邪教の枢機卿
休憩を終えてから、また大穴を一時間も降りただろうか。
底知れぬ闇もついに終わろうとしていた。ソロンの胸元から照らす蛍光石が、暗闇の底をとらえたのだ。
底には魔物の死骸が大量に転がっていた。もちろん途中で仕留めた深淵の虫達である。
「うおっ……着いたんじゃねえか?」
グラットは顔をしかめながらも、興奮気味に声を上げる。
「みんな、底が見えたよ!」
ソロンは後ろの仲間達へ向かって叫んだ。
「ふう……。最悪でも四半里というアルヴァさんの見立ては、正しかったようですね」
ナイゼルが疲れた様子で息を吐く。
「おつかれ、ナイゼル」
「底があってよかったな。んじゃ、先行くぜ」
ここに来て、グラットは調子のよさを見せていた。足を速めて、真っ先に底へ足をつけたのだった。
グラットに続き、ソロンも穴底へと降り立った。
降りた先には、なおも空洞が続いているようだった。縦に伸びていた穴が、そのまま横になったような印象である。
雰囲気としては、アムイ城の地下に似た岩の洞窟だろうか。いずれも上界の地中をくりぬいて作った洞窟であるため、似たところがあるのかもしれない。
「ちょっと休憩しようか」
ソロンは、続いて降りてきた仲間達へと提案する。
急ぐ状況ではあるが、決戦は近い。これが最後の休憩になるのではないかと、ソロンは予感していた。
「ふぅ……疲れました」
ナイゼルはさっそく足を投げ出してへたり込んだ。
「足がつりそうだよ」
ミスティンも座り込んで、足をさすり出す。アルヴァやメリューも弱音こそ吐かなかったが、すぐに座り込むのは同じだった。
そんな中、シグトラだけは平然とした様子である。隙のない目つきで、周囲の気配を探っていた。
「師匠はさすがですね」
「お前もな」
ソロンが声をかければ、シグトラはそう返してくる。
「いや、僕だってもうヘトヘトですよ」
「だが、お前はそれでも油断していない。その点では成長したと言えるだろう」
実際、師匠の言う通り、ここは決して油断できる場所ではないのだ。既に敵の所在は間近に迫っている。いつ敵の襲撃を受けても不思議ではなかった。
「師匠に褒められると嬉しいですね。でも、ここはみんな休んだほうがいいですよ。きっともうすぐ決戦だろうから」
「違いない。俺は休む。お前も休んでおけ」
シグトラはそう言いながら、壁にもたれて座り込んだ。もっとも、片膝を立てていつでも刀を抜けるような体勢だ。隙は微塵も見られなかった。
「そうさせてもらいます」
ソロンもシグトラにならい、片膝を立てて座り込んだ。
*
「行こう」
しばしの休憩を終えて、ソロンは立ち上がった。
ナイゼルやミスティンはまだ足が痛むようだったが、あまり悠長にはしていられない。みな不満も言わずに歩き出した。
岩に囲まれた細道を進んでいく。
低い天井から水滴がしたたり落ちてくる。
魔物の気配はなく、洞窟内はいたって静かだ。仲間達の足音と水滴の音が反響するだけだった。
光の届かぬ穴の底ゆえ、時間感覚が狂いそうになる。ただアルヴァの懐中時計によれば、日暮れまでにはまだ余裕がありそうだった。
間もなくして道は広がり、ひらけた空間へとたどり着いた。
そこには光があった。何者かが蛍光石を身に着けているのだと、ソロンは気づいた。
「お姉ちゃん……」
赤い衣をまとった女の姿を認め、ミスティンがつぶやいた。
そして、ミスティンは同時に弓を構えてもいた。彼女の姉――セレスティンへ向かって。
「やはり、追ってきたのね、ミスティン。あなた達も全くたくましいこと」
邪教の枢機卿セレスティンは、冷然と妹を見返した。その周囲には何人もの神官を従えている。
彼女らの胸元には、蛍光石の飾りが着けられていた。どうやら、彼女らもこの暗闇の中を抜けてきたらしかった。
