邪教の祖
ソロン、アルヴァ、そしてシグトラ……。ミスティンら四人に後を託して、三人は走っていた。
周囲は一切の光が届かぬ闇の洞窟である。地上から離れたここは、本来なら雲海が漂う高度のはずだった。そんな中を走っているのだと考えると、ソロンは奇妙な気分になる。
暗闇の道を、アルヴァの胸元に光るブローチが照らしていた。それだけがこの場で唯一の光源だった。
もっとも先頭をゆくシグトラは、暗闇の中をものともせずに突き進んでいた。ソロンも彼の先導を頼りに、その後ろに続く。
アルヴァも懸命に走るが、さすがにシグトラやソロンの足には敵わない。ソロンはそんな彼女を守るように、速さを調整しながら走り続けた。
後方から泣くような音が鳴り響いた。同時に冷たい風が背中に吹きつけてくる。
「あの音は?」
アルヴァはとまどいがちに声を上げるが、
「ナイゼルの魔法だと思う。きっと今も戦ってるんだ。行こう」
ソロンは落ち着いて答え、それからアルヴァをうながした。
ナイゼルが起こした追い風を背中に受けながら、三人は走り続ける。
時折、洞窟を揺るがす振動が伝わってくる。ザウラストが竜核に何らかの操作を加えているのだろうか。
道の向こうから、低いうめくような声が聞こえてきた。今度は風ではない本物の獣の声だ。
やがて、細い道へ立ちふさがるように大きな魔物が姿を現した。
黒いカバのような獣の魔物。グリガントと呼ばれるもの達の一種だろう。黒いグリガントは、足を振り上げシグトラへと迫ってくる。
「邪魔だ」
シグトラは蒼煌の刀を前へ突き出した。その刃先から鋭い蒼炎が槍のように伸びていく。
蒼炎の槍はグリガントの腹に風穴を開けた。グリガントは悲鳴を上げる間もなく、骸と化した。
帝国兵が数十人がかりでも苦戦する魔物がこの有様だ。シグトラは相変わらずの規格外だった。
シグトラは無言のまま、横たわるグリガントを悠々と飛び越えた。
後を追うアルヴァも必至にグリガントを乗り越えようとするが、さすがに足がすくむらしい。尻込みして足を止めた。
「ほら」
ソロンはアルヴァを強引に抱えた。
「ひゃっ……!?」
と、アルヴァは驚いて小さく悲鳴を上げる。それでもソロンの肩へとっさにつかまった。
ソロンはグリガントの丸太のような二本足を、二回に分けて飛び越えた。
ソロンは彼女をそっと降ろして手をつなぐ。そうして、シグトラの後を再び追い出した。
「……あなた方には敵いませんね。こればかりは、女の体力ではどうしようもありません」
「その分、僕が助けるから大丈夫だよ。前の雑魚は師匠が掃除してくれるし」
溜息をつくアルヴァを、ソロンがなぐさめる。
「そうですね。置き去りにならないようがんばります」
アルヴァは手を強く握って応えてくれた。
その後も、襲いかかる魔物をシグトラが蹴散らしていく。ソロンやアルヴァは、彼が撃ち漏らした魔物を始末するだけだった。
やがて、洞窟の景色が変わっていく。
今までは黒と灰色で構成されていた味気ない洞窟が、真紅に染まっていく。見れば、小さな赤い苔のような何かが床から壁面までを覆っていた。
これもカオスの影響を受けた植物だろうか……。そこから連想するのは花というより血の色だ。美しいというよりも不気味と表現するしかなかった。
もっとも、先頭をゆくシグトラはその異様な光景にも躊躇しなかった。足をゆるめず突き進んでいく。
ソロンもアルヴァの手を引いたまま、真紅の床を蹴った。二人で懸命にシグトラの後を追っていく。
景色が変わりだしてから、すぐにまた変化があった。
「……ふむ、来たか」
シグトラが手をかざして視線を遮る。
「なんでしょう?」
続いて、アルヴァが怪訝な声を上げた。そこには強い警戒心が灯っている。
赤い光が洞窟の奥からあふれ出していた。その輝きは蛍光石よりも遥かに強く、夕日を思わせた。
「竜核だ、近いぞ」
シグトラが振り向き、二人へと告げる。決戦は目前に近づいているのだ。
ソロンは星霊刀を背中から抜き放った。星霊銀が静かに白光を放つ。刀も戦いの時を待っているかのようだった。
*
間もなく道は終わった。
洞窟の終点には、先程と同じような広い空洞が広がっており、そこには――
「来たね、シグトラ」
少年のような澄んだ声が、シグトラの名を呼んだ。
そこにいたのは、まぎれもなくザウラストだった。呪海の王の成れの果てが掘り進んだ空洞……。その奥に彼は到達していたのだ。
「なにあれ……」
邪教の祖の異様な姿に、ソロンは絶句した。
紫がかった銀髪を乱雑に伸ばした少年のような姿。赤紫の瞳も以前と変わりない。中性的な容貌は美形ぞろいの銀竜の中でも、ひときわ完成されている。シグトラやメリューにも見劣りはしないだろう。
だが、異様なのはその下からだ。
