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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第二章 失われた世界
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終わりなき旅

 六日目――目を覚ませば今日も土壁の中。

 喉の渇きが朝から気になる。水分を補給せねばならない。


 しかし、アルヴァには案があった。

 それは朝露(あさつゆ)である。草木に降りた朝露を水流石で吸い取り、水分を集めるのだ。

 木を見つければ、葉に水流石をかざして吸い取った。草があれば、かがんで水分を吸い取った。こうして、地道に朝露を吸い取っていく。


 ……まさしくスズメの涙といった表現がふさわしい。こうまでして、水分を補給せねばならない事実に、言い知れぬむなしさを感じる。しかし、くじけてはならない。

 直接、草木をなめる必要がないだけマシなのだ。一回一回は大した量でなくとも、何度も集めれば十分な飲水になるはず。


 朝露を集めるついでに木々の様子も見ておく。

 木の中に実をつけているものがあれば、それをかじって水分を補給するようにした。これもささやかながら、朝露と合わせれば十分な水分となり得た。


 ちなみに動物の血を飲む案もあったが、色んな意味で恐ろしいので自粛した。

 血液を飲めば、どんな病気をもらうか知れたものではない。そもそも、吸血鬼まがいの行為は淑女たる自分のやることではない。

 ……もうとっくに淑女などと主張できる段階は、通りすぎたような気もするが、それは置いておく。


 西の海に沿いながら、南へと続く道を進んでいた。

 巨大なカニに巨大なヤドカリ――人間の子供ぐらいの大きさはあるだろうか。海岸には海岸特有の魔物がいるらしい。海中に入れば、魚の魔物もいるかもしれない。

 もちろん、不用意には近づかないに限る。


 時には、カニを食べればおいしいだろうか――などという考えも頭をよぎった。……が、なにぶん料理の仕方が分からないので諦めた。


 前方を流れる大きな川が目に入った。川は東のいずこから西の海へと流れ込んでいるようだ。

 アルヴァはさっそく川岸に降りた。

 見た目には綺麗で、魚の気配もある。

 指を川の水にひたし、おそるおそるなめてみた。


 今度こそは塩気のない普通の水だった。どうやら、塩分を含むのは先程の海だけらしい。

 何らかの理由で塩分が蓄積していたのだろうか。興味はあるが、残念ながらアルヴァの知識では及びもつかない。


「ぷはあ……」


 両手ですくった水を飲み干し、アルヴァは大きく息を吐いた。

 帝都で口にする飲料水と味は大差ない。つまりは良質な水ということだ。

 何度も(のど)(うるお)し、さらには土埃(つちぼこり)に汚れた顔と手足を洗った。


「よしっ」


 アルヴァは水流石を川へと向けた。水流石が淡い青の光を放ち出す。

 川の水が浮かび上がり、魔石へと吸い込まれていった。これで当分は水分に困らないはずだ。

 全身で水浴びしたい気持ちもあったが、二つの意味で抵抗がある。得体の知れない川への警戒心と、開放下の屋外で裸にならない羞恥心(しゅうちしん)だ。

 ……ひとまず、今日のところは先送りしておこう。


 休憩を終えたところで、一つ問題に直面していた。

 川の存在がありがたいのは言うまでもない。しかし、同時に前方を(さえぎ)られるため、南へ直進できなくなるのだ。


「まさか、行き止まりでしょうか……」


 不安に襲われそうになるが、冷静になって振り払う。このところ、悲観的になってしまっていけない。まだ道はここから東へと続いているのだから、諦めるのは早い。そちらに向かって歩くことにする。


 そして、見えてきたのは橋だった。

 川幅が狭まる場所に架けられた粗末な木製の橋。それも相当に古く、崩れていないのが不思議なくらいだ。

 それでも、北の遺跡よりは遥かに新しい。ひょっとしたら、今でも使われているかもしれない。


 考えてみれば、これだけ豊かな世界なのだ。アルヴァの見た下界は決して死の世界ではない。たくさんの生物が暮らす世界だ。

 きっと人間だって、今もどこかで暮らしているはずだ。歩いていけば、人里へとたどり着けるに違いない。


 アルヴァは再び希望を取り戻した。

 橋を渡る決心をする。

 ギシギシ音が鳴って不安で仕方ないが、大丈夫そうだ。大した長さではないので、慎重に渡っても三十秒とかからなかった。

 橋を渡った先には、また南へ続く道がある。西には相変わらずの海岸、東には山脈。アルヴァは迷わず南へ向かって歩き出した。


 下界の昼は上界と比較して薄暗い。それでも今日の昼下がりは、いつもよりさらに薄暗く感じた。

 頭に落ちる水滴を感じたのはその時である。


「雨……」


 下界に降りてから、初めての雨。雨は雲海を貫いて、下界まで降り注いでいるのだ。

 いつもより薄暗く感じたのは、上界が(くもり)だったからだろう。上界の雲行きはこちらから見えなくとも、下界への影響は確実に存在するのだ。


 恵みの雨といいたいところだが、既に先程の川で水流石の補充も済ませている。今となっては、迷惑なだけだ。

 ……しかし、そんなアルヴァの都合は叶えられるはずもなかった。どれほどの権力者であっても、天候はままならないもの。ましてや、今のか弱きアルヴァにどうこうできるはずもない。


