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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第二章 失われた世界
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漁村タンダ

 犬人の夫妻と共に、アルヴァは家の外に出た。真昼なのもあってか外は暖かい。そこに吹きつける潮風は涼しく、ちょうどよい心地だ。

 モゴロフは仕事があるようだが、途中までは付き添ってくれるらしい。ゾゾロアは娘を嫁がせたために、今は家事もさして忙しくないそうだ。一緒に村長の元に来てくれるとのことだ。


 そうして、ようやくタンダ村の姿を見ることができた。

 まずは村人の様子を確認してみる。どうやら、ここでは亜人と人間が入り混じって暮らしているらしい。

 アルヴァは人間の姿が見られたことにホッとする。

 亜人が悪人とは限らないとは、既に分かり初めてはいた。それでも、同じ種族の仲間がいる事実に安堵したのだ。

 もっとも、ことさら驚くことでもないのかもしれない。犬人夫妻がアルヴァの見た目にさほど驚かない以上、亜人ではない人間も珍しくないのだろう。


 家は村において、北の入口付近に位置しているようだ。

 村の北には石垣が築かれており、門から出入りできるようになっている。

 帝国にあるような堅牢な石壁ではなく、自然の石をそのまま積み上げた乱雑な石垣だ。下界の魔物の凶悪さを考えると、心もとないように思うが、技術的には仕方ないのだろう。


 村長の家は村の中央付近にあるらしい。そちらを目指して三人で歩いていたが、やたらと村人から注目を浴びていることに気づく。

 小さな村のことだ。既に見知らぬ娘が、運び込まれたという噂は広まっているのだろう。


「その子が野原に倒れていたっていう……?」

「いやあ、噂通りの別嬪(べっぴん)だねえ……」

「今度、ウチにも遊びに連れてきてよ」


 恐れる様子もなく次々と話しかけてくる。夫妻と共に適当に返事をしておいたが、困惑してしまう。

 帝国にいる時も常に注目を集めていたアルヴァだったが、当時は何も気にしなかった。アルヴァは生まれた時から皇女であり、やがては皇帝となった。注目を集めるのが当然の存在だったからだ。


 今はもちろん皇女でも皇帝でもない。こちらを貴人と見なしていないためか、視線も不躾(ぶしつけ)だ。

 よそものの姿がそんなに珍しいのだろうか?

 服を着替えたため、見た目には普通の女と区別がつかないはずだが……。上界から来た事実は、犬人の夫妻にしか伝えていなかった。


「……そんなに私の姿が珍しいでしょうか? 見た目は他の人とさほど変わらないと思いますが」


 ゾゾロアに聞いてみると。


「そりゃあんた、よそ者は確かに珍しいけどね。でも、あんたが注目を集めるのは、美人だからに決まってるよ。あっという間に男共の注目の的だね。もしかして自覚ないかね~?」

「そういうものでしょうか……?」


 正直なところ、容姿に自信がないと言えば嘘になる。しかしながら、これ程までに注目を浴びるとは思わなかった。今は質素な村娘の姿にも関わらずだ。


「そういうもんだよ」



 漁村らしく海岸は港になっている。

 これもやはり帝国にあるような石造りの人工物ではない。自然に造られた海岸に、船をつないだ簡易なものである。船がなければ、ここが港だとは思わなかっただろう。

 ちなみに帝国において『船』と言えば、大抵は竜玉船を指す。海や川に浮かべる船は『水上船』などと呼称して区別する。下界においては、船と言えば水上船を指すようだ。


 港にはたくさんの小舟が繋がれていた。

 帆が張られた大型の船も、あるにはあるが数は少ない。海を遠くに見れば、小舟に乗った漁師達が(かい)()いでいる姿も見える。


「それじゃあ、また」


 モゴロフは仕事のために港へと向かっていった。本当は朝から仕事なのだが、アルヴァの様子が気になったため、休んでいたらしい。

 村の男の大多数は漁師を生業(なりわい)としており、彼もそれは同じだ。

 ただし、それでは毎日の食卓が海産物ばかりになるため、時には海を離れて狩りに行く。


 小さな村であるためか、明確な分業はされていない。一人の者が様々な仕事をこなしているわけだ。

 非効率にも思えるが、柔軟とも言えなくもない。

 とにかく、そうやってモゴロフが狩りに行ったからこそ、アルヴァは発見されたのだ。荷車に獲物と共に乗せられて、村まで運ばれていったのだとか。

 ……そんな姿を想像してみると、今更ながら気恥ずかしい思いがしてきた。


 *


「ここが村長さんの家だよ」


 ゾゾロアに言われなければ、それが村長の家であると分からなかった。というのも、さして立派な門構えではなかったからである。

 かろうじて他の家よりも大きいが、あくまで比較的にという程度だ。これが帝都なら、誰も権力者の家とは思わなかっただろう。

 ゾゾロアは「連れてきたよ!」と声をかけて、ズカズカと中に入っていく。アルヴァも遠慮がちながら後に続いた。


「おお世話をかけるね、ゾゾロアや。お客人も、よくぞいらっしゃいました」


 村長はごく普通に人間の老人だった。どんな亜人なのかと内心では期待していたので、少しだけがっかりした。とはいえ、人間のほうが表情も読みやすいし、話しやすいかもしれない。

