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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第二章 失われた世界
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ソロンの告白

 豪雨の明けた帝都の街を、ソロンは宿の窓からぼんやりと眺めていた。

 行き交う馬車が、水溜りを力強く跳ねている。飛沫(しぶき)を受けた通行人が、迷惑そうな顔をしていた。

 彼女の追放先でも、やはり雨は降ったのだろうか? それとも、天気が一致しないほどの遠方にいるのだろうか?


 皇帝が交代しても、帝都に混乱は見られなかった。

 市民は何事もないかのように、日々の暮らしを送っていた。店はいずれも休まず営業されていたし、道を行き交う人も途絶えることがなかった。

 帝都だけに限らず、帝国全土においてもそれは変わりなかっただろう。

 皇帝だって替えがきく――そう述べたのは、他ならぬ彼女だった。この状況は皮肉にも、その言葉を証明していた。


 ソロンは途方に暮れていた。

 故郷に戻ろうにも目的の神鏡がないのだ。神鏡とソロンを結びつける唯一の手がかりはアルヴァだった。その彼女は追放され、今は行方も分からない。

 何はさておき、故郷に戻るべきだろうか? それとも、アルヴァの行方を探るべきだろうか? 彼女のことは諦めて、神鏡を求めるべきだろうか?


 神鏡は今も夜になれば、皇城の頂上から帝都の大通りを照らしていた。

 先の戦いの反動を受けて、神鏡は部分的に欠損したはずだが、見た目にはその影響もない。それを覆い隠すだけの強い光があるためだろう。


 ソロンがこちらに来た目的は鏡の入手だ。帝国だの女帝だの、そんなものは本来どうだっていい。

 けれど、彼女を見捨てて故郷のことだけに専念しようとは、どうにも思えなかった。やはり、アルヴァを通して鏡の力を借りたかったし、それが交わした約束でもあった。

 そうこう考えているうちに、ますますどうすればよいか分からなくなっていた。


 *


 変化があったのは翌朝だった。


「おはよう、ソロン。調子はどう?」


 部屋のベッドで寝こむソロンへと、ミスティンが声をかけた。口調は素っ気ないが、心配そうな表情をしている。


「あんまり……」


 空元気を張ってもしょうがないので、正直に答えた。

 グラットもミスティンも、ちょくちょくソロンを仕事に誘ってくれる。一応、参加するようにはしているが、今一つ気分が乗らない。

 集中力が欠けた状態で、魔物と戦っては怪我をする。だから、簡単な依頼しかこなせなかった。

 全くもって足を引っ張っている。そんな状態で数日が過ぎていた。


 ソロンだって、活動できないほどに体調が悪いわけではない。

 暮らすには当面困らない程度にお金はあった。ただ目的がなかった。正確には目的を果たすための手がかりがなかったのだ。自然、活動する意欲も失せてしまった。


「ごめん、足引っ張ってるね……」


 自分など見捨てて新しい仲間を見つければよいのに――と思うのだが、二人にその様子はなかった。


「別にいい。私だって、たまには気分が乗らないこともあるし。……それよりお客さんが来てるけど」

「お客さん?」


 気になったので、すっと起き上がった。一介の冒険者の宿にまで、わざわざやって来るとは何者だろう?

 仕事の依頼だろうか?

 しかし、ミスティンの口ぶりからして、客はソロンが目当てだと言っているように聞こえた。名指しで依頼を受けるほど、自分の名前が知られているとは到底思えない。


「おう、来た来た」


 部屋の扉を開けたら、グラットと目が合った。彼は客人を連れてこちらに向かってくるところだったのだ。

 ソロンはその後ろにいた客人へと目を向けた。


 茶色い髪をした中年の女性である。

 清潔で品がよいため若くは見えるが、実際はソロンの母親ぐらいの世代だろうか。両手で重たそうな荷物を持っている。

 華美な格好はしていないのだが、それでも平民とは明らかに雰囲気が異なった。

 整った長髪に質素な服装という出で立ちは、どことなくアルヴァを想起させた。貴族の間で共通する感性のようなものがあるのかもしれない。

 女性はこちらを見るや丁寧に礼をしてきた。


「どうぞ、粗末な部屋ですが入ってください」


 ソロンも慌てて礼を返して、女性を部屋へと案内した。


 *


 いつもの三人でも窮屈(きゅうくつ)な部屋である。今は四人になったため、さらに窮屈さが増していた。


「マリエンヌと申します。先日までは皇帝秘書官を務めていました」


 女性――マリエンヌはそう言って挨拶をした。


「てことは、陛下の……アルヴァ様の……!?」

「はい。アルヴァ様が幼少の頃よりお仕えしておりました」


 アルヴァと雰囲気が似ているのは、長年に渡って世話をしていたからのようだ。

 そんな人物がいったい何の用だろうか?

