表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
終章 広がる世界
441/441

広がる世界

「うむ、まぎれもなく海だな」


 一番乗りのサンドロスが重々しく頷いた。彼は馬と共に波の中へ足を突っ込んでいる。マントをなびかせながら、手を広げて全身で潮風を受けていた。


「これ、本当に海なんだね?」


 ソロンはいまだ目の前の光景が信じられなかった。


「坊っちゃん、試しに飲んでみませんか? そしたら信じられるでしょう」


 ナイゼルが悪戯(いたずら)な笑みを浮かべてくる。


「遠慮するよ。たぶん塩水だろうし」


 ソロンはやんわり断るが、ミスティンは、


「じゃあ、飲んでみようかな?」


 などと、真剣に悩みだす。

 ソロンはもちろん制止した。見た目は海水だろうと、元は呪海である。何が含まれているか分かったものではない。


「……一体、どういうことでしょうか?」


 アルヴァは困惑気味に海を(うかが)っていた。それから、サンドロスへ視線を向けて問いかける。生来の性格もあって、感動より疑問が勝るらしい。


「分かることは一つ。呪海が消えて、水の海に変化したということだ」

「兄さん、それは見りゃ分かるよ」


 ソロンは溜息をついて、周囲へと視線をやる。

 グラットとミスティンはさっそく裸足になって、海の中へ足をひたしていた。メリューはさほど乗り気でないようだが、二人に続く。


「それ、メリュー!」


 ミスティンは素足で白波を蹴り、飛沫(しぶき)をメリューへと飛ばす。


「……相変わらず、いい歳して子供よな」


 メリューが迷惑そうに眉をひそめる。


「ガキはお前だ! ふははっ!」


 グラットがメリューの側面から波を蹴っ飛ばす。至近距離から飛んだ水が、もろにかかった。広大な海を目にして、グラットも調子に乗っていた。


「貴様ら! いいだろう。私の本気を見せてやる!」


 メリューはいつもの念動魔法で反撃し、大人げなく水を投げ返す。ミスティンもグラットも楽しそうだった。

 そんな中、目に入ったのはシグトラだ。メリュー達を微笑(ほほえ)ましげに一瞥(いちべつ)した後、落ち着いた視線で海を眺めている。


「生きているうちに、この目で大海を見られるとはな……」


 こちらに気づいたシグトラが振り向き、感慨深げにつぶやいた。


「大海っていうと、前に師匠がおっしゃっていたアレですよね?」


 かつて、呪海があった場所に存在したという広大な海。それはこの世界の大半を覆っていたのだという。


「それ以外にあるまい。この星は本来の姿を取り戻したのだろう」

「まさか、先生はお分かりなのですか? なぜ、呪海がこのような変貌を遂げたのか……」


 アルヴァが驚きと尊敬の眼差しをシグトラへと向けた。


「俺にだって分からんことはあるさ。……とはいえ、仮説は考えられるな」

「仮説……? お伺いしてもよろしいでしょうか?」


 アルヴァに()われて、シグトラは頷く。


「ザウラストの奴が言っていただろう。カオスの神がこの星へと種を送り込み、大海を呪海に変えてしまったと」

「言ってましたね。けど、あいつの言うことなんて当てになるんですか?」

「奴は狂人だが、その全てを否定はできまい。実際に人智を超えた何かを、奴が成そうとしていたのも確かだ」

「この星を呪海へ飲み込み、邪神に適した環境へ改変する。確か、そんな主張でしたか。やはり、世迷い言にしか思えませんが……」


 アルヴァがザウラストの言葉を思い出しながら口にする。


「だが、実際にザウラストは四百年にも渡って活動してきた。そのために呪海から力を借り、数々の魔物達を生み出したのだ」

「聖獣とか神獣とかいう連中ですよね。本当に、冗談みたいな呼び方だけど」


 ソロンが口を挟めば、アルヴァも続ける。


「それに、何よりも呪海の王です。規模は桁違いですが、同じような邪術の延長にあるものでしょう」

「その通りだ」わが意を得たりとシグトラは頷いた。「ザウラストは相当な力を呪海から引き出し、呪海の王を生み出したのだろう」

「僕達がやっつけましたけどね。やっぱり、それが関係してるんですか?」

