深淵へ降りる
ロープを握りながら、七人は下へ下へと降りていく。
ソロンの後ろにはアルヴァが続き、次にはミスティンがゆく。さらにはグラット、ナイゼル、メリューと順番に続いていく。
体力的に最も厳しいと思われるナイゼルおよびメリューを、最後尾のシグトラが支援する。師の存在は相変わらず、頼もしかった。
ソロンの胸元には蛍光石のブローチが光っていた。後方ではミスティンの胸元も同じように光っている。去年の誕生日に、アルヴァからおそろいのブローチを送られたらしかった。
ちなみにメリューとシグトラ親子については、明かりが不要だ。銀竜族は暗闇を苦にしない夜目の持ち主なのである。
蛍光石の光を頼りに、ソロンは岩肌を蹴るように下っていく。それでいて、早すぎないように気をつける。あまり急ぐと、後続の仲間達と離れてしまうからだ。
この空洞は硬い岩盤を貫いて造られたらしく、斜面の強度は安定していた。強く蹴っても崩れる気配はなさそうだ。
「よう、大丈夫か?」
と、いつの間にかグラットがソロンの隣に並んでいた。
見れば、グラットは槍を片手にしてロープもつかんでいない。どうやら、重力を操る魔槍を駆使して、安定を保つコツをつかんだらしい。
「その槍ずるい……。グラットだったら、ここから飛び降りても大丈夫なんじゃないの?」
そんな様子を見て、ミスティンがうらやましそうに言う。
「無茶言うなよ。飛び降りたら、そのまま下界まで真っ逆さまかもしれねえぜ? さすがの俺様も、こっから飛び降りる度胸はねえよ」
グラットは即座に否定し、それからソロンを追い越してロープの先を握る。
「――まっ、そろそろ交替だ。先頭は任せとけよ」
「それじゃ、頼りにさせてもらうよ」
と、ソロンも頼りある兄貴分にありがたく任せることにした。
そうして、グラットを先頭にして、七人は大穴を下っていく。
*
「どこまで続いてんだよ、これ……」
「ふう、さすがに厳しいですねえ」
グラットやナイゼルがボヤくのはいつものこと。けれど、今回ばかりはその気持も分かるというものだ。実際、穴は果ても知れず、皆が不安になっていた。
余裕を見て二時間と見当をつけていたけれど、あまりにも景色に代わり映えがないのだ。
「魔物が襲ってこなければよいのですが……」
「大丈夫。片手でもロープは握れるから、いつでも刀は抜けるよ。後ろには師匠もいるしね」
不安げにするアルヴァを、ソロンが勇気づける、
「ああ、殿は任せておけ」
「父様は後ろに目があるが如くだからな。奇襲など通用するはずもない」
シグトラが自信に満ちた声で応じれば、メリューもまた誇らしげに声を張る。
実際、シグトラの気配察知能力は恐るべしものだった。銀竜族特有の聴力と、彼の集中力がなせる技かもしれない
「この辺で休憩しよう」
途中、岩棚を見つけたソロンは、先頭をゆくグラットを呼び止めた。
「んだな」
と、グラットもそこで足を下ろす。
後続の仲間達も次々と岩棚へ足を下ろしていく。
進むにつれ傾斜は想定よりも緩やかになったが、それでも穴は途方もなく深い。アルヴァやメリューにとっては難業だろう。
もっとも、一番にへばっていたのは例によってナイゼルだったが……。
「ふう、はあ……。これは、大変ですね」
「相変わらず体力のない奴だな」
と、シグトラに呆れられる。
「仕方ありません。天は二物を与えずというではありませんか。私のように頭脳が明晰だと、どうしても体力に劣るのは自然の摂理というものです」
「謙虚なのかうぬぼれているのか、よく分からん奴だな……」
メリューにも呆れられる。
「しっかしこれ、登るのはもっと大変だよな……」
グラットが上を見上げてつぶやいた。
つられてソロンも見上げたが、ただ暗闇が広がるばかりである。
「グラットさん。それは言わない約束ですよ」
ナイゼルが疲れた口調で、非難の目をグラットに向ける。
「しゃーねえだろ、それが現実なんだ」
「登りのことは全て片づけてから考えましょう」
「だね」
アルヴァが取りなせば、ミスティンが賛同した。
*
休憩を終えて、一行は再び暗闇の底へと足を踏み出した。
多少なりと元気を取り戻したグラットが、先頭を軽快に進んでいく。
相も変わらず景色に変化はない。
次第に得体の知れない穴底へ向かう緊張感も薄れていく。そうして、弛緩した空気が流れた時だった。
「グラット、何かいるぞ!」
メリューが耳を逆立てながら叫んだ。
グラットが「おう、なんだ!」と槍を構える。
ソロンが下を見れば、壁面を登ってくる大きな何かの姿があった。
丸い胴体から七本の細長い足が生えている。いや、後ろの一本は尻尾か。頭にある複眼のような八つの目が、青く光っていた。
