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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
序章 雲海の帝国
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仲間の契

 翌日。昼がとっくに過ぎ去り、太陽が雲海に沈むより幾分前の時刻。

 甲板(かんぱん)から北を眺めるソロンの視界に、陸地から雲海へと突き出る小島が目に入った。


 多くの船が集まっているそこが帝都の港――ネブラシア港だった。

 元々は天然の島であったが、陸地へと橋をつなげて港へと改修したという。かつて見たことのない石造りの巨大な港だ。

 港へは静かに雲の波が押し寄せている。雲海にも波はあるようだが、水の海とは違って至って穏やかだった。


 港には数々の竜玉船が停泊しているが、いずれもソロンが乗っている船と同様に帆はついていない。

 それでも動作する仕組みは、ソロンにはよく分からなかった。

 中には金属で補強された船すらある。故郷イドリスの技術では信じられないものばかりだ。


「ありゃあ、雲海軍の船だな。敵とぶつかってもいいように補強してるんだぜ」


 そんなソロンの視線に気付いてか、グラットが説明してくれた。


「はー。雲海の上で戦争する軍団があるってことか。何だか壮大だね」


 さらに港の向こう側を眺めれば、立派な高い建物がそびえていた。まだかなり離れているのにはっきり見えるということは、恐ろしく巨大だ。


「あれって、もしかして……?」

「ネブラシア城だね。皇帝陛下がいるところ」


 ソロンが指差した先を見て、ミスティンが答えてくれた。

 やはりあれこそが帝都の中枢――ネブラシア城なのだ。その城を中心にいくつもの建物が並んでいた。

 まだ港にたどり着いてもいないが、既にソロンは悟っていた。

 帝都はソロンの常識を(はる)かに越えた大都市なのだ。ひょっとしたら、イドリスの十倍近い規模はあるかもしれない。


 都市の威容を眺めているうちに、船は港へと接岸した。ソロンが初めて経験した雲海の船旅は、こうして終わったのだった。

 港には酒場や宿といった施設も並んでいる。小島の中だけでも、小さな港町ぐらいの規模はありそうだ。


「戦った者は雲軍基地まで付いてきてくれ。皇帝イカの報告をするからな」


 船長が乗客を先導して、真っ先に船を降りていく。


「雲軍基地?」

「さっき軍船を見ただろ? 雲海の治安を守る帝国雲海軍の基地だ」


 ソロンが疑問の声を上げれば、グラットがすかさず答えてくれる。


「いや、それは分かるけど、なんで基地に?」

「そりゃ、昨日みたいなバケモノには、報奨金が懸けられてるからだ。魔物退治は本来なら軍の仕事だからな。市民のご協力に感謝ってわけよ」

「なるほど」

「つーわけで、俺達も行くぞ。あんだけの大物なら報酬もたっぷり期待できるからな。たっぷりせしめてやろうぜ」


 グラットは俗な笑みを浮かべながら、船長の後を追い始めた。既に今から報酬のことで頭がいっぱいらしい。


「そうだね、貧しいソロンにはありがたいかも」


 ミスティンも後に続きながら、付け足した。


「貧しいは余計だよ。……っていうか、僕ももらっていいのかな?」

「もらえるに決まってんだろ。誰があのイカを倒したと思ってんだ」


 グラットの言葉に、ソロンはバツが悪そうに頭をかいて。


「いや、さすがに密航した手前、言いづらくて……」

「お前……そんなんでよく一人旅なんてやってるよな」


 グラットは呆れるようにこちらを見た。


「別に一人旅したかったわけじゃないけど……。色々あって、家を出ることになってさ」

「あっ、ソロンも家出なんだ!」


 仲間を見つけたとばかりに、ミスティンの目が輝いた。


「違う違う。ちょっとばかり帝都に用事があってね。故郷のみんなは忙しくて、僕がやるしかなかったんだ」

「そうなんだ……」


 ミスティンはあからさまに意気消沈していた。


「よく分からんが、お前も大変なんだな。とにかく付いてこいよ。報酬については、俺がお前のぶんも、せびっといてやっからよ」

「それじゃあ、お願いしようかな」


 ソロンは親切に甘えることにした。

 竜玉船を降りたソロン達は、基地へ向かって港を歩くのだった。


 *