 ベスタ島の依頼を受けた際に、名前や宿泊場所といった情報は提出してある。確かに秘書官ならば、この宿を割り出すのは難しくなかっただろうが。

 とにかく重要な要件なのは確かだ。俄然(がぜん)、緊張が高まる。

 ……が、忘れてはいけない。


「あっ、ソロンです」


 自己紹介をしていなかったため、慌てて名乗った。


「ええ、一目で分かりましたわ。アルヴァ様から聞いていた通りですから」


 そう言われると、どんなふうに伝えられたのか気になってくる。


「陛下はなんと?」

「驚くほどの動きで皇城に忍び込んだとか。鮮やかな赤い髪で、少女かと迷ったけれど話してみたら少年だったとか。確かに人違いのしようもありませんね」


 ……アルヴァから見ても少女のように見えたらしい。心境は複雑だが、文句を言うわけにもいかない。


「……なるほど。それで僕に用があるんですよね?」

「はい。アルヴァ様からこれを」

 そう言って、マリエンヌは重たそうな袋を床に置いた。

「――手に取ってみてください」


 袋の中は、さらに袋と箱の二つに分かれていた。


「うおっ、なんじゃこりゃ……!」


 グラットが絶句したのは、袋の中に大量の金貨を見つけたからだ。

 だが、ソロンの気を引いたのは金貨よりも箱だった。フタを開ければ、丁寧に包装された何かが入っている。

 包装を解いた中から現れたのは――小さな鏡だった。


「これって……?」

「まずはこれを。アルヴァ様からです」


 ソロンの疑問に答える代わりに、マリエンヌは手紙を差し出した。

 鏡と金貨を差し置いて、ソロンは手紙を手に取った。

 何を差し置いても、これを送ってきた彼女の意思を知りたかった。グラットもミスティンも後ろから覗き込んでくる。


『あなた達には本当に感謝しています。一身上の都合で二度とお会いできなくなってしまったのは残念ですが、この気持ちに偽りはありません。

 遅ればせながら、依頼の報酬をお送りいたします。帝都で助けていただいたお礼も合わせていますが、これぐらいあれば竜玉船だって購入できるでしょうか?

 その鏡は帝国の国宝の一部であり、本来なら贈与(ぞうよ)は許されていません。ですがソロン、これはあなたが使うべきものなのでしょう。どうか、あなたの目的のために用立ててください』


 書いた人物の育ちのよさが伝わる美しい文字だ。追放されるまでの短い期間に、これを用意したのだろうか。


「本当はもっと早く訪れるつもりだったのですが、アルヴァ様から後事を託されましたので……。申し訳ありませんでした」


 マリエンヌはこちらに対しても、あくまで腰が低かった。皇帝の引き継ぎともなれば、重大かつそれなりの難作業となるだろう。それが終わったために、ようやくこちらを訪れたようだ。


「いえ、そんなことは……。それよりこの鏡は?」

「手紙にある通りですよ。神鏡の破片を回収して、そこに(ふち)をはめ込んだのです。急造ですが、機能そのものに問題はないでしょう」

「そ、そんなことして大丈夫だったんですか!?」

「大丈夫ではありません。ですが、あなたとの約束を守るため、アルヴァ様がひそかに手を打ったのです。もっとも、先の戦いで神鏡が欠けたのはやむを得ないこと。その破片が紛失しても、誰も不審には思わないでしょう」

「陛下が……。あなただって、こんなことをしてよかったのですか?」


 マリエンヌは力強く頷いた。


「わが家は古くからイシュティール伯爵家に仕えていましたから。アルヴァ様が皇帝であろうとなかろうと、あの方を(した)う気持ちに変わりありません」

「イシュティール伯爵家?」

「アルヴァ様の母君の実家です」


 誇らしげに答えるマリエンヌからは、アルヴァとその母に対しての強い敬愛が(うかが)えた。

 察するに、マリエンヌは皇帝という地位に付属する秘書官ではないのだ。アルヴァの母方に連なる者として、その補佐をしていたようだ。

 ソロンはふと、この人なら知っているのではないかと思い、質問を投げてみた。


「追放刑というのは……陛下は一体、どこへ追放されたのですか? あなたならご存じでしょうか?」


 するとマリエンヌの表情が悲しみに大きくゆがんだ。今にも泣き出さんばかりである。ソロンは聞くべきではなかったのかもしれない、と後悔しかけた時――


「ア、アルヴァ様は……下界へ……下界へ追放されなさったのです!」


 彼女は驚くべきことを答えた。それを聞いて、三人の表情も急変した。


「冗談だろ……!」

「下界って……落として殺したってこと……?」


 驚きを隠せないグラットとミスティン。

 しかしソロンの表情には、どこか二人とは違うものがあった。元より心当たりがあったのだ。そしてそれが今、確信へと変わった。


「まさか、界門を使ったんじゃ!? この辺りにもあるんですか!?」


 ソロンはマリエンヌに問いただした。マリエンヌの表情が、またも一変して驚きへと変わった。


「ここから少し北西にありますが……。どうして、あなたが界門を知ってらっしゃるのですか……!?」


 答えるべきかどうか悩み、仲間の二人に視線をやる。グラットもミスティンもソロンのほうを見ていた。

 そして決心した。ここから先の話をするには避けて通れないのだ。


「僕は……下界からやって来たんです」


 一瞬の沈黙が流れる。三人はその言葉の意味を瞬時に飲み込めずに固まっていた。それから、間を置いて――


「はあぁぁぁ!?」「ほえ……!?」「…………!」


 驚きの声を上げるグラット。気の抜けた声を発するミスティン。口をあんぐりと開けて絶句するマリエンヌ。三者三様の反応が返ってきた。

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