姉妹の結末
倒れていたグリガントが、のろのろと起き上がってくる。
その背後でも、暴風から立ち直った魔物達が動き出していた。
「さあ、行きますよ!」
ナイゼルが号令すると共に、作戦が開始された。
「おうっ、暴れてやらあ!」
威勢よく飛び出したのはグラットだ。
前線に突出したグリガントを狙って、その頭上へと飛び上がる。振り上げた巨獣の腕をかわしながら、後頭部へと槍を突き刺した。
「我らも行くぞ!」
「了解です!」
続いて、メリューとナイゼルが動き出す。
メリューが投じた無数の短刀が、踊るように宙を駆け巡る。
前衛のグリガントはグラットが相手をしている。後衛の魔物達はようやく動き出したばかりだ。
だが、短刀が狙うのは魔物達ではない。
魔物達を迂回し、短刀は神官達へと殺到する。その背後にいるセレスティンを倒すため、まずは神官達を始末せねばならない。
途端、神官達の杖先から闇の障壁が広がった。
闇は次々と短刀を飲み込んでいく。正面と左右から襲いかかる短刀を、神官達は分担してよく防いだ。後には短刀は、形も残らなかった。
「むっ……やりおる」
さしものメリューもこれには歯噛みする。
「ならば!」
続けてナイゼルが風刃を放った。
しかし、不可視の刃もまた闇の中に吸収されていく。あの闇は風すらも吸い込んでしまうらしい。
「さすがに手練ぞろいのようですね」
セレスティンが側近として、今に至るまで伴っている者達だ。簡単な攻撃で倒せる相手ではなかった。
「任せて」
そこでミスティンが進み出る。
引き絞られた弓から星霊銀の矢が放たれる。数に限りがあるため、これまで温存していた切り札だった。
光の軌跡を描きながら、矢は神官の元へと飛び込んでいく。
「避けなさい!」
セレスティンが叫んだが、間に合わない。
障壁の維持に集中していた神官は、とっさに動けなかった。
星霊銀の矢は闇の障壁を突き破り、その向こうにある神官の胸を貫いた。
「ぐっ、下がりなさい!」
セレスティンの指示に従い、神官達は慌てて動き出す。魔物達の背後へと周り、盾にするつもりだろう。
だが、ミスティンは星霊銀の矢を躊躇なく撃ち込んでいく。
逃げ遅れた神官に容赦なく矢が突き刺さった。もとより、ミスティンの鋭い矢を回避するのは常人には難しい。闇の障壁が使えなければ、餌食となる他なかった。
合計で四人の神官をミスティンは仕留めた。
「相変わらず、ミスティンは天才ね。けど……そんなに無駄遣いしてよかったのかしら?」
セレスティンはなおも余裕を崩さない。魔物達の陰からミスティンへと視線を送ってくる。
魔物達の背後へと、残りの神官達が避難し終えたのだ。こうなればまた、数の利がある彼女らの優位となる。
「大丈夫だよ。あと一本しかないけど、それで決めるから」
けれど、ミスティンも負けじと言い返した。
姉妹の証である空色の瞳が、まっすぐにぶつかり合う。
神竜教会の司祭にふさわしい穏やかな瞳ではない。不敵で意志の強い瞳だ。
ミスティンのよく知る姉は、教会の司祭に収まるような行儀良い人間ではない。だから、これが本来の姉であるとミスティンは知っている。
二人の距離は、今も五十歩ほどを隔てていた。そして、その間には数多くの魔物達が立ちふさがっている。
その時、グリガントが地響きを起こしながら倒れた。
グラットがまたしても槍で脳天を貫いたのだ。戦場となった空洞は、既に数十体にも及ぶ魔物の死骸であふれていた。
それでもなお、まだ多くの魔物が戦場にうごめき、こちらへ迫ってくる。
「ナイゼル!」
「はい!」
ミスティンが声で合図すれば、ナイゼルも杖先を真正面に向けた。
杖先の魔石は緑色に強く輝いている。既に多量の魔力が集まっている証だ。ナイゼルは事前に予測し準備していたのだろう。
さて、こうなると前衛で戦うグラットが邪魔だが――
「いいぜ! ぶっ放せ、ナイゼル!」
グラットは槍の力で飛び上がり、天井に突き出た岩へと取りついた。
「全力でいきますよ!」
ナイゼルの杖先から、暴風が解き放たれた。
その勢いは先程のそれを上回るほどだった。風の泣き叫ぶような音が、空洞の中に響き渡る。
宙に浮いていた魔物が、洪水のように押し流されていく。
地を這う大蛇も、この強風には耐えられない。体勢を低くして踏ん張るも無力だった。