人間大の大きさに反して、その足音は静かだった。今まで気づかなかったのはそのせいだろう。
そして、ソロンには見覚えがあった。
「こいつ! クモか!」
その姿を確認したグラットが声を上げる。
「いや違う! 六本足だよ!」
壁面を登っているのは、かつての記憶にある虫達だった。見た目はクモに似ているが、手足や尻尾の印象は爬虫類にも近い。
一匹、二匹、三匹……確認できただけで五匹はいるだろうか。
斜面を降りるソロン達とは異なり、垂直な壁を登りながらこちらへと迫ってくる。
「こやつら、前にも見たな」
「ええ、深淵の砂漠でしたか」
メリューとナイゼルが顔を見合わせる。
かつて、ソロンとこの二人は、ラグナイ王国を目指して深淵の砂漠を旅した。その際にやはり、大きな穴から現れたのがこの虫だった。
元々、この地に生息していたとは思えないので、やはりこれもカオスに関連する魔物だろうか。
「確か、普通の武器では効果が薄かったはずです。気をつけて!」
ナイゼルが仲間達に警告する。もっとも、多彩な攻撃手段を持つ仲間達なら、問題はないだろうが。
「クモ嫌い……!」
「私もです」
口を尖らせるミスティンにアルヴァが同意する。クモではないが、クモと見なされたらしい。
アルヴァは左手でロープをつかみながら、右手だけで杖を抜き放った。
居合のような早業で放たれた稲妻が、深淵の虫を貫いた。虫は呆気なく穴の底へと落下していく。
だが、登ってくる虫の姿が途切れる気配はない。既に十匹は超えているようだ。しかも、それで終わりではなさそうだ。
「ミスティンはじっとしてて。僕達がどうにかするから」
片手で弓は使えない以上、彼女はここでは戦力にならない。無理に撃てば反動で転落するかもしれないのだ。大人しくしておいてもらう。
「ん~、了解」
ミスティンは残念そうにしていたが、大人しく従った。
ソロンは蒼煌の刀を引き抜くや、その先端を一匹の虫に向けた。
刃が輝き、青い火球が勢いよく放たれる。
深淵の虫は青く炎上しながら、底へと落ちていく。
「まっ、一度戦った相手なら楽なものですね」
ナイゼルの杖先から放たれた風が、深淵の虫を両断する。分かたれた体が暗闇の底へと落ちていった。
「んじゃ、俺もっ!」
グラットは飛び上がり、真上から深淵の虫に槍を突き立てた。
「――うおっ、感触きめえな」
独特の手応えに、グラットがうめいた。それでも、勢いよく貫かれた虫は、衝撃を受けて墜落していく。さすがに魔法武器は格が違うらしい。
落下する虫を蹴って、グラットは次なる虫へと狙いをつけた。そうして、二体目も同じように仕留める。以前、トンボの魔物を倒す時に見せた技と同じ要領のようだ。
急斜を物ともせずに飛び回る身のこなしは鮮やかだった。
「どうよ、秘技トンボ落とし!」
気に入ったらしく、グラットは高々と技名を叫んでいた。
「ていっ!」
メリューは炎と冷気の短刀を自在に操りながら、深淵の虫を倒していく。通常の短刀では、効果が薄いと考えたのだろう。
「どうという相手ではなさそうだな」
シグトラは腰の刀を抜きもせずにつぶやく。
そして、彼の目が紫の光を放った。
深淵の虫が一瞬で吹き飛び、急斜の向こうへと落下していく。
「父様さすがです! 落ちるがよい!」
メリューもシグトラの真似をして、念動魔法で虫を吹き飛ばそうとする。
けれど、虫の手はしっかりと壁に張りついており、その体をしぶとく支えた。どうやら、彼女の念動魔法は父の域までは達していないようだった。
「ぐぐぐ……! しぶとい奴め!」
メリューは必死に顔を赤くして、虫の体を引っ張ろうとする。
「メリュー、がんばれ!」
手持ち無沙汰らしいミスティンが、メリューを応援する。
「いっ、言われなくとも!」
メリューは顔を一層に赤くして、瞳に魔力を込めるが、
「――しゃらくさい!」
ついにメリューは短刀を操り、虫を貫いた。突き刺さった短刀が燃えさかり、虫を炎の中に包んだ。
胴を焼かれた虫は、哀れにも壁面を転落していった。
「――ふっ、愚か者めが。私に勝てると思ったのか」
メリューは高らかに笑い、勝ち誇った。
「……念力で倒すんじゃなかったのかよ?」
「ふん、私は持てる力を出し切っただけだ」
そうして、六人がかりで数十体の深淵の虫を倒した。
しかし、戦いに参加できないミスティンだけは不満そうだった。
「楽勝だったな」
グラットがそう言えば、
「ええ、大量のゴミが下に落ちてしまったのが気になりますが」
アルヴァが底に落ちた魔物の死骸を気にする。相変わらず、敵に対しては発言に慈悲がなかった。