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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第二章 失われた世界
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目を覚ませば

 木の骨組みに藁葺(わらぶ)き屋根をかぶせただけの粗末な家の中。

 アルヴァはそこに横たわって、眠っていたようだ。体には毛布がかけられている。

 横を向けば、犬のような顔をした二人の人物が視界に入った。

 犬のような――というよりほとんど犬そのものだ。間違いなく亜人だろう。


「あ――」


 悲鳴を上げそうになるが、どうにかこらえた。

 あろうことか、アルヴァは亜人に捕らえられてしまったのだ。……けれど予想はしていた。下界に文明があっても、それが人間のものだとは限らないのだから。


「あら、目を覚ましたんじゃない?」

「おう、そうみたいだな」


 犬の亜人が喋り出した。

 思いのほか穏やかな口調である。発音や抑揚(よくよう)、言葉遣いに違和感があるが、アルヴァにも何とか理解できる言葉だ。


 犬顔なので性別は分かりにくいが、先に話したほうが女、次に話したほうが男だろう。口調や服装といった雰囲気からなんとなく推測がついた。

 女の犬人(いぬびと)はスカートらしきものをはいている。

 帝国では女の亜人を見る機会は少ない。いないわけではないが、亜人奴隷とはそもそもが戦争の敗者である。亜人でも男のほうが戦いを担当する傾向は変わらなかった。


 アルヴァの亜人に対する嫌悪感は強い。

 かつては自身、北方の兵を引き連れて、亜人と戦った経験があるのだ。それも自身の代からではなく、先祖代々からだ。

 帝都市民の中には、亜人に対して親しみを持つ者も少なからずいた。帝都にいる亜人は大半が奴隷である。それでも使役しているうちに愛着が湧くものらしい。


 もっとも、その愛着も亜人の脅威に触れていないからこそ持てるに過ぎない。北方の民のように、日常的な脅威にさらされていれば、そのような感情は決して持てないはずだ。

 アルヴァにとって亜人とは一に奴隷、二に敵である。


 ただし、ここは下界だ。

 上界の決まりをそのまま適用できない。

 今は様子を見るべきだろう。単身で反抗を試みても、うまくいくとは思えない。

 捕虜か、奴隷か、一思いに殺されるか……。どのような処遇を受けるか分からないが、焦ってはならない。

 そうやって黙って観察していたら、犬人と目があった。観察していたのは向こうも同じだったのだろう。なんとなく気まずくなって口を開くことにした。


「ここは……どこですか?」

「おっ、声は出せるみたいだね! 思ったより元気そうでよかったよ。野原の上で、ボロボロになって倒れてらしいからね。最初は死んでんじゃないかってさ。よく魔物に喰われずに済んだね」


 犬女は一気にまくし立てた。

 どうやら、狩りの途中でアルヴァを発見したらしい。果てのない歩みに心が折れる寸前だったが、思ったよりもずっと人が住む場所まで近づいていたようだ。

 人――とはいっても亜人だったのが残念だが……。


「ちょっと待て。この子は『ここはどこだ』って、聞いたんだ。まずは質問に答えてやるのが先だろ」


 話し続ける犬女を犬男がたしなめた。どうやら、男のほうが幾分落ち着いた性格らしい。


「おうすまんすまん。あんたの言う通りだね。ここはタンダ村だよ。知ってるかい? タンダ村」

「いえ……」


 犬女の勢いに飲まれて、言葉少なに答える。


「まさか知らないのかい? うちの村を。一体どこに向かうつもりだったんだ。目的もなく歩き回っていたってわけじゃあないよね? いい歳した女の子のやることじゃあないさね」


