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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第二章 失われた世界
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下界の伝説

 ゾゾロアと共に家に帰ることにした。何にせよ、しばらくは犬人夫妻にお世話になるしかなさそうである。

 となれば、必要なのは仕事だ。

 アルヴァはもういい大人である。帝国でも十八歳といえば立派な成人だ。

 このような地方では力仕事が主体となるため、働き始める年齢はさらに下がるだろう。十五かそこらでも、立派な労働力とみなされるのは想像に難くない。


 自分の性格を考えても、働かずにタダ飯を喰らうという発想はなかった。

 ともあれ、仕事について考えるならば、先に把握したいことがあった。


「つかぬことをお聞きしますが、この辺りに通貨というものはあるのでしょうか?」


 帰路を歩きながら、ゾゾロアに尋ねてみる。


「通貨? なんのことだい?」


 意味が通じていないらしい。ひょっとしたら通貨という概念が存在しないのではなかろうか。

 ソロンによれば、かつてイドリスとネブラシアには交流があったらしい。言語がこれほどまでに類似しているのは、そのせいとしか考えられない。

 そうなると、交流が絶たれてから生まれた概念は、こちらの言葉としては通じないはずだ。


 ……といっても、さすがに考えすぎかもしれない。きっと『通貨』という言い方が難しかったのだ。考えてみれば、通貨という言葉自体が少々学術的でもある。

 そこでより庶民的な表現へと変えてみる。


「ゾゾロアさんは、お金を持っていますか?」


 ゾゾロアは大きくウンと頷くと。アルヴァの背中をバンバンと叩いた。今度は通じたらしい。


「ああ分かってるよ。アルヴァは、お小遣いが欲しいんだね。年頃の女の子だもんね。特にあんたみたいな別嬪(べっぴん)は、色々と入り用だろうからねえ。ウチもそんなにお金持ちなわけじゃないけど、ちょっとぐらいならお小遣いもあげられるよ」


 ……通じてはいるが、飛躍している。これではまるで乞食(こじき)になった気分だ。誇り高いアルヴァとしては頂けない。


「いえ、そういう意味ではなくて……。きちんと仕事をして、それでお金を稼ぎたいと思っています。大人として当然のことですから」

「ああ、そうかい。アルヴァは偉いね。ちょっとぐらいの間だったら、あたしらで養ってあげてもよかったんだけどね。娘もいなくなっちまったし。……でもそうだね、甘えてばかりだと、あんたも将来は困るだろうしね」

