緑の恐怖
深夜、鐘の音を耳にして、アルヴァは目を覚ました。
時報――ではないだろう。こんな夜中に鐘を鳴らすなど、尋常ではない。文字通りの警鐘か? アルヴァの脳裏には、帝都であった出来事が思い浮かんでいた。
「どうしたのかしら?」
「大丈夫かな……」
室内が騒然となる。
アルヴァは起き上がった。寝間着は着ていないので旅装のままだ。荷物さえ手にすれば、そのままの服装ですぐ外に出られる。
「様子を見てきます。なるべく他の人達とはぐれないように」
「うん……。アルヴァちゃんも気をつけて」
リサナにはそれだけ指示を出して、部屋を出た。
「盗賊が来たぞ!」
扉を開けて中に駆け込んで来た男が叫んだ。
「本当に……治安が悪いのですね」
アルヴァが他人事のように言う。首都が陥落し、宿場町が盗賊団に襲撃されるなど、まさに国家としては末期状態だ。
武装した男が二階にいたアルヴァに目を留めた。階段の途中まで駆け上がって、こちらに声をかけてきた。
「あんたも手を貸してくれるか?」
見れば交易隊の守備隊長だった男だ。
「ええ、貸さない理由はありません」
アルヴァは杖を見せながら頷いて。
「――今までにも宿場が襲われたことはあったのですか?」
そう尋ねたのは、盗賊が宿場を襲う理由が気になったからだ。
ここは石垣と頑丈な門に囲まれている上に、警備兵までいる。宿泊している交易隊にも警備の者がいる。合わせればそれ相応の戦力となるため、襲撃をかけるにも難儀するはずだ。
「いや、今までは野外にいるところばかりを狙ってきたんだが……。王都が占拠されたのを見て、強気になったのかもしれん」
やはり、そう頻繁にあることではないようだ。
盗賊から見て、宿場を襲う利点を考えてみる。
一つには獲物が多くいるということ。ただし、襲撃を成功させるだけの戦力が盗賊団になければならない。
「連中はどのぐらいの数がいるのでしょうか?」
「分からん。だが、ここを狙うぐらいだからな。それなりの戦力は持っているだろう。施設は頑丈にできているが、油断するなよ」
この緊急時において、それ以上の時間の浪費は避けるべきだ。
話を終えるや、護衛隊長は一階から仲間を連れて出ていった。しかし、アルヴァはそれには続かず、二階へと向かった。魔法使いである彼女にとっては、高所に構えたほうが有利なためである。
二階の扉から外に出ると、そこは一階の屋根を利用したバルコニーになっている。
周りを見渡せば弓を構える者達がいた。アルヴァと同じく、高所から戦う考えのようだ。魔法の使い手は他にいないらしい。
施設に備えつけの松明が外を照らしている。加えて、今宵は満月だ。夜にしては視界は悪くなかった。
宿場に殺到する盗賊達が目に入ってきた。予想した通りに数が多い。
盗賊の前衛は鎧や盾に身を固められている。盗賊とはいっても、中身は武装組織と考えたほうがよいだろう。
遠くには馬車が見えている。略奪した荷物を運ぶためのものかもしれない。
盗賊が石垣を乗り越えて、宿場の中に侵入しようとする。
それを男達が迎撃している。見張り台から、あるいは二階から矢が放たれる。
矢が盗賊を貫いていく。石垣の上へ頭を出した盗賊がいれば、護衛達が剣や棍棒で直接に打ちつける。
だが、敵のほうが圧倒的に数が多い。真夜中の襲撃であるため、態勢が整っていないのだ。明かりがあっても、夜闇の中で矢を標的に当てるのは難しい。
アルヴァも盗賊に杖を向ける。
石垣を破壊してはまずいため、そのさらに遠方の相手を狙う。使用する魔石は雷光石にした。火竜石のほうが消耗は抑えられるが、引火が怖い。
闇夜を斬り裂く紫電が走った。
直撃を受けた盗賊が吹き飛んで倒れる。その生死を確認する間もなしに、次の雷撃を放つ。
確実に一人、また一人と盗賊を倒していく。
相手が人間だからといって、加減はしなかった。だから、即死なのは間違いない。ためらっていては、こちらにも死人が出る。
「魔法かよ!?」
狙い通り盗賊達に怯えが走った。雷撃の破壊力に恐れをなして、ひるんでいる有様がこちらにも伝わってくる。
手をゆるめずに、六人、七人と仕留めていった。仲間の弓矢と合わせた猛攻に、盗賊達も攻めあぐねる。
「凄腕の魔道士がいるなんて聞いてねえぞ!」
石垣の向こうから、盗賊の相談する声が聞こえてくる。
「おい、緑の聖獣を使うぞ! お前らは離れてろ!」
盗賊の親玉だろうか、奥のほうで盗賊達の指揮を執っていた男が叫んだ。何かをやろうとしているようだが、紫電で狙うには少し遠い。
盗賊達は散開し、宿場から離れて隙間を空けた。その隙間に向けて男は緑色の魔石のような物を、いくつか投げつけた。
地面に当たった石は砕けて、煙が巻き起こる。
煙の中から現れたのは、大きな獣のような何か。合計で三体。
その姿が松明に照らされて、明瞭となっていく。立ち上がったカバのような大きな巨獣だ。
闇夜のために色は分かりにくい。しかし、色は緑だろうと察してしまった。
