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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第二章 失われた世界
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足跡を追う

 界門を抜ければ、そこは下界だった。

 両手には無事、ミスティンとグラットの手が握られている。それを確認して、ソロンは両手を放した。

 足元には台座があり、背後には漆黒の界門もある。遺跡は上下界で同じ構造になっているのだ。それによって、双方向の転移を可能としているのだろう。


 界門は今も振動し、その下の空間は水面(みなも)のように揺蕩(たゆた)っている。

 一度、界門を開けば、しばらくは開いたままになるらしい。誤って誰かが迷い込んだら一大事だ。

 ソロンはカギを界門の柱に当てて、魔力を再び流し込んだ。たちまち振動は収まり、空間の揺れは消えてなくなった。

 これで門は閉じられた。誰かが迷い込む心配もないだろう。


 場所は小高い山の上。下界の山地の例に漏れず、風は強い。

 まだ今の時刻は、太陽がほとんど隠れているため薄暗い。それでも真っ暗ではないし、次第に明るくなっていくはずだ。

 グラットとミスティンは呆然と周囲を見渡している。


 遠くを見れば、赤茶けた荒野が広がっている。

 キノコのように広がる傘を持った木は、下界特有の竜血樹(りゅうけつじゅ)だ。

 ソロンにとって下界は数ヶ月振りに過ぎない。それでも、様々な出来事があったせいか、随分と懐かしい光景であると感じられた。

 そして、二人にとっては生まれて初めて目にする光景なのだ。それも普通に上界で人生を送っていては、見るはずのなかった景色だ。


「すっげえ……。本当に、ここは上界の下なんだよなあ」

「雲ばっかり……」


 二人が当たり前のことを言う。しかし、言いたいことは何となく伝わった。

 上界と下界はあまりにも様相が違う。

 二つの世界が上下で対応しているという事実を、頭の中できちんと理解するのは意外に難しい。

 ソロンが上界に来た当初も『雲海』の存在にはとまどった。それが下界で見た白雲に対応するとは、すぐには飲み込めなかった。ましてや、その上を船が走るなどとは意外にも程があった。


「早く出発するよ。日が暮れる前に進んでおきたいから」


 正確な時刻は分からないが、予定からそう狂いはないはず。十五時前と考えてよいだろう。下界で旅をする際の注意点については、既に二人にも話しておいた。


「それはいいけど。……大丈夫?」


 界門の起動に精神力を消耗したので、ソロンは少し疲れていた。それが表情に出たのかもしれない。様子を察したミスティンが気遣ってくれた。

 とはいえ、あまりゆっくりはしていられない。


「まあ、精神疲労だからね。体は何とか動かせるよ。どうせ、歩くのは日暮れまでだし大したことはないさ」

「分かった。けど、無理しないで」


 頷いてから、ソロンは改めて下界の地図を広げた。帝都にいた時点で方針は決めてあったが、想定に狂いがないことを確認する。


「あっちが南の白雲だね。今日中にあの下まで行くよ」


 今、季節は六月の初夏。確か帝国では『勝利の女神の月』、あるいは『勝利の月』と縮めて呼ばれていた。呼び名が違っても初夏であることに違いはない。

 太陽が沈みきるまでには、それなりの時間があるはずだ。十五時から十九時にかけて、白雲の下へたどり着けるようにしたい。

 夜になれば暗くなるのは、白雲の下も、黒雲の下も一緒である。それでも、やはり気温に恵まれた白雲の下で眠りに就きたかった。


「了解だ。その後は、この村を目指すんだったな」


 地図を見ながら、グラットが言った。


「うん。タンダ村だね。うまく行けば五日ぐらいで届くかも」


 タンダ村は海沿いにある漁村である。ソロンも何度か行ったことがある。南へ道沿いに進めば見逃すことはないはずだ。アルヴァが南へ向かったならば、ここへたどり着くと考えられる。