「そういうことです」


 と、アルヴァは頷いて話を戻す。


「――それで、この辺りのお金の仕組みについて、確認したかったのです。……お金とは金や銀、あるいは銅といった金属という認識でよろしいでしょうか?」

「んん? それ以外にお金があるのかい? まあ、この辺だと金貨はあんまり見ないけどさ」


 お金とは金属の硬貨であるという認識でよさそうだ。それなら帝国と変わらない。


「他にもお金の代わりとなるものはありませんか? 物同士の交換によく使われる物のことです。例えば、貝殻なんていかがでしょう」


 帝都では取引にはもっぱら硬貨を用いる。しかし、同じ帝国内でも地方に行けば様相が変わる。小麦などの物を仲介した交換を行う文化が残っていた。


「物々交換ってことかい? 貝でも形のよい物なら、交換に使えるよ。他には米や魚なんかもあるけど、この辺だとやっぱり一番は塩だね」

「塩ですか。……まさか、海水から取るのですか?」

「そりゃそうさ。他にどこから取るってんだい?」


 考えてみれば当然である。しかし、上界で生きてきたアルヴァにとっては、海水から塩を抽出するという発想が浮かばなかった。


「上界では、おおむね岩塩から採取していました。ですが、海から塩が取れるのなら良い産業になりそうですね」


 数日前は海水を飲めずに酷く落胆したが、塩水にもそれ相応の価値があったわけだ。

 もちろん、塩は帝国でも重宝される。タンダ村と帝国で交易できれば、さぞかし儲かるだろう――などと詮ないことを考えてしまう。


「興味あるんだったら、明日、あたしと一緒に潮汲(しおく)みに行くかい? 最初は大変かもしれないけど、女の子でも働ける仕事だよ」

「ええ、ぜひともお願いします」


 通貨制度について確認していたら、いつの間にか潮汲みの話になっていた。とはいえ、どちらにせよ仕事は探すつもりだった。ここは渡りに船――と、働くしかない。


 *


 ゾゾロアの家に戻った。

 漁からモゴロフが帰ってくるのを待ってから、三人で歓談しながら夕食を取った。段々と箸の使い方にも慣れてきている。

 食後、既に暗くなりかけていたが眠るには少し早い。村長から借り受けた本を広げた。



「暗い中で本を読むのは辛いだろう。これを使いなさい」


 モゴロフがランプを渡そうとした。魚から取れる油を使うらしい。


「大丈夫です。私にはこれがありますから」


 アルヴァは蛍光石のブローチを見せた。以前、ベスタ島の遺跡を探検する時も、大いに役に立った逸品だ。

 蛍光石は魔力に反応して光を放つ魔石の一種でもある。

 また、魔力の代わりに外部の光を蓄積する効果もあった。つまり、日中に太陽光を蓄えておけば、夜も明かりになる優れものなのだ。


「はあ~、便利だねえ」


 ゾゾロアが感心した声を上げる。

 それを傍目(はため)にして、蛍光石の明かりの中で本を開いた。

 やはり帝国の文字と共通する部分が多くある。ただどうにも字体が古い印象を受けた。古い時代の書物を読んだ時に、見られる文字に似ていたのだ。

 それはこのイドリス王国と帝国が、何百年も前に枝分かれしたという事実を示していた。

 どうにか理解した内容は次のようなものだった。


 かつて、世界は大海に覆われていた。今ある海よりも(はる)かに巨大な本物の海である。

 今日、我々が海と呼んでいるものは湖に過ぎない。

 本物の海とはどこまでも、どこまでも広がるもの。万里(ばんり)にも渡る塩水の海なのだ。


 ある時、天空に住まう良き神が血を流した。

 血の一滴は海水と交わり、それが生命となった。

 最初の生命は小さなものだった。それも人の目に見えない程に。


 陸地には、いまだ生命がなかった。

 徐々に海に生きる命は広がり、たくさんの生物が棲まうようになった。海は豊かな生命の宝庫として繁栄を極めていった。

 生物は長き時を経て、自らを進化させていった。そしてついには、陸地へとたどり着いた。陸地の生物も進化をたどり、やがて人が生まれた。


 人もまた長き時を経て、文明を築いた。陸地を支配し、大海へと船で漕ぎ出し、雲の上へと飛び上がった。

 ある時、天空に住まう悪しき神が世界を見初(みそ)めた。

 悪しき神は、良き神と同じように血を流した。

 しかし、悪しき神の血がもたらしたのは生命ではなく呪いだった。

 塩水の海は呪いの海――呪海(じゅかい)へと変わっていく。呪海は陸を侵食していった。世界は呪海に(むしば)まれていった。


 呪海から逃れ得たのは、ただ空のみ。

 人の中には空へと旅立つ者がいた。そして、雲の上に新しい世界――上界を創り上げたのだ。そうして世界は上界と下界、二つに分かたれた。


 要約すると、そんなところだろうか。

 ……しかしながら、意味が分からない。

 いや、文章の意味はどうにか理解できた。帝国で使う言葉とは、異なる部分も多々あったが、語形の類似から意味は推測できる。

 筆者が子供向けにやさしく文章を書いているのも伝わった。それに分かりにくいところは挿絵(さしえ)もある。だから苦労はしたが、かろうじて理解はできた。


 ……にも関わらず、物語の意味が分からなかった。内容が漠然としすぎている。なんだかモヤモヤして仕方がない。

 海については、まだよしとしておこう。万里にも渡る塩水の海……荒唐無稽(こうとうむけい)もよいところだ。帆船(はんせん)を昼夜も問わず進めても、百日では足りない。

 ……まあ、万里とは距離の長さを強調する表現に過ぎないのだろう。真面目に検証するのも、大人げないというものだ。


 それより気になるのは呪海だ。

 神竜教会の伝承にも同様の言葉が使われているが、それにしても意味不明にも程がある。

 悪しき神の血が呪いをもたらした――などと唐突に書かれても困惑してしまう。子供向けの神話なら、分かるように書くべきだろう。これでは何の説明にもなっていない。

 呪いとはいったい何だというのか? 呪海が世界を蝕む? しかし、下界はなんだかんだいっても、その姿を留めている。どこに呪海があるというのか?


 もしかしたら、何かの暗喩(あんゆ)なのか。例えば、呪いとは文明を発達させ、自然を支配しようとする人間のおごりを象徴しているとか……。

 いや、どう読んでもそんなものは読み取れない。しょせんは子供向けの御伽(おとぎ)話だ。真剣に悩むほうが間違っている。

 アルヴァは本を閉じて、目をつむった。

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