表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
終章 広がる世界
431/441

漂う二人

 気づいた時には、ソロンは雲海の上に浮かんでいた。

 太陽は西の雲平線へと少しずつ沈み始めていた。その陽光を浴びて、雲海が燃えるように染まっている。長い長い探検と戦いだったが、実際にはわずか半日しか経っていないらしい。


 腕の中には黒髪の娘の姿があった。気を失ってはいるものの、その体から確かなぬくもりが感じられる。

 少女から大人へと変わりつつある彼女の姿。今ばかりは、少女のようなあどけない素顔で目をつぶっていた。


「アルヴァ」


 そっと声をかければ、アルヴァはゆったりと目を開いた。紅玉の瞳がソロンを間近からとらえる。

 彼女はゆるりと首を横に振り、周囲を(うかが)いながら。


「……生きて脱出できましたね。皆は?」

「激しい雲流だったから、はぐれちゃったんだと思う」


 ソロンは願望を込めて答えた。みな第一要塞島から脱出できたに決まっている。ただその後で離れ離れになっただけなのだ。


「そうですか……。けれど、きっとすぐ会えますよ。こういう希望的観測は趣味ではありませんが、今回ばかりは確信していますので」


 アルヴァは仲間達を固く信じていた。もちろん、それはソロンも変わりない。


「そうだね、みんな結構しぶといし。僕達が無事だったんだから、きっと大丈夫だよ。……けど、本当によく助かったなあ」


 激しい雲流に飲まれた瞬間をソロンは思い出した。今の静謐(せいひつ)な雲海の姿とは、似ても似つかない濁流(だくりゅう)だった。


「雲海は水よりもずっとやわらかいですからね。良い緩衝(かんしょう)となったのでしょう。これが水の海なら確実に助かっていません」

「なるほど~」


 と、ソロンは彼女の説明に感心する。空気のようなやわらかさを持つ雲海ならではの奇跡というわけだ。


「なるほども何も、それを見越して脱出を提案したのでしょう?」

「そ、そうだね……」


 アルヴァの呆れるような視線に、ソロンは苦笑する。実のところ、水の海より望みはあると考えていたが、確信はなかった。島ごと下界に落ちるよりはマシと判断したまでだ。


「…………」


 ふと会話が途切れて、ソロンは現実に引き戻される。


「さて、どうしたものかな?」


 ソロンは途方に暮れながら、周囲を見渡した。

 近辺には全く目印となるものがない。そこにあったはずの第一要塞島は、完全に墜落してしまったようだ。

 これが海ならば島の残骸が残ったかもしれないが、あいにく雲海ではそうもいかない。竜玉の加護がなければ、全ては雲の下へ真っ逆さまだ。


「おっ、帝都発見!」


 ソロンはおどけた調子で声を上げた。

 遠くを見れば、遥か先にうっすらと塔のようなものが見えた。帝都で最も高い建物――つまりはネブラシア城に違いあるまい。

 もっとも、雲平線の彼方にあるらしく、陸地はわずかも(うかが)えなかった。


「あちらには第二要塞島もありますよ」


 アルヴァも応じて反対側を指差す。

 ソロンが首を転ずれば、砦と灯台のある小島が見えた。こちらもかなりの距離があるらしく、わずかに突き出た建物が見えるに過ぎない。


「泳ぐならどっちがいいかな?」

「どちらもおよしなさい。北も南も最低一里はありますよ。こういう時は体力を無駄にせず、救助を待つのが鉄則です」

「う~ん、それもそうか」


 アルヴァに(いさ)められ、ソロンは断念する。

 生身で雲海を泳ぐには、かなりの体力が必要となる。抵抗に乏しいため、(かえ)って推力を得るのが大変なのだ。まさに雲をつかむような――という言葉の通りに。


「可能なら救難信号を上げるべきだと考えますが……。魔法は撃てそうですか?」


 ソロンの背中にある蒼煌(そうこう)の刀へと、アルヴァが視線を送る。魔法で信号を上げろという意味だろう。


「今はちょっと辛いかな……」

「私も似たようなものです」


 と、アルヴァは腰に差した杖を指差す。どうやら、雲海に流されずに済んだようだ。


「……そう言えば、蛍光石はどうしたの?」


 蛍光石ならば最小限の労力で発光できるはずだ。信号としては最適だろう。しかし、彼女は蛍光石のブローチを身に着けていなかった。


「流されてしまいました。母の形見でお気に入りだったのですが……」

「また今度、贈らせてもらうよ。……あっ、でも君が自分で買ったほうがいいのかな?」


 ソロンは(なぐさ)めに提案したが、すぐに財力の差に思い至って悲しくなる。半端な品質の物を贈っても、喜ばれないかもしれない。


「いいえ、期待させていただきます」

「ならよかった。それじゃあ、精神力が回復するまで休憩だね」

「ええ。せっかくですし、しばらくは二人でゆったりしましょう。このところ、随分と忙しかったので」

