アルヴァの切り札
城の屋上で放心していたアルヴァだったが、やがて我を取り戻した。生来の気丈な性格と、誇り高さがアルヴァを突き動かしたのだ。
今は悔やんでいる時ではない。
どんな事態であろうと、自分は立ち向かわなくてはならないのだ。あの赤髪の少年のように……。
そんな時にふと思いついたのは、とある剣の存在だった。
帝国に伝わる秘宝は神鏡だけではない。
かつて、始皇帝アルヴィオスが使ったという魔剣が、宝物庫に今も封じられているのだ。
それも伝説によれば、神鏡と同一の金属で作られているという。いわば神剣とも呼ぶべき魔剣なのだ。
杖の力で猛威を振るった女王に、アルヴィオスは秘宝を用いて勝利した。その御先祖の剣ならば、鏡に匹敵する力があるのではなかろうか。
もしかしたら、杖から現れた魔物――ソロンが神獣と呼ぶあれを倒せるかもしれない。
魔剣は長らく宝物庫に眠っていたが、その間に扱える者もいなかった。
どれだけの魔剣であろうと、それを用いるに足る使い手がいなければ、なまくらと変わらない。
けれど、炎の魔剣を自在に使いこなす彼ならば……。あの魔剣だって使いこなすかもしれない。
希望を胸にアルヴァは屋上を発った。
心身の疲れも今は忘れて、薄暗い城内を駆け下りていく。
やがて、地下の宝物庫へとたどり着いた。
その前には、この期に及んでも宝物庫を忠実に守る兵士がいた。
神鏡の時と同じように兵士を説き伏せ、宝物庫へと足を踏み入れる。
魔剣は封印魔法の施された箱へ、厳重にしまわれていた。
もっとも、アルヴァにとっては解き方の知った封印であり、差し障りはない。女王の杖と同じように、魔法で封印を解除した。
箱が開き、鞘に収められた魔剣の姿があらわになる。
息を飲んで、アルヴァは魔剣を鞘から抜いた。
長い時を経ているはずなのに、刀身には錆び一つない。まるで昨日できあがった剣であるかのようだ。
銀に似ているが、その輝きは銀をもしのぐ。一体いかなる金属で作られているのかは、定かでない。
そこに秘められた魔力は、触っただけでアルヴァにも伝わった。
アルヴァは強引に魔剣を鞄に突っ込んだ。
そうして、アルヴァは杖を片手に城外へ出たのだった。
握りしめた杖は、もちろん女王の杖ではない。
従兄から譲り受け、長く愛用してきた杖である。北方で生育する大型の宿木に、雷の魔石を付けた逸品だった。
*
前庭では、兵士達が小悪魔と死闘を繰り広げていた。
すばしっこく動き回る小悪魔に、彼らはいかにも手を焼いているようだった。そんな兵士達を統括するラザリック将軍の姿もある。
もっとも、ラザリックに見つかれば、アルヴァは戦場から避難させられてしまうだろう。素知らぬ振りをして、通り過ぎることにした。
左右を確認すれば、すぐに神獣の姿が目に入った。右側の空高くに、その忌まわしい翼を広げている。
疲れた体をだましながら、アルヴァは神獣がいる方向へと歩き出す。
その時――金切り声がアルヴァの耳に響いた。小悪魔がこちらを見つけ、飛びかかってきたのだ。
「目障りです」
杖先を向ければ、紫の魔石が輝いた。
狙い過たず、紫電は小悪魔を貫いた。疲れてはいても、雑魚に遅れを取るアルヴァではなかった。
やがて、神獣の近くにワムジー大将軍の姿を認めた。
長らく戦場から離れていた彼ではあるが、この危機に至って自ら陣頭指揮を執ることを決めたらしい。
ワムジーは、一度決めたことは死力を尽くしてやり通す男である。ここは頼りにしてもよいだろう。
「うん……?」
大将軍の部隊は神獣から距離を置いて、その背中に矢と魔法を浴びせている。
だが、神獣はなぜか背後の攻撃を無視していた。それにアルヴァは違和感を覚えたのだ。
理由はすぐに分かった。神獣の目の前に倒れた少年の姿があったからだ。
「ソロン……!」
彼は城壁に体を打ちつけたのか、すぐには起き上がれないようだった。
思わず呼びかけたくなる気持ちを抑えて、アルヴァはひっそりと距離を測る。今は神獣に気取られてはならない。
そして、アルヴァは両手で杖を構えた。
左手を前に添えて、右手で杖の尾をつかむ。ちょうど弓のような構えとなる。
手の平から宿木を経由して、杖先の魔石へとありったけの魔力を集めていく。いつもの紫電の魔法ではなく、もっと強力な魔法を使うのだ。
これはかつて、アルヴァに教えた師が、実演した強大な魔法だった。
一朝一夕で習得できる魔法ではないが、師が去った後にも修練を重ね、ようやく会得したのだ。
それだけに負担も大きく、乱用はできない。行使するのは、昨年の北方遠征以来となる。
加えて、今のアルヴァは疲労困憊の極みにあった。普段ならこれ以上の魔法は控え、眠りにつくところだ。
けれど、今は全てを捨ててでも、目の前のあれを阻止せねばならない。
神獣が今まさに、ソロンへとどめを刺そうと近づいていく。
アルヴァは焦らずに魔力を杖へと込め続ける。