「後は、陛下が本当に南へ向かったかだけど……」


 ミスティンが不安な面持ちで言う。ソロンも頷いて。


「なにか、痕跡(こんせき)があればいいんだけどね」


 アルヴァが何か痕跡を残していれば、追跡のしようもあるのだが……。しかし、この辺りの風は強いため、ちょっとした足跡程度ならすぐにかき消されてしまう。

 何はともあれ歩き出すとしよう。

 目的の方角は南だが、斜面は急で直接下山するのは難しそうだ。比較的に東側がゆるやかに見えたので、そちらから下山を目指す。



「あれ!」


 下山の途中、崖下を覗いていたミスティンが声を上げた。

 ソロンとグラットも釣られて見れば、下に大きな翼竜の死骸があった。既に肉の一部が、死肉を喰らう生物にかじられているようだ。


「いきなり、あんなでっかい竜かよ。下界ってのはとんでもねえなあ……」


 グラットは唖然とする。

 ……だが、ソロンはそれよりもずっと気になることがあった。

 竜という種族は、食物連鎖の頂上付近に位置する存在である。それがこんなところに死骸をさらしている理由は何なのか?

 幼体ならばそこらの鳥獣に害される可能性もあるが、あの大きさは間違いなく成体だろう。

 翼竜同士の縄張り争いという想像もできるが、それなら明確な外傷があるはずだ。少なくともこの距離からでは、はっきりとした傷は確認できなかった。


「調べてみよう」


 ソロンは自分の直感を信じることにした。

 崖下に降りられる道を探して、どうにか翼竜の元にたどり着く。グラットとミスティンも後を追ってきた。


「おい、くっせえぞ……!」


 死骸からは強烈な異臭がする。肉を喰い破られた死骸の様相は、近くで見ればなおさら凄惨だった。

 それでも翼はまだ意外に綺麗な形を残している。胴体よりも肉が乏しいので、獣にとっての優先度が低いせいだろう。

 こういった自然のままの場所では、他の生物によって死骸はすぐに処理されてしまう。二週間もすれば、骨だけになるのが普通だろう。

 まだ翼が残っているということは、そこまで日が経っていないと考えられる。


「それがどうかしたの?」


 鼻を手で覆いながら、ミスティンが尋ねた。

 ……が、翼竜の翼を見てすぐに「あっ……!?」と気づいた。見れば翼の一部が貫かれており、その周囲には焦げたような跡がある。

 ソロンも頷いて。


「これ、雷の魔法じゃないかな?」

「おお、確かにな」


 雷の魔法――もちろん、アルヴァが何度も使用していた魔法である。彼女は杖から放った雷撃によって、翼竜の翼を撃ち抜いたのだ。

 傷跡はそれほど大きくはない。だが、雷撃の魔法は見た目の跡よりも、ずっと破壊力のある魔法だ。一瞬で翼を貫かれた翼竜は、その衝撃で地に落ちたのだろう。

 その時点では生きていたとしても、翼を破壊されたならば、その後の生存は厳しかったに違いない。


 少しだけ希望が見えた。

 アルヴァも山の東側に進路を選んだのだ。それもきっと南を目指すために。

 彼女が並の女性よりもたくましいとは知っている。けれど、準備も知識もない状態で、下界を迷いなく歩き続けることは難しい。ひょっとしたら、村に着くまでに追いつけるかもしれない。


 *


 山を降りたソロン達は荒野を歩いていた。

 乾いた地面が広がっているだけならよかったのだが、道は岩だらけのデコボコで全くもって歩きにくい。


「大ムカデとハイエナには気をつけてね。ハイエナって分かるかな?」


 ソロンは仲間達に注意をうながした。

 この付近はイドリスの統治も及ばないが、さほど距離は離れていない。生息する魔物もおおよその察しがつく。


「ブチ模様のついた狼みたいな獣」

 ミスティンは頷いて、説明をし出した。

「――集団で狩りをするのが得意。性質は凶暴だけど臆病な面もある。メスのほうが強くて大きいから、群れのボスも大抵はメス。後はメスにも男性器のようなブツがついているので、昔は両性具有と考えられていた」


