一敗地に塗れても
昼の休憩を終えた交易隊の一行は、長い斜面を歩いていた。どこまで続くか分からぬ坂道に、アルヴァは少しうんざりしていた。
「おい、見ろよ!」
先頭を進む見張りが、前方を指差して声を上げた。見れば斜面のずっと向こうから、大きな岩のような物が転がってくる。
一同は歩く方向を変えて、大岩を避けようとするが――なんと大岩がこちらを目がけるように方向を調整してきた。
ひょっとしたら、生物なのではないかと思い当たった時――
「グソックだ! 積荷を守れ!」
大岩の正体を見極めた護衛隊長が叫んだ。聞き慣れない名前だが、魔物の一種らしい。
大きな盾を構えた護衛が正面に出る。積荷と後ろの仲間を守るために、勇気を持って魔物の前に踏み出したのだ。その後ろにも男達がぞろぞろと構える。一緒に盾を支えるつもりらしい。
アルヴァも魔法で援護しようとしたが、敵の動きが速く間に合わない。
ついにグソックが盾にぶち当たった。
大きな音が鳴り、衝撃の激しさがこちらにも伝わってくる。男達は盾と共に吹っ飛んだ。
しかし、衝撃を受けるのは相手も同じらしく、魔物も横へと吹っ飛んだ。
倒れたグソックの全身がようやく見て取れた。
大きな殻を背負った灰色の魔物だ。巨大な亀――と一瞬だけ思ったが、足が数えきれないくらいたくさんある。
いや、知っている生物によく似ている。……というかダンゴムシだ。グソックとは、大きなダンゴムシだったのだ。
グソックは衝撃に麻痺しており、動き出す気配はない。しかしながら、無数の足が今も蠢いており、大変気持ち悪い。
始末しよう。
アルヴァは速やかに紫電の魔法を放った。空気を斬り裂く稲妻が敵を焦がす。グソックは激しく体をもだえさせたが、じきに動かなくなった。
「間違いなく死んでる。大丈夫そうだ」
グソックを検分した護衛が声を上げた。吹っ飛ばされた護衛達がゆっくりと立ち上がってきた。誰一人欠けずに無事なようだ。
「こいつまで一撃とは、本当に大したもんだな」
護衛隊長がこちらを向いて、声をかけてきた。
「――こいつの殻は半端なく硬いんだ金槌を用意してたぐらいなんだぜ」
「ええ。……それにしても厄介な魔物ですね。あの速さで迫られては、隊を守るのも大変でしょう。かわしたら後ろに被害が出てしまう」
大盾の用意といい、備えはしていたのだろう。それでも相当に厄介な魔物なのは間違いなさそうだ。
「まあ、覚悟はしてたからな。何人かで盾を支えれば、防ぐことはできる。坂の上から来る攻撃さえしのげば、後は硬いだけの雑魚だ。……しばらくは坂が続くからな。またやって来るかもしれん」
重要なのは突進を防ぐことであって、その後のとどめではない。そういう意味だとも取れた。……もっとも、隊長も嫌味を言いに来たわけではないだろう。
「次からは私も、もう少し前に出ましょうか。見つけ次第、魔法を使えば多少は被害を軽減できるはずです」
隊長の意図を察して、自分から提案をしかけた。あの魔物は接近する前に対処すべきなのだ。
「ああ、頼む」
幸い、グソックの攻撃は斜面上からの高速回転だ。となれば、坂の上を重点的に警戒しておけばよい。
進行方向は南で、今の時刻は昼間。上界なら逆光になるところだが、ここは下界だ。昼間の太陽に目をくらませる心配もない。
「来たぞ!」
半時間ほど進んだところで、またも見張りが叫んだ。
坂の上には黒い点。
アルヴァも前列のすぐ後ろにいたので、今回は速やかに対処できる。
用いる魔石は土竜石。杖先を地面に向けて、魔法を発動した。
土が勢いよく噴出して、形を構成していく。土壁というには不細工な形になりそうだが、そこはこだわらない。大事なのは速さと大きさだ。
その間にも、グソックは転がりながら迫ってくる。
それをアルヴァは焦らずに、悠然と構えて魔法を完了する。土は人の背丈ほどの壁へと変わり、魔物の前に立ちはだかった。
突如現れた障害物に対応できず、グソックは土壁に突っ込んだ。轟きと共に土煙が上がる。飛散した土も多少は飛んでくるが、それはマントで防いだ。
今回、痛い思いをするのは転がってきた当事者だけだ。グソックが爆散した土に埋もれたところを、男達が金槌で叩き殺した。
「素晴らしい手際のよさだな。いつもなら、あいつは怪我人を出す覚悟で挑まないといけないんでな。大助かりだぜ」
男達は賛辞を惜しまなかった。やはり、彼女は魔道士としてこそ本領を発揮できる。ちょっとした充実感があった。
それに、今まで重視してこなかったが土魔法は便利だ。この効力も見直さねばなるまい。
それからしばらくしたら、坂は下りに転じた。
人の歩みは楽になったものの、グソックへの警戒はゆるめられない。今度は後ろからの接近を、警戒しなくてはならなかった。当然、アルヴァも隊の後ろに移動した。
幸い、これ以上の襲撃を受ける前に、坂の終わりが見えてきた。安全を確信した一行は、坂を少し離れたところで隊列を元に戻すのだった。
*
日が暮れる前、石垣に囲まれたいくつかの建物が目に入った。どうやら、ここが宿場のようだ。
ひときわ大きな石造りの建物が宿屋だそうだ。
数は少ないが、見張り台の上には警備兵がいて、鐘を鳴らせるようになっている。どこか物々しい雰囲気だ。見ようによっては砦としても使えそうである。
そう思って他の者に尋ねてみたら、やはり元々は砦として造られた歴史があるらしい。
それがどういった戦いのために造られたのか――までは聞けなかった。人間と魔物、あるいは人間と亜人の戦いがあったのだろうか?