 雨宿りをするため、大きな木の下へと移動した。

 だが、雨はとどまるところをしらない。どんどんと激しさを増していく。強風と合わさって、容赦なく顔に吹きつけてくる。木陰の雨宿りでしのげるような強さではない。

 マントである程度は防げるが、それでも寒さを感じざるを得ない。

 火竜石をふところに入れて体を温めてはいるが、この雨風の強さでは焼け石に水だ。……いや、この場合は水に焼け石か。


 どちらにしろ、火竜石で体を温めるにも精神力を消耗する。いつまでもやっていては、意識を失ってしまう。早く風雨をしのげる場所を探さなくては。

 西の海岸には砂と海ばかり。しのげるような場所はない。雨を耐え忍びながら、東の山側へと歩いていく。

 風雨に逆らって歩かねばならないため、少しの距離を歩くにも難儀する。


 視界が(さえぎ)られて狭くなる。雨風の音ばかりが聞こえるため、聴覚も頼りにできない。遠くの様子が分からず心細いが、注意深く進むしかない

 山からほとばしる激流が目に入った。

 木々が少ないため、水を留める仕組みに乏しいのだ。うかつに近づいては、飲み込まれてしまう。休むにも、水の流れに巻き込まれない場所を選ばなくてはならない。


 ようやく、山の出っ張りの下にくぼみとなっている箇所を見つけた。

 崖崩れでも起これば一巻の終わりとなりそうな地形。それでも、今は風雨をしのぐために目をつぶることにした。


 草を集めて、火竜石で火を起こす。この雨の下で湿気(しけ)てはいるが、どうにか小さな火がついた。心もとないがこれも仕方ない。

 それから、土竜石で囲いをこしらえた。

 脱いだ服や下着を絞ってから、少しずつ乾かしていく。この魔石があれば、淑女としての最低限の矜持(きょうじ)も保てるというもの。

 ……人がいるかどうかも分からぬ世界で、矜持も何もないかもしれない。けれど、恥じらいを捨てては人としておしまいだ。

 

 マントにくるまって寒さに耐えながら、雨が収まるのを待つ。

 そうすると、ついには日が暮れてしまった。

 今日は歩みを止めて、ここで夜が明けるのを待つとしよう。

 明日の晴天に望みを託すのだ。雨音がうるさくて眠れないが、他にできることはないので仕方がない。


 *


 七日目――雨はやみ、望み通りの晴天となった。

 漂泊の旅はなおも続いた。

 そろそろ、感覚だけでは幾日が過ぎたかも分からなくなってきた。それでも、紙に日付を書き留めるようにはしていた。

 この下界において日付を記録したところで、どれほどの意味があるのかは分からない。ただ、正気を保つための儀式でしかなかった。


 たった一週間だ。この程度の旅は大したことではない。冒険者や軍人といった者達なら、これしきの日数を野で過ごすことはさして珍しくもないだろう。

 そう思い込もうとするがやはり辛い。

 せめて先が見えていれば、違ったかもしれない。あと何日間を歩けばいいのか? そんなことは誰も教えてくれはしない。


 到るところにできた水溜りを避けながら歩く。

 ……足取りが今までになく重い。気持ちの問題かと思ったが、そうではない。

 (のど)が痛くて、食欲がない。頭が痛くて、一歩進むたびに響いてくる。マントで体を包んでいるのに、寒気で震えが止まらない。


 認めたくはないが体調が悪いようだ。雨に打たれて体を冷やした結果、風邪をひいたのだ。

 こんなところで体を壊すとは運が悪い。……いや、ここまで持っただけでも運がよかったと考えるべきだろう。


 今日は休んで、明日に備えたほうがよいだろうか。しかし、今日休んだところで明日また歩き出せるとは限らない。だから足を止める気にはなれなかった。

 ……そもそも、そこまでして生きながらえて、その先どうしようというのか?

 何のために生きながらえるのか?

 生きていたところでこの先、自分に何があるというのか?


 上界にいた頃は皇族として、皇帝として、帝国のために尽くすことが使命だと考えていた。そのために、自分の全てを捧げる覚悟もあった。

 だがもはや、自分は皇帝ではない。皇籍も剥奪されたため皇族ですらない。上界に戻れる望みもない。仮に万が一、戻れたところでアルヴァは罪人に過ぎないのだ。


 では、この下界で生きていくのか?

 何のために?

 ただ生きるために?

 しかし、ただ生きているだけの人間に何の価値がある?

 ただ生きているだけならば――いてもいなくても同じならば、そこいらの石ころと何が違うというのか?


「ああ、いけない……」


 体の痛みにつられて、心が(むしば)まれていく。……どうも、後ろ向きになってしまう。

 そんなことを考えながらも、アルヴァは歩き続けた。

 両親の期待に応えたかった。周りの人間に侮られたくなかった。


『皇帝の娘として生まれただけのクセに』

『ただの小娘のクセに』


 そう言われるのが嫌で、悔しくて。だからいつも努力していた。皇帝の娘という器に見合うだけの人間でありたいと願い、行動に反映してきた。

 そうやって生きてきたアルヴァは、負けず嫌いで投げ出すことが嫌いな娘に育った。

 だから、この期に及んでも努力をやめられなかった。

 もはや、自分を見てくれている人が誰もいなくとも、最期まで自分の生き方を貫きたかった。


 ――ついに限界が来て、アルヴァは道の真中に倒れ伏した。

 こんな場所で眠ったら、魔物のエサになってしまう。その危険性は頭によぎったが、体がついていかなかった。

 動く体力もなければ、考える気力もない。今のアルヴァを支えるものは何もなかった。

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