あふれ出す魔力が空気を振動させ、黒髪をせわしく揺らす。杖先の魔石――雷光石が目もくらむような光を放ち出した。
神獣が腕を伸ばそうとした瞬間――アルヴァは魔力を解き放った。
鳥のような翼を広げた稲妻が、神獣に向かって放たれる。
凄まじい轟音と光を放出しながら、雷鳥は神獣を貫いた。まさに落雷が水平に炸裂したかの如く。
昨年の北方遠征において、数百の亜人を一掃したアルヴァの切り札である。女王の杖には及ばずとも、巨竜すら一撃で滅する力を持っていた。
激しい雷光に包まれて、神獣は苦悶の叫びを上げた。
コウモリのような翼を焼け焦がし、大きく体勢を崩して地面に落ちる。神獣は顕現して以来、かつてない損傷を受けたようだった。
対するアルヴァも無事では済まなかった。魔法の反動を受けて、体を支えきれなくなったのだ。
力を使い果たして、もはや起き上がるのもままならない。
このような大魔法を放ってしまうと、術者は意識を保つことも難しくなる。既に女王の杖を使用して、疲弊していたのでなおさらだった。
しかし、なおも神獣は起き上がり、宙へと浮かび上がった。巨竜すら滅する一撃も、神獣を滅ぼすには至らなかったようだ。
そして、怒りの矛先はソロンからアルヴァへと転じる。
神獣は血走った眼で、アルヴァをにらんでいた。そのアルヴァは倒れたまま、今にも意識を失わんばかり。
「陛下をお守りせよ!!」
だが、彼女に気づいた大将軍が号令を下した。
兵士達と共に、大将軍自らも必死で神獣の前に立ちふさがった。
女帝の奮闘を見て、再び兵士達は士気を振るい上がらせたのだ。
* * *
「陛下、大丈夫っすか!?」
その隙にアルヴァへ駆け寄ったのは、グラットとミスティンだった。ソロンを心配して様子を見に来たら、女帝の姿を発見したのだ。
恐る恐る二人でアルヴァを抱え、神獣の視界から離れた物陰へと体を下ろす。
しかしながら、声をかけてもアルヴァに反応はない。
ミスティンが懐からいやしの魔石――聖神石を出した。アルヴァを抱えて回復の魔法をかけるが、やはり意識は戻らない。
「う~ん。やっぱり無理か」
ミスティンが首をひねり、
「いやしの魔法でもダメなのか?」
グラットが焦りの声を上げた。
少し離れれば、今も兵士達が神獣と戦っている。あまり悠長にしている余裕はない。
「いや、聖神石は肉体的に治癒するだけ。たぶん精神疲労だから意味ないんだと思う」
「じゃあ、どうすんだ!」
「こうする」
と言うなり、ミスティンは思いっきり女帝の頬をひっぱたいた。しかも往復で。パシンパシン! と小気味よい音が鳴り響いた。
「お、お前なあ……。不敬罪でしょっぴかれるぞ……」
恐れを知らぬミスティンの所業に、引き気味になるグラット。兵士達はみな神獣のほうを向いていたので、幸い誰も気づかなかった。
「精神と肉体は常に共にある。二つは不可分であり、精神への刺激が肉体を活性化させる。その逆もまたしかり。つまり精神を呼び覚ますには、肉体的な刺激を与えるのが最善」
ミスティンは指を立てて力説するが。
「いや、ダメだろ。難しいこと言っても、単に殴ってるだけじゃねえか」
「大丈夫。陛下はああ見えて、意外と心が広いから。ほら、起きてください!」
アルヴァをゆすりながら、ミスティンが声をかけた。貴人に対する礼儀も何もない酷いゆすり方だ。
ところが、実際に効果はあったらしい。アルヴァが「うう……」とうめき声をもらしながら目を開けた。
「陛下、おはようございます」
ミスティンが何事もなかったかのように挨拶する。
「おはようございます。ミスティン……」
反射的にアルヴァも弱々しく挨拶を返した。……が、すぐに気を取り直す。
「いけない! この魔剣をソロンに!」
そう言って鞄に突っ込まれた剣を示した。そして、彼女はソロンが倒れていた方角へと目をやる。
「魔剣……? うっし! 俺に任せてくださいよ!」
グラットは何も聞かずに快諾。魔剣を握って走り出した。
それを見送り、アルヴァは安堵したように息を吐いた。
だが、途端に顔を苦痛に歪める。見れば目に涙を浮かべながら、堪えているようだ。
「陛下、ソロンなら大丈夫。どうか泣かないで……」
ミスティンが慰めようと声をかけた。
「いえ、そうではなく……。なぜだか頬が物凄く痛いのですが」
アルヴァは首を振りながら、手を頬に当てた。美しい白肌が、目に分かるほど赤く腫れている。
「……さっき、倒れた時に強く打ったのかも。私に任せてください」
ミスティンの視線は泳ぎ、口調もどことなく棒読み気味だった。
もっとも、ミスティンは普段の口調も簡素なので、アルヴァも不審を抱かなかったようだ。
そうして、ミスティンは癒やしの魔石をアルヴァの頬にかざした。
「ああ、こんな時だというのに子供みたいで情けない……。ミスティンありがとう……」
こうして見ると、女帝も歳相応にかわいらしい。半分の親愛と半分の申し訳なさを込めて、ミスティンはアルヴァを軽く抱きしめた。