カオスの尖兵
ザウラストの肩から胸が青い炎に包まれる。蒼煌の刀がもたらす蒼炎は、通常の炎よりも格段に強力な熱と力を持つ。生身の人間なら瞬時に絶命している状況だ。
勝負あったとソロンが思った刹那、ザウラストは不気味な笑みを浮かべた。
ザウラストの傷口の辺りが、溶けるように崩れ、赤い軟体状へと変化していく。
軟体となった体が触手のように伸び、シグトラへ襲いかかる。
危険を察知したシグトラは、間一髪で跳び下がると同時に刀を払っていた。
ザウラストの軟体は、なおも長槍のようにシグトラへ迫る。……が、それはシグトラの蒼炎によって焼き払われた。
「今のをかわすなんてやるねえ。完璧に入ったと思ったのにさ」
ザウラストから伸びた触手が、胴体へと収まっていく。それと同時に、胴体の傷が見る見る修復していった。まるでネブラシア湾で見た呪海の王のようだった。
「バケモノめ……」
シグトラが吐き捨てる。
「まあ、そうがっつくこともないだろう」
ザウラストが右腕を振れば、刃が一瞬で元の腕へと戻った。
「なんのつもりだ?」
刀を突きつけながら、シグトラが訝しげに問う。
「せっかくだし、話でもしようよ。ほら、今は竜核に触れてないし、心配もないだろう」
激しい戦いの後を思わせない余裕で、ザウラストは竜核を指差す。それから、ソロンとアルヴァの二人へ視線を送ってくる。
「――それに、そっちの二人だって聞きたいこともあるんじゃないのかい?」
ザウラストの視線は奇妙なほどにおだやかだ。けれど、ソロンは蛇ににらまれたカエルの如く背筋を凍らせるしかなかった。
そして、それはアルヴァも変わりない。彼女はソロンの背中に手を添えながら、恐怖を押し留めているようだった。
「……あなたのその体を覆う呪海の王とは何ですか? それがあなたの言うカオスの神なのですか? そもそも、あなたは何を目的としているのですか?」
ザウラストに杖を突きつけながら、アルヴァが前に進み出た。既に竜核を手放した以上、その力を吸い取られることはない。ならば、敵の正体を追求したほうがよいと考えたのだろう。
「質問は一つずつにして欲しいね、アルヴァネッサ陛下。けど、せっかくだ。お近づきの印にまとめて答えてあげるよ。第一に、これは神じゃあない。神に近しいものではあるけどね」
ザウラストは自身の体を覆う軟体へ視線を送りながら答える。
「じゃあ、なんだって言うんだ?」
ソロンもアルヴァと並ぶようにして前へ進み出る。星霊刀を構えながら決して気は抜かない。
「それを説明するには、カオスの海について語るべきだろう。君達が呼ぶところの呪海。興味あるんじゃないかな、イドリスのソロニウス王子?」
ザウラストは憎たらしい笑みをソロンに向けてくる。
「…………」
ソロンは黙って頷く。敵に指摘されるのは癪だが、確かに興味はあった。
下界の大地を浸蝕し、飲み込まんとする呪海……。それへの対策は、下界人の宿願であったのだ。
「そうだな、人の概念に合わせるのは難しいけど……。カオスの海というのは虚空におわす神が、送り込んだ尖兵みたいなものさ」
ザウラストは天井へと異形をまとう腕を伸ばした。洞窟の天井を貫いた先、虚空を指差しているのだろうか?
