無人の地下通路
階段を降りた先には、細い通路が続いていた。
壁には蛍光石の燭台が取りつけられており、淡い緑の光で通路を照らしている。
蛍光石は人の魔力と太陽光で動作する魔石だ。管理する者がいなければ、いずれ光を失う運命にある。とはいえ、しばらくは猶予があるようだった。
この地下通路には薄紅色の触手の姿はない。さすがに砦の中にまでは侵入できないようだ。もっとも、その代わりに小さなキノコらしきものが床から壁、さらには天井までを侵蝕していた。
「キノコ?」
「菌類でしょうか?」
ミスティンとアルヴァは顔を見合わせながら、疑問の声を漏らす。二人とも警戒心を抱いているようだ。
しかしながら、過剰に警戒していては、それだけ進行が遅れる。見る限り、踏まずに進むのは至難のようだった。
先頭をゆくソロンは、あえてそっと足で踏みつけてみた。
ヌメヌメとした感触は気持ち悪いが、少なくとも靴が溶けたりはしない。
「大丈夫みたいだね」
「だな」
と、グラットも大きな足踏みでキノコを踏みつけてみせる。相変わらずの無防備だが、ある意味頼もしいのも確かだ。
「……はぁ、行くしかありませんわね」
アルヴァ達も溜息をつきながら足を踏み出した。
薄明かりが照らす細い道を、七人は淡々と歩き続ける。床にはびこる菌類のせいで、足音もなく静かなものだった。
ソロンを先頭に、アルヴァ、ミスティン、グラット、ナイゼル、メリュー、シグトラという順番だ。シグトラが背後を守ってくれるのは心強かった。
少し歩いたところで、道が左右に別れていた。
「どっちにする? どっちでもいいと思うけど、迷わないように気をつけないとね」
ソロンが振り向けば、アルヴァは「心配無用です」と鞄をまさぐる。藍色の鞄から取り出されたのは地図だった。
「今どこを歩いているか気をつけていれば、迷いはしないでしょう」
「あれ、地図なんて持ってたんだ?」
「地図ではなく見取り図です」
アルヴァは細かく訂正しながら続ける。
「――もちろん用意していますよ。帝国で設計と建造をした砦なのですから。もっとも、軍事機密なので普段は門外不出ですが」
「あっ、そりゃそうか。なんかこの島を見ていると、そういう常識も忘れちゃいそうになるよ」
「気持ちは分かります。ともあれ、さすがに砦の構造までは変化していないようですよ」
「なるほどな。経路が判明しているのならば、手分けして当たるという方法もあるが……」
メリューがそう提案をしてくるが。
「いや、別れるのは危険すぎるよ。僕達は決戦を前にしてるんだし、何があるか分からないから」
ソロンが即座に否定すれば、ナイゼルも続く。
「坊っちゃんと同意見です。この島にいたはずの方々とは誰一人、遭遇できていません」
「全くですね。死体すら見当たらないとは、異常という他ありません」
アルヴァがうんざりしたようにつぶやいた。その事実は嫌でもこの島の危険性を示していた。
「了解だ。ならばこの七人で引き続き進むとしよう。それでどちらへ向かうのだ?」
メリューもすんなりと納得する。彼女自身も、手分けする案に積極的なわけではなかったらしい。
「う~ん、小さな部屋に呪海の王がいるとは考えにくいんだけど……」
ソロンは見取り図を覗き込み考え込む。
一行が探すのは、赤く巨大なアメーバ状となった呪海の王だという。いくらなんでも、小さな部屋で待ち構えているとは考えにくい。
「分かんねえぞ。聞いた話じゃ、軟体生物みたいになってんだろ? 形を変えて部屋の中に詰まってるかもしれねえぜ」
グラットが妙な反論をする。
「ん~、そんなせこい呪海の王なんてやだなあ」
「分かりませんよ。可能性は否定できません」
ミスティンが顔をしかめるが、アルヴァはグラットの意見を認める。
「師匠はどう思われますか? 呪海の王だけではなく、ザウラストがいる可能性も高いと思うのですが」
