス様、ご無事で何よりじゃ。お待ちしておったよ」
昨日のうちに村長も、ソロンの到着を耳に留めていたらしい。
アルヴァから話を聞いていたそうで、ソロンが今まで上界にいたことも知っているようだ。
「村長さん、王都の状況を聞きたいんですけど……」
さっそく、ソロンは故郷イドリスについて尋ねる。
「何でも聞いてくだされ。……と言うても、さほどのことを知っているわけじゃあないがの。国王陛下は既に亡く、お妃様も捕らわれたままじゃ」
それはソロンが下界を発った時点で既知の情報である。思うところはあるが、口を挟む必要性までは感じない。
「兄はどうなったか、分かりませんか?」
「うむ。サンドロス様も当初は行方知れずじゃったがな。すぐに姿を現して、王国軍を結集しているようじゃ」
「無事なんですね! しかし、結集とはどこに?」
朗報を耳にして、ソロンは身を乗り出すように問う。
「テネドラを拠点に、王国各地からラグナイに対抗する勢力を結集しているようじゃよ。王都の解放を目指してな。兄君はまだ諦めておらんのう」
「テネドラを抑えているんですね! さすがは兄さんだなあ」
テネドラの町はここから南東へ五日ほど歩いた所にある。イドリス王国の東西を分かつ要衝となっており、王都イドリスからタンダ村へ至るにも通過する必要がある。
つまり、テネドラを落とさなければ、イドリスの西部を侵略するのは難しい。西部にあるこの村が比較的落ち着いているのは、兄がテネドラで踏ん張っているからだろう。
たくましい兄の姿を思い出す。
ソロンを上界へ送り出して以降も、兄はイドリスの奪取を諦めていなかったのだ。
「兄さんがいるんだね。初耳」
ミスティンが軽く驚いた声を出す。
「うん、まあね」
それは軽く流して、村長との話を続ける。
「――たぶん、兄は僕を待っていると思うんです。連絡を取れませんか?」
兄が待っているのは『鏡』だ。そして今、それはソロンの手中にある。
だからこそ、兄に鏡を届けねばならない。ソロン自身はアルヴァのことで身動きがとれないため、誰かに託せればよいのだが……。
「うむ。しばらくすれば、この村にも使いがやって来ると思うぞ。兵員や食料を集めているようじゃからな」
「結局、今は待つしかないってことか」
グラットのつぶやきに、ソロンは頷く。
「そうだね。兄さんに会いたい気持ちはあるけど……。下手に動くより、待ったほうがいい気もするし」
「了解。そっちのことはよく分かんないけど、私としては陛下を待ちたいな」
ミスティンは明け透けに言ったが、ソロンもその気持ちは理解できた。ひょっとしたら、ソロンも兄以上にアルヴァが心配だったのかもしれない。
兄にはきっと共に戦う仲間がいる。
しかし、彼女は一人寂しく下界に降りなくてはならなかった。だから、とにかく彼女の無事を確かめたい。それゆえ、この村で待っていようと決めた。
そうして、しばらくは宿に滞在することにした。
金貨一枚で何日も泊まれるような安宿である。代金の心配はない。金払いの良い客と見て取ったのか、店主も愛想がよかった。
*
その日、三人で村をぶらついてから、まだ日が高いうちに宿へ戻った。
やるべきことはたくさん控えているはずなのだ。
……にも関わらず、待つしかできない状況は辛いものがある。仕方なく仲間二人の希望にそって、観光と決め込んでいたわけだ。
そんな時に、ある男が村に駆け込んできた。
力尽きて倒れた男は怪我もしていた。そのまま宿の一室へと運ばれて手当がなされた。
たちまちそれは、宿泊していたソロン達の知るところとなった。
聞けば男は昨日、交易隊の一員として出発した一人だという。アルヴァも参加したという例の交易隊だ。
