竜核の伝説
重々しい鉄扉を開き、地下牢の中へと足を踏み入れた。
七人を迎えたのは暗闇だった。この部屋には蛍光石の燭台がないのだろうか。
「風が……?」
ソロンの後ろにいたアルヴァがつぶやいた。
部屋の中から風が音を響かせながら、吹きつけてきたのだ。
ソロンは星霊刀に魔力を流し、刀身を発光させる。照明に使うだけなら大した精神力は必要ない。蛍光石よりも明るい白光が室内を照らしていく。
「はっ……?」
「あん、何だこりゃ!?」
ソロンは絶句し、グラットは素っ頓狂な声を上げた。
一目見た瞬間、その場所が地下牢だとは思えなかった。
牢屋があるはずのそこには、大きな穴がぽっかりと空いていたからだ。
部屋は無残に破壊され、牢屋の痕跡はほとんど窺えない。わずかに鉄格子の残骸と天井を支える柱が、部屋の隅に残るばかりだった。
石床の中央は完全に崩壊し、直径数十歩にも及ぶような大穴となっている。穴の中は険しい坂になっているようだが、その先は窺えない。
部屋にあったはずの燭台は、大穴に飲み込まれてしまったのだろうか。
もちろん敵も囚人も、姿はどこにもなかった。
ソロンは慎重に大穴の縁へと近づいていく。仲間達も同じようにして、後ろへ続いてきた。
穴に近づけば、より一層に風が強くなる。どことも知れぬ穴の底から、吹いてきているようだった。
風が赤髪を揺らす中で、ソロンは輝く刃を穴の底へと向けた。
一筋の白光が、闇を貫くように伸びていく。
しかし、その光の行く末はたどれなかった。急な傾斜が複雑に曲がりくねっており、光線を遮ってしまったのだ。
アルヴァも同じように蛍光石のブローチをかざして、穴の底を照らしていく。
「……底知れませんね」
だが、結局のところ結果は変わらず、溜息をつくだけだった。
「この穴も、呪海の王が空けたのでしょうか?」
ナイゼルが呆然と穴の底を覗き込んでいた。
「他には考えられないけど……」
「少なくとも、お姉ちゃんにはこんなの掘れないと思うよ」
と、ミスティンが言わずもがなの指摘をする。
「じゃあ、何のためってんだ?」
「そんなもの分かるわけなかろう」
グラットの疑問に、メリューは首を横に振った。
ソロンはアルヴァへと視線を向けるが、彼女にしても当惑の表情で暗闇を覗くばかりだ。
「まさかな……」
そんな中、意味深につぶやいたのはシグトラだった。
「どうしたのですか、父上?」
「ひょっとしたら、奴は竜核を狙っているのかもしれん」
「竜核……初めて聞く言葉ですが……。竜玉に関連する物でしょうか?」
アルヴァは眼差しを向けて、シグトラをうながす。
「俺たち銀竜や竜玉船が雲海に浮くのは、竜玉を内に秘めているからだ。では、雲海に島が浮くのはどうしてだ?」
「島……ですか?」
と、ソロンはシグトラの唐突な発言に困惑する。
「もしや、竜核とは大竜玉のことですか!?」
ところが、アルヴァは何かを理解した様子で声を上げた。
「えっと……島にも竜玉があるってことかな?」
ソロンは彼女ほど察しがよくないため、推測を口にする。
「ええ、帝国の学者でも『巨大な竜玉が島を浮かせている』という主張はあったのです。しかしながら、誰も確認したものはなく、大竜玉は仮想上の存在に過ぎませんでした。先生はそれが実在すると主張されるわけですね?」
「ああ、俺の祖先はアムイの竜核を創った者達だ。いくつもの竜玉を濃縮したものが竜核であり、それを埋め込むことで島を雲海に浮かべたのだ。またその際には、竜核のある中枢へ至るための通路も造ったという」
「……それがこの大穴ということですか。先生を信じます。帝国の学説とも矛盾を起こしませんから」
アルヴァは深々と頷いていた。
「けど、敵がその竜核を狙う意味は何ですか?」
ソロンは話を元の方向へと戻す。
「力の補充だ。竜玉とは言ってみれば、竜の生命……。生命を喰らう呪海の王にとっては良い燃料となる。この程度の小島でも、相当に大きな力を得られるだろう。恐らくはそれだけで奴は完全に復活できる」
「そんな……」
「それだけではない。奴に竜核を喰われるということは――」
「島が落ちるってことですか……!?」
ソロンはたまらずに叫んだ。
「そうだ。さらに言えば、究極的な狙いは帝国本島の竜核かもしれん。上界でも屈指の巨大な島だからな」
「本島の竜核……。そうなれば、帝都が滅ぶ程度では済みませんよ。何百万という民が死に、帝国は滅亡するでしょう」
アルヴァの声はかすかに震え、額には汗がにじんでいた。
さすがの彼女も余りの事態に、ためらいを覚えているようだった。それでも紅玉の瞳でまっすぐに深淵の向こうを覗こうとする。その先に何が待っているかを、見抜こうとするかのように……。