グリガントの巨体が呆気なく倒れ、地面を転がっていく。転がる巨体に潰されまいと、神官達が逃げまどう。セレスティンは落ち着き払っていたが、ローブをはためかせながら、わずらわしそうにしていた。
学習していたミスティンとメリューは、ナイゼルの真後ろで余波を避ける。術者の近辺は台風の目のように守られているのだ。
「後は……頼みましたよ」
やがて、力尽きたナイゼルが膝をつく。
洞窟内を駆け抜けた嵐が、ようやく収まろうとしていた。
しかし、その前に戦いは動き出す。
ミスティンはナイゼルの背後から飛び出し、弓を構えた。メリューも反対側から同じように駆け出している。
天井の岩につかまっていたグラットは、起き上がろうとした巨獣へと急降下。一刺しでその顔面を貫いた。
着地したグラットの元へ二人は合流する。
「行くぜ!」
グラットを先頭にして、がら空きになった戦場を三人で突っ走る。
遠方からの攻撃はセレスティンには通じない。ならば、これまでの戦法とは一転し、接近を目指すのだ。
ミスティンは走る速さを維持しながらも、弓へ矢をつがえた。
精霊銀の矢に魔力を込めれば、暗い洞窟内に白光が輝く。矢の先端が向く先はセレスティンだ。
吹き飛ばされていた巨大トンボが、羽音を鳴らしながら復帰してくる。
メリューの放った五本の短刀が、トンボの羽を滅多刺しにする。トンボは墜落し、短刀はメリューの手元へと戻ってくる。目にも留まらぬ早業だった。
次に寄ってきたのは透けた胴体を持つ大蛇だ。暴風の中も、地面に伏せて耐え忍んでいたらしい。
もっとも、先頭をゆくグラットにとっては大した障害にならない。突進する勢いで大蛇の胴体を一突きし、串刺しにしたまま持ち上げる。
「おらっ!」
走る勢いを落とすこともなく、グラットは豪快に大蛇を投げ捨てた。
姉妹の距離が縮まっていく。
残り二十歩……。ミスティンとその弓にとっては、手が届くも同然の距離だ。
姉妹の間を阻む魔物はもはやない。魔物はまだ数多く残っているが、少なくとも妨害できる位置には存在しない。
セレスティンのそばには倒れた神官の姿。
生き残っている二人の神官が、セレスティンを守ろうと杖を構えるが、
「邪魔だっ!」
そこへメリューの短刀が殺到する。神官達は、自らの守りに注意を向けざるを得なかった。
グラットが足をゆるめれば、ミスティンが先頭に躍り出る。
「これで、最後だよ!」
ミスティンは精霊銀の矢を弓弦から解き放った。
光の矢はまっすぐにセレスティンを目がけてゆく。
速度も狙いも完璧だ。人間の反射神経でかわせるはずはない。
「ふ……」
セレスティンの右手から風が巻き起こった。
精霊銀の矢は赤い衣をかすめながら、後方へと墜落する。
彼女の右手に握られていたのは、緑の魔石をはめた小さな杖だ。魔石は風を司る緑風石だろう。奇しくもナイゼルが得意とする魔石だった。
「逸れた!?」
単純な回避策だった。しかし、邪教の術を意識していたミスティンにとっては、予想外の出来事でもある。
「詰めが甘いわね、ミスティン。風はあなた達だけのものではないの」
セレスティンは左手に握った杖を、ミスティンへと向ける。
杖先の赤黒い魔石から闇がふくらみ、球体へと姿を変えていく。神官達のものと似た術であるが、それよりも規模が大きい。闇の球体は今にも放出され、ミスティンを飲み込もうとしていた。
「詰めが甘いのは、貴様だ!」
瞬間、グラットの横からメリューが矢のように飛び出した。グラットがメリューを思い切り放り投げたのだ。
「なっ……!?」
唖然とするセレスティンの横を通り過ぎて、メリューはその向こうへと飛んでいく。
宙を飛ぶメリューの瞳が紫色に輝いた。
瞬間、倒れた神官達に刺さっていた矢が浮かび上がる。矢は次々とセレスティンへと襲いかかった。
ミスティンに気を取られていたセレスティンの反応が遅れる。
矢の一本はセレスティンの背中へと、もう一本は左手へと突き刺さった。左手に握られていた杖が岩床の上に転がり、乾いた音を響かせる。
「ぬぐっ」
同時に宙を泳いでいたメリューが、どさりと地面に落下した。かろうじて受け身を取りながら、痛みにうめいている。
「本命は……そっちの子だったのね」
セレスティンは驚愕の表情で、メリューを見た。それからまたミスティンへと視線を戻す。
