神秘の魔剣
意識がぼんやりする。体の節々が痛む。
それでも眠ってはいけない。立ち上がらなくてはいけない。
さっき聞こえた雷のような轟音は、誰かが魔法を放った証拠だ。今もきっと、誰かが戦っているのだ。
少しだけ体を動かしてみる。
手も足も動く。どこも折れてはいない。ただ痛みがあるだけだ。
ならば、倒れている理由はない。
そうして、ソロンは立ち上がった。
倒れていた間にも、兵士達は神獣を押さえ込んでいた。ソロンがとどめを刺されずに済んだのは、皆の懸命な戦いによるものに違いない。
それによって、おびただしい犠牲者が出ていることも、倒れた兵士の数を見れば明らかだった。
あの老将軍の姿も見当たらず、代わりにラザリック将軍が必死で指揮を執っている。
ソロンも再度、挑むつもりだったが肝心の刀が手元になかった。神獣に振り払われた時に落としてしまったようだ。
「お~い、ソロン!」
そこへ走ってきたのはグラットだ。全力で疾走してきたせいか、息を切らしている。
「お姫様がこれをお前にだってよ」
と、剣をソロンの手に押しつけた。
「この剣は……?」
「魔剣と言ってたが、詳しくは知らん」
魔剣というからには、魔導金属によって作られているのだろう。美しく青白い刀身のきらめきを見れば、ただの剣でないことは容易に分かる。
ともあれ、剣を手に握ってみることにした。
本来、慣れない魔法武器を扱うのは難しい。魔法武器というものは、どのような性質を持っているか見極めて、初めて使いこなせるのだ。
けれど、この剣はソロンの手によく馴染んだ。
軽く魔力を込めれば、魔剣が白光を放ち出す。
ソロンの愛刀よりも、ずっと大きな力を秘めていると感じた。この力を神獣にぶつければ、勝機はあるかもしれない。
「いけるか? 別にお前が無理する義務はねえんだぞ」
「やってみる!」
体は痛むが、もう一度攻撃を喰らわせるぐらいならできそうだ。
ソロンは丈の長い庭木へ走り寄り、するすると登った。枝を足場に建物の屋根へと飛びつく。腕の筋力だけで体を持ち上げ、よじ登った。
屋根を伝いながら、軽やかに神獣へと近づいていく。
宙に浮く神獣に致命傷を与えるには、高い場所から頭を狙うのがよさそうだと判断したのだ。それでいて、気づかれないようにしなければならない。
屋根の陰に隠れて、神獣の様子を覗き見る。
なおも神獣の暴虐は止まらない。神獣を囲んでいた兵士が、勇敢な者から順に一人また一人と倒れていく。
兵士達ももはや限界らしい。立ち向かおうとする者が見るからに減っていた。
神獣の注意が他に向いた瞬間を狙おうと考えていたが、なかなかよい機会が訪れない。
迂闊に動くと見つかってしまう。このままでは――とソロンが焦り始めた時だった。
「おいてめえ! 神獣だか何だか知らねえが、このグラット様が相手してやるぜっ! オラオラ、かかって来いやー!!」
グラットが品性に欠けるが、勇ましい大音声を上げた。それも、ちょうどソロンの反対側だ。
グラットは槍を構え、叫び声を上げたまま神獣に突進していく。
「うおおおぉぉ!! 究極の一撃を受けてみよ!!」
どの辺が究極なのかはよく分からない。
けれど、神獣もグラットの気迫を無視できなかったようだ。四本ある腕の一本を、グラットに向けて伸ばす気配を見せた。
すると、寸前でグラットが槍を投げつけた。
槍は矢のようにまっすぐ飛んで、神獣の頭部を目指す。
ところが、神獣が腕を振るや、槍はあっさりと弾き落とされた。まるで蚊でも振り払ったかのようである。
目障りとでもいうかのように、神獣の視線がグラットをにらみつけた。
グラットの判断は迅速だった。
百八十度転回するや、一目散に逃げ出したのだ。
「すまん限界だわ! マジ怖いってコイツ!」
そして、情けない悲鳴を上げながら加速する。神獣に向かっていた時よりも、逃げ足のほうが速いのは気のせいか。
だが――
「十分さっ!」
ソロンはその瞬間を見逃さず、屋根を蹴って跳び上がった。
神獣がこちらに気づき、振り返ろうとしたがもう遅い。
その時には、魔剣が神獣の頭に突き刺さっていた。ソロンも剣にぶら下がった格好になったが、絶対に手は離さない。
神獣がふらつきながら、剣を抜こうと腕を伸ばす。
しかし、剣から放たれた激しい閃光がそれを妨げた。周囲がまるで真昼のように思える光だ。ソロンも目を閉じるしかなくなった。
それでも、魔剣を離さずに魔力を送り込み続けた。
やがて、魔力に耐え切れなくなった剣が砕けた。剣を支えにしていたソロンも落下して、強く背中を打ちつける。
「ダメかな……!?」
その時、光が消えていくと共に、神獣の姿も薄れていくのが見て取れた。
やがて、その姿は赤黒い霧となって、空気に溶けていった。
辺りが急速に静かになった。
どうやら、神獣が生み出した小悪魔も消えていったようだ。その有様はまるで最初から神獣など、存在しなかったかのようである。
現場を見ていた者は、まるで悪夢から覚めたような心地だったろう。
「お~い!」
グラットが、またもこちらに向かって引き返してくる。
その後ろに続いてミスティンが、ふらつくアルヴァを支えながらやって来た。
「私は大丈夫です。早く彼の治療を……!」
アルヴァがミスティンに懇願する。
頷いたミスティンは、アルヴァから離れてこちらに駆け寄ってきた。
三人の無事を確認したソロンは、安堵と共に暗闇へ身を委ねるのだった。
* * *
こうして、帝都の長い夜は終わった。
帝国軍が主導して、消火や救出、負傷者の手当といった作業が進められている。
神獣を仕留められず苦渋を飲んだ将軍達も、ここぞとばかりに意気込んでいた。
陣頭指揮を執っていたワムジー大将軍は負傷したものの、一命を取りとめたらしい。
その後に、何百という数の遺体を処理する手はずになっていた。
神竜教会の慣習では、遺体を焼却後に雲海へと遺灰を散布することになる。こうして、母なる雲海へと人は還っていくのだ。
死者の数はおびただしいが、それでも、この程度の死傷者数で済んだのは奇跡的だった。ソロン達や帝国軍が奮闘したお陰といえる。
北門の復旧も重大事項だったが、今は被害の拡大を防ぐのが優先である。
崩れた門はそのままに、兵士を見張らせて野生の魔物が侵入しないよう監視させていた。
全てが終わったかのように思えたが、謎は残ったままであった。神獣は元より、緑の巨獣の正体も何も定かではなかったのだ。
神獣は死骸も残さずに霧散した。
巨獣の死骸は残り、一部が城下の研究施設へと運び込まれた。
……が、学者達はみな醜悪な外見と悪臭に顔をしかめるばかりで、正体を突き止められはしなかった。
巨獣がどこから現れたのかも定かでない。
市民の中には、城の近辺から煙と共に忽然と現れたと証言する者までいる始末だ。
結局、分かっているのは、最初の一団は帝都の北からやって来たということだけ。
それにも関わらず、帝都の北方を守る兵士達からは何の報告もなかった。
つまり、誰も見た者はいないのである。
亜人の隠密部隊などという噂も流れたが、それにしては種族そのものが違いすぎた。そもそも、隠密で行動するには巨大すぎるのだ。
結局、全ては霧の中だった。