「は……?」
人の理解を超越したザウラストの語りに、アルヴァすらも唖然となる。
「あはは、分からないって顔してるね。人間には難しかったかな? まあ、私と同じ銀竜でも、理解できる者は滅多にいなかったけどさ」
ザウラストは無邪気な笑いを浮かべながら語り続ける。三人に武器を突きつけられながらも、緊張感は微塵も窺えない。
「いいから続けろ」
「焦るなよ、シグトラ。私達は同じ君族の血を引く兄弟じゃないか。話ぐらいゆっくり聞きたまえよ」
ザウラストは挑発的な笑みを浮かべる。かつて、彼はシグトラと同じ大君の血を引く一族の生まれだったという。そのことを言っているのだろう。
「――カオスの海は生きているんだ。あの海は、神の細胞の集まりみたいなものさ。別の言い方をすれば、微生物の集合ってところかな。で、数千年をかけてこの星を改造し、環境を創り変えてきた」
「何のためにですか?」
途方もない話に困惑しながらも、アルヴァは問わずにいられないようだった。
「決まっている。神が住まうにふさわしい受け皿とするためさ。神にとって、この星は条件に適合する数少ない惑星だった。けれど、この星の環境は有毒で、そこだけはどうしても調整が必要だったんだってさ。それで、今から数千年前に種を送り込み、『海』を変化させた。海は世界中につながっているから、連鎖反応で一遍に変化させられる。合理的だろう?」
「……正直、信じられないけど。どうして、お前がそんなことを知っている?」
ソロンの問いかけに、ザウラストは機嫌よく語り続ける。
「決まっている。それは私が神に選ばれたからさ。いくら気長な神様でも、数千年は待ち遠しかったらしい。そこで神は資質のある者に白羽の矢を立てた。遥々と虚空を隔てた通信でね。力の使い方を教える代わりに、環境改変を加速させろって言うんだ」
「それが邪教の怪しげな術の正体というわけですか……」
「あはは、まあ本当に神かどうかもよく知らないんだけどね。けど、この星の原生人類とは比較にならないほど高度な存在なのは確かだよ。だから、私はそれを神と表現するしかない。私は神に選ばれた幸運を噛みしめながら、こうやって協力しているのさ」
「よく喋る男だ」
シグトラは呆れ返る。
「そうは言うけど、君達だって知りたいんだろう? そうそう、最初の話に戻そうか。呪海の王っていうのは、カオスの海が具現化した姿さ。だからまあ、これも神の尖兵の一種と思えばいいだろう。いやあ、敵にここまで教えてやるなんて私は親切だね」
「……それで結局、貴様の目的はなんだ?」
「シグトラ、ここまで説明しても分からないのかい? この星の全てを、カオスの海に飲み込むことさ。さすれば環境改変は完了し、晴れて神はこの星に降臨する。カオスの海から生まれるのは、新しい生命に新しい大地……! 人が何万年かけても成しえない本物の天地創造さ。面白いだろう?」
邪教の教祖は熱狂のままに語り終えたのだった。
「悪いけど何もかも理解できないな。そもそも、お前の神のために、僕らがこの星を差し出す理屈なんてないんだよ」
ザウラストの語りを、ソロンは切って捨てた。
その語りが世迷い言なのか、真実を告げているのかも分からない。理解できたのは、彼の全てが自分達とは相容れないということだ。
「残念だなあ。けど、もう少し広い心で柔軟に考えてごらんよ。この星はこの星の生物だけの所有物じゃない。そんな決まりは誰が決めたんだい? 私のように考えたほうが、先進的じゃないか?」
「黙りなさい、下郎! この星は私たち生きとし生ける者のものです! あなた方のものでは決してありません! 過去も現在も未来も全てです!」
アルヴァは迷いもせずに言い切った。
「案外、口が悪いんだね。幻滅したよ、アルヴァネッサ」
あざけるようにザウラストが笑った。
「そうかな、僕はそこが魅力だと思うんだけどね」
そう言いながら、ソロンは星霊刀を一層と強く握りしめた。
「まっ、君達に理解できないのは分かっていたよ」
ザウラストはこれ見よがしに落胆の溜息を吐いた。そして、赤紫の瞳を怪しく光らせる。
「――ならば、私は尖兵の仕事を果たすとしよう。手始めに、逃亡者達が創ったこの雲海世界を堕とす。この島を堕としたら、次は帝国本島だ。どれだけの生命が神の生贄になるか、考えるほどに胸が躍るね!」