「さてどうする? 降りるか、引き返すか?」
シグトラがアルヴァへと問う。
アルヴァは悩ましげに眉をひそめ、押し黙る。それから、ソロンのほうへと視線を向けた。
「アルヴァ。君がどうしようと、僕は全力で支えるから」
ソロンはアルヴァへと決断をゆだねた。
これは帝国を守る戦いであり、責任者は彼女だ。ソロンでは決断を下せない。
けれど、ソロンは既に決断をしている。彼女のために持てる全てを懸けるという決断をだ。
「……降りましょう。危険かもしれませんが、私に皆の命を預けていただけますか?」
アルヴァは他の六人を見回しながら、胸に手を当てて問いかける。
「無論だ。最初から、俺は一人でも決着をつけるつもりだったのでな」
「うむ。私は父様と二人でも決着をつけるつもりだった」
シグトラは即断し、メリューはそんな父に追随する。
「私はアルヴァと一緒ならどこへでも行くよ」
「まっ、ビビってたらそもそもここまで来ねえよな」
ミスティンとグラットも軽い調子で続いた。
「やれやれ、これは難儀そうですね。帝国のために体を張る義理はありません。……が、坊っちゃんのためなら深淵の底までも行きますよ」
最後にナイゼルが溜息を吐くが、彼にしても引き返すという選択はないようだった。
ソロンは既に意志を示してある。ゆえに言葉はいらない。ただアルヴァの隣に寄り添うだけだった。
「皆、感謝します」
アルヴァは深々と仲間達へ頭を下げた。
*
方針が決まれば、次はどうやって降りるかだ。
ソロンは改めて穴の中を覗き込んだ。
幸い、穴は垂直というほどではない。縦穴というよりは、急な下り坂という印象だ。地下牢は密閉されていたためか、菌類の気配はない。滑る心配が減るのはありがたかった。
懸念としては、やはり複雑な傾斜があるため一直線に底を見通せないことだろう。
「どれぐらいの深さがあるのかな?」
「ふむ、下界からアムイへ登った時のことを覚えているか? あの時の経験を元にすれば推測もできるだろう」
メリューがドーマ連邦での記憶を口にする。
当時は下界から山と塔を登って、徒歩で上界まで到達したのだ。その時に『上界の地中』を登る経験を一行はしていた。
メリューの発言を受けて、アルヴァが続ける。
「ということは、長くとも四半里を想定しておけばよいですね。それ以上に下れば、上界を突き抜けてしまうはずですから。余裕を見て、二時間と考えておきましょう」
「そう考えると、思ったほどの深さではありませんね。ですが、坊っちゃんやシグトラ師匠ならともかく、私や女性にとって厳しいのも事実です。ロープが欲しいところですが……」
懸念を表したのはナイゼルだ。
ロープならば、帝国軍が荷車に積んでいた物資に含まれていた。しかしながら、今も地上では戦いが繰り広げられているはず。引き返して取ってくるのは困難だった。
「それなら途中の倉庫でいくつか目にしたぞ」
メリューが事もなく答えてくれた。軍事基地だけあって、この種の備品には事欠かないらしい。
「さすがはメリューさん。目ざといですね」
「そなたらと違って闇の中でも目が利くからな。見逃しはせんさ」
と、メリューは小さな胸を張った。
一旦、上の階に戻り倉庫からロープを探す。メリューが言った通り、複数のロープがあっさり発見された。
もっとも、問題となるのは長さである。アルヴァの想定によれば、四半里程度は見ておきたい。
そこはありったけのロープ同士を強固につなげて、長く伸ばすことにした。これで目標の四半里程度の長さになったはずだ。
大穴の元へ戻り、柱へとロープをくくりつける。酷い崩壊にあった地下牢だが、隅にあった柱はいくつか無事なままだったのだ。
そうして、ソロンはロープの先端を穴へ向かって放り込んだ。
傾斜があるため、一度投げただけでは底まで到達しそうにない。そこは先頭をゆく者が、降りながら引いていけば問題ないだろう。
「じゃあ、行くよ」
ソロンは真っ先に宣言した。放っておいたらアルヴァが先に行こうとするので、そこは機先を制する。これも何度となく繰り返したことだった。
「お待ちください」
ところが、アルヴァがそれを制止する。
アルヴァはソロンの胸元へと手を伸ばす。何をするかと思いきや、蛍光石のブローチを留めたのだった。
蛍光石の淡い光が、暗闇に包まれた部屋を照らしている。
「――これで大丈夫です。お気をつけて」
と、アルヴァは間近で微笑む。なんだか気恥ずかしい一幕だった。
「……ありがとう。それじゃ、みんなは僕に続いて!」
ソロンはロープを握りしめ、深淵に続く大穴へと足を踏み出した。