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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第二章 失われた世界
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生きるために

 四日目――土壁の中で目を覚ました。

 周囲を囲まれているため、時刻が分かりにくい。それでも、わずかに光が入射しているため、朝が来ているのは確かだろう。


 何にせよ、朝から外敵に脅かされないのはありがたい。いつまでもこの場で寝転んでいたくなる。……が、また決心を固めて起き上がった。

 耳を澄ませて、壁の外に獣の足音がないのを確かめる。続いて壁に小さな覗き穴を開けようと拳を振るった。


「痛い……」


 思ったよりも固い。仕方ないので杖を取り出す。土竜石の魔法を使って穴を開けた。外を覗いてみたが、どの方向も問題なさそうだ。

 そのまま魔法で壁を崩して、今日も外へと足を踏み出した。


 やがて、山道に入った。それほど険しくはないが、なかなか終わる様子がない。

 地面が硬いためか植物は少ない。生物の気配にも乏しい荒涼とした峠道である。同時に魔物の気配も少ないのが幸いだろうか。

 当初、用意していた食料は既に尽きようとしていた。木の実をいくらか食べてはみたが、飢えをしのぐには至らない。かといって、あまりよく分からない品種には手を出したくなかった。


 食料がなくなれば、餓死を選ぶのも一つの手段だと思っていた。

 古来、偉人の中には老衰に至る前に、自ら餓死を選ぶ者もあった。その中にはネブラシアの皇帝も含まれている。餓死とは誇り高い死に方の一つでもあった。


 ……が、今はそんな気にはなれなかった。

 忍耐と工夫を重ね、道を進んでいくうちに、アルヴァの中に執念のようなものが(はぐく)まれてきた。まだ生を諦めるには早すぎるのだ。


 そのために試してみたいことがあった。それは動物を狩って料理するという考えだ。

 狩人が使うような弓はない。しかし、アルヴァには魔法がある。


 もっとも、魔法で狩りを行う者は帝国には少なかった。いないわけではないのだが、そもそも不向きなのだ。

 例えば、炎の魔法では加減を間違えれば、獲物を黒焦げにしてしまう。もっと酷くなると爆散してしまう者もいた。

 わざわざそんなことに貴重な魔石を使うよりも、弓を使ったほうが現実的だったのだ。


 けれど、アルヴァには雷の魔法がある。

 高度な魔法であるが狩りには最適だ。なんせ、大抵の獣を一撃で仕留められる上に、大きな外傷も残さないのである。

 ではさっそく――と周囲を見渡すが、獣も魔物も何の姿も見当たらなかった。


「まったく、必要な時には来てくれないのですね」


 と、不満を訴えたところで聞いてくれる者はいない。

 この辺りは地面の固い山道だ。そのただ中で、すぐに動物が見つかると考えるほうが、よほど都合のよい考え方だろう。

 それでも、粘り強く歩き続ける。周囲を見回しながら、鳥獣の姿を探し求めた。


「いたっ……!」


 見れば黒い鳥が目に入った。荒涼とした山道にポツンと生えた木――その枝にやや大型の体を乗せている。

 声を上げたい気持ちを抑え、心の中でアルヴァが叫ぶ。

 ……よく見ればカラスだ。上界にいた時ならば、わざわざカラスを食べようなどとは考えもしなかっただろう。

 しかし、今はもうそんなことは気にしていられない。むしろ、初めての獲物としては手頃な大きさの鳥に見えてきた。


 そうと決まれば、獲物に逃げられないように注意せねばならない。杖を慎重にゆっくりと、弓を構える狩人のようにカラスへと向ける。

 稲妻が宙を走った。

 さすがのカラスもこれをかわせなかったらしい。一瞬の内に雷撃はカラスを直撃し、黒い体が木の下へと落ちていった。

 他の動物に奪われてなるものか――とすぐさま走って、獲物の元に向かう。


「はて……」


 どこか違和感があった。

