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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
序章 雲海の帝国
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雲海の幸

 三人で話し込んでいるうちに、日が暮れてきた。

 真っ白だった雲海は、今や夕日によって赤く照らし出されていた。

 海へ沈む夕日なら、かつてソロンも見たことがある。その時とは異なり、太陽は水平線ならぬ雲平線へと沈んでいくのだ。


「綺麗だねえ……。これを見れない人がいるなんて、世界は不公平だよ。故郷のみんなにも見せてあげたかったなあ……」


 万感の思いを込めて、ソロンはつぶやいた。


「確かに綺麗だが、大袈裟なやっちゃなあ」

「面白い子だね」


 グラットとミスティンは、ソロンの感動にピンと来ていないようだった。二人にとっては見慣れた景色であり、感動もなにも今更なのだろう。


「あっ、本島が見えてきたよ」


 と、ミスティンが船の進路方向を指差した。

 ソロンもそちらに向き直れば、雲海に浮かぶ陸地の姿が見えてきた。


「そうだ!」


 と、ソロンは(かばん)から地図を取り出し、目を通した。

 目の前の陸地は、帝都から南へと突き出した半島に当たる部分らしい。半島の南側を西へ通過して、北へ向かった所に帝都があるのだ。

 ここからは陸沿いに船を走らせることになるのだろう。


「落書き?」


 ソロンの地図を覗き見て、失礼な発言をしたのはミスティンだった。


「まあ、確かにあんまり上手じゃないけどね。地図だよ地図。僕の先生が手書きで作ってくれたんだ。昔の記憶で描いたらしいから、不正確なところもあるかもしれないけど……」