ナイゼルはシグトラの意見を求めた。ザウラストについて最も詳しいのは、間違いなく彼なのだ。
「そうだな。奴なら奥で堂々と待っているだろう。その上で罠をしかけ、高みの見物を決め込むような男だ」
「……そいつはいい性格してるぜ。それで、奥っていうとそこっすかね?」
グラットは見取り図の奥――現在地とは反対側を指差した。そこにはさらに下の階へと通じる階段があり、そこが大きな部屋へとつながっているようだった。
「ふむ、この部屋は……ほう、地下牢だな」
シグトラは見取り図の文字を読み、興味を引かれたようだった。かつて師は、アムイ城の地下牢に囚われていたことがある。そういった記憶が、何かしら引きつけたのかもしれない。
「もちろん軍事施設ですから。当然、牢も備えています」
と、アルヴァは答える。軍法違反者に敵の捕虜……そういった者達を収容する想定なのだろう。
「んで、ここに敵さんがいるってのか?」
疑問の顔を浮かべるグラットに、ナイゼルが答えて。
「いるかは分かりませんが、目的地としては悪くはないでしょう。敵は呪海の王とザウラスト……両方の行動を読むなど到底不可能なのですから」
「そうですね。途中の室内を確認しながら、地下二階の牢を目指すとしましょう。時計回りでよいですね?」
アルヴァが承諾し、別れた通路の右を指し示す。地下牢へは、左右どちらからでも同じぐらいの距離だった。
ソロンが一歩を踏み出せば、続く一行も菌類のあふれる地下通路を歩き出した。
右に曲がってすぐ、一つの扉が目についた。見取り図によれば、この先は大量にある兵士部屋の一つのようだった。
ソロンは扉に近寄り、そっと開いた。
部屋はどうやら兵士達の寝室のようだった。もっとも、今は一切の人気がない。死体すらない。ただ菌類が床から天井までを覆うばかりである。
八人分のベッドと残された雑多な日用品……それだけが、かつての日々を物語っていた。
「人いないね」
ミスティンが不安げにつぶやいた。
「恐らくは全滅だ。星霊銀を持たぬ者達には抵抗も難しかったのだろう」
シグトラが重々しく言った。それから、ソロンが背負う刀へと視線を送ってくる。
「――そういう意味では、カギを握るのはお前の刀だ。期待させてもらうぞ」
「責任重大だなあ」
ソロンは苦笑しながらも気を引き締めた。
*
一行は地下牢を目指して進み続けた。
途中、部屋があれば扉を開き、一つずつ中身を確認していく。
地下にある部屋の多くは、兵舎や倉庫の役割を持っているようだった。
しかしながら、はかばかしい成果は得られない。
中身はいずれももぬけの殻で、死体すら見当たらないのは相変わらずだった。
「みんな、呪海の王に吸収されちゃったのかな……」
「ええ、先生もおっしゃた通りです。皆、あの魔物達を生み出す元となったのでしょうね」
ミスティンの悲痛な声に、アルヴァも顔色を曇らせる。異界と化した砦の探索に、みな気疲れしていた。景色の不気味さに加え、いつどこで魔物に襲われるかも分からないのだ。
「……物音がするぞ。ソロン、気をつけろ」
とある部屋に近づいたところで、メリューが警戒を呼びかけた。
「了解」
ソロンは右手で刀を握り、左手で取っ手を回す。そうして、扉を足で思い切り蹴った。
扉が勢いよく開かれ、室内があらわになる。室内には生きた照明がないらしく真っ暗だ。蒼煌の刀へと魔力を流せば、青い燐光が中を照らした。
「……いないね」
背後から覗き込むミスティンが怪訝な声を上げる。外から覗く限り、室内には何の姿も見当たらなかった。
ソロンは慎重に室内へと足を踏み入れていく。ミスティンもソロンにひっつくように後を追ってきた。
扉を潜り抜けた瞬間――
「いる!」
ソロンはミスティンを抱えて後ろへ飛んだ。
「わっ!」
と、ミスティンが悲鳴を上げる。
ミスティンを床に倒し、ソロンは体をひねって起き上がる。
上から降ってきたのは、ナメクジのような魔物だった。大きさは人間大で、頭の触手の先端には目玉らしきものが付いている。
