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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第二章 失われた世界
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失楽

 帝都から少し離れた北西の森に、その遺跡はあった。

 遺跡――といっても小規模なものである。林立する岩に囲まれた広い台座があり、その台座の中央にアーチ状の門がそびえ立っていた。


 どこにつながっているわけでもなく、ただ(くぐ)れるだけの門。

 その様を余人が見たとしても、大した意味があるとは見えなかっただろう。ただ界門(かいもん)と呼ばれるその門が、異様な姿をしていたことを除いては……。


 界門の材質は不自然なほどに黒かった。そこには塗料のような何かで、赤い紋様が刻み込まれている。

 その遺跡へと兵達に連行されてゆくのは、長い黒髪と紅い瞳が印象的な娘。前の女帝――アルヴァネッサその人であった。

 皇帝として皇宮にあった時の華美なドレスではなく、旅装の上にマントを羽織っていた。両手は体の前方に回され、縄でくくられている。


「すまない、アルヴァ。こうするしかなかったんだ」


 兵達を率いていた青年――エヴァートが絞り出すように言った。

 彼はアルヴァの従兄であり、アルヴァに代わる新しい皇帝でもある。新皇帝として、前皇帝の追放を見送りに来たのだ。


 年齢はアルヴァの四つ上なので二十二歳。整った黒髪にきらびやかな服装。茶色い瞳は穏やかな眼差しをしている。皇帝らしい迫力はないものの、誰からも好印象を持たれる人物だった。

 その左手には黒いカギが輝いており、表面には赤い紋様が刻まれている。その材質や紋様は、どことなく界門に似ていた。


「分かっています。全ては身から出た(さび)。お兄様が謝る必要はありません」


 これは本心だった。あれが自分の失態だとは誰よりも強く理解している。人に責任を転嫁することは、アルヴァの誇りが許さなかった。

 結果的には失敗した。だからといって自分の選択を恥じ入るつもりもない。それでも、たくさんの民を害した報いは受けねばならなかった。これは誰を恨んでも仕方のないことだ。


 古くは専制君主として権勢を誇ったネブラシア帝国の皇帝。

 その皇帝を元首とする現帝国に、なぜ罷免(ひめん)という制度があるのだろうか?

 それは今から五百年前――三世紀の中期にまで(さかのぼ)らねばならない。


 かつて、元老院の権限は弱く、皇帝を罷免する力を持たなかった。ゆえに皇帝の位は当人が投げ出さない限りは終身であった。

 賢帝の治世ならば、それは何の問題にもならない。

 しかし、悪帝が現れた時にそれを止める合法的な手段がない。

 これは深刻な問題となった。

 皇帝の権力はあまりにも大きく、その者の資質に国運は大きく左右されたのだから。


 その結果、どうなったか?

 皇帝の交代は寿命や子への譲位を除けば、暗殺がその役目を果たすようになったのである。


 最初に暗殺の犠牲となった者は、誰もが納得する悪帝だった。

 巧言令色に長けた人物をひいきし、正当な諫言(かんげん)をした部下を処刑した。別荘を建てる際には、抗議をした住民を土地ごと焼き払った。


 二度目に暗殺された皇帝は、悪帝とは言えずとも凡庸であった。

 迫り来る隣国への対応が全て後手に回った。暗殺者を送ったのは、前線で苦戦を強いられた軍の有力者だといわれている。


 三度目に暗殺された皇帝は、賢明であり決して愚かではなかった。

 先帝が残した戦争をわずか一年で収束させ、兵士達から強い支持を獲得した。しかし、税金を横領していた有力貴族を取り締まったがため、その復讐を受けることになった。

 君主として申し分のない資質を持っていた彼も、あえなく三年でその治世を終えたのである。


 暗殺は次なる波乱を呼び込む。

 やがて、皇帝への不満が暗殺という形で表現されることが常態化した。

 その不満が正当かどうかは関係ない。

 自らの権益を守るため、あるいは欲望を叶える手段として、暗殺が珍しくなくなった。


 波乱の時代は続いた。

 三十年の短い期間に十人の皇帝が就任し、その大半が暗殺や謀反によって死亡したのだ。


 特に十人目の皇帝が有名な暴虐帝バラムである。

 暗殺を恐れ、全てを信じられなくなったバラム帝は、次々と反抗するものを火刑に処した。

 狂気に囚われたバラム帝によって、帝都の半分は火の海になったという。結局はその暴政も、暗殺によって終わりを遂げたのであるが……。


 次なる皇位はバラム帝の弟が継いだ。

 この人物は兄を(いさ)める勇気こそ持たなかったものの、温和な性格であった。

 そして、兄の暴政は二度と繰り返さない――そう元老院に誓ったのである。


 その証左として、元老院に付与されたのが皇帝罷免権と追放権の二つであった。

 罷免権とは議員全体で三分の二の賛成があれば、皇帝を罷免できる元老院権限である。


 結果的に、この改革で皇帝の権限は弱まったものの、引き換えに国政は一応の安定を得た。時には罷免される皇帝もいたが、暗殺が大きく減ったため天寿をまっとうする者が多くなった。

