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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
序章 雲海の帝国
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故郷を想う

 仲間の(ちぎり)を結んだ二人と共に、ソロンは店を出た。

 もはや太陽は西の雲海の彼方へと完全に沈んでいた。

 それにも関わらず、夜の港は明るかった。側道の街路樹に緑の光を放つ石が備えつけられており、道を照らしているためだ。ソロンは初めて見るが、何かの魔石だろうか。

 辺りには人通りも多く、店からは活気のある声が漏れていた。


「お前ら宿はどうする気だ?」


 グラットが開口一番に聞いてきた。


「特に何も考えてないけど。なんせ初めてだし。グラットは何か当てがあるの?」


 今までの話を聞くに、二人とも帝都は初めてではないようだ。手頃な宿屋があるならば、紹介してもらえるかもしれない。


「私は知り合いがいないこともないけど……。でもあんまり頼るの悪いから、安い宿があるならそっちのほうがいいな」


 二人の話を受けたグラットは、少し考える素振りをして、


「お前ら、亜人は大丈夫なほうか?」

「私は平気だけど」


 ミスティンは即答してから、ソロンのほうを見た。


「大丈夫って何が?」


 質問の意図が分からず、ソロンは聞き返した。


「いや、亜人が主人をやってる宿なんだが……。育ちがいい奴の中には、亜人を嫌うのも多いからな」

「ああ、そういえばそうだったね。安くてそこそこいい宿なら、なんだって構わないよ」


 帝国では、人間と比較して亜人の扱いが悪いそうだ。多くは奴隷として扱われ、(さげす)まれている。

 対して、ソロンの故郷では亜人を嫌う者は少ない。ましてや奴隷扱いを受けることはなかった。

 帝国にいる亜人はほとんどが戦争によって、捕らえられた者だと聞く。そういった経緯が、地位の低さに影響しているのだろう。


「亜人って、どんな亜人?」


 ミスティンがグラットに質問した。


「なんだ? もしかして苦手な種族でもいんのか?」

「ううん、できたら毛がもふもふしてるのがいい」

「もふもふなあ……。まあ、熊の亜人だしな」


 熊の亜人――つまりもふもふだ。


「クマ!」


 途端にミスティンが空色の瞳を輝かせた。期待の眼差しでグラットを見つめている。


「おいおい……。相手は(れっき)とした解放奴隷だ。ペットみたいに()でたら、おやっさんも怒るかもしれんぞ。……まっ、亜人を気にしないのは了解した。俺がいつも使ってるとこに連れてってやるよ」


 港から本土へつながる橋を、三人は渡っていた。

 馬車が二台すれ違えるような幅の広い大橋である。実際、こんな時間になろうとも、橋の上には馬車が行き交っていた。裕福な者は、港に降りてすぐ馬車を雇って本土側に向かうのだろう。