体にまとっていた衣は見られず、その代わりに赤い軟体状の何かが体を包んでいる。胴体から腕、足先までを軟体が巻きつき、衣の代わりを果たしていた。
異様なのはそれだけではない。
赤い軟体は生物のように、ザウラストの体の上でうごめいていた。それをザウラストは不快の欠片も見せず、涼やかな顔で受け止めている。
そして、異形をまとうザウラストの手が触れているのは、赤く巨大な宝玉だ。宝玉は洞窟の壁に埋まりながら、目もくらむような光を放ち続けていた。
見た目は竜玉に近いが、それよりも遥かに大きい。ひょっとするとソロンの背丈よりも大きいかもしれない。
間違いない、これが竜核だ。
これだけの巨大さがあって、初めて竜核はこの第一要塞島を雲海の上に浮かせられるのだ。
「その体は……呪海の王と一体化しているのですか?」
困惑気味にアルヴァはつぶやく。彼女のつぶやきは、答えを期待したものではなかっただろう。
「そうだよ、君たちにこっぴどくやられたアレだ。私が修復のためにここへ招いたんだよ。今はご覧の通り、修復の最中だね」
けれど、ザウラストは場違いなほどに愛想よく答えた。それだけ見れば、敵同士が相対しているとはとても思えなかったろう。
「――ところで三人だけかい? 枢機卿はどうしたのかな?」
右腕を竜核とつなげたまま、ザウラストは顔だけをこちらへ向けてくる。
「セレスティンなら僕の仲間達が相手をしている。今頃は仲間達が勝負をつけてるだろうから、残るはお前だけだ」
ソロンはそう言いながら、ザウラストに星霊刀を突きつけた。
刀を突きつけられても、彼は顔色を変えもしない。
「そうかい。彼女は人間ながら優秀だからね、無事を祈ってるよ。近年、我々がここまでの隆盛を果たせたのは、枢機卿の協力が非常に大きかった。今後とも最高幹部として、神のために貢献して――」
調子よく語り続けるザウラストの声が途切れた。
シグトラが蒼煌の刀を振り下ろしたのだ。
蒼炎の奔流が邪教の教祖へと襲いかかる。無防備な姿をさらしていたザウラストは慌てて飛びのいたが、蒼炎は彼の右腕を喰い破った。
まさしくシグトラの神業。蒼炎は絶妙に制御されており、竜核にはかすめもしなかった。
ザウラストの右腕が離れ、竜核の赤い輝きが弱まった。あの強い輝きは、ザウラストの干渉によるものだったのだろう。
「相変わらず乱暴だね。まだ話の途中だったでしょ?」
ところが、ザウラストは余裕を崩さなかった。右腕は大きくえぐれており、人間の常識では戦いなど続行できるはずもない傷だ。
「貴様の時間稼ぎに付き合う気はない。竜核を失っては手遅れだからな」
シグトラは手をゆるめず、ザウラストに向かって斬りかかる。その刀身には青い炎が灯っていた。
「あはは、バレたか」
ザウラストは、欠けた右腕をシグトラに向かって突き出した。
肩を覆う赤い軟体部が欠損した右腕を覆っていく。見る見るうちにザウラストの右腕が姿を変え、それは赤黒い刃を形作った。
腕と一体化した禍々しい異形の刃。血のような赤い液体が、その先端から滴り落ちる。
異形の刃は、すんでのところで蒼煌の刃を受け止めた。刃の衝突する音が鋭く響き渡った。
「かぁっ!」
気合と共に、シグトラが刀へ魔力を込めた。刀身をまとう炎が勢いを増し、ザウラストを焼き尽くそうとする。
「甘いね」
だが、蒼炎の勢いが徐々に衰えていく。ザウラストが右腕の刃に魔力を流し、相殺したのだ。
そして、ザウラストの刃から黒い炎が湧き上がった。蒼炎をしのぐ勢いで、黒炎は火力を増していく。
「ちっ」
舌打ちしたシグトラが、素早く飛びさがる。
シグトラが鋭く刃を突き出せば、刀身が爆発したように燃え上がった。一瞬のうちに何発もの青い火球が連射されたのだ。
「凄い、これが本気の師匠か……」
シグトラの力は、以前に獣王と戦った時よりも増していた。あの時は牢屋暮らしで消耗していたが、今はそれもない。まごうことなきシグトラの全力だった。
「……私達では手を出せませんね」
無念そうにアルヴァがつぶやく。
実際、二人の攻防はあまりにも速いのだ。迂闊に魔法を撃てば、シグトラに誤爆するかもしれなかった。
しかし、シグトラの猛攻にもザウラストは動じない。
ザウラストが右腕を振れば、殺到する青球がかき消える。目にも止まらず早業で、全ての青球を打ち払ってしまった。
余裕に満ちた態度は決して虚勢ではない。この男も相当な技量のようだ。
シグトラは青球がかき消されるのを待たずに接近。居合のように刀を払う。それを異形の刃で弾いたザウラストだったが、衝撃を抑えきれず、吹き飛ぶように後退する。
シグトラは躊躇なく前進し、追撃の刀を振り下ろす。ザウラストは横跳びに回避しようとしたが、避けきれず袈裟斬りを喰らった。