彼女の足跡
五日間の旅を経て、ソロン達三人はタンダ村の門前に到着した。
しばらく前には既に日が落ちていたが、この夜は欠けのない満月だった。普段なら野営をする頃合いだったが、到着の見通しがたったので強行したのだ。
やがて、遠くに届く明かりが見えた。近づけば、それは村の門に取りつけられた松明の火だと判明した。
こんな時刻なので、村の門は閉じられている。松明を頼りに辺りを見回してみた。
よく見れば、門の上に見張りの者がいる。どうやら、こちらに気づいたようだ。
先んじて声をかけることにした。
「すみません! イドリスのソロニウスです。中に入れてもらえないでしょうか?」
門番はこちらの様子をしげしげと眺めていた。ソロンもこちらの顔が見えるように、門番のほうを向いた。
「おお……ソロニウス殿下、ご無事でしたか!?」
門番が驚きの声を上げた。数ヶ月振りに聞く下界の発音になつかしさを覚える。
そしてすんなりと門を開けて、中に入れてくれた。
「ソロニウス……?」「殿下……?」
その後ろで、グラットとミスティンが怪訝な声を上げていた。
引き続き門番が声をかけてくる。
「今までどちらに行かれてたんですか?」
「少し出かけていて……。それより、上界から来た女の人を見なかったかな? 黒髪で、僕と同じ年頃で、とても綺麗な――」
質問攻めに合う前に、アルヴァの行方を尋ねた。
イドリス国内の様子も気になったが、今は後回しだ。少なくとも、この村の門番はイドリス王国の者だ。それは以前の統治が、今もなお続いている事実を示していた。
門番は悩む様子もなく。
「おう、何日か前にゾゾロアさんに助けられたとか。上から来た人間で、あんだけ美人ですからね。そりゃあ話題沸騰です」
「無事なんだね!?」
「ああ、ゾゾロアさんのウチにいるはずですよ」
後ろの二人も手を叩き合って喜んでいる。もちろん、ソロンも同じ気持ちだ。
「ゾゾロアさんというのは?」
「犬人の奥さんです。モゴロフって旦那さんと一緒に住んでますよ」
そのゾゾロアさんの家の場所を聞き、向かうことにした。夜中であるが、明日に回すべきではない。小さな村なので、さほど時間はかからないはずだ。
「よかったなあ。ソロニウス殿下」
「よかったね。ソロニウス殿下」
少し歩き出してから、笑顔の二人に声をかけられた。
「そうだね、よかったけど……。それやめてくれないかな?」
「そうか? 俺はカッコいい名前だと思うけどな」
「うん。なんかよく分かんないけど強そう」
「……もしかして、僕が黙っていたから怒ってるの? それだったら謝るけど……」
仲間の二人に対して、ソロンはいまだ全てを打ち明けてはいなかった。
聞かれなかったとはいえ、もっと自分から話すべきだったかもしれない。二人は遠回しにソロンの姿勢について、反省を促しているのだ。
「いや、そんなんで怒らねえよ」
「うん。私も面白いから、からかってるだけ」
……と、思ったのは考えすぎだったようだ。
「いや、だから、ソロンでいいってば」
「すまん怒るなよ。冗談だから」
「うん。本当はソロンのほうがかわいいと思う」
ミスティンの中では、かわいいか、かわいくないかが重要事項らしい
*
ソロン達は、アルヴァを保護したというゾゾロアの家を訪れた。現れたのは聞いた通りの犬人の女。夫のモゴロフという犬人もいた。
ゾゾロアはソロンの顔を見るなり、こちらが話を切り出す前に口を開いた。
「まあ、ソロン様がこんなところまで! アルヴァだったら、護衛の仕事でベラクの町に行ったよ。あの子も言ってたけど、やっぱりソロン様のお知り合いなんだね」
どうやら、遅かったらしい。ベラクの町までは四日といったところだろうか。
話を聞く限り、アルヴァはソロンの名前を口に出したようだ。上界でも彼女には、イドリスという地名を再三に渡って話した。この国がソロンの故郷である事実にも当然気づいたはずだ。
「その……アルヴァ様は、いつ出発したんですか?」
陛下と言っては、伝わらないので呼称を変える。ちなみに、ここら一帯で陛下と言えば、ソロンの父である亡き国王を指してしまう。
「アルヴァ様――って、そんなに偉いのかい、あの子?」
ゾゾロアにかかれば元女帝も『あの子』扱いだ。もっとも、アルヴァもこんな所まで来て自分の身分を主張しなかったのだろう。
「まあ、その……。偉いと言えば偉いです。僕が上界に行った時にお世話になりました」
とりあえず、それだけ言って濁しておく。
「へえ……。じゃあ、ソロン様がわざわざ上界から連れてきたのかい? でも、あの子はあんまり偉ぶったりしないし、いい子だねえ。さっすが、王子様はお目が高いねえ。そうそう、ソロン様に会いたがってるみたいだったよ。健気だねえ。でも、女の子をあんまり待たせちゃいけないよ」
どういう理解をされているのだろうか……? ゾゾロアの話は止む気配がない。ただ、アルヴァはソロンに会いたがっていた――その話は心に留めておいた。
「おばちゃん、それでそのアルヴァ様はいつ村を出発したんだ?」
埒が明かないと見て取ったグラットが、すかさず話を戻した。
ちなみに、ミスティンは愉快そうに話を聞いていた。獣人が饒舌にしゃべる様子が面白くて仕方ないらしい。
「すまないね、うちの家内はしゃべり出すと止まらなくてね。アルヴァだったら、今朝に出てしまったよ」
見かねたモゴロフのほうが話してくれた。