 追放権はとりわけ暴政によって、民に被害を与えた皇帝へと適用される。単なる怠慢や放蕩で罷免される皇帝もいたが、その場合はまず追放には至らなかった。


 そして、こたびの女帝アルヴァネッサにも、過去の判例を引き合いに処遇が検討された。多くの帝都市民を死に至らしめた罪は重く、厳罰が下されることとなった。


 ただし、極刑ではない。

 皇族へ死罪を適用するには皇帝の勅許(ちょっきょ)がいる。すなわち、皇帝自身には誰も死罪を適用できないのだ。

 罷免された前皇帝に対してなら、理屈の上では可能となるが前例はなかった。

 ゆえに、下されたのは追放刑であった。


 追放先は下界――雲海の下にあるといわれる古き世界だ。

 神竜教会の伝承によれば、呪われた死の世界と伝わっていた。最後の楽園たる上界から下界への追放――それが、アルヴァに架せられた刑であった。

 もっとも、得体の知れない下界への追放は本質的に、限りなく極刑に近い。それを知る者はごく限られていたが……。


 背景には、元老院によるアルヴァへの恐れがあった。

 帝都に災厄をもたらした杖の力は、皇帝と元老院との力の均衡を崩すに十分であった。

 実のところ、黒の魔石が砕けて神獣が倒された今となっては、アルヴァに同じ事態を起こせはしなかったのだが……。

 しかし、元老院もそこまでの事情には通じていない。それゆえ、院の総意もアルヴァに対して、温情を示せなかったのだ。


 元老院議員の中にも、皇帝の罷免と追放に反対する者もいた。

 大将軍ワムジーを始めとした父の代からの股肱(ここう)の臣、アルヴァの母方に連なる議員、それに北方のカンタニアに勢力を持つ議員。それ以外にも複数の議員が罷免に応じなかった。

 だから、罷免の可決に必要な三分の二の賛成も、かろうじて達したに過ぎない。


 それでも可決したのは、アルヴァ自身が回避する努力を(おこた)ったせいだ。

 アルヴァは自ら責任を認め、弁解も反論も試みなかった。

 エヴァートや大将軍にも強く自己弁護を勧められたが「結構です」と跳ねのけてしまった。

 そんな気力はなかったし、命を奪われた市民に対する罪の意識は消えなかった。自分が自分を許せていないのに、自己弁護などできるはずもなかったのだ。


 ――今となっては何を思っても手遅れだけれど……。


 心中で自嘲(じちょう)しながら、アルヴァは自ら台座の上に足を運んだ。

 エヴァートが皇帝自らアルヴァの肩へと(かばん)をかけた。兵士では恐れ多くて、アルヴァには触れられないためだ。

 鞄の中には食料などの品物が入っている。もちろんアルヴァのために用意されたものだ。もっとも下界に行けば、こんな物がどれほど役に立つかは未知数だ。


「本当は君の細腕に縄など、かけたくもないんだ。ただ君が本気で魔法を使えば、僕などひとたまりもないからね。立場上はそうせざるをえない」


 エヴァートは苦笑交じりにそう言った。

 確かに杖と魔石さえあれば、この状況を切り抜けるのも不可能ではない。そんな気はさらさらなかったので、いらぬ心配ではあったが……。

 アルヴァの愛用の杖は、腰のベルトに差されていた。かつて、エヴァート自身によって贈られた杖だ。ただし、その先端にあるはずの魔石はなく、鞄の中にしまわれている。


「お構いなく。そもそもお兄様にはこの場に同席する義務もなかったでしょうに。新陛下、直々のお見送りに感謝いたします」


 荷物を与えるように取り計らってくれたのもエヴァートだ。中身もある程度、アルヴァの要求を叶えてくれていた。感謝に偽りはない。


「すまない。縄は力を入れれば、ほどけるようになっている。向こうに着いたらすぐにほどいてくれ」


 エヴァートはアルヴァと視線を合わせて続けた。


「――最後に何か言い残したことは?」

「遅ればせながら新皇帝への就任、おめでとうございます。それから帝国のことはよろしくお願いします。お兄様は善良で頭も悪くありませんし、私のように無用な敵は作らないでしょう。ただ、それだけに少し弱腰なところもあるから、元老院と渡り合えるかどうか。そこが心配ですわね」


 嫌味でも何でもない正直な言葉である。アルヴァから見て、親戚の中ではこのエヴァートが最も気安かった。だからこそ最後に親愛を込めて言ったのだった。


「全く君という人はこの期に及んで……。忠告は胸に刻んでおくよ。……正直言って、下界については何も分からない。できることなら、もっと安全に君が暮らせる場所に送りたかった。だけど、どこにいようと君の息災を願っている」


 これ以上の言葉は余計だったので、アルヴァは何も言わず、ただ微笑(ほほえ)みを返した。それから、アーチ状の黒い門――界門に触れることで遺跡の機構を発動するように(うなが)した。

 頷いて、エヴァートが黒いカギを取り出した。

 これこそが、上界と下界をつなぐ門を開くカギなのだ。そして、エヴァートはカギの先端を界門の柱に触れさせて魔力を込めた。


「ぐっ……これは結構辛いな」


 予想以上に魔力を消耗するのか、エヴァートが顔をゆがめる。転移のような類例のない魔法を発動するのだから、それも当然かもしれない。

 界門は帝国が造ったものではない。いつからあるかも分からぬほど古いものだ。その機能も解析できておらず、ただ皇家にカギが伝わっているのみだった。


 界門が「ウゥゥゥン」という奇妙な音を鳴らしながら振動する。同時に門の下の空間が輝き、水面のように揺らぎ出した。

 どうやら、つながったらしい。

 アルヴァはためらいもせず、揺らぐ門の下へと足を踏み出した。


 門をくぐった瞬間、光の中へとアルヴァは飲み込まれていった。

 視界は光で満たされていた。何も見えない。何も触れない。何も聞こえない。明るい闇の中に落ちていくような、不思議な感覚だった。やがて、意識は光に溶けるようになくなっていった。

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