それが、昨夜に泊まった宿場が盗賊に襲撃を受けたという。そして男は逃げ延びてきたのだと……。
嫌な予感がした。
三人は男が運ばれた部屋へと急いだ。……といっても、すぐ向かいの部屋だったのだが。
床に寝かされた男は気を失わんばかりの様相だった。それでも彼は自らの使命を理解していた。気力を振り絞って、自分が知る限りを話したのだ。
盗賊は集団で宿場に襲いかかった。
それでも、宿場には元の護衛兵に加えて、交易隊の護衛もいた。加えて、頑強な石垣と門に守られていた。
戦力的には決して不利ではなく、盗賊を退けられるはずだった。
しかし、盗賊は緑色の奇妙な巨獣をけしかけた。その強大な力の前に門は破壊され、護衛達は蹴散らされた。
雷を操る女の魔道士が一人奮戦し、二体を倒した。しかし、その彼女も矢を受けて倒れた。
盗賊は馬車を使って、略奪した物を積み込んだ。宿に備えられていた物はもちろん、交易隊が運搬していた物は荷馬車もろともに。
さらには、生き残った者達を連れ去っていった。奴隷として使うつもりか、はたまたどこかで売り払うのか……。
盗賊との戦いで怪我を負った男は、その場に倒れていた。
盗賊には死体と思われたのか、気づかれずに放置されていたらしい。そのせいで、一連の出来事を見届けることができた。
そして、気力を振り絞って立ち上がった男は、深夜から大急ぎで帰ってきたのだ。
逃げたと非難するのは簡単である。しかし、男は魔物がいる道中を怪我を抱えて進んできたのだ。むしろ、勇敢な行為と言うべきだろう。
宿場は南へおおよそ一日進んだところにある。
一日といっても、通常は休憩を取る上に夜間は歩かない。実際は十時間も歩けばたどり着けるだろう。
ただ男は怪我をしていた上に、道中で魔物の襲撃を受けた。結果的には、それなりの時間が経ってしまった。
そう説明した男は、重ねて村の皆に助けを求めたのだった。
*
ソロンはあまりの事態にめまいがした。
「なんてこった……!」
「…………」
グラットも困惑していた。ミスティンは衝撃で言葉もないようだ。
雷を操る女の魔道士――間違いなくアルヴァだ。
矢を受けたと男が言っていたが……。魔道士として奮戦した彼女を、盗賊が見逃すとは思えない。無事なのだろうか?
「ううむ……。難儀じゃな」
タンダ村の村長がうめいた。事態を重く見た村長も、宿へ話を聞きに来ていたのだ。
「盗賊団のアジトはどこか分かりませんか?」
ソロンは混乱しそうになる精神を抑え、村長に尋ねた。
「盗賊団の被害は、宿場から東の山道で多く報告されておる。恐らく、アジトもそこいらにあるはずじゃが……。あくまでも推測じゃよ。よくは分かっとらん」
アジトを目指そうにも、場所が分からないのでは難しそうだ。
「……いや、それよりも」
今なら、宿場を襲撃した盗賊を追ったほうが現実的だ。
相手はかなりの集団と聞いている。跡を残さずに去っていくのは不可能に近い。今なら足跡をたどれるかもしれなかった。
「――部隊を編成して、すぐに送り出しましょう。一時間で用意できますか?」
「難しいのう……。こちらとしても、それなりの戦力を用意せねばならんからな。二時間か三時間か、その程度は欲しい」
「それじゃあ、遅すぎますよ!」
ソロンが怒鳴りつけんばかりに叫んだ。
グラットが無言で肩をつかんできた。落ち着けということだろうか……。
夜襲だったとはいえ、宿場には多くの護衛がいた。それでも、防衛はできなかったのだ。
それ相応の戦力を用意せねば、返り討ちに遭うだけだろう。村長としても慎重にならざるを得ないのだ。
冷静にならなくてはならない。
「襲撃を受けたのは、いつ頃ですか?」