 カラスが黒いのは世界の常識である。しかし、それにしても体が黒すぎるのだ。とにかく手に取ろうとすると――

 そこでアルヴァは額を抑えてうずくまった。その異臭をかげば、手にとって見るまでもなかった。


 なんのことはない。元々黒いカラスが、より真っ黒に焦げていたのだ。一撃で仕留めるのに意識を集中しすぎて、雷撃を加減して放つという発想が抜けていた。


 だが、中身は無事かもしれない――と一縷(いちる)の望みをかけて、軽く短剣で皮を()いでみる。

 駄目だった。カラスは中まで真っ黒に焼けていた。

 しかし落胆はしない。原因は明らかなのだから、次は失敗しないようにするだけだ。


「よしっ!」


 両手でパチンと頬を叩いて、気を取り直す。一人寂しさを紛らわすために、いちいち動作が大げさになっていた。


 次なる獲物を探して、さらに先へと足を進める。

 遠くから目に入ったのは大きな(いのしし)だった。ゆるやかな山道なので視界は良好である。単独で行動しているため絶好の獲物だ。


 今度こそは黒焦げにしないように注意せねばならない。獲物の心臓を止める――それ以上の威力は必要ない。

 そして、魔力を抑制しながら雷撃を放った。

 猪が大きな体を激しく揺さぶって、倒れるさまが見えた。


 さっそく近寄ってみるが、外傷がないため、死んでいるかどうか判断が難しい。倒れた猪はピクピクと動いているが、これはまだ帯電しているからだ。

 しばらく様子を見て、死んでいると診断を下す。

 万が一、息を吹き返して暴れ出したら、アルヴァの体格で猪を押さえられるはずもない。確信は持てないが、いつまでも待っていても仕方ない。


「たぶん……大丈夫でしょう」


 と、自分を納得させる。

 とにかく、これで黒焦げにせず、獲物を仕留められた。

 (かばん)の中から短剣を取り出す。

 どうにもならなくなった時には、自決にも使える短剣だ。それでも今は、生きるために使おうと考えている。


 肉を料理した経験なら何度かある。

 皇族の娘なら、どこかに嫁ぐことも想定し、いわゆる花嫁修業として最低限の経験はさせられる。アルヴァと同年代なら、既にどこかの貴族・皇族に嫁いでいる令嬢も珍しくなかった。


 もっとも、貴族の中には料理など奴隷のやること――とみなす者も多かった。そして、それだけならまだマシなほうだ。

 食事を口に運ぶこと。体を洗うこと。扉を開け閉めすること。靴を脱ぎ履きすること。そんな当たり前の所作を全て奴隷任せにする者すらあった。


 幸いながら、サウザード皇家の家訓の一つに『奴隷に劣ることなかれ』というものがある。奴隷に全てをやらせた挙句、自らが何もできない者は奴隷にも劣る――という意味である。

 そういった哲学を持っていたからこそ、サウザード家は八百年も帝国に君臨できたのだ。少なくともアルヴァはそう考えている。


 それより、今は料理のことを考えよう。

 雑念を振り払って、目の前に集中する。

 刃物の扱いだって、それなりに慣れている。だがさすがのアルヴァも、動物をまるごと解体した経験はなかった。

 以前、密林でミスティンが、大きな鳥を解体するのを眺めていた覚えがある。アルヴァにだって、その気になればできるはずだ。


 ここは生物が少なく見通しのよい山だ。獲物の発見には難儀したが、食事をするには向いていた。それでも、一応の対策として焚火たきびを起こしておきたい。

 血の匂いを流せば、鼻がきく野獣が寄ってくるかもしれないからだ。火にどの程度獣を避ける効果があるかは分からないが、できることはやっておこう。


 木の枝と葉を一箇所に集める。それから杖に炎の魔石を取りつけて、火を放った。

 そして猪の重たい体を、どうにか起こして仰向けにする。非力なアルヴァには、それだけでも一苦労なのだ。

 本当は血抜きをするべきなのだろうが、それは諦める。

 木に吊り下げる腕力はないし、どこを切れば血を流しやすいのかもよく知らない。何より、魔物を警戒しなければならない状況で、時間をかけることが恐ろしかった。

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