外側から姿を確認できなかったのは、相手が天井に張りついていたためだろう。
ソロンは刀を向けたが、その時には雷がナメクジを貫いていた。二人が後退した次の瞬間には、アルヴァが杖を向けていたのだ。
ナメクジは黒い煙を上げながら、シュウシュウと縮んでいく。やがて、床のシミへと姿を変えていった。
「ミスティン、今のは不注意ですよ。後衛のあなたが、前に出る必要はなかったはずです」
「ごめんなさい……」
アルヴァの叱責に、ミスティンがしょげる。
それを見たアルヴァは困惑した表情になり、
「まあその……ケガがなくてよかったです」
そっとミスティンを抱きしめて、なぐさめるのだった。
「うん」
ミスティンは表情をほころばせて、アルヴァを見返す。
「ははっ、相変わらずミスティンには甘いね」
ソロンは苦笑するが、
「色んな意味でお前が言うなよ」
と、グラットに呆れられた。
「……ちょっと見てくる」
ソロンは今度こそ室内へ足を踏み入れ、捜索を終える。床から天井までを確認したが、魔物の姿は他にないようだった。
*
砦地下の捜索は続いた。
いくつか魔物の姿もあったが、地上のような大群と遭遇することもなかった。実力者が七人そろったソロン達の敵ではない。
「イセリア達、無事かな?」
ミスティンが心配そうにつぶやいた。もう既に地下へ潜ってから、かなりの時間が経ったはずだった。
「まっ、親父もいるし何とかなるだろ。あっちには、神鏡もあるしな」
グラットの口調には父への信頼が覗いていた。なんだかんだいって、仲の良い親子なのだ。
「今は信じて突き進もう」
ソロンは歩みを止めず進み続けた。
やがて、下り階段が見えてくる。
「ここだな」
ソロンは階段の手前で足を止めた。階段の踊り場にある蛍光石の燭台が、さらなる地下を照らしている。
「この先にお姉ちゃんがいるのかな?」
ミスティンは緊張した面持ちでつぶやいた。
「この先にいなくても、どこかで待ち構えているのは間違いないと思う。さっきも堂々と姿を見せたから。まるで来いって言ってるような気がした」
「今度こそ、私がお姉ちゃんを倒すから」
ミスティンの目はいつになく鋭く、先を見据えている。いつでも弓を放つ心構えができているようだった。
「別に、君がやらなくてもいいと思うんだけど……」
心配になってソロンは声をかける。
「ソロン、優しい」
と、ミスティンはソロンの背中にそっとひっついた。
「お、おう」
振り払うわけにもいかず、ソロンはただ戸惑う。
「お姉ちゃんのことは今でも嫌いじゃないよ。私とは考え方が違うってだけ。だけど、敵だから倒す。それはもう決めたんだ」
ささやくようにしながらも、ミスティンは決然と語る。
「分かった。応援するよ」
彼女の意志の強さは、ソロンもよく知っている。だから、今さら疑いもしなかった。
「……行きましょう」
二人のやり取りを見守るように眺めていたアルヴァが、そっとミスティンの背中をなでる。そうして、階段へと足を踏み出した。
「了解」
ソロンはすぐにアルヴァを追い越し、また先頭へ立った。
階段を降りた先には、大きく厳重な鉄扉があった。これが地下牢へ続く扉のようだった。
この先に、ソロン達が求める敵がいるかは分からない。けれど見取り図を見る限り、この地下には他に大きな部屋がないのも事実だった。
敵がいると覚悟しておいたほうがよいだろう。
ソロンは蒼煌の刀を背中の鞘に収め、代わりにもう一つの刀を抜き放った。
カオスの力を打ち破る星霊刀……。相手が何者であろうと、強敵相手には切り札となるはずだ。
「カギはかかってないね」
ソロンは右手に刀を持ち、左手で取っ手を握る。
鉄扉はかなり重いため、少し力を入れた程度では動きそうになかった。
「手を貸すぜ」
それを見て取って、グラットが扉に手を添えた。
二人で強く押せば、重たい鉄扉はきしみながら開き出した。