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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第二章 失われた世界
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下界の魔物達

 白雲の下を目指して、ただただ歩き続ける。

 岩と砂だらけの荒野……。ところどころにポツポツと草が生えている以外は、変わり映えのない風景が続く。人の気配など微塵(みじん)もない。


 この先に何を求めるのか?

 生き延びられるのか?

 生き延びたところで何の意味があるのか?


 色んなことを考えそうになる。だが、それを振り払って前を向き、歩くことに集中する。

 とにかく、アルヴァは白雲の下に向かうと決めた。ならば、それ以外は考えなくてよい。まだ旅は始まったばかり。今は歩くべきだ。


 遠くに目に入ったのは黒い点。

 動いている様子が見えるので動物だろう。

 危険かもしれないが、逃げるよりも観察することにした。実のところ、何もない荒野にうんざりしていたからでもある。

 黒い点の数は多く、どうやらこちらに近づいてくるようだ。


 やがて犬のような姿が目に入った。こちらを目がけて駆けてくる。あの速さでは逃げられそうもない。

 犬か狼か……薄茶色の毛並みに黒いブチ模様が見える。


 いや、あれは上界にもいた獣――ハイエナだ。

 こちらを嗅覚でとらえ、弱い生き物と侮って襲いにきたのだ。全部で数十匹はいるだろうか。

 数が多いため、いつもの紫電(しでん)の魔法では対処が難しい。とすれば、放電の魔法がよいだろう。


 ある程度の距離まで詰めてきたハイエナは、少し止まってこちらを(うかが)っている。威嚇(いかく)のつもりか、人間の笑い声のような奇妙な鳴き声を上げていた。

 その間にアルヴァは杖に魔力を溜めて、いつでも放てる準備をする。


 何匹かのハイエナが一気に走り寄ってきた。その荒い息を聞けば、敵意を持っているのは間違いない。

 溜めた力を解放し、広い範囲へと分散する稲妻を放った。

 五体か六体か、近づいてきたハイエナが電流を受けて吹き飛ぶ。黒焦げにはならないが、命を奪うには十分な電圧を与えたはずだ。


 それを見た残りのハイエナ共は、一目散に逃げていった。ハイエナは弱い相手を狙う習性を持っている。それだけに相手が危険と見るや、引き際も早い。

 後には六体の死骸が残っていたが、これもまた獣のエサとなるに違いない。もしかしたら、仲間のハイエナが喰らうのかもしれない。


「はぁ……」


 精神の消耗が大きい。

 こんな調子で戦い続けていれば、いずれ倒れるのは目に見えている。雷の魔法は強力だが消耗が大きいのだ。


 やむなく、杖先の魔石を火竜石に交換した。

 いつもは雷ばかり使っているアルヴァだが、炎の魔法だってお手のものだ。回復魔法を除けば、むしろ苦手な魔法系統のほうが少なかった。

 雷より炎のほうが、少ない精神消耗で戦える。その分、威力と速度で劣るのは仕方がない。一人で戦わなければならない現状では、節約せざるを得なかった。


 荒野は続く。

 しかし、白雲の下へはそう簡単にたどり着けない。上空の雲だけを見れば、それほどの距離があるようには見えないのだが、実際はそれなりに離れているのだろう。


 もっとも、距離は予想できているため覚悟の上だ。

 要するに上界との対応を考えればよいのだ。界門があった森から、帝都南のネブラシア湾までの距離。それがそのまま、目的の距離となる。


 下界の地理など分かろうはずもないが、上界の地理なら、しかと頭に入っている。少なくとも帝国の領域内ならば、アルヴァの記憶に間違いはない。

 上界の界門から南の雲海までは、おおよそ四時間といったところか。既に一時間は歩いたから、残るは三時間。それが、白雲の下へ至るまでの目安だろう。昼頃にはたどり着けるだろうか。