「ははは、そうだね」


 存外呑気(のんき)な言葉に、ソロンは思わず笑ってしまう。

 かすかな違和感を覚えたのは、その時だった。雲海の下に影が映ったのだ。


「魚かな?」


 とはいえ、雲海の中には様々な生物が泳いでいる。さして驚くことではないし、大きな魔物でなければ心配もいらないだろう。

 ソロンが何気なく首をかしげた次の瞬間――


「ソロン!」


 アルヴァがソロンを突き飛ばした。

 影は猛烈な勢いで、浮上してきたのだ。

 雲の飛沫(しぶき)が巻き上がり、影がアルヴァへと襲いかかった。


「アルヴァ!」


 ソロンは手を伸ばすが、雲海の中では思うように身動きが取れない。

 雲面から突き出した腕が、アルヴァの首をつかんでいた。


「ぐっ……」


 声を出せないらしく、苦しげにアルヴァがうめいた。

 そして、雲面に姿を現したのは、まぎれもないザウラストだった。

 呪海の王と一体化した象徴である赤い軟体は見当たらず、今は人の姿をしていた。


 けれど、一糸もまとわぬ体の損傷は激しく、至るところに欠損があった。紫がかった銀髪は焦げ、肩の肉はえぐれている。赤紫の瞳も片目がつぶれており、呪海の王による再生能力は失っているようだった。


「あっはっは! 死んだと思ったかい! あいにく、私はしぶとくてね! さあソロニウス! 最後の戦いといこうか!」


 ザウラストは耳障りな声でソロンへ笑いかけた。不完全な顔の肉が、少年のようだった顔を得体の知れぬものに変貌させていた。


「いい加減にくたばれよっ!」


 ソロンは蒼煌(そうこう)の刀を背中の鞘から引き抜いた。


「そうはいかない。刀を捨てるんだソロニウス。正々堂々、拳の勝負といこうじゃないか」

「ぐっ……自称神の代行者が、女を人質に……。賊の……真似事ですか……落ちたものです……ね」


 息も絶え絶えにアルヴァが皮肉をこぼした。こんな状況でも彼女は気丈だった。


「うるさいな。女は黙ってろよ」


 途端、ザウラストの声が憎しみに凍りつく。


「う……あぁぁ……」


 首をしめられてアルヴァが苦痛の声を漏らす。必死に腕を使って抵抗するが、彼女は無力だった。


「アルヴァに触るな!」


 ソロンは刀をザウラストへ突きつけ、にらみつける。


「やってみろよ! この女が青く焼かれてもいいならなあ!」


 目をむいてザウラストは、ソロンを挑発した。アルヴァの細首を押さえながら、その体を盾にしてくる。


「…………」


 ソロンは押し黙り、蒼煌の刀を左手に持ち替える。ゆっくりと刃先を後方へ向けた。


「そうそれでい――」


 ザウラストが満足気に笑った刹那――ソロンは刃先から蒼炎を放出した。

 後方に放たれた炎が、ソロンを爆発的に加速させる。

 そのままの勢いで雲海を突っ切り、ザウラストへ突進。盾にされたアルヴァにぶつかりながら、ザウラストの顔面へ右手の拳を入れた。


「手を離せ!」

「ぐおっ、何を!」


 急襲を受けたザウラストは、たまらずアルヴァから体を離した。


「うっ……」


 アルヴァもうめきながら、反動でザウラストから離れていく。多少は痛かったかもしれないが、許してもらえる範囲だろう。


「お前は終わりだよ、ザウラスト」


 左に握った刀を、ソロンは右へ持ち替えた。


「私が……私が何年かけたと思っているんだ! 四百年だぞ! 私は神に選ばれ、最も近しい存在になった! それをお前らのようなガキに、邪魔されてたまるかよ!」


 ザウラストは教祖の仮面を捨てて、子供のような癇癪(かんしゃく)を起こしていた。今や、少年のように美しかった顔は(みにく)く歪んで見る影もない。


「四百年生きてたらなんだ! お前の神なんて知るもんか! わけわかんないことばっかり言って、どれだけの人に迷惑をかけたんだよ! 僕の大切な人に、二度と手を出すな!!」


 感情むき出しの相手に、ソロンも正面から怒りをぶつける。


「うるさい! 死ね、死ね、死ねえ!!」


 ザウラストの目が光った。念動魔法を使おうとしたのかもしれない。

 けれど、ソロンのほうが先に動いていた。力を使い果たしていたのは敵も同じで、わずかな体力の差が明暗を分けたのだろう。


「灰になれ、ザウラスト!!」


 残る全てを振り絞って、ソロンは蒼煌の刀を叩きつけた。

 蒼炎の奔流(ほんりゅう)がザウラストを飲み込んでいく。

 勢い余った炎が、雲海に大きな風穴を空けた。


「私は神に選ばれたんだぞおぉぉぉぉ……!」


 それがザウラストの断末魔となった。

 青く燃えるザウラストの体は、風穴を通って雲海の下へと落ちていった。体内に秘めていた竜玉が破壊されたのか、二度と浮かんでくることもなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