夜が明けて
ソロンは治療を受けるために、神竜教会の修道院に運ばれた。この国の医療は、神竜教会が全面的に担っているらしい。
ソロンが目を覚ましたベッドのかたわらには、故郷から持ってきた愛刀も添えられている。
神獣との戦いで落としたが、誰かが拾って届けてくれたようだ。
「具合はいかがですか? ソロンさん」
声をかけられて振り向けば、そこには穏やかそうな金髪の女性。
ミスティンの姉――セレスティンである。
「どうしてこちらへ?」
「私は神竜教会の司祭ですから。修道院の巡回も仕事の一つです。ケガの酷い方がいれば、魔法で治療しなくてはなりませんから」
それもそうだな――とぼんやりした頭で納得する。
「そうなんですか。あっ、お陰様で調子はよいみたいです。体の痛みも感じません。あなたが治療してくれたんですか?」
「いいえ。治療のお礼なら、妹に言ってあげてください。あなたがここへ運ばれる前に、あの子がもう治療を終えていましたから」
「ミスティンが?」
後でお礼を言わないとな――とソロンも頷く。
「それにしても、よくあの魔物を倒せたものですね。正直に言って信じられない思いです」
そちらが本題――といった調子でセレスティンは切り出した。
「他のみんなのお陰ですよ。僕はたまたまとどめを刺したってだけで」
「ですが、神鏡を使ったのは、あなたの判断では? それとも、アルヴァネッサ陛下ですか?」
「確かに提案したのは僕ですが……。もしかして見てたんですか?」
そんなことをセレスティンが知っていた事実に驚いた。
「はい。一部は人づてに信者の皆様から聞いた話ではありますが……。ただ私は、あなたが使った神鏡こそが、戦いのカギだったのではないかと考えています。どうやって神鏡の力を知ったのか、お聞きしてもよろしいですか?」
ミスティンに似た空色の瞳で、彼女は遠くを見通すように語った。
神竜教会の信者はこの国の至るところにいるらしく、情報網は侮れないようだ。当然、戦闘に参加していた兵士達も含まれるのだろう。
ソロンも頷いて、故郷の伝承について大雑把に語った。
大筋は妹のミスティンに話した時と同様である。もちろん、故郷について詳しい話はしないように注意する。
すると、セレスティンは強い関心を見せた。
「驚きました……! やはりあれこそが、神竜教会の伝承にある『混沌を払う鏡』なのですね。我々教会の者ですら、おとぎ話の類と考える者は少なくないのに……。それを信じたあなたの立派な功績ですよ」
「セレスティンさんは、そういった話に詳しいのですか?」
「伝承を調べ真理を求めることは、神竜教会にとっても大事な仕事ですから。私もその一員として、探求する役目を担っています」
それにしても、あの魔物は故郷に現れた『神獣』によく似ていた。神竜教会の伝承と、どのように関係しているのだろうか?
ソロンが物思いに沈んでいると、セレスティンが声をかけてきた。
「……すみません。話が長くなりましたね。つい興味深かったもので、長居してしまいました。どうか今は休んでください」
そう言って、彼女は立ち去っていった。
それから、入れ替わりのようにグラットとミスティンが見舞いに来た。近くでセレスティンとすれ違ったらしい。
「調子はどうよ?」
「お陰様で悪くないかな。ミスティンが治療魔法をかけてくれたって、お姉さんから聞いたよ」
「大したことはしてないけど」
「ううん、ありがとう。この分なら、すぐに退院できると思う。ベッドの数も限られてるしね」
「今日一日ぐらいはそのまま養生しときな。お前が一番の功労者なんだから、バチはあたらんぜ」
「僕はたまたまとどめを刺せただけ。みんなのお陰さ」
セレスティンの時と同じように、ソロンは返答をする。
しかし謙遜ではない。
多くの名も知らぬ兵士達が、命を懸けて戦っていた。ソロン自身は鏡と剣の力に頼って、薄氷の勝利を得たに過ぎないのだ。
「まあ、俺様の最強の一撃がなければ、やられてたのは間違いねえけどな」
「違う。究極の一撃だよ」
ミスティンがすかさず指摘した。
「見てたのかよ!?」
「うん。そのまま突撃するかと思いきや、ビビって槍投げした挙句、逃げていくところまで」
「なぬ……」
「ちなみに陛下も一緒に見てた」
ガクリとうなだれるグラット。
