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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
終章 広がる世界
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変わりゆく海

 凱旋式と宴が終わり、幾日かが過ぎた。

 ソロンはしばらくの間、アルヴァの屋敷に居候(いそうろう)していた。


 皇帝の別荘であったそこは、いつの間にか正式にアルヴァの所有物となっていたのだ。今回の功績をもって、エヴァートがアルヴァに贈呈したらしい。さすがは皇帝、呆れるほどの気前の良さだった。

 本当のところ、ソロンの正式な住居はイドリス大使館のはずだ。しかしながら、アルヴァに引き留められて、何となくこちらに居着いてしまっていた。


 そして、屋敷の住人となっているのはソロンだけではない。

 シグトラにメリュー、それにラーソン、さらには部下の亜人達までも居候となっていた。


「何から何までお世話になって申し訳ありません」


 メリューの秘書官であるラーソンが、アルヴァに頭を下げる。

 北方のカンタニア市で待機していた彼は、事態の収束を見てようやく帝都を訪れた。晴れて二人の主君と合流したわけである。


「悪いな。俺ももうじき()つ予定だが、それまでは頼む」

「私からもすまぬ。大使館が定まるまでは厄介になる」


 シグトラとメリューも続いて謝意を表する。


「いいよいいよ。ゆっくりしていけばいいよ」


 なぜかミスティンがわが物顔で返答していた。彼女の立場は上帝秘書官兼護衛らしいが、すっかり屋敷に馴染んでしまっていた。

 ちなみに、もう一人の上帝秘書官であるマリエンヌも、やはり屋敷の住人となっている。宣言通りにソロンを主人同然に扱ってくれるのだが、くすぐったくてたまらない。


「こちらこそ、苦労をおかけして申し訳なく思っています。もっとも、今後は私が交渉に参加しますので、業者にも嫌とは言わせませんよ」


 アルヴァはミスティンとは違って常識的に返答した。

 背景には、ドーマ連邦の大使館となる物件探しが難航している事情があった。一つは一連の事件による混乱のせいである。だがそれ以上に『亜人国の大使館』という用途が業者に忌避されたのだ。

 とはいえ心配は無用だ。それについては、アルヴァが交渉に口出しすれば難なく解決するだろう。上帝陛下に逆らえる者などそうそういないのだから。


 そんなある日、屋敷に来客が訪れた。


「やあやあ、坊っちゃん。お久しぶりですね」


 ナイゼルがそんな挨拶と共にソロンを尋ねてきたのだ。お久しぶり――というのは、もちろん大使館に戻らないソロンに対する皮肉である。

 もっともナイゼルにしても、普段はガノンドやカリーナと共にオムダリア家で暮らしているのだが。


「やあ、ナイゼル。どうしたの?」


 と、ソロンは友人を居間へと案内する。屋敷は広く廊下は長いが、ソロンもすっかり慣れてしまっていた。


「なんだかぞんざいな返事ですねぇ……。戦いが終わり、事が成就したら、すっかり腑抜けになられてしまって……。そろそろ怪我も()えたでしょう。このままヒモにでもなられるおつもりですか?」


