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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第二章 失われた世界
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失われた世界

 アルヴァは意識を取り戻した。立ったままの姿勢で、目は閉じたままである。

 浅い眠りから覚めたかの如く、まだ夢の中のように現実感がない。やがて、ぼんやりとした頭に、光に飲み込まれた時の記憶が蘇ってきた。


 肌に感じる空気の流れから、室内でないことは朧気(おぼろげ)に分かった。初夏にしては気温が低く、風も強い。少し肌寒いくらいだ。

 目を開けるのが怖かった。しかし、このまま目をつぶっていても、状況が変わるわけではない。夢だと思いたい気持ちを抑えて、決心する。


 ……恐る恐る目を開けると、周りの一切が変化していた。

 先程までは森の中にいたはずだが、付近にはまばらに木が生えているだけ。

 振り向けば、漆黒の界門と下の台座だけが、先程と相似(そうじ)していた。ただし、上界のように手入れされている形跡は全くない。荒れ放題だ。

 界門の下の空間に揺らぎは見られない。どうやら、世界は遮断されたようだ。エヴァートが門を閉じたのか、そういう仕様なのかは分からない。


 ここは小高い山の上のようである。

 見晴らしはよく、遠くまでが見渡せる。広漠とした赤茶けた荒野の果てに、むき出しの山が覗いている。緑は少ないが、遠くには森の存在も散見された。

 木の形状は上界と同じようなものもあれば、異質なものもある。特に大きな傘を持った木――例えれば、巨大なキノコのような形状をした木が印象に残った。


 上空には見渡す限りの雲が広がっている。それでありながら、さほどの薄暗さは感じなかった。

 それもそのはず、遠くを見れば、雲の下から照らす太陽がはっきりと見えていた。雲は果てしないように見えても、朝の低い太陽までは隠せていないようだ。


 それにしても、どこか違和感のある雲であった。寸刻、頭を悩ませてみたが、違和感の正体は考えるまでもなかった。

 そう――あの上空を隙間なく覆う雲こそが、上界そのものなのだ。当然といえば当然なのだが、その光景はあまりにも今までの経験とかけ離れていた。それゆえに思考が追いつかなかったのだ。


 眺めているうちに、雲が二種類に分かれている事実にも気づいた。

 黒い雲と白い雲である。

 見渡す限りでは大半が黒い雲だった。白い雲は一つの方角に、部分的に密集しているだけのようだ。


 そしてまた理解した。

 あの白い雲こそが、上界において『雲海』と認識されている箇所なのだ。普段から、あの上を竜玉船が行き来しているわけである。

 雲海は透けているために、上空からの光を通す。それで明るい雲――つまり白い雲として下界から観測されるのだ。


 ……とすれば、黒い雲は上界の陸地に当たる部分だろう。

 上界では一切の観測ができなかったが、雲海は目に見えない島の底部にもずっと続いていたのだ。

 その上には陸地が乗っているため、上空の光を全く通さない。だから、下から見上げれば黒い雲になるわけだ。

 いつも見る雲海も、下から見ればこんな光景なのだ――そう考えると、奇妙な心持ちがした。


 ネブラシア帝国は神竜教会を国教としている。それでありながら、最前までその皇帝であったアルヴァは神を真剣に信じてはいなかった。

 けれど、上界を支える雲海は神竜が創りたもうた――という教会の伝説も、このような威容を見れば、あながち嘘ではないのだろうか。

 何にせよ、もはや疑いようもない。アルヴァは下界に到達したのだ。その事実は受け止めねばなるまい。


 ようやく思い当たって縄を解きにかかる。エヴァートの言った通り、縄はアルヴァの細腕でも簡単にほどけるようになっていた。

 (かばん)も無事にアルヴァと一緒に追放されてきたようだ。鞄の中身を確認し胸をなでおろす。今はこれだけが頼りだった。


「さて、どうしたものでしょうか……」


 周囲の状況確認が終わったので、何気なくつぶやいてみる。

 当然ながら、その独り言を聞く者はどこにもいない。アルヴァは今、計り知れないほどに孤独だった。まるで自分一人だけが、この世界に取り残されたかのように。


 ……もしかしたら、比喩ではなく本当に自分一人なのかもしれない。この世界に人間が住んでいるという保証はないのだ。

 そう考えたら、途端に心細くなった。


 実のところ、アルヴァは諦めに近い心境になっていた。元老院に罷免(ひめん)され、追放令を出されたことで全てが終わった。

 これまでに歩んできた自分の生涯は、否定されたようなもの。だから自分は、もはやいつどこで死んでも構わない。そんなふうにすら思っていた。


 それが、いざ今に至ると、誰も知る者もない土地で死ぬのが、あまりに空虚に思われてきた。死ねば皆同じ、寂しいも何もないと思っていたが、こればかりは自分でも説明できない。