ともあれ、首都が陥落しても警備兵の仕事はあるようだ。
……ということは、給金は施設自体から出されているのだろうか。国家が機能しない状態でも、民はそれなりにやっていく方法を心得ているらしい。
宿屋には馬屋が付属していた。
他の建物も従業員の寝床や店として使われており、小さな町といった様相を呈していた。池もあるため、水分の補給も可能となっている。
一行は馬を預けた後で、宿に入った。
下界の旅には欠かせない施設らしく、意外な賑わいを見せている。こちらとは反対にベラクの町から東側へ向かう交易隊もいた。
料理や掃除といった仕事があるためだろうか、女も多くいた。ここに住み込みで働いているようだ。
アルヴァは二階の一室で、宿泊することになった。
もちろん、個室などは存在しないので、他の女達とも一緒だ。しかし同室のリサナとは、ある程度の気心も知れてきたので安心感がある。
部屋には明かりがない。蛍光石のブローチはあるが、人が大勢いる室内で使うわけにもいかない。仕方ないので、毛布をかぶって眠くなるのを待つ。
しかし、日が暮れてすぐ眠ろうにも体が慣れていないのだ。以前は本を読むなり、書類仕事をするなり、眠くなるまで明かりを用いるのが常だった。
「あたし、一人でやっていけるかなあ……」
そんな時に、すぐそばのリサナが不安そうな声を漏らした。
当然の気持ちだ。不安に思わないはずがない。リサナにはやはり、一人で遠くの町まで行く寂しさもあるのだろう。その心細さはアルヴァにもよく分かるため、無下にはしない。
「意外と何とかなりますよ。あちらには親戚の方もいるのでしょう?」
アルヴァは静かに答えた。
「うん。叔父さんも悪い人じゃないのは分かってるけど……。でも、やっぱり遠慮するっていうか……」
見るからに遠慮のなさそうな性格のリサナである。それでも一緒に暮らすとなると気兼ねはするらしい。
「遠慮なんて、あなたらしくもありませんよ。あなたの両親が信頼できるからこそ、その叔父様に託したのでしょう?」
「うん、そうだね」
「私も一年ほど前に父が亡くなりましたから……。既に母は亡く、後ろ盾をなくしたまま父の跡を継がねばなりませんでした。心細い気持ちはなんとなく分かります」
「そうなんだ。上界では何やってたの?」
「……そうですね。タンダ村でいうと、村長のような仕事と言えば分かりやすいでしょうか」
正直に答えてよいか迷ったので、婉曲に伝えてみた。
「あっ……! やっぱり偉い人だったんだ。なんか雰囲気あるし」
リサナが大きな声を上げそうになったが、慌てて抑える。
「まあ、偉いと言えば偉くはありましたね」
アルヴァはのらりくらりとかわす気ではあったが、
「もしかして、お姫様!?」
なおも、リサナは食いついてくる。
「……少し前までは皇帝を務めていました。さらに前には皇女や姫と呼ばれていた時代もありました」
純粋な少女に対して、遠回しにはぐらかし続けるのも申し訳ない気がしていた。そこで、あえて正直に答えてみた。
「やっぱり、お姫様なんだ……! そんなに綺麗なんだもん。アルヴァちゃんはタダモノじゃないと思ってたわ」
目を輝かせるリサナ。彼女にとっては皇帝よりも姫の称号のほうが重要らしい。……というより、皇帝という称号自体が下界には存在しないのかもしれない。
考えてみれば、皇帝という称号はアルヴィオスに端を発する。歴史的にはわりあい新しいため、下界に伝わっている可能性は低い。
「……まあ、罷免されてこの有様ですけれどね。今となっては、姫でも何でもありませんよ」
「ヒメン……って、首になったってこと?」
「端的に言えば、そうなります」
「アルヴァちゃんが!? こんなにがんばり屋さんなのに?」
「世の中には努力しても、結果が伴わないこともあるのです」
アルヴァは努めて何でもないように答えた。
「た、大変なんだね……」
リサナは心底同情するような表情を見せた。
「はい、大変ですよ。……ですが、それでも腐らずに努力は続ける所存です。一敗地に塗れたからといって、全てが失われたわけではありません。命ある限り、成せることはあるはずですから」
リサナに聞かせるというよりも、自分に言い聞かせるために口にした。アルヴァの人生は常に重い肩書と共にあった。
生まれてからは皇女として、一年前からは皇帝として、肩書に恥じない生き方をしようと努力していた。
しかし、皇女でも皇帝でもない自分に何ができるのだろうか? 今はまだ、何のために努力するのかも見えていなかった。
「凄いねアルヴァちゃんは……。でも分かった。私もがんばってみる」
それでも、リサナには何か響くものがあったらしい。不安そうな表情が少しだけやわらいだ。