「ま、まあまあ。あの究極のナントカがなかったら、本当に危なかった。僕が言うんだから間違いないって」
「そ、そうだろ!? 俺様の槍投げは一級品だからな」
「ソロンは優しいね」
と、ミスティンに頭をなでられた。薄々感じていたが、子供扱いされている気がする。
いつもの宿で待っている――そう言って、二人は去っていった。
まだ短い付き合いではあったが、長年の友人のような信頼があった。この二人とは今後とも、長い付き合いになりそうな予感がしていた。
そうして一人になると、ついまたまぶたが重くなってくる。随分と眠っていたはずだが、疲れは抜けきっていないようだ。
すると――
「ソロン」
と、突然近くから静かに声をかけられた。
ぼんやりと目を開けると、紅い瞳がまっすぐにこちらを見つめていた。それで一気に目が覚める。
「陛下……!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
アルヴァは唇の前に人差し指を立てて「静かに」と手振りで示した。
庶民的な仕草なのに、この人がするとどこか優雅に見えてくるから不思議なものだ。
「すみません。気持ちよさそうに寝てらしたのに……」
「いいえ、とんでもない……! どうしてここへ?」
「慰問も仕事の内ですから」
女帝はあっさりと答えた。
とはいえ、アルヴァ自身もあの戦いで疲労の極みだったはずである。現状が現状なだけに、満足に眠る暇もないのは確かだ。
そんな中でも無理を言って、足を運んできてくれたのだろうか。
アルヴァは護衛と合わせて質素に装っていた。それでも、その容姿や所作は際立っており、負傷者であふれる院内では明らかに存在が浮いていた。
「あなたにはどれだけ感謝しても足りません。部外者であるにも関わらず、我々のために力を尽くしてくれました」
アルヴァの表情に、例の杖を手に入れた頃にあった厳しさはない。今となっては、憑き物が落ちたかのように穏やかだった。
「いえ、そんな……僕は」
「今回の事件は私に責任があります。得体の知れない力に手を出して、取り返しのつかない事態を招きました。あなたがいなければ、被害はこの程度で済まなかったでしょう。最悪、この国もベスタのように崩壊していたかもしれません」
ベスタ島の崩壊した遺跡……。あの惨状は、今回の神獣が引き起こしたものなのかもしれない。
今となっては推測するより他にないが、少なくともアルヴァはそう考えているようだった。
そして、アルヴァは自分の責任を認めた。
そこにはごまかしも言い訳も何もない。ただ淡々と事実を伝える口調である。
「あなたが無事でよかった」
あなたのせいじゃない――口でそう言うのは簡単だったが、それが本当に彼女の慰めになるのかどうか確信がなかった。
だから、ソロンが伝えたのはただそれだけだった。
すると、アルヴァは自分から手を差し出して握手を求めた。ソロンも遠慮がちに手を伸ばすと、彼女のほうからグッとつかんできた。
ソロンはこの時、知らなかったが皇族は通常、平民とは握手をしない。アルヴァはあえてその禁を破ることで、感謝と親愛を伝えたのである。
「お礼も後日いたしましょう。ですから、神鏡についてはお任せください」
彼女は砕けた魔剣や、ソロンの故郷については、話を持ち出そうともしなかった。
「助かります。だけど陛下もお体に気をつけて。やっぱり僕は、あなたが心配だから……」
「私なら大丈夫ですよ。ソロン、どうかお元気で……」
そう言ってアルヴァは、今までに見せたことのない優しげな表情で力なく微笑んだ。
何かを悟ったような……あるいは諦めたような……。そこに宿る感情はソロンには分からなかった。
どこか、今生の別れを告げるような調子でもある。
……いや、お互いの立場を考えれば、親しく言葉を交わす機会はもう二度とないに違いない。
彼女にはまだ仕事が残っていた。この事態の後始末をすること。
そして、事態の責任を取ることである。
*
一週間の後、帝都に衝撃が走った。
皇帝アルヴァネッサが、元老院によって罷免されたのである。
帝都を危機に貶めた罪は重く、追放刑に処す。それが緊急招集された議会の決定だったのだ。
第一章『紅玉帝と女王の杖』完結です。
多くの謎が残されたまま、彼女の受難は続きます。
ですが、まだ物語は始まったばかりに過ぎません。
第二章『失われた世界』へと続きます。