海を目指して
翌朝、サンドロスを加えた一行は、イドリスを出発した。
馬車と竜車に兵士達も加わった数十人の大所帯だ。数日をかけて南下し、呪海があった場所を目指す予定だった。
旅はなごやかに進んだ。
ミスティンは今回も楽しそうに竜車を操っていた。
ナイゼルはすぐ馬に疲れて、もっぱら竜車の後部座席を陣取っていた。馬を駆るガノンドが、それに苦言を呈する。
いつものようにグラットとメリューは憎まれ口を叩き合う。シグトラがそんな娘を穏やかに見守っていた。
イドリスがザウラスト教団に襲撃を受けて以来、ソロンは何度となく旅を経験した。それらの多くが急ぎの旅だったのを考えれば、至って平穏なものだった。
ドーマ連邦に帰るであろうシグトラを初め、仲間達にはそれぞれの立場がある。この仲間達と旅をするのは最後かもしれない。そう思えば、感慨深いというものだ。
「たまにはこういうのもいいね」
馬上に揺られながらソロンが、後ろへと声をかける。
「そうですね。気の急く旅ばかりでしたから」
と、ソロンの背にしがみついたアルヴァが応じた。
馬の数に余裕がないわけではない。けれど、せっかくだからと彼女はソロンの馬に同乗していた。
「そうそう、旅行先も今のうちに考えとかないとね」
横で竜車を御しているミスティンが口を挟んでくる。
「旅行って何の?」
「もちろん、二人の新婚旅行だけど?」
「お、おう……。上界にはそういうのもあるんだっけ?」
「下界にはないのですか?」
とまどいがちにアルヴァを見れば、反対に質問を返してくる。
「ないですぞ」
説明してくれたのはガノンドだった。
「――そもそも、相当数の国民が生まれた町を一生出ることがありません。町と町をつなぐ街道も、まだまだ安全とは言い難い。旅行や観光、そういう習慣自体がごく限られたものに留まっていますじゃ」
両方の世界で長く暮らした経験を持つ、彼ならではの見解だった。
「なるほど、帝国でも地方に行けば、そういった地域があると聞きます。将来的には、上界への旅行が当たり前になるといいですね」
「ああ、そのためにも上下界の交流を活発にしないとな。その点、お前達には期待しているんだ。くれぐれも、ケンカ別れとかはやめてくれよ」
ガノンドに次いで、サンドロスが声をかけてくる。
「心配無用です。この通り、逃しませんから」
ソロンの腰に腕を強く巻きつけながら、アルヴァが宣言する。顔は見えないが、きっといい表情をしていることだろう。
「はははっ、頼もしいな!」
「他人事だと思って……」
ソロンは恨みがましく兄をにらんだ。
「それで旅行先は?」
ミスティンが執拗に話を戻してくる。話題をそらすつもりはないらしい。
「……行くの?」
「行きますよ」
アルヴァの意向を伺えば、即答された。
「……治安の問題もあるし、上界のほうがいいかな? 色々と旅をしてきたけれど、帝国でも行ってない場所のほうが多いからね」
ソロンはとりあえず無難な意見を出してみる。
「それでは、ホロー島はどうですか? 私も幼少の頃に行ったきりなのですが……。皇帝時代に赴く予定はあったのですが、潰えてしまいました。ちょうど良い機会ではないかなと」
「ホロー島か……。あっちにも滝があったね」
ホロー島とは帝国本島の西に位置する島だ。地図を見れば一目瞭然の大きな島で、東のカプリカ島とは対になっている。一連の旅ではついぞ訪れる機会がなかった。
「シトラーレの滝ですね。エーゲスタの滝よりも一段と大きいので、ぜひご覧になるとよいでしょう」
「うん、悪くないね」
雲海へと流れ込む大瀑布は、見る者を引きつけてやまない。帝国にあるもう一つの滝は、ぜひとも見ておきたかった。
ソロンが色よく返事をすれば、
「シトラーレの滝か……。いいね! 私も行ったことないし」
なぜかミスティンも反応した。
「いや、君が行くわけじゃないでしょ?」
「え~……」
途端、ミスティンは露骨に表情を陰らせた。捨てられた子犬のような表情でソロンに訴えかけてくる。ソロンがすかさず視線をそらせば、彼女はアルヴァへと視線を移した。