「まさしく、呪海の化身ともいえる呪海の王をお前達が撃破した。それはつまり、呪海そのものに打撃を与えたといえる」


 シグトラの話が核心へと迫っていく。


「――結果、天秤(てんびん)が傾いた。カオスの力が弱体し、この星の自浄作用が活性化した。そうして、海は元の姿を取り戻したのだろう」

「相変わらず、師匠の知識は人間離れしているな」


 そう口にしたのは、いつの間にか寄ってきたサンドロスだった。さらにはその隣にいたナイゼルも会話に加わってくる。


「星の自浄作用ですか? これまた、唐突な概念が出てきましたね」

「唐突ではなかろう。例えば、奴らを倒すのに不可欠だった星霊銀――あれも、星によるカオスへの抵抗が形を成したものといわれている。見方によっては、一種の自浄作用といえなくもないだろう」

「はあ、私には信じられませんが……」


 シグトラの説明に、アルヴァはピンと来ないようだった。もちろん、ソロンも似たようなものである。


「安心しろ、俺も自信はない。けれど、奇跡は起こったのだ。それだけは間違いないだろうさ」


 そう語るシグトラの表情は、いつになく晴れやかだった。

 波の音がさざめき、潮風が(さや)かに吹きつけてくる。


「大海とは随分と騒がしいのですね。さして強風が吹いているわけでもないのに……」


 騒がしい潮風が、アルヴァの黒髪をなびかせていた。

 彼女とソロンの知る海――下界のマゼンテ海や上界のイシュテア海は、もっと穏やかな海である。強風がなければ、波はわずかしか見られない程度だ。


「ああ、この海は万里(ばんり)の果てまでつながっているはずだからな。遥か遠くで吹いた風が、波を増幅して運んでくるのだろう」

「は~、万里ですか……」


 実感が湧かず、半ば呆然とソロンは海を見やった。万里の大海とは以前にも聞かされた話だが、まさに目の前の海がそうだとは驚きだ。


「そうだ、大海は途方もなく広い。世界中の大地を集めても、海の広さには到底及ばんそうだ」

「……ってことは師匠。この海の向こうにも陸地があるんでしょうか?」


 ふと思い至って、ソロンは質問を投げかける。遥か遠くの海へと視線を送るも、水平線の向こうに至るまで島影は見られない。


「おお、そいつは俺も気になるな」


 冒険者魂を刺激されたらしく、グラットも話に加わってきた。ミスティンやメリュー、それからガノンドも近寄ってくる。いつの間にやら、全ての仲間がこの場に集っていた。

 視線を一身に集めたシグトラが首を横に振る。


「それは分からん。伝承によれば、かつて世界には五つの大陸があったという。知っての通り、長らく大陸同士の交流は絶たれていた。ゆえに、呪海に飲まれて滅んだ可能性も否定できまい」

「う~ん、そうですか……」


 ソロンは落胆するが、アルヴァが口を開く。


「私は、他の大陸も残っている可能性が高いと考えます。この大陸だけが残り、他は滅びたと見なすのは論理的ではありません」

「おう、やっぱそう思うか? お姫様は浪漫(ろまん)が分かってるじゃねえか」

「浪漫ではなく論理的推論です」


 嬉しそうにするグラットに対して、アルヴァは冷然と言い切る。しかし、それだけに彼女の口調は確信に満ちていた。


「他の大陸か……。行ってみたいなあ……」


 そんな中、ミスティンは空色の瞳を輝かせ、遠くを見つめていた。いや、彼女だけではない。皆、その視線は遥か遠く、水平線の向こうを見据えている。


「それじゃあ、船でも造っちゃう?」


 ソロンが思いつきを口にする。

 マゼンテ海で使用している海船を運ぶ方法もあるが、距離を考えると現実的ではない。やはり、最初から大海に適した船を造る必要があるだろう。


「ふうむ……」

 ナイゼルは考え込んで。

「――それだけの大海となると、帆船(はんせん)では心もとないですね。竜玉船に匹敵するような動力が、水上船にも欲しいところです」


 ナイゼルの意見に、アルヴァも頷く。


「悪くありませんね。帝国においても水上船の開発は、竜玉船と比較して後手に回りがちでした。ですが、新大陸の捜索という明確な目標があれば、それも活発化するかもしれません。……もっとも、そのためには下界に造船の拠点を造らねばなりませんが……」