 かすかなカサカサという音を感じて、振り向いた。見れば、巨大で細長い虫がクネクネと()いずり回っている。


「はあ、嘘でしょう……」


 虫としてありえない大きさに目を疑う。

 間違いなく人間の体長より大きいのだ。黒い体にうごめく無数の足。恐らく――というより、どう見てもムカデの巨大種だろう。

 アルヴァは女にしては、肝が()わっていると自負がある。少なくとも、そこらの貴族令嬢のように、虫を見たぐらいで悲鳴を上げたりはしない。


 ……しかし、あれは駄目だ。

 そもそも他の女全般の例に漏れず、本当はアルヴァだって虫は苦手なのだ。

 悲鳴を上げないのは平気だからではない。我慢しているからだ。

 ベスタ島の密林にも虫は無数にいたが、それだって耐え抜いた。

 ……それでも、あれは無理だ。気色が悪い。


 既にかなりの距離まで詰められている。獣が走る音と比較して、虫が這う音は聞き取りにくいため察知が遅れたのだ。

 開いた口に鋭いアゴが見えている。虫の中でもムカデは攻撃的な種族だ。見逃してくれるとは考えにくい。


 ならば躊躇(ちゅうちょ)はない。

 杖を向けて、火竜石へと魔力を伝える。杖先から激しい火炎を放射し、巨大ムカデにそそぎ込んだ。ムカデがのたうち回るが、火を止めるつもりはない。


 やがて、その動きが停止した。

 火炎を止めたら、煙の向こうに黒焦げとなった巨大ムカデの姿が見えてきた。

 ……正直、やり過ぎたかもしれない。これだけ精神力を使っては、魔石を炎へと差し替えた意味が薄い。しかし、ちょっとだけすっきりしたのも事実である。


「まったく……」


 色んなものが巨大で嫌になる。

 このような荒れ果てた大地で、なぜこれほどに生物が巨大化するのか?

 一体、どういう仕組みになっているのだろうか?

 とにかく、これからはもう少し周囲に気を配らねばならない。風の騒がしい荒野であるため、静かに忍び寄られては聴覚による察知が難しいのだ。


 太陽が登り、日射しが雲に(さえぎ)られる。辺りが段々と暗くなっていく。

 上界とはあべこべの法則の下で、アルヴァの焦りが高まっていく。

 だが、空を見れば白雲への距離がずっと近づいていることも分かった。


 歩くのに必死で気づかなかったが、見れば景色も変わってきている。

 草が目に見えて増えてきたのだ。

 白雲の下に近づくほど降雨量と日照量が増すために、植物が育ちやすいのだろう。

 草は黄土色の地味な種類が多く、(たけ)も低い。鮮やかな緑でないのが残念だったが、それでも今までの荒野よりはマシというもの。


 少し離れたところに森も見えている。

 ここまで来ればもう少しだ。


 そしてついに、アルヴァは白雲の下に達した。

 懐中時計を取り出して見れば、時刻はちょうど正午頃だった。

 白雲から太陽の光が透けており、肌には初夏らしい暖かみも感じられる。

 少しばかり薄暗くはあるが、危惧(きぐ)したほどではない。これならば、上界で見る(くも)り空と大差ないといってもよいだろう。


 今まで歩いていた北の方角を眺めれば、やはり空は暗い。

 とても今が昼日中(ひるひなか)とは思えない様相だ。もっと奥地に行けば、昼間も夜のように暗い場所があるに違いない。一体、そんな場所ではどのような気候になるのだろうか。