「もちろん、ミスティンも連れていってあげますよ」
アルヴァは渋る素振りも見せず即答した。
新婚旅行って、友人を連れていくものなんだ――と、ソロンは思ったが口にはしなかった。どの道、アルヴァは護衛も連れず出歩ける身分ではない。
そう考えれば、気心の知れた相手を伴ったほうがマシなのだろう。
「わ~い、やった!」
ミスティンは手綱を手放し、諸手を挙げて喜んだ。
「まあ、気が早い話だけどね」
そもそも、現状は挙式も何も決まっていないのだ。その先まで考えるのは早計であった。
「そうですね。それに、そもそも一箇所に決める必要もありません。むしろ、他国を含めてできるだけ多くを巡りたいところです」
アルヴァは随分とやる気のようだった。
「それより、さっさと式を挙げてくれ。個人的な希望を言えば、上界で盛大にやってもらいたい。俺もできれば上に行ってみたいからな。いい機会になるだろう」
サンドロスもすっかり乗り気だった。どうもこちらはこちらで、帝国との関係強化を目論んでいるらしい。
「……考えとくよ」
ソロンは控えめに答えた。
自分から告白しておいて何だが、具体的な話は全然だった。……やはり、盛大な結婚式などを挙げなければならないのだろうか。途方もなく大変そうだ。
そんなわけで、二人の関係には大して進展がない。とはいえ、二人は離れようにも離れられない関係なのだ。焦ることはない。そこはゆっくり進めていけばいいと考えている。
「……俺の滞在中には諦めたほうがよさそうだな」
後ろにいたシグトラが、メリューと何やら話している。
「無論、無理でしょう。友人としての見立てですが、あやつはなかなかの意気地なしです。あと一年ぐらいは見たほうがよいかと」
「うむ、俺も実のところ同意見だ。気長に知らせを待っているとしよう」
悟ったような声でシグトラがつぶやいていた。
*
そして、ついに一同は目的の地へと迫った。
王都イドリスから南へ四日。かつては呪海があった場所。人里から離れ、王国の統治もほとんど及ばない僻地だ。
丘を越えた一同の前に、その光景が広がっていた。
「わぁ……!」
「うお……」
ミスティンが歓声を上げ、グラットも圧倒されたように絶句する。帯同する兵士達もそれぞれが歓声を上げていた。
「……信じられません」
「奇跡だ……」
背中に同乗するアルヴァも、ソロンも呆然とつぶやいていた。
そこには青く澄みきった海が広がっていた。
不純物がないのだろうか、濁りのない海である。上界や下界で見たどの海よりも美しい。雲海からこぼれ落ちる光を受けて、海はきらめいていた。
かつてそこには、死に染まった赤い海が存在していたはずだった。しかし、今はその残滓すらも見受けられない。
「近づいてみよう」
サンドロスが先頭を切って、馬を走らせていく。かつての呪海とは違い、馬は嫌がることなく進んでいく。
「僕達も行こう」
「ええ!」
「ほいさ!」
ソロンが馬を走らせば、アルヴァが返事をする。ミスティンも竜車の手綱をしごき、走竜をうながした。
波が岸へと打ち寄せ、白い飛沫を上げて弾ける。波の音は鳴りやむこともなく続いていた。
砂浜に馬を止めて、ソロンは下馬した。続いて降りたアルヴァを軽く受け止める。
「おー、綺麗だね!」
ミスティンが竜車を飛び出し、はしゃぎ気味に海へと駆け寄っていく。
「海が俺を呼んでいるぜ!」
グラットが何やら叫びながらそれに続いた。海に来ると人は開放的になるらしい。
「待て、危険かもしれぬぞ」
メリューが忠告しながら、そんな二人の後を追う。
ソロンとアルヴァも、彼女達の後ろを遅れて付いていった。
「坊っちゃん、置いてかないでくださいよ~」
ようやく竜車から降りたナイゼルが、さらに後から追ってきた。すっかり体がなまっているらしく、足元がおぼつかない。
その点、シグトラとガノンドはさすがに落ち着いていた。若者達の後をゆったりと追うのだった。