「その点は問題ないだろう。土地なら腐るほど余っているからな。なんせ、呪海の近くは誰も住めなかったんだ。帝国がやるというなら、格安で提供できると思うぞ」


 サンドロスが抜け目なく答えてみせる。


「お前達は若い。好きにするがいいさ」

「……まあ、父様のほうが我々より長生きしそうな気がしますが」

「むっ、それもそうだな」


 メリューが複雑な表情で指摘すれば、シグトラもバツが悪そうにする。


「ほほほ、挑戦とは若人(わこうど)の特権じゃ。皆、悔いの残らないようにするのじゃぞ」


 代わりに、正真正銘の老人であるガノンドがまとめてくれた。



「ほう……」


 遠くの空を眺めながら、メリューが声を漏らした。彼女の紫の瞳が、いち早く何かをとらえたようだった。

 やがて、鳥の群れが水平線の向こうから姿を現した。かつて、呪海が広がっていたはずの彼方からだ。


「渡り鳥だ!」


 ミスティンが空を仰ぎながら手を振った。


「やっぱりあるんだよ……! どこかに、別の大陸が!」


 ソロンは興奮を抑えきれずに叫んだ。

 呪海の向こうから飛来する鳥は、これまで確認されていなかった。

 だからこそ、あの向こうには何もなく、この大陸は孤立していると考えられていた。いや、それどころか孤立しているという認識すら持てなかった。なんせ、それが世界の全てだったのだから。


 けれど、大海の向こうから渡り鳥はやって来た。

 これまでの鳥達は、呪海の上を飛ぶのを避けていたに過ぎなかったのだろう。遥か彼方から旅の果てに、鳥達はこの大陸へとたどり着いたのだ。


「ソロン」


 鳥の群れを目で追っていたアルヴァが、名前を呼んできた。紅玉の瞳がまっすぐにソロンを見つめている。


「――上界と下界……私は二つの世界をつなげたいと思っています。そして、この大海の外に大陸があるというならば、それもつなげたい。……私は欲張りでしょうか?」

「そうかもね。けど、悪くないと思うよ」

「もしかしたら、一生を懸けても成しえないかもしれません。それでも、力を貸していただけますか?」


 ソロンはそっと彼女の手を握りしめて答える。


「構わないさ。無理なら無理で、誰かが引き継いでくれるかもしれないしね。少なくとも、僕達は最初の一歩を踏み出せるんだから」


 雲海のオデッセイ――完

 終章『広がる世界』完結!

 そして、雲海のオデッセイもこれにて完結です。


 全441話にも及ぶソロンとアルヴァと愉快な仲間達の長い物語も、これにてお終いです。

 色々語りたいことはあるのですが、作品内で存分にやりきったこともあり割愛します。

 作者自身の今後などについては、活動報告やブログにでも書こうと思います。


 ご愛読ありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 441話で文字数も170万文字近くあり、とてもボリュームがありましたが最後まで楽しく読ませてもらいました! 雲海のオデッセイという作品自体は知っていたのですが、中々読む機会がなく、あまり手を…
[良い点] はじめまして。 もう、全部良かったです! 完結済みから入らせて頂いたので一気読みしないよう睡眠時間を削らないよう自制するのが大変なほど面白かったです! [一言] 一人一人、アルヴァを助…
[良い点] きちんと完結! もちろん話も面白かったです。 [気になる点] 完結しちゃったのね⋯⋯ [一言] 長らくの執筆、お疲れ様でした!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