 犬女は自分の興味のままに尋ねてくる。

 どうやら、かなりお喋りな性格のようだ。

 帝国では平民・貴族を問わず、こういった話し好きの中年女はよくいるが、似たようなものだろうか。そう考えてみれば、少しだけ警戒心が薄れた。


「私は……追放されて来たのです。人がいる場所を探していました」


 犬女はこちらの返答を、うまく理解できなかったらしい。ポカンとした表情を浮かべた。相手は犬顔だが、この表情はアルヴァにも分かった。それが少しばかりおかしい。

 だが、犬男の反応は違った。


「追放って……もしかして上から来たのか!?」


 上――間違いなく上界を指している。犬男はアルヴァの話を正確に理解したようだ。


「はい。上界を追われて一週間……。ようやく、ここにたどり着いた身です」

「そうかい。それは大変だったねえ。まあ、追い出したりはしないから、しばらくゆっくりしていきなよ」


 犬女は中年女らしい包容力で、優しげに言った。

 犬男のほうも、ウンと頷いて同じ考えであることを示す。その様子を見れば、それほど警戒しなくともよいのかもしれない。


「すみません、申し遅れました。私はアルヴァネッサ・イシュティールと申します。助けていただき感謝いたします」


 サウザードの姓を名乗らなかったのは、皇籍を剥奪(はくだつ)されているためだ。イシュティールとは母方の姓である。

 この期に及んでそんなことを気にする必要があったかは怪しいが、アルヴァは生真面目だった。

 名乗ったアルヴァを見て、犬女は嬉しそうに笑った。


「あたしはゾゾロア。こっちは亭主のモゴロフってんだ」


 変な名前だ――とアルヴァは思ったが、口には出さない。これは亜人の感性なのか、それとも下界の感性なのだろうか……。

 犬女ゾゾロアは、なおも話を続ける。


「――ええっと、アル……なんだっけね? 長い名前だねえ」

「アルヴァで結構です。家族や友人からはそう呼ばれておりますので」

「そうかい。よろしくねえ、アルヴァ」


 妙な気分になった。アルヴァを呼び捨てにするのは、家族や親戚ぐらいである。だから、それ以外の者にそう呼ばれるのは初めてだった。


「それでさ、これからどうするかね?」


 ゾゾロアに質問を投げかけられる。

 ――これからどうするか?

 アルヴァにとって重い質問だった。

 下界で生きていく覚悟を決めるべきなのだろうか?

 それとも、上界に戻る方法を探るべきなのだろうか?

 それにしても、アルヴァは追放された立場なのだ。戻る権利があるかどうかも分からない。


「すみませんが、今はまだ……即答できません。可能なら時間をいただいて、身の振り方を考えたいと思っています。ですから……しばらくここに置いていただけないでしょうか?」


 そう答えたら、二人に妙な顔をされた。


「……いやさあ、そうじゃなくて。動く元気があるか、あるんだったら、食事か体を洗うかって――そういうことを聞いてたんだよ。あんたって子は真面目なんだねえ」

「な、なるほど」


 ……生真面目に考えすぎたらしい。


「君の身の振り方については、さっきゾゾロアが言った通りだ。こんな小さな村でよければ、いくらでもゆっくりしていけばいい。それで、体の調子はどうだね?」


 むっくりと起き上がってみる。体調は悪くなさそうだ。そういえば頭痛もなくなっているし、疲労も感じない。

 改めて見れば、本当に粗末な家だ。

 床は地面の上に木の板を張り巡らしただけ。三人でも窮屈(きゅうくつ)になりそうな狭い部屋。

 それでいて見る限りは他の部屋が存在しない。つまり、この部屋が家の全てに等しいわけだ。


 ふと、かたわらに(かばん)を見つけた。

 中を覗いてみたが、おおむね中身は無事なようだ。……が、食べ物がなくなっている。

 急にアルヴァは不安になったが――


「ああ、食べ物は捨てちまったよ。匂いがキツいし、ほっといたら腐っちまうし、いいだろ。欲しけりゃウチで用意したげるよ」


 それを聞いてほっとする。少しの食料も無駄にできないのは、野外にいた時の話だ。甘えさせてもらおう。


「それで食事にするかい? 今は昼前だけど」


 食事か、体を洗うか。自分の服装を見れば、汚れたマントに汚れた服。つまりは行き倒れになった時のままである。


「体を洗ってよいでしょうか?」


 アルヴァは空腹で倒れていたわけではない。一人旅をしていた時も、狩りで飢えはしのげた。今も空腹感はあるが、我慢できないほどではない。

 なのでまずは、清潔にしたいという長らく叶わなかった欲求を満たすことにした。


「じゃあ、その間に料理しとくよ」

「お願いします。それと、服も洗いたいのですが……」

「構わないけど、それよりウチの娘が着ていた服を使ったらいいよ。そっちはあたしのほうで洗濯しとくから。……しっかし、えらく汚したもんだねえ。一度は勝手に脱がそうかと思ったよ。後で嫌がられそうだからやめたけどさあ」


 そう言ってゾゾロアが服を渡してくれた。

 しかし、ゾゾロアはふっくらした体格である。その娘の服が細身のアルヴァに合うとは、とても思えない。いや、娘も同じような体格だとは限らないか……。

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