「セレスティン、あなた方は何をたくらんでいるのですか?」
アルヴァの問いかけに、セレスティンは余裕の笑みを浮かべた。
「知れたこと。カオスの神を降臨させ、この星を作り変えるのよ」
かつての聖職者は、空色の瞳を狂気に輝かせる。
「――あなた達も見たでしょう、神の奇跡を。この島に産み落とされた生命の数々を。やがて、全てはカオスの神の下に生まれ変わる。素晴らしいとは思わないかしら?」
「ごめん、全然思わないや」
「お姉ちゃん、悪趣味だよ」
ソロンとミスティンが冷静に応えた。セレスティンはやや機嫌を悪くしたふうに。
「……まあ、姉妹で趣味が違うのは仕方のないことよ。肉親とはいえ、私達は別々の存在なのだから」
「セレスティン、この奥に呪海の王とザウラストがいるのですね? 狙いは竜核ですか?」
アルヴァは問い詰めるが、
「あら、そこまでご存知だったの?」
セレスティンは躊躇なく認めた。そして、さらに続ける。
「――そもそも、雲海も上界も、必要がないものです。カオスの海から逃れるため、古代の人が生み出した姑息な手段に過ぎない。全てを地に落とし、全てをカオスの海へと招き入れるのよ」
彼女は饒舌に自らの目的を語った。
「親友の姉にあまり言いたくはありませんが、狂人の言ですね」
「上帝陛下は口が悪いのね。……それにしても、少し無謀だったんじゃないかしら? この場所は私達の手の平の上。罠があるって分かっていたでしょう?」
「それでも、進まねばならない時が人にはあるのです」
「あまり合理的とは言えないかしら。あなたらしくもない」
「邪教徒に合理性を説かれるとは思いもしませんでした。あなた方の行動のどこに合理があるのですか?」
アルヴァは皮肉げに笑ってみせる。
「まあ、そう思うなら結構。しがらみの上に立つ、あなたのような方には理解できないでしょう」
その時、洞窟が揺れ動いた。重低音が鳴り響き、天井から岩の破片が落ちてくる。
「な、なに!?」
ソロンはとまどって辺りを見回す。振動はすぐに停止したが、尋常の事態とは思えなかった。
「地震ですか!?」
「いや、上界に地震はない。まさか、竜核に異常が起こったのか!?」
ナイゼルの言葉をシグトラが否定する。
「ええ、正解よ」
セレスティンは平然と頷き、背後へと視線を送った。その向こうで事が起こっているのだろうか。
「急いだほうがよさそうですね」
切迫した表情でアルヴァは杖を構えた。
「アルヴァ、ソロン、奥へ向かって! お姉ちゃんは私達がどうにかするから!」
そこへ口を出したのはミスティンだった。
「同感です。それから師匠もお二人を守ってくださいますか?」
ナイゼルが同意し、さらにシグトラをうながす。
「いいだろう。お前はどうする?」
シグトラは娘のメリューに意向を問う。
「私はここに残ります。実力的には、父様を含めた三人で敵の首魁に当たるほうが妥当ですから」
メリューはきっぱりと宣言した。
「そうか。お前は俺の自慢の娘だ、任せたぞ」
シグトラは多くを語らず頷いた。一人前となった娘に、それ以上の言葉はいらないと考えたのだろう。
「みんな、大丈夫!?」
ソロンは心配して声をかける。
「任せろ! 早くしねえと、この島が落ちてしまうぜ! 俺達も後で行くからよ!」
グラットの言葉を背に、三人は走り出した。セレスティンと神官達を避けながら奥へと向かう。
神官達が妨害する素振りを見せたが、その足元に矢が襲いかかった。
「邪魔はさせないから」
ミスティンが弓で牽制したのだ。
「まあいいでしょう。どうせ、三人で突破できるはずもないのだから」
セレスティンは冷笑を浮かべながら、三人を見送ったのだった。