 ひょっとしたら、この辺りの風が強いのは、そういった気象条件が影響しているのかもしれない。日照量の差が温度差を生み出し、温度差が風を生み出しているというわけだ。

 何はともあれ、この世界には想像もつかないことが多すぎた。


 *


「あれはっ……!」


 黒雲の下から脱出し、少し進んだところで建物のようなものが目に入ってきた。

 心が勇み、足が早くなる。

 近づいて見れば、石造りの建物が並んでいる。人工物なのは疑いようもなかった。


 しかしながら、既に朽ちている。

 道らしき場所は砂と草に覆われていた。

 相当に古い町の遺跡だ。少なくとも百年や二百年ではないだろう。見渡す限りは、それなりに大きな町だったように思える。明らかに人が住んでいた町だ。

 当然ながら、人気(ひとけ)はない。あるのは獣や鳥、虫の気配ぐらいだ。


 空洞となった窓から建物の中を覗き込んでみたが、見えるのは瓦礫(がれき)ばかりである。

 下界にはかつて人がいたが、既に滅んでしまったのだろうか? だとしたらアルヴァの状況は絶望的だ。


 ……いや、諦めるのはまだ早いか。一つ遺跡を見つけただけで、全てを決めつけるのは早計というものだ。

 黒雲の下を脱出するという当面の目標は達したのだ。ここで休憩をしながら次の方針を決めよう。昼食をとるにもよい頃合いだった。


 一番高い建物を見つけて、中へと侵入する。瓦礫を踏み越えて石段を登っていく。かつては何かの施設だったのだろうが、今となっては知るよしもない。

 崩れる心配はあったが、何百年と風雨にさらされながら形を保ってきたのだ。アルヴァが登ったぐらいで崩壊したりはしなかった。


「良い場所ですね」


 屋上に出たアルヴァは、満足の声を上げて周囲を見渡す。

 東西に見えるのは黒雲と乾いた大地。地平線の果てまで、ずっとそんな光景が続いている。

 対する南には、広い草原が続いている。黒雲から離れるほど、緑が濃くなっていくようだった。


 期待した町の姿はない。

 救いがあるとすれば、先の荒野とは違って景色に変化があることだ。

 上界とは植物の形状も色々と異なる。キノコのような傘を持った木が近くに見えたが、これは下界に降り立った地点で遠くから見えたものだろう。


 緑が多くなるにつれて、生物の気配も多くなっていく。

 ところどころで目にするのは巨大な爬虫類(はちゅうるい)――恐竜の姿だ。

 翼竜がいるからには、恐竜のような生物もいるだろうとは予測していた。だから、驚きはない。


 上界でも人の住まない地域に行けば、恐竜の姿を見ることはある。例えば、ベスタ島の密林にも恐竜は生息していた。

 それにしても、これだけ広い草原に恐竜が闊歩(かっぽ)する姿は壮観だった。


 ともあれ、引き続き南を目指す方針で間違いはなさそうだ。他の方角では町どころか生きられる保証すらない。

 そうと決まれば、食事としよう。

 (かばん)の食料については、下界へ降りた直後に一応の確認はしていた。ただし、正確な量までは把握していない。そんなことをすれば、(かえ)って気が沈みそうだったからだ。

 ただここに至れば、きちんと把握しないわけにはいかなくなった。


 鞄にあるのは保存食ばかり。干し肉や魚の干物といった物だけ。どうやら、それも大した量ではない。三日もあれば底を尽きてしまうだろう。

 これだけの量で、どうやってこの世界で生き抜けというのか。まるで死ねと言わんばかりである。


 知ってはいたが、この追放刑は処刑も同然なのだ。

 違いがあるとすれば、追放した側が追放された側の生死を確認できないことぐらい。そのぶん執行した側の罪悪感が軽減される――ということだろうか。

 誠に(けが)れを嫌う貴族らしい発想である。


 ……心中で文句を言っても誰も聞いてはくれない。仕方ないので火竜石で焼いた干し肉にかじりつく。おいしくはないが我慢。食べ物があるだけありがたいのだ。

 食事をすれば欲しくなるのが水である。

 これについては水流石を所持していた。

 水流石とはその名の通りの水の魔石。魔力によって水を操作したり、保持する効力を持っている。


 ……といっても、泉のようにいくらでも水が湧くわけではない。あくまで水分を圧縮して保持できるに過ぎない。魔法は万能の力ではないため、無から有を生み出せるわけではないのだ。

 それでも、数日分の飲水を小さな魔石へと溜められる。この効力は非常にありがたかった。

 なんせ水は重く、食料以上に重量を取るのが当たり前なのだから。


 そんなわけで、アルヴァは水流石をつまみ、口の中に指ごと含んだ。

 こぼさないように上を向いて、魔力を込めて水を放つ。杖先に魔石を取りつけるのは面倒なのでやらなかった。水をゆっくりと放出するだけなら、手で触っても危険はない。

 魔石から湧き出る水が口の中に満たされていく。それをゴクリゴクリと音を立てて、こぼさないように……。焦らずにゆっくりと飲み込んでいった。

 そうして、アルヴァの渇きは満たされていった。


「ふはぁ……」


 (のど)(うるお)うと共に、思わず声が漏れる。

 こうやって満足に、いつまでも水を飲めるかどうかは分からない。

 節約すれば何日か持たせられるだろうが、現実的ではなかった。

 アルヴァはこの世界で歩き、戦い続けなくてはいけないのだ。


 水や食料は浪費できない。かといって節約して、生きていけるほど甘くもない。

 人がいる場所にたどり着くまで、食料を持たせたい。しかしながら、手持ちの水と食料だけでは心細い。いずれ方策を見つけなくてはならないだろう。

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