門番はモゴロフの家ではなく、ゾゾロアの家と言っていた。なんとなく理由は分かったが、恐らくゾゾロアの個性の強さゆえだろう。
ともかく、アルヴァが出発したのが今日の朝。ベラクに一日滞在すると仮定すると、あと一週間ほど待てば帰ってくるだろうか。
それから、夫妻に詳細を聞いてみた。
……というより、聞くつもりのないことまで、ゾゾロアは自分から話をしてくれた。それによると、アルヴァは交易隊の護衛として村を発ったようだった。
「どうする、追いかける?」
ミスティンが問いかけてきた。
「う~ん。でも、陛下は仕事としてやっているわけだし、待ったほうがいいんじゃないかな?」
心配な気持ちはある。しかし、交易隊はそれなりの人数で出発したらしい。
少なくともアルヴァは、下界を一人でさまよう危険からは脱したのだ。彼女の実力ならば、魔物や盗賊に遅れをとることもないだろう。
「分かった。じゃあ、陛下を信じて待っていよう」
「で、お前が故郷に戻ったのは、陛下のことだけじゃあないんだろ?」
ソロンにとっては、国の状況を確かめることも大切だ。
「うん。村長に話を聞いてみる。……さすがに明日かな」
犬人夫妻に礼を言って家を辞した。
ゾゾロアは「ウチに泊まってくといいよ」と言ってくれたが、三人が泊まるには狭すぎた。
アルヴァと合わせて三人で暮らすだけでも、相当に窮屈だったろうと想像がつく。
夫妻にはアルヴァが戻ってきたら、連絡をするようにお願いしておいた。
それから、村に一軒だけある宿に向かうことにした。
「てか、お金持ってんのか?」
「こんなこともあろうかと、イドリスの硬貨をずっと持っておいたのさ」
本当は上界で換金しようと考えていた硬貨である。しかし、立ち寄った店の主は得体の知れない硬貨と見て、換金を嫌がった。
それ以上、強硬に頼み込むと不審人物として通報されそうだったので、泣く泣く断念したのだった。
途中、意味がないので捨てようか迷ったが、なんとなくもったいなくてそのままにしていた。ともかく、使う機会がやってきてよかった。
そうやって話しているうちに、宿へたどり着いた。
例によって大した建物ではない。自宅を改築し、余った部屋を旅人に貸し出しているだけの民宿である。それでも藁ではなく木の屋根があるだけ、この村にしては立派だった。
出迎えた宿の主人は、ニワトリの亜人である。
代金として、イドリスの金貨を渡したら主人に驚かれた。きちんとお釣りは返してくれたものの、金貨が珍しいとはさすがの田舎である。
大事なことだから強調するが、王都イドリスは都会なのだ。真の田舎とはこういう村を指すのである。
案内された部屋は簡素そのもの。ベッドなんて物は存在しないし、動き回れるほど広くもない。
それでも、三人が十分に眠ることができる。野宿に比べたら天と地の差。何の文句もなかった。
*
翌朝、宿を出発して村長の家へ向かった。
途中、朝の日差しの中で漁村の光景が目に入った。グラットとミスティンは、特に人間と亜人が対等に会話している様子が珍しいようだった。
「亜人がたくさんいるなあ。ありゃ、奴隷じゃねえんだよな」
「うん。少なくともイドリスでは、種族を理由に奴隷扱いはしないよ」
若干、含みを持たせる言い方になったが、それは奴隷に近い存在もいるからだ。主に犯罪者や他国の捕虜が自由を拘束されて、労働力として扱われることがあった。
……といっても、それは単純に捕囚へタダ飯を食わせ続ける余力がないからだ。そうでもしなければ、捕囚を飢え死にさせる結果にもなりかねない。
人間や亜人のように、人としての知能を持った種族を総称して『人族』と呼ぶ。あるいは単に『人』と呼称する。
イドリスでは、人族間における大きな身分の差はない。ソロンら支配階級に関しては、人間が多くを占めているのだが、それも法的に取り決められているわけではない。
人間の地位が比較して優位なのは、古くからこの辺りが人間の支配地域だったことに由来している。後から入植した亜人は、後輩として甘んじているわけだ。
人間と亜人との間に、争いが全くなかったわけではない。
ただ、下界はそもそもの人口が少なく、土地も余っている。そんな状況では、大きな戦いに発展することが珍しかった。
何よりも下界では人同士の争いよりも、魔物との戦いが多くを占めていた。
下界で生き残るために必要なのは、人に勝つことではない。魔物から土地と生命を守ること。それこそが最重要だったのである。
亜人――といっても、内実は多岐に渡る。その実態は種族も来歴も全く異なる種族だ。
亜人とは大勢を占める人間側が、自分たち以外をひとまとめにした総称でしかない。いわば哺乳類と爬虫類をひとまとめにするような、乱暴な分類なのだ。
ともかく、亜人はそれぞれの種族が独自の特性を持っている。
腕力や脚力に優れた種族がいれば、嗅覚や聴力に優れた種族もいる。こういった能力は魔物との戦いにおいて、強い効果を発揮する。ゆえに人間と協力関係を築いた亜人は、それ相応に重宝されてきた。
知恵に優れた人間と、特性に優れた亜人。この二つが力を合わせて、魔物と戦ってきたのが、下界の歴史なのだ。
元々、全く別の言語を有していた亜人達も、いつしか土着する中で人間と同じ言語を身につけた。そうして、次第に争いはなくなっていった。
*
……そんな話をしているうちに、三人は村長の家へとたどり着いたのだった。