 雲軍基地は船を降りてすぐそこにあった。雲海に面した驚くように大きな要塞がそれだった。

 基地は雲海に対して大きな口を開けており、そこから軍の竜玉船が何隻も直接出入りできるようになっている。

 もちろん、ソロン達は陸の入口から中に入った。

 さすがに奥深くまでは向かわないらしく、報告は入口付近だけであっさりと済んだ。


「そらっ、お前の取り分だ」


 基地を出たところで、グラットが袋を放り投げた。それをソロンが両手で受け取る。

 報酬は船長が一括で受け取っていた。

 そして、グラットがその船長にかけ合う姿を、ソロンは遠巻きに眺めるだけだった。

 密航という引け目があったため、近くで話を聞く度胸すらなかったのだ。


 ともかく、交渉は無事に終わったようである。今日一日でも、夜を越せるお金があれば――と、ソロンは願った。


「へっ!? こんなに……!」


 さっそく袋を開けば、帝国の通貨であるクァーネ金貨が数十枚もあった。

 クァーネ金貨は金の含有率が低いため、見た目ほどの価値はないと聞く。

 だが、これだけの枚数となれば話は別だ。贅沢しなければ、一ヶ月は暮らせるかもしれない。


「お前が一番働いたからな、奮発してもらっといたぜ。俺様の交渉術に感謝しな」


 グラットは得意気に胸を叩いた。


「わぁ、ありがとう!」


 ソロンは感激に声を上げたが、すぐにハッとして。


「――あっ……でも、全部もらっちゃまずいよね。一枚でいいかな?」


 ソロンは金貨の一枚をグラットに渡そうとした。こちらの慣習は知らないが、手間賃を渡すのが礼儀というものだろう。


「いらねえよ」

 グラットは悩みもせずに拒否した。

「――俺は俺で、働いた分はもらってるしな。ともかく、これで借りは返したぜ」

「借りって、なんかあったっけ?」


 ソロンが疑問を浮かべれば、


「イカに巻かれてたやつ」


 なぜかミスティンのほうが答えた。


「ああ、あれか」


 皇帝イカの触手に巻きつかれたグラットを、ソロンは助けたのだった。


「いや、あれは頼むから忘れてくれ……」

 苦々しい表情でグラットは懇願(こんがん)した。

「――まあそれよりだ。それだけあれば、ちっとは贅沢してもいいよな」


 グラットはニヤリと笑みを浮かべ、ソロンの首元をつかんだ。


「お腹すいたよね」


 ミスティンもすかさずソロンの左手をつかむ。

 ちょうど夕食の時間であったため、確かにお腹はすいていた。そこへ追い打ちをかけるように、至るところから(かぐわ)しい香りが(ただよ)ってくる。

 船の乗客や船乗りを狙った飲食店の巧妙な戦略なのだろう。


「僕は別に――」

「旅人だったら出会いは大切にしろよ。酒の一杯ぐらいは付き合うのが、冒険者の(たしな)みってもんだ」

「そうそう、ソロンのこと、ちょっと気に入ったかも」


 ……流れで、グラットとミスティンの三人で酒場に入ることになりそうだ。

 酒が飲めないソロンは気が進まなかったのだが、二人が「まあまあ」と離してくれなかった。


「はあ、まあ仕方ないか……」


 そうして、ソロンは二人と一緒に港の酒場へと入った。

 辺りが徐々に薄暗くなっていくが、人通りに陰りは見られない。帝都の住民は、よほど活動時間が長いのだろうか。


 客が入り始める時間のようだが、酒場は既ににぎやかだった。これから、もっと騒がしくなっていくのかもしれない。

 ソロンはそもそも騒がしい場所が苦手であり、それもまた気が進まなかったが……。


「まあ、いいから飲めや」


 席に着くと、グラットがお約束通りに酒を勧めてきた。酒場に来たなら誰であれ酒を飲むのが当然――と言わんばかりだ。


「飲めや……って、お酒は何歳からだっけ?」


 ふと気になったので尋ねてみれば。


「あん? 十八からに決まってんだろ? お前が何歳かは知らんが、こまけえことは気にすんな」

「十七歳だよ。君はともかく僕は気にするの!」


 確認してよかったとソロンは安堵する。予感した通り、飲酒が許可される年齢が故郷とは異なっていたのだ。

 故郷イドリスでは十六歳で許可が降りる。そのため、ソロン自身は飲酒の経験もあった。

 もっとも、酒に良い思い出はない。

 十六歳の誕生日に、兄や友人からたらふく飲まされて吐いた記憶があるだけだ。


「ダメ。未成年への飲酒強要は罪になる。ソロンは無罪だけど、グラットは逮捕」


 ミスティンがコクンと頷いて、グラットをたしなめてくれた。