 愛想のよい村長に挨拶して、アルヴァは名乗った。

 上界から来たと告げたら、


「やっぱりのう……」


 と、反応が返ってきた。ある程度は予想通りだったらしい。

 村長も礼儀正しく名乗ってくれたが、村人の誰からも肩書で呼ばれているらしい。その名を覚える必要はなさそうだ。


 部屋の中をキョロキョロと見回してみる。村長は村一番の博識と言われるだけあって、たくさんの本が並んでいた。

 その背表紙には本の題名も書かれてある。

 やはり、帝国で使われているものと酷似(こくじ)した文字だ。多少の差異はあるが、これならアルヴァでも内容を読めそうだ。後で借りられないか頼んでみよう。


「客人をいきなり質問攻めにするのも、アレじゃしな。何か聞きたいことはあるかの?」


 そんな興味津々なアルヴァの様子を見て、村長が言った。

 尋ねたいことが多すぎて悩んだが、ふと壁にかけられた表のような物が目に入った。

 たくさんの数字が1から30まで並べられている。数字の形状も帝国とほぼ同じ。悩むまでもなく暦表――つまりカレンダーとしか考えられない。


「今はいつでしょうか? 何年、何の月、何日ですか?」


 もちろん、帝国の太陽暦がそのまま通じるとは考えていなかった。漁村では海の干満(かんまん)を把握することが肝要であり、それは月の満ち欠けに左右される。

 つまり、月を基準とした太陰暦のほうが便利がよいとも考えられた。

 アルヴァはそういったことも承知の上で尋ねた。どのような答えが返ってくるにしろ、貴重な情報に変わりなかったからである。


「八四九年、六月の十五日じゃよ」

「八四九年、六月……」


 オウム返しにそうつぶやいて、絶句する。その短い返事には多くの情報が含まれていたからだ。

 気づいたことは三つ。


 一つ目は上界の帝国とほぼ同様の(こよみ)を使用しているらしきこと。

 アルヴァが下界に追放されたのは、勝利の月の八日だ。そして放浪すること七日間。力尽きたのは十四日であり、その翌日が今日だとすれば十五日だろう。

 勝利の月とは六番目の月である。つまり日付は完全に一致していた。


 帝国の暦――サウザード暦は太陽の動きを基準とした太陽暦である。制定される以前は、月を基準とした太陰暦を用いていたと伝わっている。

 下界だろうが、上界だろうが、年間を通してみれば太陽の動きに違いはない。暦は同じでも不便はないはずだ。しかし、同じ暦を使っているという事実自体が妙なのだ。


 二つ目は暦年に帝国とは微妙なずれがあること。アルヴァの知るサウザード暦において、今は八三七年である。十二年のずれは、いったい何を意味しているのだろうか?


 三つ目は月を数字で表現する習慣は、帝国にはないということ。

 そして、思い出した。これはあの赤髪の少年と話した内容とも一致する。


『ところで、暦月の呼称は違っても月日自体は同じなんですね。あれは私の御先祖様が大昔に定めた暦法のはずですが……』

『僕の故郷も、昔はネブラシアと交流があったそうなんです。そのお陰で昔の暦が伝わっていたのかも……。ただ帝国とは崇める神様も違いますから、月の名前は残らなかったのだと思います』


 そう――ソロンとはこんな会話を交わしたのだ。それで次の質問を投げかけることにした。


「イドリスという地名を知っていますか?」


 村長もゾゾロアもキョトンとした表情を見せた。


「知ってるも何も、ここはイドリスだけど?」


 ゾゾロアの答えに、今度はアルヴァがキョトンとする番だった。


「どういうことですか……? ここはタンダ村とおっしゃいましたよね」

「だから、イドリス王国のタンダ村じゃよ。イドリスの王都そのものは東にあるがの」


 つまり、首都と国家は同じイドリスという名前を持っているという意味だろう。ちょうどネブラシア帝国と同じような構造である。

 とにかく、イドリスという地名は実在し、アルヴァはその一部にたどり着いたのだ。ならばと、次なる質問を投げかける。


「……ソロンという少年を知っていますか?」


 この村だけでも、どれだけの人数がいるか分からない。一人の名前を尋ねたところで、それが分かる可能性は低い。

 だから、アルヴァは半ば駄目元のつもりだった。

 ところが――


「あんた、ソロン様の知り合いだったんかね?」


 ゾゾロアから奇妙な返答が返ってきたのだった。

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