「もしかして、それを見て帝都を目指してたのか……。お前も苦労してんだな……」


 グラットの眼差しは憐憫(れんびん)に満ちていた。……このところ、こんな扱いばかりを受けている気がする。

 とりあえず、帝都に着いたら地図を買い替えよう――と、ソロンは思った。

 その時、陸地にそびえ立つ塔が目に入った。遠くからでも、はっきり見える立派な建造物である。


「あの塔って、何かな? 船に乗る前にも見たけど、ずっと気になってたんだ」

「トウダイ」


 ミスティンがたった一言。


「トウダイ……。あっ、灯台か!」


 ソロンは一拍遅れて気づいた。

 ソロンが知る灯台とは、もちろん海のそれだけである。雲海にも灯台があるという発想はなかったのだ。


「そっ、夜になったら綺麗なんだよね」

「そっか、じゃあもう少ししたら、光るところが見えるかな?」


 ソロンは期待の眼差しで、遠くの灯台を見つめた。しばらくすれば、夕日が落ちて辺りは暗闇になるだろう。


「待て、それより飯が先だろ」


 そんなソロンをグラットが(さえぎ)った。


「そうそう。ソロンがひもじい思いをしないように、今日は私がおごってあげるよ。とびきりの雲海の(さち)があるから」


 ミスティンは有無を言わさぬ調子で、ソロンの腕を引っ張った。


 *


 二人から食事に誘われたソロンは、船内の食堂に入っていった。


「いいのかな? そんなお世話になっちゃって……」


 ソロンは例によって一文無しである。この度の密航も、事前に用意した干し肉と野草で乗り越えるつもりだったのだ。


「遠慮すんなって。今日はお前のお手柄だ。ミスティンがやらないなら、俺がおごるつもりだったからな」

「そうそう、男の子はたくさん食べないと。その代わり、ちょっとだけ料理を手伝ってもらうから」


 遠慮がちなソロンを尻目に、グラットとミスティンは食堂を進んでいく。


「じゃあ、ごちそうになるよ。それで、雲海の幸っていうのは?」


 海の幸ならぬ雲海の幸――いったいどんなものが飛び出すのだろうか。口振りからすると、素材自体も彼女が用意したものらしいが……。


「こっち」


 ミスティンが手招きしながら、厨房のほうへと歩いていく。どうやら、この船では厨房を借りることもできるようだ。

 ソロンとグラットも後に続いた。

 ミスティンは厨房の桶に(ひた)していた何かを取り出した。どうやら事前に用意していたらしい。

 白くて細長い何かが、どっしりと台の上に置かれた。それもどことなく見覚えのあるものが……。


「それ――さっきのイカ!?」「お前、正気かよ!?」


 ソロンとグラットが悲鳴に近い叫びを上げた。

 まぎれもない皇帝イカの触手だった。先程の戦いで、船上に落ちたものを切り取ったらしい。

 見たところほんの先端だけのようだが、それでも三人の腹が十分にふくらみそうな大きさはある。


「正気も正気。大きくたってイカには違いないよ」


 ミスティンの表情は謎の自信に満ちていた。


「……毒とかはないの?」

「内臓ならともかく、触手にまで毒はないよ。水につけておいたから、臭みも取れてるはずだし。……たぶん」

「たぶんって……。お前は恐れを知らぬ女だな」


 グラットはミスティンの所業に恐れをなしていた。


「皇帝イカだったら、食えることは食えるらしいぞ。デカいイカは臭みがあるから、もう一度綺麗に洗っておけよ」


 見かねた厨房の料理人が声をかけてくれた。


「ほら食えるって」


 お墨付きを得たミスティンは増長し、イカの触手を入念に洗い出した。

 それが終わると、(かばん)から短剣を取り出す。どうやら料理用に常備しているらしい。

 慣れた手つきで、ミスティンが触手を切り裂き出した。薄く切って刺し身にするつもりのようだ。


「……案外いけそうに見えてきたぞ」


 薄く小さく切ったお陰で元のゴツさが緩和された。透明感もあって、こうして見れば、普通のイカともさして変わらない。巨大な吸盤だけは若干気になるが……。

 ミスティンは再度、刺し身を水で洗った。それから、棚から取り出した金網を鍋の上に置く。切り分けられたイカの触手がその上に並べられた。


「焼いて」


 ミスティンはソロンが背負う刀を指差した。


「僕の刀は火打ち石じゃないんだけど……」


 火を起こすのを面倒臭がったのか、あるいは厨房の(まき)を消費しないように気を使ったのか……。

 ともあれ、こちらはおごってもらう立場である。ソロンはしぶしぶ刀を抜いた。


「おいおい、ちゃんと加減できるのかよ?」


 グラットが眉根を寄せて、ソロンを見た。


「もちろん。優秀な魔法使いなら、火加減の調整ぐらいは余裕だよ」


 なぜかそれにはミスティンが答えた。

 もっとも、彼女の答えは的を外していない。ある程度の技量を持った魔法使いは、それこそ手足のように魔力を調整できる。

 もちろんソロンも例外ではない。

 ソロンは刀の先へと魔力を集中させ、小規模な炎を発生させた。金網のイカを均等に、なおかつ黒焦げにならないようあぶっていく。


「焼き加減はミディアムで」


 ミスティンは謎のこだわりを見せたが。


「いや、そんなこと言われても分かんないし。気に食わないなら自分でやりなよ」

「仕方ないなあ……。じゃあ、加減はソロンに任せるよ」


 そうこうしているうち、段々とイカに焦げ目がついてきた。ミスティンもフォークを使って、てきぱきとイカを裏返していく。

 ソロンは両面ともしっかりと焼くようにした。ミディアムではないだろうが、生焼けでこれを食べる勇気はなかった。


「いいんじゃないかな」


 ミスティンはフォークで突き刺した刺し身を、皿上のソースに(ひた)した。そうして、迷うことなくイカを口に放り込む。


「どう?」

「いいね。食わないんだったら全部食べちゃうけど」


 ミスティンは幸せそうに頬張っていた。

 イカの焼けた(かぐわ)しい匂いが漂ってくる。ソロンは思わずグラットと目を見合わせた。

 たまらず、ソロンとグラットもご相伴(しょうばん)に預かることにした。


「意外といけるもんだな」


 グラットがイカを噛みちぎりながら褒めた。

 皇帝イカのしっかりした歯応えと、適度に酸味の利いたソース。二つの組み合わせは、ソロンも満足できるものだった。


「私の言った通りでしょ。でも、こうなると触手だけなのがもったいないね。全身があれば、一年ぐらいは食うに困らないかも」


 量だけで考えれば、ミスティンの言葉は誇張とも言い切れない。それだけ皇帝イカは巨大だったのだ。


「さすがに飽きるよ。それに一年もかかったら腐るんじゃないかな」


 ソロンはごく常識的な見解を述べたが、


「つまんない答えだね」


 ミスティンは唇を尖らせた。その口からは、イカの刺し身がはみ出している。


「悪かったね。別に君を楽しませるために、喋ってるわけじゃないから」


 と、ソロンは軽く応じてから話題を変えることにした。なんといっても、聞きたいことは山程ある。機会は有効活用せねばならない。


「――ところで、前から不思議に思ってたんだけど。このイカとか魚はどうやって雲海に浮いてるのかな?」

「ああ、浮袋を体の中に持ってるんだよ。魚でも捕まえて、さばいてみたら分かるだろうぜ」


 質問に対してグラットは即答してくれた。

 ……が、その答えは想定内である。『軽いものなら浮く』とは先程ミスティンも言っていたことだった。


「なるほど。……ってことは、海や川の魚より雲海の魚のほうが軽いんだろうね」


 世界が違えば、そこに棲む生き物の生態系も変化する。そういうことなのかもしれない。


「おう。人間でも袋に空気をつめてしがみつけば、少しだけ泳げるぞ。実際に試したから間違いない。だがやるなら、雲海の下に足がつく岸を探せよ」

「そんなこと言われてもやらないって……」


 グラットが雲海を必死で泳ぐ姿は、さぞ滑稽だったろう。ともあれ、雲海でもわずかながら浮力を得られるらしい。

 だが、そうなると気になるのは――


「竜玉船はどうして浮かぶのかな? 人間よりもずっと重いよね。まさか、あれも空気を詰めてるわけ?」


 船の構造が一介の冒険者に分かるはずもない。従って、特に答えを期待していたわけではなかった。


「決まってんだろ。竜玉が浮力を生み出すんだぜ」


 意外にもグラットは自信を持って答えてくれた。どうやら竜玉船には詳しいらしい。あるいは、帝国人にとっては常識なのだろうか。


「あっ、だから竜玉船なんだ。竜玉っていうと、竜の体内から取れる石だよね?」


 ソロンは質問を重ねた。竜玉のことは知っていたが、故郷と同じ認識でよいかは確信がなかったのだ。

 グラットは首を縦に振って。


「おうよ、竜玉が雲海と反発を起こすんだ。それを船の浮力・推進力として利用するってわけよ」

「へ~、不思議だなあ。だとしたら、こっちだと竜玉は高く売れるんだろうね」

「まあ、竜の種類にもよるけどな。おおむねいい値段で売れると思って間違いねえぜ」

「やっぱり、そうか。竜玉ならあったのに、もったいないことしたなあ……」


 ソロンは悔やんだ。故郷の通貨ではなく、竜玉を持ち出していれば換金に苦労はなかったのだ。

 もっとも、これは結果論でしかない。

 雲海のない故郷では、竜玉の価値はそれほど高くなかったのだ。当然、わざわざ持ち出す理由もなかった。

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