 橋の両脇では街灯が緑の光を放っており、道と雲海を照らしている。闇の中に浮かび上がる雲海は、美しくもこの世ならざる光景だった。


「雲海に架かる橋かあ……。なんていうか、奇妙な感覚だな」

「そだね。帝国中でもそんなにいくつもあるわけじゃないしね」


 ソロンの感想に、ミスティンも珍しく同意してくれた。この橋は帝国人にとっても、希少な建造物のようだ。


「これって、下はどうなってるの? まさか浮いてるとか……?」


 現実感のない光景に、ソロンの疑問がまたしても湧き上がった。仕組みが分からないことには、なんとも不安になってくる。


「いや、さすがにそれはねえよ。雲海の下にはちゃんと地面があるはずだぜ。そういう場所を選んで、橋と港を作ったんだろうよ」

「さ、さすがにそうだよね」


 ソロンはホッと胸をなでおろした。

 雲の上に浮かんでいるよりは、地面の上に橋が立っているほうが、まだ安心できるというものだ。


 もっとも、ここは雲の上に浮かぶ島という非常識そのものである。ソロンとしては、そこは気にしないでおくしかない。

 そうでないと、この国に滞在しているだけで気が狂ってしまいそうだった。


 橋を渡り切ったところで、ソロンは『光』に気づいた。

 ネブラシア城まで続く大通りの向こうから、まばゆい光が照らしているのだ。

 距離は相当離れているはずなのに、光はあまりに明瞭だった。それこそ小さな太陽と言ってよい程に。


「あれなに!?」


 もう何度目か分からないが、ソロンは疑問の言葉を発した。


神鏡(しんきょう)だよ」


 と、ミスティンが教えてくれる。


「神鏡……!?」

「そう。光を放つ物凄い鏡なんだ。夜になったらああやって、お城から大通りを照らすんだよ」

「まさか……!?」


 ソロンは言葉をなくした。


「驚きに言葉をなくしたってか? いいよな田舎者は、色んな物を新鮮に見れて」


 グラットはからかうというより、うらやむように言った。

 もっとも、彼の理解は正確ではなかった。

 ソロンが言葉をなくしたのは、ただ不思議な代物に驚いたからではない。

 神鏡の正体に、ソロンは心当たりがあったのである。なぜなら、ソロンが探していた物も、まさしく鏡だったのだから。


「ソロン、どうしたの?」

「あっ、いや。大丈夫」


 呆然と光を眺めていたソロンは、ミスティンに肩を叩かれて気を取り直した。気にはなるが、今日のところは宿に向かうべきだろう。


 グラットの先導で、三人は夜の大通りを北上した。

 城まではまだ相当に距離があるが、神鏡の光によって大通りは明るい。その光を頼りにして、いまだ多くの人や馬車が大通りを行き交っていた。


「あっちだ」


 グラットが向かう先は、レンガ造りの立派な宿だった。


「へえ、あんな立派な宿に。……でも、高くないかな」


 皇帝イカを倒した報酬があるため、それなりの宿にも泊まれなくはない。しかし、長期的に滞留することを考えると、過度な浪費は控えたかった。


「残念だったな。ここじゃねえよ」


 ……と思いきや、グラットはその近くにある寂しげな路地に入っていった。今のような暗い時刻だと、見過ごしてしまいそうな寂しい道だ。

 神鏡の光もここまでは届かず、急に辺りが暗くなった。


「どこかに明かりがないかなあ~。炎の魔法とか」


 と、ミスティンはソロンのそばに寄り、わざとらしくつぶやいた。


「僕の刀は松明(たいまつ)じゃないんだけど……」


 しぶしぶソロンは刀を抜いて、魔力を込めた。ランプのように刀身が赤く光り、周囲を照らし出した。


「さすがソロンは気がきくなあ」


 ミスティンはソロンの頭をポンと叩いた。

 気に入られているのか、馬鹿にされているのか判断がつかない。ともかく、いいように扱われているのは間違いない。


 暗い道を少し進むと、ポツンと置かれたランプの光が目に入った。よく見れば、そこは貧相な木造の宿だった。

 グラットは躊躇(ちゅうちょ)せずに宿の中へ入っていった。ソロンとミスティンも気にせず宿の中に入る。


「らっしゃい! おおグラットの旦那か。帝都に戻ってきたんだな」


 威勢よく、宿の店主がカウンター越しに声を上げた。見れば、熊のような顔をした背は低いがゴツい男である。

 単なる比喩ではない。本当に顔から腕まで茶色い毛皮で覆われた文字通り熊の亜人だった。


「おやっさん。またしばらく帝都で厄介になるぜ。とりあえずこれで」


 と、グラットは金貨を取り出したが、ふと手を止めてミスティンを見た。


「――三人部屋はまずかったか?」


 男女で部屋を分けないでいいか、という意味だろう。


「一部屋でいい。でも、グラットは私の反対側で。ソロンはその間」


 ミスティンはあっさりと答えたが、注文も忘れなかった。どうやら、寝床の位置を言っているらしい。


「人を当然のようにケダモノ扱いすんなよ……。まあいいけどよ」

 そう答えたグラットはソロンを見てぼやいた。

「――お前は女に警戒されない顔でいいよな……」

「そんなこと言われても反応に困るけど……」

「んで、お仲間と合わせて三人部屋でいいんだな?」


 こちらのやり取りを観察していた熊男が口を挟んだ。


「おう、とりあえずはこれで頼むわ。長くなるようなら、また払うからな」


 グラットは改めてクァーネ金貨一枚を熊男に渡した。他の二人の分まで支払うとは、なかなか太っ腹な男だ。


「ありがとう、グラット。……でもいいのかな?」

「あん? 後で徴収するに決まってんだろ?」


 ……と思ったのは勘違いだったようだ。


「金貨一枚なら五日分だ。ゆっくりしていきな」


 皇帝イカの報酬が金貨数十枚。三人で共有することもあって、かなりの安さだ。食事までは出ないだろうが、宿泊費で困ることはなさそうである。


「お世話になります」


 ソロンは丁寧に礼をした。相手が亜人であろうと関係ない。それがイドリスでは当然の礼儀だったからだ。


「おう。お客さん、この町は初めてかね?」


 帝国人らしからぬ所作が目についたのだろうか。毛で覆われた顔で笑顔を作りながら、熊男が尋ねてきた。声は渋い低音だが、瞳はつぶらで妙に愛想がよい。


「ええ、本島自体も初めてですよ」

「ははあ、お客さんの気持ちは分かるよ。誰でも初めては心細いもんさ。あっしも初めて帝国に連れて来られた時は、言葉も何一つ分からなくてね。そりゃあ毎日のように枕を涙で濡らしたもんさ……」