「そういうこと。私だって頭を使ってるんだから」
注意深いセレスティンは、自在に動くメリューの短刀を間違いなく警戒していた。ザウラストは銀竜族であり、彼女はその側近だ。念動魔法に精通しているのも想像に難くない。
正面や側面から攻撃しても、通用するとは思えない。かといって、多勢の敵を相手に背後を取るのはなお現実的ではない。
そこでナイゼルが目をつけたのは下だ。
ミスティンが事前に地面へ落とした矢を、メリューが念動魔法で再利用する。そういう作戦だった。
蛍光石の光に頼った暗い戦場では、落ちた矢にまで気を配るのは難しい。それはさしものセレスティンも変わりなかった。
対するメリューは夜目が働く銀竜族である。地面に落ちた矢を見落とすことはなかったのだ。
「……今度こそ、最後だよ」
ミスティンは躊躇なく、最後の矢を引き絞った。
放たれた矢は、セレスティンの心臓へと正確無比に突き刺さる。衝撃に彼女の体が仰向けに倒れた。
「ぐっ……。何の容赦もないのね」
鮮血が赤い衣を赤黒く染めていく。超然としていた表情も、今は苦痛にゆがんでいた。
「お姉ちゃん、ごめん。けど、私は自分が選んだ友達と生きていくから」
「まあ……いいでしょう。あなたの勝ちよ、ミスティン。もっとも、私を殺したところで、教祖様に敵うとも思わないけれど……」
セレスティンはあっさりと自らの敗北を認めた。その口振りからは、生への執着も窺えない。
「そうかな? ソロンもアルヴァも、何度だって不可能を可能にしてきた。やってみないと分からないよ」
ミスティンは、セレスティンのそばへとかがみ込んだ。
「教祖様は……本物の神に選ばれた預言者よ。いるか分からない神を崇めるどこぞの宗教とは違ってね……。本物の奇跡を起こし……こんなつまらない世界を変えてくれるお方……。私にとっての希望だった……」
「確かに凄いかもしれないけど、みんな死んじゃうような奇跡は嫌だよ」
「あなたらしい言い方……。好きになさい。今までそうやって来たように……ね」
セレスティンはかすかに笑い、それを最期に事切れた。ミスティンのよく知る姉の表情だった。
「そうする」
*
ミスティンは立ち上がり、振り返った。
周囲ではグラットとメリューが、敵の残党を始末しているところだった。
生き残った神官達は、セレスティンの死に呆然としていた。その神官達の杖を、二人で破壊しながら無力化していく。
魔物達は意思を喪失したかのようにふらついていた。どうやら指揮官がいなければ、行動できなくなるらしい。神官達にも、セレスティンの代わりを務める気力はないようだった。
「もうよいのか?」
後始末を終えたらしいメリューが声をかけてくる。
「うん、お別れは済んだ」
「自慢の姉だったのだな?」
「うん、今でも好き。ソロンとアルヴァとメリューの次ぐらいにだけどね」
「そ、そうか……。あの二人の次とは、随分と好かれたものだな」
照れくさそうにする頭をかくメリュー。
「……俺、格下げされてるんだが……」
グラットはちょっぴり泣きそうにしていた。
「それより、こやつのことも忘れるでないぞ」
と、メリューは後方のナイゼルのほうを指差す。
ナイゼルはいつの間にか、大きく手を広げて倒れ込んでいた。
目元には彼の象徴たる眼鏡も見当たらない。暴風の反動で吹き飛んでしまったようだった。
「ほら言ったでしょう。見ての通り、干からびそうですよ……」
ナイゼルは弱々しく笑いながら、声を絞り出した。
「そうか? なかなか男前だと思うぞ」
眼鏡の外れたナイゼルの顔を見て、メリューは愉快そうに笑う。
「いい作戦だったよ。さすがはイドリスの軍師だね」
ミスティンはナイゼルをねぎらった。
「いいえ、皆さんの臨機応変な動きがなければ、成功はありませんでした」
ナイゼルは謙遜しながら、大きく息を吐いた。
「――ふう、疲れてしまいました。皆さんは私に構わず先に進んでください。今頃、坊っちゃん達が決戦に挑んでいるかもしれませんから」
「そうはいかねえよ。……おら、嫌と言っても一緒に連れてくからな」
倒れたままのナイゼルへ、グラットは背中を向けた。
「まったく、人使いが荒いですねえ……」
ナイゼルはまた溜息をつきながらも、よろよろと起き上がる。グラットの背中へとつかまるのだった。