 とにかく死ぬにしても、この世界を探検してからでも遅くない。死ぬ決断はいつでもできる。そう開き直れば、少しだけ自分を保つことができた。


 改めて周囲を見回してみる。

 まばらながらも木がある。鳥の鳴き声が聞こえるし、姿もちらほら見える。少なくともここは死の世界ではないのだ。

 次に太陽がある方角へと向き直る。朝の日差しであるため、それほど強い光ではない。上界と下界で太陽の位置が変わるはずもないから、あちらが日の出ずる方角――つまり東に違いない。


 そこまで考えれば、同時に予想できる現象もあった。

 それは時間が経てば、太陽がやがて真上に来るということだ。

 その時、上空を覆う雲が日光を(さえぎ)るために、周囲は今よりも暗くなる。

 すなわち、下界の昼は朝夕よりも日差しが弱くなるのだ。


 特に注意すべきは黒雲の下である。

 上界の陸地が光を完全に(さえぎ)るため、日中は夜に等しい闇に包まれてしまうに違いない。

 できる限り、黒雲の下は避けるべきだろう。現在地も黒雲下であるため、速やかに離脱すべきである。


 必然、向かう方角は南の白雲下しかなさそうだ。これは上界におけるネブラシア湾の方角に該当する。ネブラシア湾とは帝都南の雲海であり、下界においては白雲だった。


 そして、アルヴァは果ての知れない旅へと歩き出した。

 この世界を探索したところで、何が見つかるかは分からない。だがひょっとしたら、この世界にも人が存在するかもしれないのだ。

 それは希望的観測に過ぎないだろうけれど……。それでも、確かめもせず諦めるには早すぎた。


 *


 まずは現在地である小高い山から降りねばならない。

 木々がまばらな岩だらけの山である。

 目指す方向である南は、急な斜面になっていた。仕方なく、東側から安全な道を探して下っていく。


 突如、けたたましい鳴き声が聞こえた。

 振り向けば、大型の鳥のような動物がこちらに近づいてくる。

 大きな翼を水平に広げながら滑空している。頭部には鋭いクチバシが確認できた。体表は羽毛ではなく(うろこ)で覆われていた。

 そこまで見れば間違いない。大型の鳥よりも十倍以上の大きさを持った翼竜である。


「いきなり竜ですか……。手酷い洗礼ですね」


 アルヴァは杖を構え、臨戦態勢を取った。

 翼竜は上空を旋回しながら、こちらの様子を(うかが)っている。空を叩くような羽ばたきの音が聞こえてきた。

 単に物珍しさから、人間を眺めているだけかもしれないが、竜の気持ちが分からないアルヴァには判断しようもない。


 とにかく隙を見せれば、飛びついてくると思ったほうがよい。こちらからも動きを観察しながら、油断なく翼竜の意向を窺う。

 翼竜は旋回をやめるつもりがないようだ。

 しつこくこちらを見ながら飛び続けている。それを目で追っていたアルヴァも段々と疲れてきた。


「いい加減にしていただけませんか? 襲うのか、襲わないのか、はっきりしてください」


 そう呼びかけてみたが、もちろん反応はない。

 アルヴァは優柔不断な男が嫌いである。……翼竜がオスかメスかという問題はともかくとして。


「もう結構です」


 杖を翼竜に向けて、魔力を込める。

 杖先からほとばしった稲妻が竜の翼を打ち砕く。距離はあったのだが翼の大きさが幸いして、一撃で命中させられた。

 翼竜は崖下へヒラヒラと落ちていった。

 恐らくとどめは刺せていない。だが、翼を奪ってしまえば、あのような種族は何もできなくなるはずだ。


 襲ってくる前に、こちらから先制したのは大人げなかっただろうか。ただ、翼竜の速い動きで急襲されたら、アルヴァの体などひとたまりもない。

 正直にいって怖かった。周囲を旋回しながら、狙われ続ける緊張に耐えられなかったのだ。


 一人旅をする者は魔物に狙われやすい。しかも、翼竜のような大型の魔物がこの付近には存在する。こういった場面が今後、幾度も続くのかと思うと気が滅入った。


 *


 どうにか山を降りて、広大な荒野へと足を踏み下ろした。山の東側に降りてしまったため、まずは目的の南側へとふもとを回る。

 それから、土と砂と岩ばかりが続く赤茶けた大地へと足を進めた。

 風の音が鳴り響く無人の荒野である。羽織ったマントで風をしのぎながら、歩き続ける。


 西、東、南、どこを向いても荒野があった。

 地面の凹凸(おうとつ)は激しく、まっすぐに進むのもままならない。なるべく平坦な経路を探しながら、進むしかない。

 同じような地形が延々と続くため、迷わないように気をつける必要があった。

 太陽を左手にして、南を目指して進んでいく。

 もっとも、帰る場所のない今の自分に、迷うもなにもないだろうけれど……。

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