 無駄に詳しく語ってくれた。やはり、動物には精通しているらしい。


「そ、そう……。さすが詳しいね。とにかく、群れで襲ってくるから注意して。ミスティンが言った通り臆病だから、何匹か返り討ちにすれば、あっさり逃げていくと思う」

「うん。知ってる」


 とにかく、ハイエナは上界にも下界にも存在しており、同じ呼称が通用する。古くからいる生物で、なおかつ両世界に生息するからだろう。


 荒野というより、岩石砂漠と表現したほうが正しいかもしれない。そんな地形を歩き続けること一時間。

 こちらの様子を遠くから(うかが)う獣達の影が目に入った。


「ハイエナだね」


 まだかなりの距離があるが、ミスティンは早々に正体を察したようだ。

 こちらに近づいて来た一匹へ、ミスティンがすかさず矢を放った。まだ相手が襲ってくるかどうかも分からない段階だったが容赦ない。

 狙い(あやま)たず命中。矢が刺さったハイエナが地に転がった。


 その有様を見たハイエナ達は慌てふためき、叫び声を上げた。そうして、ハイエナ達はあっという間に散らばって逃げていく。

 こちらは三人もいるのだ。勝ち目はないと悟ったのだろう。

 ハイエナの死骸に近づくミスティン。


「もしかして、それも食う気か?」


 グラットの問いかけに、ミスティンは首を振って否定する。


「まさか、皮は固いし臭みも強くて食えたもんじゃないよ」

「……食ったんだ?」


 そう聞いてみたら、ミスティンは渋い顔をこちらに向けた。それが返事の代わりらしい。

 何をするのかと思いきや、ミスティンは死骸から矢を引き抜いた。しばらくは矢の補充ができないため節約する方針らしい。

 木を削って作れないことはないだろうが、手間がかかる上に品質を確保できない。きちんと店で買った物を使い回すほうが無難なのだろう。


 徐々に日が陰っていく中を三人は歩いていく。といっても、まだ数時間は陽が射しているはずなので焦る必要はない。

 トカゲに蛇にキツネ。緑に乏しい荒野ではあるが、こんな場所にも生物はいる。魔物の気配はないようだが、ソロンは岩陰にも目を配りながら油断しない。

 ……と、右側の大岩の陰に細長い生物が見えた。

 細長い黒い胴体に、無数と表現したくなるような数々の足がついている。


「大ムカデだ」


 ソロンにとっては既知の魔物である。動じることはなかった。

 ちなみに、大ムカデというのは正式な学名でもある。さもありなん。命名者もそれ以外の名前のつけようがなかったのだろう。

 しかし、他の二人にとっては初めて見る魔物であった。


「うわっ、気色わり!」


 グラットが嫌悪をあらわに叫んだ。

 ミスティンは無言で続けざまに矢を放った。

 一発目の矢が胴体に刺さる。ムカデはよろめいただけだった。しかし、すぐさま飛来した二発目の矢でムカデの動きが止まった。ついに三発目の矢で頭を射抜いて仕留めた。

 大型のムカデとはいえ、頭をやられては生きてはいられないらしい。


「さすが、ミスティンは仕事が早えな」


 グラットが賞賛するが、ミスティンの様子がおかしい。青い顔をして死骸のほうを気にしているが、視線は向けない。


「……どうしたの、ミスティン。矢を回収しないの?」


 その様子を見れば、薄々事情は察せられるが一応は聞いてみる。


「虫は嫌い……。特に足が多い奴は無理」


 哺乳類、鳥類、爬虫類(はちゅうるい)と動物好きに見えたミスティンも、節足動物は苦手らしい。

 彼女はそう言いながらも、死骸に刺さった矢を指さす。視線はソロンとグラットのほうをわざとらしく行き来している。……男二人で回収しろということか。

 矢を諦める選択肢もあったが、無駄にできないのも確かだ。


 渋々ながらソロンはムカデに近づく。グラットも「しゃーねえな」と観念して一緒に近づく。

 酷いわがままのようだが、確かにこれは無理だ。大ムカデは生きていようが、死んでいようが気持ち悪い。女にさせられる仕事ではない。

 というか、男でもやりたくない。嫌々ながらも、矢で射殺したことを賞賛すべきだろう。

 どうにか二人で三本の矢を引き抜いた。……変な液体が付着している。


「……あれは、そんなに速くないから逃げてもいいよ。戦う時は僕が魔法でやる。君は手を出さないでいいから」


 ソロンは三人が一番幸せになれそうな方法を提案した。力を合わせてお互いの幸福を追求し、不幸を避ける――それこそが仲間のあるべき姿なのだ。


「うん。お願い」


 頷いたミスティンは、矢を布で丁寧にぬぐってから矢筒に格納した。

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