「あ……どうして……!」
アルヴァの顔が驚愕に引きつる。
それは帝都を襲った緑の巨獣だった。長い腕を振るい、帝都の北門を破壊した巨獣だ。あの戦いの中でアルヴァは、かの杖の力を使い、悲劇が起こった。
なぜ、その魔物がここにいるのか。なぜ、人間である盗賊がそれを操っているのか。
アルヴァにとっては酷い心的外傷だ。目眩がしそうになるが、それを意志の力で抑えつける。
「やれっ! 聖獣グリガント!」
盗賊の親玉らしき男が命令を下した。
聖獣グリガント――それがあの緑の巨獣の名前だろうか。聖獣と呼ぶにはあまりにも醜悪で、冗談としか思えない命名だが……。
そして、そのグリガントが宿場の門へと迫った。
……放ってはおけない。
アルヴァはグリガントに対して紫電の魔法を放つ。
この数ならば女王の杖などなくとも対処できるはずだ。自分の実力は、そんな物などなくとも確かなのだから。
雷撃が命中し、激しい衝撃を受けたグリガントがおぞましい叫びを上げた。赤黒い霧状の血が傷口から噴き上がる。
しかし倒れない。
ひるんではいるようだが、一発や二発の雷撃には耐える耐久力があるようだ。それもそのはず、帝都の戦いでも巨獣は数十人の帝国兵と渡り合ったのだ。
それでも雷撃を打ち込む。護衛達も弓を放って、援護してくれる。
グリガントの重い体が崩れて、地面を揺らした。ようやく一体を仕留めたようだ。
しかし、その後ろからすぐに二体目が門に迫る。その後ろにもまだ一体残っている。
「まずいですね……」
ここまで門に接近されてしまうと、狙いが難しくなる。誤って門を破壊してしまっては元も子もない。
躊躇している時間を敵は見逃してくれない。グリガントはかつて帝都で見たように、門を破壊しにかかった。
門もそれほどやわではない。鉄製の頑丈な造りだ。
それでも帝都の門を破壊したグリガントの前には無意味だった。長い腕から繰り出された拳が二発。あっという間に門は破壊されてしまった。
グリガントが石垣の中に侵入してきた。後に続いて盗賊が入ってくる。
護衛達も武器を振るって、その流れを押し留める。しかし、盗賊は抑えられても、あの巨獣に対抗できるはずもなかった。
一撃で護衛の一人が殴り飛ばされ、宿の壁に激突した。二階にも衝撃が伝わる。あの勢いでは命はあるまい。
それを見た他の護衛達も、恐怖ゆえに及び腰になっていた。グリガントに接近戦を挑めず遠巻きになっている。
アルヴァが雷撃でグリガントを狙い撃つ。
門が破壊されてしまった以上、もはや遠慮はいらない。こうなれば、徹底的に攻撃するしかなかった。
グリガントは苦悶の叫びを上げながらも、こちらに視線を定めた。
そして宿の建物へと猛進してくるや、繰り出された拳が一階の屋根を砕いた。つまり、アルヴァが足場としている建物の一部だ。激しい振動が足元へと伝わってくる。
「まずい……!」
このまま、何度も拳で打たれては足場が全て崩されてしまう。周囲にいた弓兵達は中に逃げ込んだようだ。
アルヴァも中に避難するべきだろうか?
いや……それでは建物が崩落するまで攻撃されるだけだ。そうなっては、中に避難している者達まで巻き込んでしまう。
グリガントがもう一撃。屋根がさらに大きく崩れた。
アルヴァが応酬の雷撃を放てば、グリガントがのけぞった。
その隙に杖を左手に持ち替える。手すりを飛び越え、思いきって屋根から飛び降りた。
一気に落ちないよう、右手で手すりを伝わっていく。体を横にして転がるように落下した。
一応の受け身は取ったつもりだが、こんな荒事には慣れていない。落下の衝撃は大きく、痛みですぐには立ち上がれなかった。
そこにグリガントが迫っていた。一歩……また一歩とゆっくりと近づいてくる。起き上がれないアルヴァへ、とどめを刺すために。
そして、グリガントの長い腕が届く距離まで迫った瞬間――
アルヴァは杖を上げ、魔力を解き放った。放たれるのは放電の魔法。近距離から拡散する雷撃が、グリガントの全身に直撃し、戦場を照らした。
緑の巨体が吹き飛び、赤黒い霧が大量に噴き上がった。アルヴァは転がったまま、それをマントでかろうじて防いだ。
残る聖獣はあと一体……。
アルヴァは立ち上がろうとしたが――
「うあっ!?」
瞬間、激痛に顔を歪めた。
右肩に矢をもらったのだ。グリガントにばかり気を取られて、周囲への警戒を怠っていた。
……いや、そもそも周囲を警戒している余裕はなかった。頼れる仲間がいない状況ゆえの失敗だった。
矢は突き刺さってはいない。かすめた程度だ。
この程度の傷なら――と思うが、肩の感覚がない。しびれが全身に広がっていく。まさか、毒を喰らったのだろうか……。
「よし、当てたか!?」
薄れゆく意識の中で、盗賊達の声が聞こえる。
「魔道士さえ倒しちまえば、後はこっちのもんだ!」
そうはさせないと心では思うが、気力で抗えるものではない。アルヴァの意識はそこで途絶えた。