 ナイゼルはこれ見よがしに大きく溜息をついた。


「ごめんごめん、そのうち帰るよ。しばらく忙しかったから、気が抜けちゃってさ」

「申し訳ありません。私が引き留めたばかりに……。そろそろ、大使館へ通わせるようにしますから」


 居間の入口で出迎えたアルヴァが頭を下げた。……が、あくまでソロンの生活基盤はこの屋敷にするつもりらしい。どうしたものだろうか……。


「いえいえ、アルヴァさんのせいではありません。全てはわが主君――ソロニウス王弟殿下の不徳の致すところです」


 ナイゼルも頭を下げて対抗する。いちいち当てつけがましい。


「ナイゼルか、忙しそうだな」


 居間で書物を読んでいたシグトラが顔を上げる。この機会に帝国の情報を吸収しようと研鑽(けんさん)に努めているらしい。

 娘のメリューは、その近くでミスティンとじゃれ合っていた。どちらかというと、ミスティンが一方的にしかけている印象だが。


「おやおや、皆さんおそろいでしたか」

「それで、なんか用事があるんだよね?」


 ナイゼルを座らせたところで、ソロンは尋ねた。


「サンドロス陛下から坊っちゃんへお手紙です。予想もしなかった事態が起きたのだとか……」


 ナイゼルは握りしめていた手紙を、ソロンへと差し出した。


「予想もしなかった事態……?」


 嫌な予感がしたソロンは、手紙を受け取りながら表情を引き締める。


「もしや、またザウラスト教の残党か?」


 シグトラも敏感にこちらの話に注意を向けた。


「そういった悪い話ではありませんよ。ただあまりの出来事に、陛下も途方に暮れているようです。それで坊っちゃんにも意見を仰ぎたいと」

「私達は席を外したほうがよろしいでしょうか?」


 アルヴァは気を使うが、ナイゼルは首を横に振る。


「いいえ。むしろ皆様にも広く知っていただくべきでしょう」


 ならば――と、ソロンは手紙へ視線を移した。よく見知ったサンドロスの直筆が目に入る。


「は……!?」


 ソロンは思わず素っ頓狂な声を上げた。まさしく、予想以上の『予想もしなかった事態』だったのだ。


「なになに?」


 ミスティンが興味を引かれたらしく、手紙を覗き込む。アルヴァもメリューもシグトラも、黙って同じように寄ってくる。


「呪海がなくなったって……」


 ソロンは手紙を机の上に広げながら、ありのままの内容を告げた。


「どういう意味ですか?」

「……すぐに帰国しなかったのは正解だったか」


 これにはアルヴァもシグトラも、困惑の声を上げるばかりだった。


 *


 呪海が消滅した。

 その知らせを受けたソロンは、ナイゼルの案内で下界へ降りた。やはり、これほどの事態は自分の目で確認せねば済まなかったのだ。


 もっとも、下界へ降りたのはソロンだけではない。

 その場にいたアルヴァ、ミスティン、メリュー、シグトラ。それから、連絡を受けたグラットにガノンドも同行している。結局、主要な仲間達はみな同行となったわけだ。


 界門を抜けた先にある宿場は、ますます繁栄していた。イドリスとネブラシア――両国の交友の活性化は目覚ましく、小型の馬車が数多く馬屋につながれていた。

 二つの世界をつなぐというソロンとアルヴァの夢は、日に日に実現へと向かっていたのだ。



「兄さん、呪海がなくなったってどういうこと!?」


 王都イドリスにたどりついたソロンは、さっそくサンドロスを問い詰める。


「俺に聞かれても分からんさ。俺だって、報告を受けた時は何かの冗談と思ったぐらいだからな」


 サンドロスは要領の得ない返答をしてくる。ソロンはさらに問い詰めようとしたが――


「久しぶりだな、サンドロス。すっかり王様が板についたようだな」


 ソロンの後ろからシグトラが進み出た。サンドロスに向かって軽く手を挙げてみせる。


「師匠、お久しぶりです! まさか、師匠まで足を運んでくださるとは……!」


 サンドロスは感激した様子でシグトラの手を取った。王となった今では珍しい腰の低い兄の姿だ。ソロンやナイゼルと並び、サンドロスもシグトラの弟子の一人だった。


「なに、お前の手紙が真実なら、事はわが連邦にとっても未曾有(みぞう)の事態。顔を出さぬ理由はないさ。それより、話を聞かせてもらえるか?」

「いや、俺だって分からないと言った通りですよ」


 サンドロスはそう答えた後で、ソロンへと視線を向ける。


「――ただ、異変が起こったのは、お前達がザウラストを倒した時点からだろう。呪海の近くを通りかかった行商から『色が変わっている』と聞かされてな」

「色が変わっている……ですか?」


 アルヴァが怪訝(けげん)な声でオウム返しをする。

 ソロンは赤い海が広がる光景を思い出していた。生命の存在を拒絶するような禍々(まがまが)しい赤……。生きとし生けるものならば、本能的に拒絶反応を持つような景色だった。