 熊男はつぶらな瞳で遠くを見るような目をした。

 なんだかんだで、この亜人も帝国に順応しているようだ。

 グラットによれば、彼は解放奴隷という身分らしい。奴隷よりは恵まれた立場にあるのかもしれない。


「クマさん、触っていい?」


 会話の流れを無視して、ミスティンが熊男に手を伸ばした。


「いいけどよ。むさい熊男なんて触っても仕方な――」

「うわぁ、もふもふだ……!」


 返答を最後まで聞かず、ミスティンは熊男の顔を()で出した。


「おいおい、くすぐってえよぁ……。あっしは嬢ちゃんよりも倍は生きてるんだけどよ。人間ってのはよく分かんねえなあ」

「……すまんな、おやっさん」

「いいってことよ。そっちの嬢ちゃんも触るかね?」


『そっちの嬢ちゃん』とはソロンのことらしい。亜人にとって人間の性別は区別が難しいのだろう――と思っておく。

 それはともかく、もしやこの熊男は触って欲しいのだろうか……。


「いえ、結構です。あと嬢ちゃんじゃないんで」

「おや、坊っちゃんだったか。そいつは失礼したな」


 熊男をもふもふするミスティンを引きはがし、ソロン達は案内された部屋に入った。

 扉の取り付けも怪しいような粗末な部屋だったが、文句はなかった。なんせソロンは、少し前には野宿も経験した身であったのだから。


 *


「ふう~……」


 室内で毛布をかぶったソロンは大きく息を吐いた。

 隣のミスティンやその向こうのグラットも、疲労が大きかったらしく既に寝入っているようだ。

 目をつぶれば、思い出すのはもちろん故郷のことだ。


 故郷イドリスを襲った恐るべき魔物……。

 魔物を遥かに越えたその存在を、敵国の者達は神獣と呼んでいた。

 神獣はいかなる武器・魔法も受けつけず、強大な力で町を蹂躙(じゅうりん)したのだ。


 ソロンの父は死に、母は行方も知れない。

 兄はソロンを帝国へ送り、自らはまた戦いに戻った。

 無敵を誇った神獣であるが、故郷の伝承に唯一の手がかりが残っていた。それこそが、神獣と鏡にまつわる伝説だった。


 今より千年以上も前、文字すら普及していないような古い時代である。

 混沌の衣をまといし神獣が現れ、イドリスを襲ったのだという。無敵を誇る神獣を打ち破ったのは、いつから伝わるかも分からぬ『鏡』だった。


 それからも、長くイドリスに祭られていた『鏡』であったが、その終わりは唐突だった。

 町の長が貧窮(こんきゅう)した末に、旅の男へ売ってしまったのだ。

 『鏡』の購入者が向かった先こそ、まだ帝都と呼ばれる前の都市――ネブラシアである。


 そして、故郷から落ち延びたソロンは、『鏡』を求めて旅立った。一筋の光明をたどって帝都を目指したのだ。

 もはや伝承どころか神話に近いおとぎ話であったが、ただの伝承ではないと確信していた。

 なんといっても、ソロンはその目で神獣を見たのだ。『鏡』だけが架空の存在だとは、考えられなかった。


 あれからわずかしか経っていないのに、随分と時が経過したように感じる。

 帝国は故郷よりも治安は良いようだが、それでも異郷の地に変わりない。一人見知らぬ土地を放浪する辛さがあった。

 幸いにも言葉は通じたし、文字も読むことができた。当然ながら差異もあったが、予想したほどではない。

 故郷とこのネブラシア帝国は、古くには交流があったと伝えられている。言語の類似はその証明といってもよさそうだ。


 そして、何より一応の仲間を得たのだ。

 あまり迷惑をかけられないが、不明点があれば二人に聞けばよい。これはソロンにとっては、計り知れない恩恵だった。


「やっと着いた……」


 そんなことをつぶやいてみたものの、もちろんこれで旅が終わったわけでもない。

 鏡の手がかりは早くも見つかった。だが、本当に難しいのはここからだ。


 ソロンは(かばん)をまさぐり、『カギ』を取り出した。窓から差し込む月明かりに照らされて、その黒い姿が浮かび上がる。

 かつて、ソロンを鍛えた師匠は、このカギを父へと譲ったのだった。

 今、カギはソロンの手元にある。ソロンがここへやって来れたのも、このカギのお陰だった。


 ともあれ、前途は多難だがやるしかない。

 故郷を救えるのは、カギを託されたソロンの他にいないのだから……。

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