「そうだっけか~!?」


 グラットは残念そうにしながらも引き下がった。

 故郷では既に成人を迎えたソロンも、ここでは未成年なのだ。ありがたく法律の庇護(ひご)にあずかろう。


「なに頼む?」


 ミスティンはお品書きを手に取って、ソロンに見せた。

 お品書きには料理名と値段の他に、絵が載せられている。こちらに不慣れなソロンにとっては、ありがたい配慮だ。


 料理の中心を占めるのは、雲海料理である。普通の海鮮料理らしきものもあるが、値段が張る。

 やはり、帝国へ来たからには雲海料理を味わうべきだろう。昨夜の皇帝イカだけでは、まだまだ満足できない。


「あっ、じゃあ。この飛燕魚(ひえんぎょ)の刺し身で。あとミカンジュースも」


 帝国の文字をどうにか読み上げて、ソロンは答えた。

 イドリスとはところどころ文字の形状が異なるものの、大半は似通っている。恩師の教えに誤りがなければ、これで通じるだろう。


「ソロンって……それ読めるの?」

「読めるけど……。もしかして、バカにしてる?」

「ううん。ビックリした」


 ミスティンは、本気で感心するような表情をしていた。

 どうやら、文字も読めないほどの無教養と思われたらしい。

 しかし、それも当然かもしれない。彼女から見て、ソロンは世間知らずな田舎者である。文字を読めるほうが不自然なのだ。

 ともあれ、悪気はないらしい。ソロンは気を取り直して、雲海料理を注文した。


 雲海の魚は透き通った見た目に(たが)わず、クセのない味と歯応えだった。甘辛いソースがしつこくない程度に舌を楽しませてくれる。

 それから、ちびちびとミカンジュースを飲む。

 ソロンの故郷は日当たりに恵まれず、作物の生育が悪かった。比較すると帝都の果汁は大変においしい。


 ミスティンは酒を飲んでいたので、やはりソロンより歳上らしいことも分かった。

 ただし、二杯目からは「おいしそうに飲むね」と(うらや)み、ソロンと同じものを頼んでいた。


「お前達もしばらくは帝都にいるんだろ?」

 食が進んだところでグラットが切り出した。

「――なあ。俺達で組まないか。一人では厳しい仕事も三人力を合わせりゃ百人力だ」


 通常、冒険者とは徒党を組むものである。その数は二人の場合もあれば、何十人という大所帯(おおじょたい)となることもありえる。

 どちらにせよ今までのソロンのように、魔物あふれる世界を一人で渡り歩こうという在り方は無謀なのだ。


「どのみち仲間は探さないといけないし、私は構わないけど……」


 ミスティンは了承する素振りを見せたが、同時にソロンの様子を(うかが)った。


「えっと……。帝都にはしばらくいるつもり。だけど、探しものがあるんだ」

「別に構わんぜ。お前にはお前の目的があるだろうが、そりゃ俺だって同じこった。なんたって、俺の夢は竜玉船を持つことだからな」


 力強くグラットが言い切った。それで彼が竜玉船について、細かく語っていたことも()に落ちた。


「へえ……。竜玉船かあ。高いんじゃないの?」


 それに対するソロンの感想は、実に小市民的だった。


「まあ竜玉船つっても、ピンキリだ。小舟に竜玉を乗っけただけのボロなら、金貨百枚から買えるぜ。まっ、俺としちゃあ最低でも、金貨千枚相当の船は欲しいけどな」


 金貨千枚――帝国に来てからまだ日が浅いソロンだが、おおよその価値は知っている。ちょっとした家が買えそうな金額だと考えればよいだろうか。


「ふ~ん。夢があるのはいいことだね」

 ミスティンが相槌を打った。

「――ちょっと見直したかも。私はあんまりそういうのないから、少しだけうらやましい」


 適当なようで案外、本当に感心しているのかもしれない。


「まあ、そんなわけだ。ただ帝都に留まるにも金がいる。だったら、時々は力を合わせて仕事する仲間がいたほうが便利だろ?」

「それと、ソロンは世間知らずだから。一人で動くのはちょっと心配かな」


 確かに二人の言う通りだ。なんせ、ソロンはあまりにも帝国のことを知らない。

 故郷で多少の事前知識は得ていたが、しょせんはよそ者なのだ。強く束縛されないのならば、悪い条件ではない。


「分かった。これからはよろしく頼むよ」


 ソロンは二人と仲間の(ちぎり)を結んだのだった。

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