「ああ、少しずつではあるが、変色を始めていたらしい。それ以来、見張りをつけて監視させるようにしていたのだが……。ついにその変化が終わったと報告があってな」

「終わった――ていうのはどんなふうに?」

「それは見てのお楽しみだ。せっかくだから、お前達と一緒に見ようと思ってな」


 サンドロスにしても、その目で状況を確認したわけではないらしかった。


 *


 ソロンはさっそくサンドロスと共に旅の準備に取りかかった。呪海は遠いため、それ相応の準備が必要となるのだ。

 もっとも、急ぐ旅ではない。一日かけてゆっくり準備することになった。

 ソロンにとっても、久々の里帰りである。家族や友人との交流も重要だ。


 サンドロスの息子スライアスは、しばらく見ぬ間にさらに大きく育っていた。

 もはや、母ナウアに抱かれるばかりだった赤子ではない。人の手も借りず、自分の足で部屋中を歩き回っていた。帝国のウリム皇子よりも一歳上なぶん、成長も早い。次世代を担う者達の成長は心強い限りだ。


「叔父さんみたいにかわいく育つといいね」


 ミスティンは相変わらずの調子で、スライの頭をなでていた。


「しっかし、お前も案外、手を出すのが早かったな。奥手だから、もっと難航すると思っていたぞ」


 と、サンドロスにはアルヴァとの関係を冷やかされた。手紙で知らせた覚えはないので、例によってナイゼルが知らせたらしい。


 もっとも、アルヴァは堂々としたもので、母ペネシアに改めて挨拶をしていた。口を挟む間もなく、トントン拍子で話が進んでいく。二人のやり取りを、ソロンはむず(かゆ)く見守るしかなかった。

 ペネシアから見て、アルヴァは不満のない相手だったらしい。終始満面の笑みで応対していた。とはいえ、ソロンが下界に戻る機会が減るのは寂しいようだったが……。


 一方、シグトラにとっても、久々のイドリスである。

 彼はガノンドと共に、虎将軍のダルツらとの旧交を温めていた。亡き父の友人であったシグトラは、長く滞在していたイドリス内でも顔が広いのだ。


 そんな中、ソロンが気にかけたのは、隣国ラグナイの情勢だ。

 イドリスの北に位置するラグナイ王国は、かつてザウラスト教団の影響を大きく受けていた。その影響から解き離れた今、イドリスとの関係も急速に雪解けしていた。

 レムズ王子も正式に王として戴冠(たいかん)したという。


 しかしながら、問題は山積みのようだった。

 上界の帝国では風前の(ともしび)となったザウラスト教団だが、ラグナイまでそうともいかない。かの王国には教団が隅々まで根を張っていた。

 前国王の残党と教団の残党が手を結び、レムズに対して抵抗しているという。新国王となった彼は日夜、それらとの戦いに忙しくしているようだ。


 無論、サンドロスとしても多少の協力はしているという。物資を送ったり、イドリス国境近辺で発見された残党の対処をしているのだとか。


「その点は、わがドーマにしても似たような状況だな。やはり、獣王軍の残党と邪教の残党が、再び結びつかないようにせねばなるまい」


 話を聞いた上で、シグトラも思案していた。なんせ、彼はザウラスト教団と決着をつけるため、遥々帝国までやって来たのだから。

 ちなみに、レムズに対してはソロンとアルヴァとの関係を知らせていない。もし知れば、彼はラザリック以上の醜態(しゅうたい)を見せるに違いあるまい。

 ……まあ、知らせる必要性は微塵(みじん)も感じなかったが。

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