ソロンは寝かされた男に向かって尋ねた。襲撃は昨夜のこと。そして今は昼を大きく過ぎている。できれば、もう少し正確な時間関係を把握しておきたい。
「確かな時間までは分からんが……。俺は暗くなってからも、遅くまで外にいたんだ」
男は弱々しくも語り出した。
「――ベラク側から来た知り合いと、バッタリ会ったもんで話が長くなってな。それから、部屋に戻って眠りに就いたら鐘が鳴って……。とにかく、日が暮れて五時間は過ぎていたと思う」
田舎だからといって皆が皆、日が暮れてすぐに眠るわけではない。
建物の中にはランプがある。外に出れば星と月がある。しかも昨夜は満月だった。外に出て、遅くまで知り合いと話していたというのも理解できた。
もちろん、男が言った『日が暮れて五時間』という時刻は、かなり大雑把な推定と考えたほうがよい。この辺りには帝都の時計塔のような、正確に時刻を測る仕組みなど存在しないのだ。
それでも目安としては十分だ。
襲撃の後にも、荷物と人を馬車に詰め込む手間があったはずだ。盗賊団が宿場を発ったのは、深夜一時と考えておこうか。
今が十三時と仮定すれば。
「襲撃から十二時間……かな。急げば日が沈む頃には追いつけるかも」
季節は初夏。日が暮れるには余裕がある。日没まで六時間はあるだろうか。
「マジかよ……」
グラットはこちらの正気を疑うように目をむいた。
無謀な計算にも思えるが、決して根拠がないわけではない。
深夜の襲撃が終わった後、宿場を出た盗賊団がどうしたか? 恐らくはアジトがあるという東へ向かったに違いない。
例えば、暗闇の中を集団で進んだとしよう。
下界の夜は道があっても恐ろしい。魔物への警戒は必要だったはずだ。ある程度、進んだところで野営をして夜明けを待ったかもしれない。
もちろん、帝国のように舗装された道路なんて存在しない。人が踏み固めた結果、自然と作られた道があるだけだ。
上界と比較したら、馬車の移動にも時間がかかるのが下界の常なのだ。
どちらにせよ、十二時間の全てを移動に当てる可能性は低い。
確かに追手を恐れるような状況ならば、強行軍もあり得た。しかし、盗賊は宿場を戦力で圧倒しており、下手な追手ならば返り討ちできる。
怪我と疲労もあるはずだから、無茶な行進はしないはずだ。休息も取らざるを得ないだろう。
それらを勘案するに、十二時間で進める距離は、精々が十里を超えないと見た。ここから宿場までの距離を合わせれば、二十里といったところだろう。
無論、追いかける間も敵は進んでいく。それでも相手は人間だ。休みなしで進み続けることはありえない。
ひょっとしたら、途中にアジトがある可能性も考えられるが、それならそれで願ったり叶ったりだ。
いずれにせよ、付け入る隙はある。
「すぐに馬を用意できますか? 僕がそれで盗賊を追いかけます」
「殿下……それは無茶ですぞ! 部隊を編成しますから、それまでお待ちくだされ!」
村長がいさめる。
「ごめんなさい。待ってられません」
「うん、私の馬もお願い。事態は一刻を争う」
ミスティンはやる気満々のようだ。
「長丁場だ。元気な馬を頼むぜ」グラットも続いた。「ここまで来たんだ。やるしかねえな」
結局は三人に加えて、五人の騎馬隊だけを連れていくことになった。
交易隊に家族や知人がいた男達が「ぜひ!」と志願したのだ。
漁村なので馬の扱いに慣れた者は、それほど多くはない。馬の扱いに不慣れな者を、無理に連れていくと進行速度が落ちるため、それ以上は断った。
合計で八人となる。それでも人数がそろうだけで、魔物に襲われる可能性がグッと減る。
余計な時間をかけている暇はない。出立の挨拶も早々に八人は村を発った。